春。
桜も殆んど咲ききった。
その日は、とても綺麗な満月が蒼く、虚空に浮かんでいた。
私は、何の為に生きている?
頑張る理由は、何?
どうして私は…生きている。
この世界に…生きる意味なんて存在しない。
どこか…この世界でない所へ…。
それか…この世界から消えたい…。
小夜子は考えた。
生きる意味が見つからない。
なら…死んでしまおうか…。
親の都合で、小夜子は長年慣れ親しんだ土地を離れ、京都へ引っ越してきた。
中学生というものは、一番厄介な年頃で、自分と違う者は仲間として認識しない。
そのせいか、小夜子はクラスの除者にあった。
その理由は、小夜子が他所から来た事もあったが、小夜子の容姿も関係した。
小夜子は、すれ違う度に人が振り返る様な、大層な美貌の持ち主であった。
その為、街中でスカウトされる事も、告白される事も、何度もあった。
それを気にくわぬ者が、小夜子を除者にしたのだ。
小夜子は、一本の桜の木に手を置いた。
この公園で一番古いであろう、大きな桜の木に。
月明かりに照らされながら、桜の木の下に佇む小夜子は、途轍もなく美しかった。
ふと、小夜子は足元にもぞもぞと動く、白い毛並みを見つけた。
不思議に思った小夜子は、その毛並みを抱き上げた。
それは、ウサギだった。
なんの変哲もない、ただの白兎。
ある点を除けば。
ウサギは、首に懐中時計をぶら下げていた。
小夜子は、その懐中時計を手に取り、蓋を開いた。
その時計は、動かず、正しい時刻をさしていなかった。
壊れているの?
小夜子がそう思った時だった。
時計の針が、反対方向に、くるくると回り始めた。
それと同時に、めまぐるしく変わっていく周囲の景色に小夜子は着いていけず、遂に意識を手放した。
「ここ…どこ?」
見知らぬ木々に囲まれ、小夜子は立っていた。
辺りを見回しても、あの公園の面影は、見当たらなかった。
虚空に浮かぶ、蒼い満月だけが、小夜子を見下ろしていた。
「ようこそ、アリス。」
タキシードを着た白兎が立っていた。
小夜子は、そのウサギを呆然と見つめ、ウサギに問い質した。
「ここは何処なの?アリスって何?」
「アリスは君。そして、ここは君の居るべき所です。」
「どういう事よ。」
「君は、ここの住人なのです。この世界からは、出られない。」
そう言って、ウサギは一礼し、霧の彼方へ消えた。
傍にあの懐中時計が落ちていた。
小夜子は、それをポケットにいれると、歩き出した。
木々の生い茂る森の中、何時間あるいたのだろうか。
小夜子は腕時計を見た。
しかし、腕時計か壊れ、動いていなかった。
「お菓子とお茶はいかがかな?」
振り返ると、シルクハットを被った紳士が居た。
似非た笑みを浮かべる紳士。
小夜子は、怪しいとしか思えなかった。
その時、
ぐぅぅ…
小夜子のお腹が鳴った。
小夜子は、今日一日何も食べていなかった。
「…いただくわ。」
「では、こちらへ。」
紳士は、小夜子の手を取り、屋敷へ誘う。
屋敷の中は綺麗に掃除されており、塵一つ見つからない。
長い廊下を過ぎると、食堂であろう場所に出た。
「どうぞ。」
紳士は椅子を引き、小夜子はその椅子に座った。
目の前には、良い匂いのする紅茶と、色取り取りのお菓子。
机の上に置かれた燭台が、シャンデリアの光に照らされてキラキラと光っている。
「心行くまで、ご堪能ください。」
シルクハットを取り、一礼して、紳士は消えた。
何で私がアリスなの?
