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短編

Charlotte

作者:彩芭つづり
 アリッサは夢の中にいた。
 頬を撫でるあたたかな太陽。ふうわりと風に揺れる草花の匂い。そして鼓膜をくすぐるさざれ波の優しげな音。それらすべてに包まれて、アリッサはすうすうと小さな寝息をたてながら、幼子のようにぐっすりと眠っていた。
 ふいに彼女のもとに、ひとつの声が降ってきた。
「――……ねえ」
 ううん、とアリッサは呟いた。寝返りをして、体を猫のように丸める。
 自分がどれくらい眠っていたのかわからないけれど、きっとお茶の時間になったから母が起こしに来たのだと思った。けれどアリッサはまだ目を覚まさない。おいしいお茶や甘いケーキは大好きだけれど、それよりも今はまだここで眠っていたかった。
「――……ねえ、起きて」
 また声がした。まるでせせらぎのように澄んだ高い声。
 母のものではないと思った。大人には出せないような、とても幼い少女の声だった。
 肩をとんとんと叩かれる。アリッサはそっとまぶたを開いた。
「やっと起きてくれたわね。おはよう」
 起き抜けの目にすぐ、高く昇った太陽の光が差し込んでくる。あまりの眩しさに顔をしかめながら、アリッサは寝ぼけまなこを両手でこすった。それから、声の相手に「おはよう」と答える。
 視界と意識がだんだんとはっきりしてきた頃、むくりと起き上がる。目の前には、さっき自分を起こした声の持ち主がいた。
 年端もいかぬ少女だった。
 アリッサは目を大きく見開いて、その少女をじっと見つめた。
 羽風にさえなびくような細く柔らかい金色の髪。ギリシア神話に出てくる女神のような(グラウクス)のグレーの瞳。体躯はアリッサでも軽々と持ち上げることができてしまいそうなほど華奢で、肌は雪のように真っ白、そして頬にはほんのり赤みが差している。なぜかはわからないけれど、どこか神秘的な雰囲気もあった。
 そんな少女はさながら――。
「……妖精」
 見つめながら、アリッサはぽつりと呟いた。
 そう。まるでその少女は妖精のようだった。もし背中に羽根が生えていれば、誰しもがそれは本物だと信じて疑わないほどに。
 けれど、そんなアリッサの呟きを聞いた少女は突然肩を揺らし、くすくすと笑いだした。
「妖精? 私が? ふふ、そう。あなたの目には私がそんなふうに映っているのね。嬉しいわ」
 鈴を転がすような声で笑い続ける少女を、アリッサはぱちぱちと目をしばたかせながら不思議な気持ちで見据えていた。
 少し困惑した表情を浮かべながら聞く。
「……妖精、ではないの?」
「どうかしら。でも」
 ひとしきり笑った少女は一呼吸置いてから、
「あなたがそう思うのなら」
 そう言って、アリッサの手を優しくとった。小さく柔らかな両手でぎゅうと握りしめる。それから、大きな瞳をきらきらとさせながら言った。
「あなたに聞きたいことがあるわ」
「わたしに?」
「ええ」とうなずく少女。いいかしら、と問われたアリッサは、自分が答えられることならなんでも答えるつもりで小さく首を縦に振った。
 少女はすぐに口を開いた。
「あなたは誰? 名前はなんていうの? 歳はいくつ? ここまでどうやって来たのかしら。私、あなたのことをもっとたくさん知りたいの」
 多くの質問を一度に投げかけられ、アリッサは少し困惑した。心の中で、学校の先生だってこんなにたくさんの問題は一度に出してきたりしないのに、と思った。
 それでも、少女の問いを頭の中で一生懸命に思い出し、アリッサはゆっくりとひとつずつ丁寧に答えていった。
「わたしはアリッサ。お茶の時間が大好きな、ふつうの女の子よ。歳は、今日で九歳とちょうど半分になるわ。あとは、ここまでどうやって来たかというと……」
 はたと言葉を止める。アリッサははっとして、あたりをぐるりと見回した。
 太陽、草原、湖、木々。たくさんの自然に囲まれたこの場所に、自分はどうやってきたのだろうか。
 少し考えてから、アリッサは小さく首を横に振った。
