死と乙女(18/20)PDFで表示縦書き表示RDF


死と乙女
作:伊佐山詩織



18


一八
「何があった?」と祐二。
 いちばん聞いて欲しくないこと。
 あなたは黙って私を抱いていてくれればいい。
「何もないわよ」
「いいや。お前から俺を呼び出すなんて、何かあったんだ」
「あったけど、言わない」
 抱いていた手が肩に置かれ、突き放される。
「いきなり何よ!」
「お前にとって、俺は、何だ?」
「何だって、何よ?」
「俺の何が欲しいんだ?」
「欲しいって、何なのその言い方は!」
 私もつい激してしまう。
「欲しいんだろ! 俺の体だけが! 違うのか?」
 その通り、と気づき、愕然とする。でも、
「そんないやらしい言い方はないじゃない! あなただって、そうじゃないの、私を抱きたいんでしょ!」
「違う! 違うんだ。もっと違うつながり方をしたいのに、お前はいつも突き放す」
「突き放してなんか、ないわよ」
「だったら、もっと話してくれよ、いろんなことを」
「これ以上、話すことなんか、ないよ」
「俺には、か?」
「ううん。誰にも」
「だからお前はひとりなんだ」
「何?」
「ひとりだったろう、これまで」
「友達くらい、いたわよ」
「でも、心を許したはずはない。違うか?」
「そんなこと、今は関係ないでしょう」
 と言いながら、何か悲しいものがこみ上げてくる。
 その通り。
 ひとりだった。
 誰にも心を許したことはない。
 許されたこともない。
 表面だけ。
 仮面だけ。
 突き刺されたこともない。
 突き刺したこともない。
 冷ややかに眺めていた。
 通り過ぎただけ。
 行き過ぎただけ。
 彩花でさえ、遠い人になりかけている。
「今は関係ないでしょう」と私はやっと繰り返した。
「関係あるさ! これまでこんな言い合いをしたことあるか? 本気で言い合いをしたことがあったか? どこかで余裕をもって、表面をなでさすってただけだろう。違うか」
「そうよ」と言い返した。「それのどこが悪いの」
「お前にとっては悪くはないさ。ただ、お前に本気で触れた連中、みんなが傷つくって言ってるんだ。彩花は自分が傷ついてしまうタイプだけど、お前はみんなを傷つける。見て見ろ、回りを、みんな傷ついてるだろ」
「そんな言い方、しなくてもいいでしょう」
 その通りだから。
 もう私は負けを認めているんだから。
 もう許して。
 黙って抱いてよ。
「何があったんだ?」
「清一さんが、消えたのよ」
「どこに?」
「知るわけないでしょう!」
「清一さんと……」
「何もないわよ。話してて楽しかっただけ」
「あの人は……」
「危ないって言うんでしょ。わかってる。でもね、私の前ではそんなじゃなかった。何でも話せたのよ。あの人の前でなら」
「俺は」と祐二は静かに、悲しみそのもののような声で言った。「あの人の代用品か?」
「違うわよ。何を言ってるの?」
「じゃあ、なんだ」
「あなたはあなたよ」
「お前にとって、俺はなんだ」
「いったい、こういう言い合い、どれくらい繰り返したらいいの?」
「答えが出るまでだろ!」
「じゃあ……」ともう訳がわからなくなる。「じゃあ言う。あなたはただの体よ。黙って私を抱いていてくれればいいのよ。それだけよ。それ以上何も望まない。黙ってて! 何も聞かないで! 私を問いつめないで! 黙ってそのまま抱いていてくれたらいいの。そうよ。私が求めてるのはあなたの体よ。それだけよ。それだけよそれだけよ。悪い?」
「じゃあ、俺も、お前の体だけを求めていいのか。それで平気なのか?」
「平気よ。どうぞ。そのほうが気が楽だわ」
「どういうことか、わかってるのか?」