不思議に思う小夜子。
そう言えば…あの白兎も言っていたな…。
しかし、今はそんな事どうでも良かった。
小夜子も空腹には勝てず、一先ず何か口にしてから考えようと思った。
小夜子は、一番手前にあるシフォンケーキを取った。
食べやすい大きさに切り、口へ運ぶ。
ほのかな甘味が、口の中に広がる。
おいしい…。
紅茶を一口、口へ運ぶ。
こちらもまた、美味である。
そして、夢現の中で、小夜子は思った。
ユラユラと揺れる燭台の火を見つめながら、小夜子はふと思った。
『ずっとここに居てもいいかも』と。
その時だった。
『其処に居てはだめだ!!』
そう、小夜子の頭に声が響いた。
その声と供に、小夜子は現実に引き戻された。
今の声は誰?
ふっと、燭台の火が消えた。
コツン―…
音のした方向を振り向くと、先ほどの紳士が居た。
「如何なさいました?アリス。」
嫌な予感がする。
一刻も早く、この屋敷を出なければ。
小夜子は、そんな思いでいっぱいだった。
頭の奥で、ベルが鳴っている様な、そんな感覚。
第六感が、小夜子にそう告げていた。
「あの…そろそろ失礼しようかと…。」
紳士から発せられる禍々しい威圧感を、小夜子は感じ取っていた。
「おや…残念ですね。何故ですか?」
似非た笑みで、紳士は尋ねる。
「お腹がいっぱいなの…。」
威圧感に圧倒され、冷や汗をかきながらも、やっとの思いで答える小夜子。
「それでは、お休みになられますか?」
そう尋ねる紳士の威圧感は、先ほどより遥に強くなった。
「いいえ…いいわ。長くお邪魔しては迷惑でしょう。」
小夜子の返答に、紳士の顔は醜く歪み、笑った。
「フ…フハハハハハハハハハ!!!」
狂気じみた紳士の笑い声が、屋敷に木霊した。
酷く濁った瞳で小夜子を捕らえ、言った。
「女王の為に、お前の時の力を貰う…アリス!!!」
「女王って何よ!!!私は小夜子!アリスじゃない!!時の力って何なのよ!!!」
小夜子は紳士に向かって叫んだ。
じりじりと、小夜子ににじり寄る紳士。
紳士に背を向け、小夜子は走った。
「…逃がしはしない…!!」
その途端、紳士の風貌は、人外の物となった。
黒い、蝙蝠のような翼を背に生やし、頭には羊の様な角。
肌は真っ黒に変色し、紅く、爛々とした眼だけが異様な光を放っていた。
紳士は、悪魔だった。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!!」
小夜子は一心不乱で、屋敷の廊下を駆け、出口を探した。
女王とは何なのか?
時の力とは何なのか?
何故自分がアリスと呼ばれるのか?
此処が何処なのか?
今の小夜子には、考えられなかった。
逃げることに必死で、何も考える余裕がなかった。
「待て!!!」
後ろからは、悪魔が追いかけてくる。
恐怖心に駆り立てられ、小夜子は出口を求めて走る。
しかし、一向に出口が見つからない。
それどころか、長い廊下が続いているだけで、部屋すら見つからないのだ。
走り続けて、小夜子は廊下に二本の分かれ道にさし当たった。
その時だった。
『正面の角を右に曲がれ!!』
あの声が、小夜子に聞こえた。
咄嗟に、小夜子は角を右に曲がった。
すると、そこには扉があり、小夜子は迷わず扉を開けた。
目の前には、綺麗な花畑が広がっていた。
小夜子は、ど肝を抜かれた。
何故自分の前に花畑が広がっているのだろう?
屋敷は?