「……わからないわ。わたしはどうやってここまで来たのかしら。全然思い出せないの」
 そんなアリッサの返事に、少女は目を丸くした。
「憶えていないの?」
「憶えていないわ。だってわたし、こんなところは知らないもの。来たことだって一度もないわ」
 少女が興味深そうに「へえ」と声を漏らす。
「そうなの。それってとっても不思議ね」
「ええ、とっても不思議だわ。だから今、なんだか夢の中にいるような気分よ。本当のわたしはまだ目覚めていないんじゃないかしら。ちょうどアリスの物語みたいに」
 そう言って、アリッサは『不思議の国のアリス』の物語を思い浮かべた。好奇心旺盛な少女アリスは白うさぎを追いかけて穴に落ち、不思議の国へ辿りついたけれど、自分はどんなふうにここへやってきたのだろう。
 目を閉じて、眠りにつく前のことを思い返す。
 確か、昨晩は窓から月がよく見える時刻になった頃、自室に戻りお気に入りのぬいぐるみと一緒にベッドへ入って眠りについた。そこまでははっきりと憶えている。けれど、そのあとのことはあまり憶えていなかった。とはいえ、どこかへ出掛けた記憶はない。そもそも起きた記憶すらないのだ。だから今もこうしてパジャマを着たままでいるわけだし、いつも結っている髪だって下ろしたままでいる。……それなのに、なぜ自分はここにいるのだろう。どうやってここまで来たのだろう。
 考えれば考えるほど、なにもかもが不思議に思えた。けれど、ずっと頭を悩ませていても疲れるだけだし仕方がないと、アリッサは再び少女に目をやった。
「あなたのことも聞いていい?」
「私のこと?」
「そうよ。わたしもあなたのことが知りたいわ」
 初めて出会う妖精のような少女に、アリッサはとても興味があった。
 アリッサの言葉に、少女は嬉しそうに微笑んで、大きくこくりとうなずいた。
 金色の髪を揺らしながら少女は言う。
「私の名前はシャーロット。甘いお菓子に目がない女の子よ。歳は、あなたと同じ九歳。すぐそこにある赤いレンガのおうちに住んでいるの。いつもこの湖のまわりで遊んでいるのよ」
 そしてシャーロットは目を輝かせ、アリッサにぐっと顔を近づけた。
「さっきも一人でお散歩をしていたら、偶然あなたを見つけたのよ、アリッサ」
「そうだったのね」とアリッサが言う。
「そのときわたしはなにをしていたの?」
「とてもよく寝ていたわ。このふわふわの草をベッド代わりに、自分の手を枕にして、こんなふうにね」
 シャーロットは両手を合わせて右頬に寄せた。確かにそんなふうに寝ていたかもしれない、とアリッサは思った。自分の手を枕にして眠るのは、いつものアリッサの癖だったのだ。
「でも、どうしてこんなところでお昼寝を?」
 シャーロットの言葉に、アリッサは首をかしげる。
「ううん……どうしてかしら」
「それに、まだパジャマを着ているわ。どうして?」
「それは、さっきまでわたしは自室のベッドで眠っていたからよ。目が覚めたらお茶の時間だと思っていたのに、なぜかここにいたの。なにがなんだかわからなくて、わたしにもちんぷんかんぷんだわ」
 肩をすくめる仕草をする。話を聞いていたシャーロットもうまく理解ができず、不思議そうに首をかたむけた。
「なにもわからないのね。まるで違う世界から飛ばされてきたみたい」
 感覚としては、それに近い感じだとアリッサは思った。起きたらまったく知らない場所にいたのだから、別世界に来てしまったのだと考えられなくもない。そう思い始めたら、なんだか急に不安に襲われた。もしかしたら自分はここにいてはおかしい存在なのかもしれないと、だんだん寂しい気持ちで心の中がいっぱいになってくる。
 アリッサは目を伏せ、まつげを震わせた。
「……ごめんなさい。でもわたし、本当になにもわからないの。おうちに帰るまでの道すら知らないわ。……もしかしたら、このまま帰れないのかもしれない」
「ああ、アリッサ。そんなに悲しい顔をしないで」
 悲しみ落ち込むアリッサを、シャーロットは優しく抱きしめた。早咲きの薔薇のように甘やかな香りがアリッサの鼻腔をくすぐる。あたたかな胸に包まれて、不安だった心がすうっと溶かされていくような気がした。
