ユウにはユイという幼馴染みがいた。
ユウはユイのことがずっと好きだった。
ちっちゃいころから愛していた。
それは紛う事なき本気の愛。
好きで好きで、時に己を見失ってしまいそうなくらいに好きだった。
愛しくて愛しくて、時に己を見失ってしまいそうなくらいに愛していた。
だから、振り返って欲しかった。
だから、自分の気持ちに気付いて欲しかったのだ。
そして、自分のことを好きになって欲しいと願った。
そして、自分のことを愛して欲しいと願ったのだ。
それが叶うことの無い願いだと理解していても。
―――叶うことの無い願い。
いや、それは少し違うのだ。
お話は至極単純明快。
ユイはユウのことを好きでいてくれた。
それがユウの望まない形であっただけ、ただそれだけのお話だった。
ユウがユイに向ける愛情は紛れも無く『恋』であり、
ユウがユイに向ける愛情は紛れも無く『愛』だった。
一方。
ユイがユウに向ける感情は紛れも無い『慈しみ』であり、
ユイがユウに向ける感情は紛れも無い『愛玩』だった。
そして。
ユウの中ではユイは、一人の『女』だった。
ユウの中ではユイは、一生護っていきたい『大切な人』だった。
結局。
ユイの中でユウは、昔から一緒にいた『幼馴染み』で、
ユイの中でユウは、傍にいて当たり前な『友達』だった。
それは大きな大きな仕切りとなってユウの前に立ちはだかった。
それは、ユウが押したって、ビクともしない代物だった。
それは、ユウが引いたって、ビクともしない代物だった。
その大きな大きな仕切りを動かせられるのは、ユイだけなのだから。
その大きな大きな仕切りを動かせられるのは、ユイの他をもって誰もいないのだから。
悲劇となったユウの初恋は、幼いユウに悟りを開かせるには十分な代物だった。
けれど、ユウはその『恋』を捨てようとはしなかった。
けれど、ユウはその『愛』を捨てようとはしなかった。
捨てることなど、出来やしなかったのだ。
それほど、ユウの中でユイは重要な『女の子』だった。
そこでユウは考えた。
見返りを求めずに、ただ想い続けることぐらいなら許されるだろう、と。
見返りを求めずに、ただ見守り続けることぐらいなら許されるだろう、と。
『恋』を諦める代わりにユイを『想いつづけること』を、
『愛』を諦める代わりにユイを『見守り続けること』を、
ユウは選んだ。
選ぶしかなかった。
選ばないと、自分が壊れてしまいそうだった。
自分にだけ向けてくる無防備な笑顔や気安い接触。
昔からの付き合いだから。
よく知った仲だから。
彼女はそんな理由からユウとの交友関係を維持していった。
ユウにとっては非道く残酷な理由でユイは無防備な笑顔を向けてきたのだった。
もちろん、それには『愛』や『恋』という感情は一切含まれていないものだったから。
ユウは必死に崩壊寸前の心を握り締めた。
握り締めないと、平静を保った振りをしないと、自分が壊れてしまいそうだった。
『幼馴染み』ゆえの不条理と、
『愛玩』ゆえの傲慢。
ユイの無邪気な笑みを見るたびに、
ユイのユウに対する感情を目の当たりにするたびに、
ユウは『恋』を諦めていった。
ユウは『愛』に絶望していった。
ユウにとって、二人の関係は決して好転することなく、
二人が歳を重ねることによって、ますます悪化の一途を辿っていった。
ユウにとって次第に悪化していく関係に、
ユウは、意外にも、傷つきはしなかった。
傷つかなかったけれど、痛みはあった。
傷つかなかったけれど、それは確実にユウの心をコワしていった。
『ユウ』が『雄也』に変わっても。
『ユイ』が『結衣』に変わっても。
雄也が持つ愛情は、
結衣が持つ感情は、
改まることはなかった。
恐らく結衣は雄也ではない誰かを好きになり、
雄也に決して向けることの無かった『恋』を与えることだろう。
雄也に決して向けることの無かった『愛』を与えることだろう。
雄也でない誰かを好きになった結衣でさえも、雄也が結衣に向ける感情は『恋』でありつづけるのだろう。
雄也でない誰かを好きになった結衣でさえも、雄也が結衣に向ける感情は『愛』でありつづけるのだろう。