そして、小夜子は悪魔の存在を思い出し、後ろを振り返った。
後ろには、何も居らず、森が続いているだけであった。
クスッ…クスクス…
笑い声が聞こえた。
「誰!?」
「こんにちは、アリス。」
奇妙な事に、声はしても、姿が見えない。
「ここだよ。君の足元。」
小夜子の足元には、オレンジ色の、小さな花があった。
「もしかして…君が喋っているの?」
「そうだよ。気付いてくれた?」
「あんた、悪魔に逢ったんだな。悪魔の匂いがする。」
今度は、後ろの赤く、派手な花が言った。
「君たち…何で喋れるの?」
小夜子は、花が喋った事に対して、大層驚いた。
何故なら、普通では考えられないからだ。
御伽話でしか有り得ない光景を目の当たりにした小夜子は口をぽかんと開け、呆然としていた。
「女王様が魔法をかけたからさ!」
今度は、左の青く、大きい花が小夜子の質問に答えた。
「女王様?」
小夜子は、悪魔が言っていた『女王』のことかと思った。
「女王様はこの世界の支配者だ!!」
黄色く、背の高い花が言った。
「…悪魔が追いかけたって事は…本物だね。」
紫の、凛とした花が言った。
「そのようですね。」
藍色の花が、紫の花に答えた。
「本物のアリスだぁ!!」
幼い声で、まだ花の咲いていない、緑の双葉が言った。
「何…?何で私がアリスなのよ!私はアリスじゃないわ!!」
白兎にも、悪魔にも言われた。
何故自分がアリスなのか。
アリスは、何故追われなければならないのか。
小夜子は、何も考えられなかった。
「いいかい?君は、この世界の『アリス』なんだ。」
「そんな事知らないわよ!!」
「ごめんなさいっ!!」
小夜子の剣幕に謝るオレンジの花。
「てめー、花の話位聞けよ!!」
小夜子にキレる赤い花。
「この世界で、女王様に対抗できるのは、アリスだけなんだ。」
青い花が、説明する。
「女王様が来て、この世界はおかしくなった!!」
黄色の花が回想する。
「そして、アリスが消えてこの世界に時間がなくなった。」
紫の花が言う。
「そして、この世界の王であったテイル様を牢獄へ閉じ込めたのです。」
藍色の花が言う。
「だから僕達は『アリス』を待ってたんだもんね!」
緑の双葉が、言う。
「それは解った。でも、何で私がアリスなの?」
小夜子は花々に問う。
何故自分がアリスなのか。
小夜子は一番にそれが知りたかった。
「君のスカートのポケットの物、出してみて?」
紫の花の言う通りに、小夜子はポケットから、ウサギが持っていた懐中時計を出した。
「その時計が、アリスの証なんです。」
藍色の花が言った。
「あんたは、この世界に居たアリスなんだ!思い出せ!!」
赤い花が言った。
知らないよ…そんな事。
私は…小夜子だもん。
「ええぃ!まどろっこしい奴だな!!」
黄色い花が怒る。
「うるさいなぁ。静かにしてよ。」
紫の花が黄色の花に叱責する。
「落ち着いてください、二人とも。」
藍色の花が静止する。
「「あははははははははは」」
青い花と、緑の双葉が笑う。
「暢気に笑ってんじゃねえよ、馬鹿!!」
赤い花が、怒る。
「ひぃぃぃぃ」
オレンジの花が、その光景を怖がるように、情けない声を上げる。
「…くすっ。は…ははははは!!」
小夜子は笑った。
「てめー何だよ!!」
赤い花が小夜子に言う。
どうやら、赤い花は短気らしい。
「だって…クスっ…おかしいんだもん…クスクスっ」
「んだとぉ!?」
「まぁまぁ。落ち着けっての。」
赤い花を宥める青い花。
青い花は、おおらかなようだ。
「アリス…君い一つ問います。」
「君は、この世界に来る前、何を望んだ?」
藍色の花と、紫の花が小夜子に問う。
(この世界に生きる意味なんて存在しない…)
「生きる意味が無かった…。何処か別の所へ行きたいと思った。」
「アリスは、時を統べる不思議な力がありました。」
「この世界は、君が居た世界と別の次元にある。」
「貴女がそう願った事で、貴女はこの世界に来たのです。」
藍色の花と紫の花が、交互に説明する。
「…私は、元の世界に帰れないの?」
「それは可笑しな話だな。」
赤い花が言う。
「君がそう望んだなら、君は元の世界に居る筈さ。時の力を使ってね。」
紫の花が言う。
「帰れないのは、望んでいないからだ!!」