 抱きしめた腕を放すと、シャーロットはふわりと微笑む。
「アリッサはたぶん、四つ葉のクローバーを探しているうちに寝てしまったのよ。ええ、そうに違いないわ。だってこのあたりはとても気持ちがいいでしょう? だから私もよくそうしてしまうの。……でも、このことは内緒よ。お母様に知られたら叱られてしまうから」
 しい、と人差し指をくちびるに当てるシャーロット。
 アリッサはくすりと笑った。一生懸命に四つ葉のクローバーを探しているうちに眠りに落ちてしまうシャーロットを想像したのだ。純粋で無垢な少女はとてもかわいらしいと思った。
 ふいにシャーロットが立ち上がる。そして突然アリッサの手をぐいと引いた。
「ねえ、アリッサ。今から遊びに行きましょう」
「今から? ……でも、わたし」
 すべての不安が拭われたわけではなかった。胸の中にはしこりのように、まだほんの少しの憂いが残されていた。
 日が落ちてしまう前に、家に帰る道を探さなければいけないと思った。ここにはシャーロットの家と大きな湖がある以外はほとんどが木々ばかりで、暗くなってしまったらきっと右も左もわからなくなって帰れなくなる。もしそうなれば、自分は本当に一人きりになってしまう。
 さざなみのように押し寄せる不安に胸を押さえると、それを見ていたシャーロットが言った。
「もしかして、パジャマだから嫌なの?」
「え?」とアリッサは目を丸くした。
 シャーロットは柔らかな笑みを浮かべる。
「大丈夫。そのパジャマ、とてもかわいいわ。色だってとても素敵。私、グリーンが大好きなの」
 アリッサは自分のパジャマに目をやった。
 アリッサが今着ているこのグリーンのパジャマはつい先日、九歳の誕生日を迎えたときに父からプレゼントされたものだった。南の海を思わせる鮮やかな色合いがアリッサの大のお気に入りだった。だから、シャーロットがこのパジャマを好きと言ってくれたことはとても嬉しかった。
 しかし、アリッサの表情は曇ったままだ。
「褒めてくれてありがとう。……でも」
「わかったわ。私もパジャマに着替えればいいのね!」
 ぽんと手を叩くシャーロットを、アリッサは驚いた表情で見つめた。
「グリーンはないけれど、イエローのパジャマなら持っているの。それを着て遊びに行きましょうよ。お揃いならきっと恥ずかしくはないでしょう?」
 妙案だと言わんばかりにシャーロットはぴょんぴょんと飛び跳ね、明るい笑顔でそう言った。しばらくしてやっと呆然とするアリッサに気がつくと、さっきとは打って変わってしょんぼりと肩を落とす。
「……それでも嫌?」
 ころころとよく表情の変わる子だと思った。そんなシャーロットは見ていて飽きないし、こうして隣にいるだけで明るい気持ちにさせてくれる。アリッサは思わず小さく笑った。
 太陽を見上げれば、まだ日は落ちそうにない。少しだけシャーロットと遊んでから帰り道を探しても、きっと間に合うと思った。
「いいわ。シャーロットがかわいいと言ってくれるのなら、わたし、このパジャマのままでいる。わたしもグリーンが大好きなの」
 それを聞き、シャーロットの表情がぱっと明るくなる。それから、まるで花の精のようにくるくると回って全身で喜びを表した。
「じゃあ私も着替えるわ。ねえ、アリッサ。あの木陰に隠れて目を閉じて、数を三秒数えてくれないかしら」
「数を?」
 アリッサは首をかしげた。シャーロットは嬉しそうにこくこくとうなずく。
「きっと驚くわ」
 三秒でなにをするのだろう。気になったけれど、アリッサはなにも訊かずにシャーロットに言われたとおり、木陰に身を隠して目をつぶり、ゆっくりと数を数えはじめた。
 一秒、二秒、三秒。
 あっという間だった。約束どおり、三秒を数え終わる。アリッサは目を閉じたまま、大きな声でシャーロットを呼んだ。
「……シャーロット、もういい?」
「いいわ、こっちを向いて」
 返事が聞こえる。アリッサはまぶたを開き、目をごしごしとこすった。そして木陰からそっと顔を覗かせる。
