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 日の差し込むことのない深い森。
 そこにある、水田とは名ばかりの大きさの、それでいて小さくはない水溜まり。

 四方を山に囲まれたそれには水が東と西から流れ込み、交わった水はひと時そこでたゆたい、やがて北と南に別れてゆく。

 その様がまるで儚いうつつの仲のようで、いつからかその水田には名がついた。



「はぃっ…?!え、恋破(こいわけ)の水取りにって、えぇぇぇえ?!」

 帰宅後いきなり突き付けられた指令に、英瑚(エイコ)はうなだれた。
 その勢いに、サラサラとは形容しがたい、少し明るめの髪が流れる。

 うなじの辺りで揃えてカットしたはずなのに、本人同様気の強い髪は外にハネて、最早無造作スタイル。
 あの美容師のお兄サン……きっとお似合いですょ〜とか言っといて帰り際目を逸らしたし……プロなら初めから止めてほしかった……ってイヤイヤ今はそうじゃなくって。

 断固反対、断固拒否だ。

「何よ。アタシに盾突く気?あの水は下社の神子役が取りに行く決まりなの。異義却下。行け。」
「………っぅぅぅ〜!!」

 エイコが口を開くより先に言い放たれた。
 
 うん。一回人格基礎根本から人生後悔しつつやり直してみたらどうでしょうこのニューハーフ……ッ!!!

 口から溢れそうな罵声もとい、忌憚の無い心の叫びを唸って抑えるが、相手にはそれすら伝心してしまったらしい。
 砂貴(サキ)はそんなエイコをちらと見遣り、どちらの性ともつかない妖しい笑みを浮かべた。

 スイマセン議長、記録からの発言削除を要求します。まだ生きていたい……!!


 この顔だけはやたらと造りの良い従兄弟がエイコは苦手だ。

 そもそもエイコの家は水途谷神社の分家である下社で、古いと言われようが分家は本家に弱い。
 加えて乙女は美人に弱い……。

 結えば立派なおダンゴが出来そうなくらぃ髪を伸ばしているくせに違和感は無く、艶々とした流れはさらに面の造形を際立たせている。ええ似合ってます憎たらしいほどに……!!
そんなエイコの恨みの篭った視線を受け流したサキは、ふとその背後に焦点をずらした。

「エーイーコ。……お帰り」

 ……しま、った。長居しすぎた。
 ニヤリとでも音のしそうな気配がすぐ傍にある…というか耳元に触れて……って。

「っだぁぁぁああぁ!!何してくれんのこの変態エロ中学生ぇぇぇ!!みっ…耳みみミミ耳にぃっ」
「何言ってるの。そんなんじゃ今晩……堪えられないよ…?」

 妖しい雰囲気を作りだそうとする第二の従兄弟・真枳(マキ)の腕から逃れつつエイコは跳ねる心臓を抑えた。
 落ち着け私。まだ大丈夫傷は浅いし玄関は近い。用件も聞いたしこれ以上ここにいる必要も無いしさぁ帰―――

「待ちなさい。まだ話は終わってないわ――マキ、あんた明日エイコと神田に行って来て頂戴」

 エイコは既に襖に手を掛けて撤退しかけていたが、その動作は半ばで固まる。
 今何か聞いてはイケナイ事を言われたような。

「え…ぇぇっと?!神田まで行くの…?祠じゃなく?!ぇ、イヤだってアレ、って……」

 続きを言うのが躊躇われて、エイコは言葉を濁した。
 
 だってあれは。あの“神田”の水は。
 そう簡単に表に出されるものでは――無い。
 


 そもそも、水途谷神社は恋破の田を有して建てられた社ではなかった。
 太陽神が隠れた時、御前で舞った女神がします社として建ったのだ。

 それが何代か前の本家宗主の時、既にいわく付きだった水田を含め、森ごと地主から預かり受ける事となった。
 表向きは、神社・祭神に縁ある祭祀場跡が見つかった為に管理を任される形であったが、内実は譲渡だったらしい。
 事実、すぐに土地台帳は地主の手配で書き換えられ、権利書まで神社に届けられた。
 
 それほどに、水田の水は扱いに難しいものだった。

 言の葉に魂が宿るように、自然の作り出したものもまた、摂理を宿す。
 自然の霊力の流れに沿った水田の水は、ただ特殊な条件下、存在するだけで強すぎる力を持った。

 以来、水途谷神社は縁切りの神社としても知られるようになった。
 いや確かに、『あの一本杉に藁人形打つと完璧にヤれる』並に縁切りで有名だった水田貰っちゃったらそうなるだろう。 

 そしてやはり絶えることの無い縁切り希望者に、宗主らは水田ではなくその下流にある祠に引いた水を渡すことにした。
 分流した後の水を使う事で、その力を弱めて。かつ高額で。
 そうすればいずれ、その名も消えていくだろうと。
 
 が、現在まで縁切り神社としてその名を欲しいままにしている。責任者を呼べ。

 お陰で、公言してはいないが、フラれる原因の第1位が『家業が縁切り』だったり。
『キミと付き合ったら何かヤバい気がするんだ』とか…!!何が!!
 それもあれもこれも全て原因があの水田だと思うと、いっそ埋めてやろうかと思う。それなのに、だ。

「じゃ、神田の鍵は明日マキに預けとくから頼むわね――エイコ、逃げたら明後日は来ないわよ」

「えぇ?!…ぅ、でも…………はい……」

 ち、読まれている。しかも明後日が来ないって何だ。
 美人に睨まれただけでイエスマンな自分が憎い……!!