黄色い花が言う。
「この世界に留まる事を選んでいるのは、紛れも無い。貴女なのです。」
藍色の花が言う。
「それにさ、生きる意味が元の世界で見つかるか?」
青い花が小夜子に問う。
「見つからないから、見つけに来たんでしょ?」
緑の双葉が言う。
「帰る、帰らないは君次第だよ。でも、君は生きる意味をまだ見つけていないでしょう?じゃあ、見つけようよ。」
オレンジの花が言う。
「「「「「「「「その為に君は来たんだ」」」」」」」
皆が同時に言った。
「それに…君には、女王を倒してもらわないと…。君が居なくなって、この世界の時間は止まったままなんだ。」
紫の花が言う。
「貴女は、僕達の希望なのです。」
藍色の花が言う。
「お願い…アリス。」
オレンジの花が悲しげに頼む。
その時だった。
―バサっ―…
何かが、羽ばたく音がした。
辺りを、大きな影が覆った。
「見つけたぞ…アリス!!!」
屋敷に居た、悪魔が空を飛んでいた。
「逃げろ!!!」
赤い花が叫んだ。
悪魔は小夜子を目掛け、舞い降りて来た。
「逃がさない!!!」
花々が、蔓を伸ばし、悪魔の羽を掴んだ。
「離せ!!この脆弱種族め!!」
「離さねぇ!!」
青い花が言う。
「今のうちに逃げなさい!!」
藍色の花が言う。
小夜子は、走った。
花畑を抜け、森を抜け、一軒の寂れた小屋を見つけた。
中には誰も居らず、小夜子はそこで少し休む事にした。
流石に疲れたのか、小夜子は眠りについた。
その頃―…
―ザン―…
花達は、何が起こったのか、理解できなかった。
何故なら…音と供に、花達の意識は途絶えたから…。
『死』という結果を以って。
「無様だねぇ…イスレア。」
一見、何処にでも居る様な少女。
しかし、可愛い顔に不釣合いな程の、大剣。
彼女は、悪魔を『イスレア』と呼んだ。
「うるさい…貴様こそもっと早く来い、アリシア。」
大剣を持ち、銀糸の髪を風に靡かせる少女の名を、アリシアと言った。
「たかが草に足止めされるなんてな、悪魔失格じゃん。」
「うるさい。次は、もっと上手くやるさ。」
「次?何言ってるの?」
アリシアは、大剣をイスレアの首に宛がった。
「失敗には…死を。」
アリシアは剣を、振り下ろした。
イスレアの首は宙に弧を描き、血を吹きながら、地面へ落ちた。
「さようなら。」
歪んだ笑みを浮かべ、アリシアはイスレアに別れを告げた。
「さぁ…アリス。私が貴女を捕まえてあげる。キャハハハハハハハハ!!!!!!」
アリシアは狂ったように笑い、黒い翼を広げ、宙へと舞い上がった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
小夜子が目を覚ましたのは、その五時間後だった。
花達が言っていた様に、この世界は時間が止まっている為、朝は来ないらしく、辺りは暗かった。
月は沈まず、暗闇をぼんやりと照らしている。
あの花達はどうなったのだろう?
小夜子はそれだけが気がかりだった。
(私がアリスなら…女王を倒せるのよね…?でも、テイルって誰なの?)
考えれば考える程、訳が解らなくなった小夜子は、もう一度眠る事にした。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
『アリス…』
誰…?
とても…優しい声がする…。
『アリス』
あ…あの声だ。
何だか懐かしいや。
ねえ…貴方は誰?
『アリス…起きたら、北を目指して歩いてくれ。僕の近くに来たら、白兎が居るはずだ。そいつに着いて来てくれ。』
あ…待って。
消えないで…。
…テイル………。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
目を覚ました小夜子は、小屋を出た。
(北を目指せ…)
小夜子は、北を目指して歩き始めた。
蒼い月だけが、道を照らしている。
森に入り、小夜子は気付いた。
この森の木々は、季節がバラバラなのだ。
桜の花が咲いている木があれば、柚の果実が成っている木もある。
葉が色づいた紅葉もあれば、向日葵が咲いている。
全ての時間がバラバラなのだ。
夢の声の主は、感覚でテイルだと、小夜子は確信していた。
時間が統一されていない、この森。
いや、世界か?