 すぐにシャーロットの姿が目に入る。アリッサは目を大きく見開いて木陰から飛び出した。
「わあ、素敵なパジャマ!」
 シャーロットは、まるで春の晴れた日に咲くガザニアのような鮮やかな黄色のパジャマを着ていた。きらきらと輝く眩しい笑顔を見せるシャーロットにはとてもよく似合っていた。
「とても綺麗な色ね」
「ありがとう。私も気に入っているの」
 くるりと回るシャーロット。そんな彼女を、アリッサは不思議そうに見つめた。
「……でも、いつの間に着替えたの? たった三秒しか目を離していないのに」
「ふふ。驚いたでしょう。実はね、私、早く着替えるのが得意なのよ」
 得意といったって、たったあれだけの時間で着替えられるものだろうか。訝しく思い、さらに詳しく聞こうとしたとき、シャーロットが突然アリッサの手をとった。強く握られ驚いたアリッサは、聞くタイミングを逃してしまう。
「さあ行きましょう、アリッサ」
 駆け出すシャーロットに、アリッサは慌ててついていく。
 木々のあいだを縫って走っていくとすぐに森を抜けて、どこまでも遠くまで見渡せてしまうほどの広々とした草原に辿り着いた。そこにはたくさんの草花が咲いていて、まるで自分たちに話しかけるように、ゆうらりゆらりと揺れていた。
「見て。かわいいお花がいっぱい咲いているわ」
 シャーロットの指さす先には、赤、白、黄、紫と、たくさんの色どりの花たちがあたり一面に広がっている。まるで夢の中にいるようだと、アリッサは思った。
「ねえ、お腹が空かない?」
 シャーロットの問いに、アリッサはうなずく。
「少しだけ」
「それならお菓子を食べましょうよ」
「お菓子?」
「そう、お菓子。この花たちを眺めながらチョコレートやビスケットをお腹いっぱいになるまで食べるの。どう?」
 シャーロットの提案はとても素敵なものだと思ったけれど、アリッサは少しだけためらった。母にいつもお菓子を食べすぎてはいけないと注意されているからだ。
 どうしようかと迷っていると、シャーロットは内緒話をするように小さな声で言う。
「お母様がいたらきっと叱られるでしょうけれど、今は私たちしかいないわ。食べるなら今のうち。……ね?」
 シャーロットがいたずらな笑みを浮かべる。やんちゃを思いついたときの幼い子どもみたいな笑みだった。
 どうやらシャーロットもお菓子を食べすぎていつも母親に叱られているようだった。どこの家でも同じらしい。それを聞いて、自分だけではなかったのだと安心したアリッサは、友人の悪だくみに乗る少年のような表情で、「いいわ」とうなずいた。お菓子が好きなのはアリッサも同じだ。だから、お腹いっぱいになるまでお菓子を食べていいなんて夢のようだと思った。
 けれど、アリッサはふとあることを思い出し、
「でも……」
 と、しょんぼりとした声で言った。
「わたし、今はお菓子を持っていないわ。お金も持っていないから買いに行くこともできない」
 せっかく誘ってくれたのに、とアリッサは悲しい気持ちになった。
 そんな彼女を見て、シャーロットは笑顔を浮かべてすぐに答える。
「いいのよ、気にしないで。だって私がたくさん持っているんだもの。もちろんあなたの分もあるわ。ほら」
 そう言うと、シャーロットはパジャマのポケットからたくさんのお菓子を取り出した。それらはどんどん積み重ねられて、いつの間にか山のようになる。こんなにいっぱいの量をどうやって持っていたのだろうと思った。まるで魔法を使って出したみたいだと、アリッサは驚いた。
 シャーロットが持ってきたお菓子をじっと眺める。その全部がとてもおいしそうで、こうして見ているだけでも幸せな気持ちになれる。それに、シャーロットのお菓子は初めて見るようなものばかりで珍しく思えた。アリッサは興味津々でシャーロットに訊く。
 はじめに、小さい虹色のガラス玉のようなものをひとつつまんで、
「これはなに?」
「それはオーロラキャンディ。とっても寒い地域にできるいちばん綺麗なオーロラの欠片を集めて作ったの」
「オーロラを? すごいわ!」
