温羅伝承
うらじゃ祭り、それは吉備の国の鬼神「温羅」の伝承をモチーフとした夏祭りである。
1994年秋に始まった「うらじゃ祭り」も今年で21回を数える。
今では踊り連138連、約6,215人、観客動員約50万人の人々がこの祭りに参加するようになった。
百済の皇子、吉備冠者とも呼ばれる温羅は、大和朝挺の孝霊天皇の皇子であり、四道将軍のひとりの吉備津彦命により退治されたという。
古事記によれば、吉備津彦は吉備氏の祖となるが、温羅の妻である阿曽村の祝の娘が吉備津神社の鳴釜神事を代々受け継ぎ、鬼神「温羅」を祀り続けている。
そこに何らかの密約があったと感じるは私だけではないだろう。
その後の吉備の国の発展の歴史を見れば、倉敷市の弥生時代最大の楯築弥生墳丘墓にはじまり、古墳時代の前方後円墳の最初の形はこの吉備の国で生まれ、大和の三輪山の纏向遺跡の祭祀へと結実していった。
それを考えれば、吉備津彦命は吉備の人民、吉備冠者「温羅」の遺産を全て引き継いだと思われる。
それは何故なのか?
その真相は歴史の闇の中であるが、ひとまず、今日はある夏祭りの夜の物語をはじめよう。