 静かになったエイコを見てサキは溜め息をついた。
 あの水がエイコのトラウマであることは解ってはいるが、こればっかりはどうにもならない――というか、意味が無くなってしまう。

 儀礼や形式といった事ではなく、水を治めた二人の家長が水田と誓約したその内容に因るもので、条件を満たしていなければ水の呪力を持ち帰る事は出来ない。
 エイコには詳しい事は教えられていないが、サキもマキも上社を預かる一家として小さな時からそういった取り決めを何度も説かれていた。

「しょうがないじゃない、私だって気乗りしなぃわよ。でも千鶴子がね……じゃ頼んだわよ」
「え、千鶴子?!」

 間違いなくあの水を自由にできる人物、しかも現在水途谷神社で逆らえる者はいないその名を聞き、エイコは目まいを覚えた。
 名実共にこの社の主人であり、エイコ達の祖母、千鶴子。

 近隣のお暇ある、千鶴子いわく『お友達』を集め、どうひいき目に見ても布教としか思えない『お茶会』を瀕回に開いている。確か会の案内には千鶴子の一言『あなたの悪縁お断ちしましょう』が、でかでかと載っていた。
 ……布教臭がする。コピーからそこかしこから。
 それで水を取ってこいとは…つまり。

「払った、ってこと?あのバカ高い玉串料を!?」

 駄々をこねて事態を回避出来る可能性の無さに、エイコは愕然とする。

 用があると言って部屋を後にするサキにすがろうとするが、かわされた。
 あんたオニだ……!!従姉妹のいたいけな姿に颯爽と背中を向けるってどうゆう了見!?

「今日のトドメがコレって……うう、私の人生踏まれて蹴られて終わりそー……」

 いつの間にか当初逃げだそうとした理由の存在も忘れて、エイコは嘆いた。
 今日は朝から不幸が重なり続けている……。

「フラれたからってそんなに落ち込まないで。だからあんな男止めておけって言ったのに……彼氏の忠告は聞こうね?」

言ってない。断じてコイツに不幸の中身を言った覚えは無い。

「何で、知って」
「彼女の浮気には敏感なんだよ」

またか……!!とエイコは頬を引きつらせた。
いつもいつもいつも、マキはこのタイミングで現れる。つまり、想い破れて打ちひしがれている時だ。

しかも過去マキに恋のお悩み相談などした事皆無なのに、何故かいつもエイコの意中の人物評定を行い、ハズレていないマイナス評価を披露していくのだ。笑顔で爽やかに。
憎たらしい事にその内容は参考とするには何の問題も無いので、つまりエイコがお付き合いをお願いする相手はそこそこ中身もイイ。よって断られた時のショックもひとしおで。

そんなに難しい事を頼んでいる訳ではないのにと、エイコは今日の相手を思い出した。
ハイ、心の汗が溢れそう……!!

「意味不明。大体私に彼がいたら休日自宅で引きこもっていたところを引きずりだされこき使われた揚句明日人生二度目くらいのブルーどころか群青色というかむしろブラックな日を迎えることはありませんでした……くっ、こんな目に遭ってもユキちゃんは相澤くんとおデイトでメールさえ返してくれない……」

 親友の非道(←自分本位)にエイコは落胆した。
 マキの表情に陰が差したことも気付かない。
 
「まだそんなこと言ってるの?何で?俺の事キライ?」

 そう言って、真正面に立ったマキはエイコに影を落とした。
 射抜くような美貌の兄・サキとは異なる、柔らかい印象を与える容姿。吊り上がるとはいかないまでもキリっとした眼差しには、それでいて甘さもある。
 うん、従兄弟じゃ無かったら、キャーキャー騒いでいただろうな。危ない危ない。

 なんて、身内贔屓じゃなくそんな感想を正直に述べられる訳で。つまりコイツも美形で。
 =長時間耐久戦はキビシイ。

「えと、どいて下さい」

 マキの問いこそ何で?だ。が、とりあえずこの雰囲気は好ましくないと本能が訴える。

 エイコは腕でマキを押しやりながらお願いした。
 低姿勢が悲しいが、只今戦意喪失中。無駄な体力を使わなくて済む上、解放されるならこれくらい些事だ。

「イ・ヤ。答えを聞いてない。うん、て言うまで離さない。」
「って承諾限定?!くっ下手にでてりゃ、じゃなかった……何でそんな強気で攻めてくる訳っ……いや、むしろ何の嫌がらせ!?大体あんたは私のしでかした事覚えてんでしょうが……って、まさか報復!!?えぇあえて今!?しかもちょ、マジで近ぃっ、て」

 反攻しつつも、美形に怯んでしまう。
 接近してもブレない美形って真の美形だと思う。この肌何だ!!
 もう耳まで熱い。きっと滑稽な程、顔は真っ赤で。
 恥ずかしい ≦ ムカつく なあたり、従姉妹の威厳死守出来たろうか(イコール付くケド)……!!

 顔が紅いまま話すのが耐えられなくて、エイコはマキを思い切り押しやり逃げようとするが、拍子に手を掴まれ、漏れなく指も絡めて握られてしまう。
 肌を滑る指の感触が、エイコの神経を刺激する。
 
 その隙を、狙ったかのように。

「覚えてるよ」

 言って、身をすくめるエイコのくちびるの端を、マキはついばんだ。
 
お読み頂いた皆様、ありがとうございます…!!
ご感想お寄せ頂けたら歓喜しながら拝読いたします(>∀<)☆☆


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