 アリッサはキャンディを頭上にかざして覗き込む。すると、それはまるで本物のオーロラのように、色を変えながらきらきらと輝いていた。
 わくわくした気持ちになり、他のお菓子のことも知りたくて、アリッサはまた別のものを手にとった。
「ねえ、シャーロット。これは?」
「それはスターダストクッキー。夜空に浮かぶ星を砕いて散りばめたの」
「じゃあ、これは?」
「それはサンミルクチョコレート。朝の眩しい太陽の光を溶かして混ぜ込んだの」
「それなら、これは?」
「それはクラウドビスケット。隠し味にふわふわした甘い雲をひとつまみ入れてみたの」
 シャーロットの話を聞いて、アリッサはまるで童話を読んでいるような気分になった。オーロラを集めたり、星を手にしたり、太陽を掴まえたり、雲を抱きしめたり。勇敢な少女のロマンチックな物語を聞いているようで、胸がどきどきと高鳴った。
 アリッサは、なんて素敵なお菓子なのだろうと思い、目を輝かせてシャーロットに言う。
「すごいわ。シャーロットのお菓子は全部が特別なのね。わたしが知らないものばかりだもの。わたしが食べたことのあるキャンディやクッキーには、そんな素敵なものは少しも入っていなかったわ」
 キャンディは甘くて、クッキーは香ばしく、チョコレートやビスケットはとても優しい味がした。アリッサは喜んでシャーロットのお菓子をたくさん食べた。
「このお菓子たちはとてもおいしいし、きらきら輝いていて、まるで宝石のようね」
 そう言うと、シャーロットはそっとかぶりを振った。
「違うわ、アリッサ」
 お菓子を食べる手を止め、アリッサはきょとんとする。そして小さく首をかしげた。
「なにが違うの、シャーロット?」
「私のお菓子は特別なんかではないのよ」
「だってわたしには作れないわ」
「作れるわよ。二人一緒になら、とても簡単にね。……それに」
 シャーロットはチョコレートをつまみ、ぽいと口の中へ入れる。舌の上でゆっくりと溶けていく甘さに、にっこりと微笑みながら言った。
「こうして二人で食べるから、一人のときよりももっとずっとおいしいんだわ」
 そうでしょう? と聞かれ、アリッサはこくりとうなずいた。確かにそのとおりだと思った。お菓子はいつでも甘くておいしいけれど、こうして誰かと一緒に食べるお菓子はその何百倍もおいしい。こうしてシャーロットが隣にいるから、もっと特別なお菓子になるのだ。
 キャンディを口に含む。ころころと舌で転がしながら、アリッサは言った。
「甘いわね」
「うん。とても甘いわ」
「おいしいわね」
「うん。とてもおいしいわ」
 それから、ふわりと笑みを浮かべ、
「幸せね」
 アリッサのその言葉に、シャーロットもつられて笑う。とても幸せな時間だと、二人は心の中で同じことを思っていた。
 お菓子をめいっぱい食べたあと、アリッサとシャーロットは並んで草原に寝転んだ。ゆっくりと流れていく空の雲を見つめながら、ほう、と小さく息を吐く。
「ああ、お腹がいっぱい」
「私も」
「こんなにお菓子を食べてしまったら、夕飯が食べられないわ」
「本当ね」
 二人でくすくすと笑い合う。
 そのとき、「でも」とシャーロットが言った。
「私、お母様の作るビーフシチューならいくらでも食べられちゃうわ」
「ビーフシチューを?」
「ええ」
 うなずくと、シャーロットは母親の作るビーフシチューがどれだけおいしいかをアリッサに語った。話を聞いていると、確かにシャーロットの母が作る料理はとてもおいしそうだった。シャーロットのお菓子作りが上手なのは、きっと母に教わったのだろうと思った。
 話を聞くうちに、アリッサもだんだんと自分の母の手料理が恋しくなってくる。アリッサも母の作る料理がとても好きなのだ。
 シャーロットはアリッサを見やる。
「そうだわ。今度会ったときにはビーフシチューを食べさせてあげる。アリッサのことをお母様に話しておくわ」
「本当に? 嬉しい」
 アリッサが答えると、シャーロットも嬉しそうに微笑んだ。
「それなら、シャーロットにもわたしのママが作るパウンドケーキを食べさせてあげるわ」
 アリッサが言った。