どちらでも良い。
時間が統一されない中、小夜子は一人歩いていた。
(テイル…貴方はどこにいるの?)
今の小夜子は、さしずめ時間の国の迷子だろうか。
ずっと、同じ所を歩いている。
その事にも小夜子は気付いていただろう。
少し、小夜子は孤独に思えてきた。
「アリス…見ぃつけた。」
小夜子が後ろを振り返ると、銀糸の髪を靡かせた少女が立っていた。
「誰よ?」
「ハジメマシテ、アリス。アリシアだよ。」
アリシアはそう言うと、大剣を抜いた。
「クス…。自己紹介しても、君は此処で死ぬんだから意味ないか。」
アリシアは、剣を振りかざした。
それを間一髪で避ける小夜子。
(アリスには、時を統べるという不思議な力がありました。)
小夜子は、藍色の花が言った言葉を思い出した。
(誰か…助けてっ!!!)
小夜子がそう思った刹那、突然、小夜子のポケットが光った。
あの懐中時計が、光っていた。
時計の針が、くるくると回っていた。
それと同時に、アリシアの姿が、年老いた風に変わってく。
「何よ!!何なのよ!!!!」
アリシアは戸惑い、叫んだ。
見る見るうちに、アリシアの肌は張りをなくし、年老いて行く。
綺麗な銀糸の髪は艶を失い、はりのある肌はシミが出来、目は窪み、背が曲がっていく。
やがてアリシアは、醜い老婆へと姿を変えた。
「貴様…何をした…!!」
しゃがれた声でアリシアは小夜子に問う。
しかし、小夜子が答える暇もなく、アリシアの時間は刻々と過ぎていく。
そして、アリシアは骨となり、死んだ。
その様子を、ある者が見ていた。
「アリス…やはり本物だったか…。」
水晶に手をかざし、映像を消す。
「レム。次はお前に期待してるよ。」
彼女は、傍らの髪の蒼い少年に言った。
「仰せのままに、女王様。」
そう言い、レムは部屋を後にした。
女王を、哀れみの目で見つめて…。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
小夜子は、呆然とアリシアの亡骸を見た。
「何…何なの…これ、私が?い…いやぁぁぁぁぁああぁぁぁ!!」
小夜子は、自分が怖くなった。
手段や理由がどうあれ、自分は人を殺してしまったのだ。
小夜子は、懐中時計を見た。
時計は、相変わらず止まったままだった。
藍色の花が言った言葉。
(それが、アリスの証なんです。)
「…私は、こんな残酷な力なんていらない…!私は…アリスなんかじゃないのに…何で…!!」
―ガサ―…
「迎えに来ました、アリス。」
小夜子の後ろには、最初に見た、タキシードを着た白兎が居た。
「私は、アリスなんかじゃない…!!何なのよあんた!!!」
小夜子は、全く理解出来なかった。
自分がこの世界のアリスだと言われても、小夜子にアリスだったという記憶など存在しない。
自分が、何故この世界に来たのかも今一解っていない。
その上、覚えも無いのに、悪魔に襲われるのだ。
理解出来る筈も無い。
「何で…何で私なのよ!」
小夜子は、遂に泣いてしまった。
しかし、白兎は無表情に言う。
「此処から暫く歩きます。今は休んでいる暇などありません。着いて来て下さい。」
そう言って、白兎は小夜子の手を引いた。
しかし、小夜子はその手を振り払う。
「嫌よ!私は行かないわ!!帰るの!!」
「…帰り道も解らないのにですか…?」
二人の間に沈黙が続く。
その沈黙を破ったのは、白兎だった。
「兎に角、貴女にはテイル様に会って頂かねばなりません。それに、このままでは、危険です。貴女は、女王に命と、時の力を狙われているのです。」
「時の…力?」
「詳しい説明は後です。兎に角、今は先を急ぎます。着いて来て下さい。」
小夜子は、白兎に着いていった。
暫く歩くと、森を抜けた。
目の前には、洞窟があった。
白兎は、洞窟へと足を踏み入れる。
小夜子も続き、洞窟の中に入る。
洞窟のなかには、地下へと続く階段があった。