それが永久に続く現実。
それが永久に変わらない事実。
輪廻の如く続く事柄。
それだけなら、良かった。
それだけなら、まだ幸せだった。
『決定的』な事態が起こって、それにようやく気付いた。
その『決定的』な事態は雄也を激しく錯乱させた。
たった一人の肉親である姉の声も聞かず、相棒兼兄貴分の制止を振り切り―――
◇◆
ぱちん、と雄也は目を開けた。
開けたはいいが視界は水面の中にでもいるようにぼんやりとして何が何だかさっぱりわからない。
ぐいっと掌で乱暴に両目を擦ると、やっとクリアになった。
それからゆっくりと身体を起こし、首を左右にパキポキ鳴らして呑気に伸びを一つ。
どうやら随分と眠っていたようだ。部屋は暗く、冷えきっている。
―――寒い。
率直に申し上げて、肌寒かった。
雄也は立ち上がり、部屋の隅にあるSF式のストーブ前までのこのこと目を擦りながら起動スイッチに指を伸ばす。
軽い感触。起動スイッチを押した途端、ストーブは弾け飛んだように火を灯した。
三分ぐらい、待ち望むようにストーブの前で手を擦り合わせていると、温風がズボンを揺らした。
出てくる温風が心地良い。
ふと、雄也はやんわりと微笑んだ。
勢いよく温風を順調に生産しているストーブから離れ、隣の部屋への入り口で足を止めた。
「親子揃って寝相はいっしょかよ…」
憎まれ口だけど、憎まれ口にはなっていない。どちらかと言うと、それは確かな愛情が籠もった声だった。
二人揃って布団から出ている足を懇切丁寧に布団の中に戻し、それから雄也はあの夢を思い出した。
あのころの自分は思いもよらなかっただろう。
ユイの『亭主』となった自分を。
「……〜んっ」
何かを感じ取ってか、結衣は寝返りをうつ。
「っておい…」
慌てて雄也は隣にいる愛娘を避難させた。
母親に押しつぶされて死ぬなんて、そんなことが起こったら娘が不憫すぎる。それ以前に、そんなことは死んでもさせるつもりはない。
一連の救出劇が終了しても、結衣も、愛娘も目を覚ますことはなかった。
平和だなぁと、しみじみ思う。
幸せだなぁと、にやけながらも思う。
いくら部屋が冷えていようと、この空間だけは暖かかった。
昔の自分。
『恋』を悟った気でいた昔の自分を嘲笑したい気分で一杯だった。
『愛』を悟った気でいた昔の自分を蹴り飛ばしてやりたい気持ちで一杯だった。
お前は何も悟っちゃいない、と。
お前は何も解っちゃいない、と。
何が起こるかわからないのが『人生』で、
何が起こっても不思議じゃないのが『人生』だ。
『人生』の中のほんの一瞬の出来事である『恋』だって、
『人生』の中のほんの一瞬の出来事である『愛』だって、
何が起こるかわからない代物なのだと。
何が起こっても不思議じゃない代物なのだと。
(結局、…諦めたらそこでオシマイなんだよな…。つーか、諦めてたら俺死んでたし)
諦めなかったから、結衣は雄也に振り向いてくれた。
諦めなかったから、結衣はここにいるのだ。
諦めなかったから、結衣は雄也の子供を産んだのだ。
雄也は安心しきって眠っている妻と娘に布団をかけ直し、そろそろと寝室から退出すべく、襖に手を掛けた。
苦い記憶は苦い記憶。
それも絶望と悲しみに満ちた狂乱したくなるほど苦痛だった日々。
でもそれは所詮過去。
大切なのは今。
大切なのは未来。
苦かった過去の記憶、幸せな今、それから多分幸せな未来。
遠くない未来、これから許多の苦楽が襲いかかってくるだろう。
なら、自分は刃を握る。
娘と結衣を脅かす存在がバケモノだろうと神様だろうと。
平然と、当然と、切っ先を突き付けるだろう。
昔出来て、今できないわけがない。
その刃の柄を握る手は震えることはない。
もう二度と。
トンッと、襖を閉める。
「幸せもんだな」
ニカッと、からかうように笑う相棒。
「まぁな、アレだけ苦労したんだ。これぐらいの幸せはいいだろ?」
「『仕事』サボるなよ」
「アイツら次第な」
その顔は、穏やかそのものだった。
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