 え、とシャーロットから声が漏れる。表情に少しばかり翳りを見せた。
 けれど、アリッサはそれに気づかずに、手を合わせて嬉しそうに話し続ける。
「ママのパウンドケーキは世界一おいしいのよ。だから今度はわたしがシャーロットを家に招待するわ。楽しみね」
 アリッサの純粋な気持ちに、シャーロットは悲しげな笑みを見せた。すぐにうなずくことはできなくて、そんな彼女にアリッサは首をかしげる。
「シャーロット? 顔色がよくないわ。気分が悪いの?」
 慌ててシャーロットはかぶりを振った。
「ううん、平気。ただちょっとお菓子を食べすぎちゃったみたい」
「そうね。それはわたしも一緒よ」
 楽しげに笑うシャーロットを見て、アリッサはほっとした。一瞬だけ見えた悲しげな表情は、きっと見間違いだと思った。
 寝転びながら、二人は小さな手を繋ぐ。指先から伝わってくるお互いの体温が心地よくて、目を閉じたままに会話する。
「ねえ、シャーロット」
「なあに」
「わたしたちって、今日初めて会ったのよね」
「そうよ。今日が初めてだわ」
 アリッサはなんだか不思議な気持ちでいた。
 初めて会うのに、どうしてこんなに心を許せてしまうのだろう。生まれたときから一緒にいる家族のような感覚さえする。けれど、理由はわからなかった。
「不思議ね。……あなたのことは、ずっと前から知っているような気がするの」
 ぽつりと呟くと、シャーロットは突然起き上がり、アリッサの顔を近くでじっと見つめた。アリッサは驚いてぱちぱちと目をしばたかせる。なに、と言おうとしたとき、シャーロットが先に口を開いた。
「私も」
「え?」
「私も、同じことを考えていたの」
 シャーロットの言葉に、アリッサは目を丸くした。
「アリッサのことは最初から友達だと思っていたもの。初対面だなんて嘘みたい。きっと私たちは前にどこかで出会っていたんだわ!」
 あまりに一生懸命に話すシャーロットに、アリッサは吹き出して笑った。シャーロットも、そんな自分の行動を恥ずかしく思ったのか、頬を赤く染めながら再びアリッサの隣に寝転んだ。
「でも、そうね。不思議だけれど、シャーロットの言うとおりよ。わたしたちは昔どこかで出会っていたのね。それは、やっと歩けるようになった頃かもしれないし、まだミルクを飲んでいた頃かもしれないし、もしかしたら生まれる前のことかもしれないわ」
「生まれる前の?」
「そう。とっても不思議だけれどね」
 へえ、とシャーロットが吐息を漏らす。アリッサにも昔のことなどわからなかったけれど、それでもきっとシャーロットとはなにか深いつながりがあるのだと信じて疑わなかった。
 雲は形を変えて、空を悠々と流れ続ける。日はまだ高いところにあって、沈む気配を一切見せない。アリッサとシャーロットもまた、ずっと草原に寝そべったまま、いろんな話をした。それは、今まで自分が経験してきたことすべてを語りつくしてしまうほど。
 ひとしきり話を終えて、息を吐く。
 シャーロットはぽつりと呟くように言った。
「ねえ、アリッサ」
「なあに、シャーロット」
 シャーロットは、ゆっくりとアリッサに目を向けた。その視線に気づき、アリッサも同じように首を横に向けシャーロットに目をやる。
「やっぱりここでこうして二人で過ごしたことは、私たちだけの秘密にしましょう」
 秘密。シャーロットはそう言った。
「……秘密って、シャーロットのことを話してはいけないということ? 誰にも?」
 アリッサは、家に帰ったらすぐにシャーロットのことを両親に話そうと思っていた。こんなに素敵な友達ができたのだと報告することを、心から楽しみにしていたのだ。それにシャーロットだって、母親に自分のことを話してくれると言っていた。それなのに。
 黙っていると、シャーロットは目を伏せる。そして、今度こそはっきりと寂しげな表情を見せた。
「アリッサが大人になったら……そのときは私のことを話してもいいわ。けれど、今はだめ。大人になるまで待っていてほしいの。それにはきっと長い長い時間がかかるだろうけれど、でも、お願い。……約束してくれる?」