白兎は、歩みを止めず、階段を下りる。
階段を下りると、牢が続いていた。
薄暗く、ひんやりとした地下牢の一番奥に、居た。
「テイル様、アリスを連れてきました。」
「ありがと。戻っていいよ。」
テイルが言うと、白兎は一礼し、消えた。
「アリス…久しぶり。」
テイルは、ふわりと笑った。
「あの…私の名前は、アリスじゃありません…。どうして、私がアリスなんですか…?」
小夜子がそう言うと、テイルは少し驚き、そして言った。
「そうか…記憶をなくしたのか…。」
悲しげに言うテイルに、小夜子は問うた。
「あの…時の力って何なんですか?」
「懐中時計を、出してみて。」
小夜子は、言われたとおり、懐中時計を出した。
「この時計の針が、反対に回れば、過去になる。普通に回れば、未来になる。」
「それって…時間が操作できるって事ですか?」
テイルは、肯いた。
「その力は、アリスにしか使えないんだ。そして、女王はその力を欲している。」
「私がアリスなら…『小夜子』はどうなるの?今までの私は、偽者なの…?」
「アリス…僕の手に、手を重ねて?」
そう言って、テイルは牢から手を出した。
戸惑いながら、小夜子はテイルの手に、手を重ねた。
その時、小夜子にある記憶が、フラッシュバックした。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
女王がこの世界に降り立った、ある雪の日。
「アリス!!君だけでも逃げるんだ!」
叫ぶテイルと、それを嘲笑うかの様に迫る悪魔と女王。
アリスは、自分の全ての力を賭け、時空を超えた。
時空を超えたアリスの魂は、ある赤子に宿った。
その赤子は、やがて生を受け、この世に誕生した。
そして『小夜子』の名となった。
そうだ…私は、アリスなんだ…。
何で、忘れていたんだろう。
「少しは、思い出したかい?」
テイルは『小夜子』ではなく、アリスに問うた。
「うん…。私…女王を倒す。だからテイル…力を貸して…。」
アリスは、牢の鍵に手を触れた。
アリスの持つ懐中時計の針はくるくると回り、やがて鍵は錆び、落ちた。
鍵がなくなり、開いた戸から出てきたテイルは微笑み、言った。
「お安い御用さ、アリス。」
「悪いけど…女王様を殺させる訳にはいかない。」
振り返ると、青髪の青年が居た。
「只…女王様を救ってくれるなら、話は別だけどね…。」
「どういう事だ?」
テイルは、レムに問うた。
「そのままの意味さ。」
そういい残すと、レムは消えた。
(何だ…今の意味深な言葉は…?)
「あの人は、何が言いたかったのかな?」
「あぁ…。此処に居ては危ない。女王のいる城をめざそう。」
二人は洞窟を出、歩いた。
暫くすると、女王の城が見えた。
月が照らす城には、蝙蝠が飛び交い、不気味だった。
城門には、レムが居た。
「あんた達は、やっぱり女王を殺すのか…?」
「…解りません…。でも、私は女王を倒さなければいけません…。」
アリスは答える。
「そうか…。なら、やっぱりあんた達を殺すしかなさそうだ。」
レムは大鎌と構え、切りかかってきた。
鎌は、容赦なくアリスに切りかかる。
ーキィン―…
その鎌を止めたのは、テイルだった。
「アリス、君は早く女王の所へ行くんだ。」
「でも…。」
「早くしろ…。」
気迫の篭ったテイルの声に圧倒され、アリスは城門を潜り、女王の元へ行った。
「さぁ…話をしようか。兄貴。」
レムは、テイルに言った。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
アリスは、長い階段を駆け上がり、長い廊下を走り、女王の元へ辿り着いた。
「よく来たね。褒めてあげよう。」
ククっと咽を鳴らし、女王は言った。
「私は…貴女がこの世界を元通りにしてくれるなら、何もしません。」
「おやおや…。とんだ甘ちゃんだねぇ…。その甘さが、命取りだ!!」
女王は、アリスの首を掴んだ。
「貴女は…間違っている!!」
「お前に…お前に何が解る、アリス!!」
その頃、テイルとレムは動きを止め、話をしていた。
「何故、お前は女王に附いた?」
「…兄貴は、女王の生い立ちを知っているか…?」
「知らんな。」
「…14年前の事だ…。」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「…また、女か…。」
「どうしましょうか?」
「捨てるなり、売るなりなんなりしろ。」
女人禁制の魔法使いの一族。
女に生まれた子は、死ぬ運命にある。
その日捨てられた女子は、奴隷商に連れられ、生活してきた。
名も持たずに、只々、家畜以下の生活を強いられながら、生きて来た。
幾年かして、少女はアリスの事を耳にする。
時空を操る力を持つアリス。
少女は、その力が羨ましかった。
その力があれば、過去を書き換える事も、未来を書き換える事も可能だから。
それと同時に、アリスが妬ましかった。
アリスは、恵まれ、のうのうと生きて来た。
しかし、その嫉妬心までもどうでも良くなる程、好意を抱いている青年が、少女には居た。
その青年は、『テイル』と言った。
少女は、テイルが王である事を知っていた。
もちろん、不相応である事も心得ていた。
しかし、やはり少女はテイルの事を愛していた。
何故なら、テイルは少女を唯一人として扱ってくれたからだ。
ある日、少女は主人に頼まれ、ワインを城へ届けに行った。
まだ少し幼い少女にワイン樽は重く、少女は転んでしまった。
しかし、奴隷の少女に手を差し伸べる者など、一人も居なかった。
「いったぁ…」
転んで擦り剥いた足を擦っていると、頭上から声がした。
「大丈夫か?立てるか?」
そう言って、手を差し伸べたのは、テイルだった。
その時、少女はテイルに恋をし、同時にテイルの身なりから、王である事を悟った。
そして、ある時少女は風の噂で聞いた。
テイルとアリスが恋仲にある事を。
普通の女なら、少女も諦めがついたかもしれない。
でも、相手が自分の憎んだアリスだったのだ。
そして、少女はアリスから全てを奪うことを決意したのだ。
「アリス…貴様に何が解る!!!」
女王は、アリスの首に宛がった手を離した。
「…私には、解りません…。でも、あなたは間違っている。もう、終わりにしましょう。」
アリスは、女王の時間を過去へと戻した。
次第に若くなる女王。
そして、女王が10代位の娘になると、アリスは時間を止めた。
「何故殺さない!?そんなに私が憐れか!!!」
女王は、叫んだ。
そして、近くにあった短剣をアリスに振り下ろした。
しかし、その短剣はある者によって止められた。
「もう…よしましょう、女王。」
短剣を止めたのは、レムだった。
「何故だ!離せ、レム!!」
叫ぶ女王を抱きしめたのは、アリスだった。
「貴女は…間違っています。こんな事をしても、何も変わりません。」
女王は涙を流し、言った。
「何で…私が悪いの…。」
(確かな愛が欲しい…)
「私は…愛されたいだけなのに!!」
「女王…。」
「…テイル…様…。」
「僕は…貴女に正しい道を進んで欲しい。過ぎた過去は、取り戻せない。だから、新しい未来を歩んで欲しい。君を愛す事は出来ない。僕にはアリスが居るから…。すまない。」
女王は、声を上げて泣いた。
「女王…これからは私が傍にいます。」
レムは女王にそう言った。
「私が…貴女の支えになります。」
二人はそう言って、城を出た。
この二人がどうなったかは、誰にも解りません。
でも、何処かでひっそりと暮らしているのでしょうね。
「…終わったね、テイル。」
「そうだね。」
二人は手を繋ぎ、外へ出た。
女王が居なくなったからなのか、月が沈み、朝日が昇っていた。
「アリス…君は元の世界に戻らないのかい?」
「…私は、戻らない。だって…生きる意味を見つけたから。」
アリスはテイルにニコリと笑って答えた。
|