 なぜ突然そんなことを言うのだろう。アリッサは悲しい気持ちになった。
「どうして?」
 小さな声で訊くと、シャーロットはくちびるを弱く噛みしめたあと、まつげを震わせる。
「だって、言ったってきっと信じてくれないわ。大人はいつもそう。自分の目で見た確かなものしか信じない。目に見えないものは知らんぷり。どんなに私たちが本当のことを話していても、それはないものとして片づけられてしまう。だからきっと、今日のことだって……。
 ねえ、お願い。私、こうしてアリッサと一緒に過ごしたことをただの夢や妄想で終わらせたくないの。だから……」
「わかったわ」
 アリッサの言葉に、シャーロットははっとし彼女を見やった。アリッサはシャーロットに微笑みかける。
 シャーロットのことを話したいと思っていた。話せばきっと父も母も喜んでくれる。そして友達全員が羨む。そう確信していた。……けれど。
「シャーロットの言うとおりにするわ」
 大切な友達の悲しむ顔は、見たくないと思ったから。
「約束するわ。……今日のことは、大人になるまでの、わたしたちだけの秘密」
 小指を差し出す。シャーロットは驚いた表情でアリッサを見つめた。それでもすぐに、その小指に自分の小指を絡ませる。アリッサから優しい微笑みを向けられたシャーロットは瞳に薄く涙を浮かべながら、同じように微笑みを返した。
「ありがとう、アリッサ。あなたはわたしの大好きないちばんの友達よ」


 眩しい朝日が差し込んで、アリッサの横顔を照らす。寝返りを打って、アリッサは自分がいつの間にか眠りに落ちてしまっていたのだということに気がついた。
 寝ぼけまなこをこすり起き上がると、そこは見慣れた自室のベッドの上だった。
「あら、アリッサ。目を覚ましたのね。おはよう」
 声がするほうに目を向ける。そこにいたのはアリッサの母だった。部屋のカーテンを開けてくれていたらしい。
「おはよう、ママ」
 挨拶を返すと、頬にキスを落とされる。
 いつもの朝だ。レースのカーテンも、花柄のタオルケットも、隣に寝ているこのお気に入りのぬいぐるみも、全部が見覚えのあるものだった。
 けれど、今のアリッサにはどうしてもおかしく思えてしまう。だって、自分はさっきまでシャーロットと一緒にたくさんの花が咲いている草原で寝そべって話していたはずなのだ。それなのに、どうして自室のベッドで寝ているのだろう。帰る道さえわからなかったはずなのに、いつの間に家に戻っていたのだろうか。
 すぐに状況を飲み込めず、アリッサはしきりに首をかしげる。そんな彼女を見て、母は不思議そうに聞いた。
「どうしたの? 変な夢でも見たのかしら?」
 夢? いや、夢なんかではない。
 アリッサはシャーロットと確かに会話をしたし、確かに触れたのだ。彼女の声も、彼女の匂いも、彼女の体温だって、まだしっかりと憶えている。
「ママ、あのね。わたしはさっきまで……」
 言葉は続かずに、ぴたりと止まる。アリッサはシャーロットとした、たったひとつの約束を思い出した。
『――私たちだけの秘密にしましょう』
 耳の奥で聞こえる、鈴のような少女の声。
 アリッサは言いかけた言葉を飲み込んで、ふるふるとかぶりを振った。
「……ううん。なんでもないの、ママ」
「そう? ……おかしな子ね」
 母は怪訝に思ったけれど、アリッサがなんでもないのだと言うのを聞いて、きっと夢でも見たのだと思った。
 アリッサは窓から空を見上げる。それは、さっきまでシャーロットと眺めていた青さにとてもよく似ていた。
 ベッドから降りて背伸びをする。アリッサはパジャマのしわを伸ばすと、母のほうを振り向いた。そしてふわりと髪を揺らしながら、かわいらしい微笑みを浮かべる。
「ねえ、ママ。ママは妖精を信じる? ……わたしはね、信じるわ。だって絶対にいるに違いないもの」
 そう言って、アリッサは心の中で付け加えたのだった。
 ――だってわたしは、かわいい妖精さんと一緒にとても素敵な時間を過ごしたのだから、と。

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