「バカにしないで。どう? これからX通りのホテルにでも行く? 私はかまわないわよ」
「そんなとこ、行ったことあるのか?」
「入ったことはない。さっき前を通ったの。二時間いくらって書いてたわ。二人合わせたら、お金、そのくらいあるでしょう。行こうよ、さあ」
「本気か?」
「本気よ。それとも出来ないの? 私だってあなたが初めてなのよ。怖いの?」
「怖いんじゃない」
「だったら、何?」
「感情的になってるんだったら……」
「感情的になれって言ったのは、誰?」
「そういう言い方はしてないだろ」
「どうだっていいわ。行くの? よすの?」
「じゃあ行こう」と祐二は力なく言った。
 生理はおととい終わったから……と感情的な言い合いの裏で冷たい計算を始めている自分に気づく。
 *
 これほど悪趣味な部屋は、見たことがない。
 ピンク、赤、緑で埋め尽くされた壁。
 毒々しいくらい。
 座り心地最悪の椅子。
 座るな、と言わんばかり。
 タバコで焦げたテーブル。
 ものを置くな、といいたげに。
 それに、ベッドの回りになぜこんなに鏡が多いのか。
 シャワーを浴びようにも、着替えの部屋がない。
 トイレでホテルのロブに着替えようとする。
 トイレに鍵がない。
 洗面所に着替えを置き、髪を上げ、シャワーを浴びる。
 排水口に様々な色の髪の毛が溜まっている。
 気分はもう、最悪。
 でも、いいかもしれない。
 こういう場所で汚されるのも。
 そうだ、私は捨てられたのだから。
 あの男に。
 そう思うと何か気分が楽になった。
 私は捨てられた女。
 ここで少しでも汚れ、あの女の子に近くなれば、あの男がまた帰ってくるような気さえする。
 ここであのつまらぬ男に汚されれば、私はあの女の子に会いに行ける。
 対等に口がきける。
 と、そんな気もする。
 彩花が汚そうとして汚せなかった細部を丁寧に清める。
 今日は汚れますように、と、おまじないのように。
 *
 祐二がシャワーを浴びている。
 天井の鏡に写った自分の顔を眺めながら、だんだんと浮ついた気持ちになってくる。
 怖い。本当に怖い。
 でも、楽しみ。
 何が起こるのか楽しみ。
 罪悪感、恐怖、嫌悪さえ、今は、甘美。
 *
 祐二が照明を一つづつ消すと、真っ暗になった。
 ピンをはずし、髪を下ろした。
 *
 抱かれ、キスされる。
 暗闇の中。
 すべて「……される」と言える、徹底的な受動。
 体だけが、感覚だけがある。
 これほど陶酔するとは思わなかった。
 どこも醒めてない。
 すべてが火照り、触れられるのを待っている。
 汚れるどころじゃない。
 触れられたところが一つづつ目覚めていく。
 そう。
 目覚める。
 知らなかった感覚。
 感じる。
 思い切り声を上げる。
 彩花、タオルを噛ませてかわいそうだったな。
 ……あなたのはただの性欲よ……
 彩花はそう言った。
 ……あなただってそうじゃない……
 今ならそう言い返すだろう。
 ただ、ただ、感覚に気持ちを集中した。
 祐二が終わったのに気づかなかった。
「すまん」と祐二はばつが悪そうに言った。
「何が?」
「満足できなかったろ」
「ううん。すごく満足したよ。あなたは?」
「うん」
「よかった。私だけ感じてたんじゃないかって、心配したの。ねえ、しばらく抱いてて。いいでしょ?」
 満ち足りた気持ちでキスをねだった。
 返ってきたのは硬いキスだった。
「私のこと、好き?」
「嫌いなら、こんなところにこない」
 いつか私が言った科白だった。
 それがこれほど冷たく響く言葉だったとは。
 初めて気づいた。
「ごめんなさい」
「何が?」
「意地悪なことばかり言って」
「うん」
「これからも、抱いてくれる?」
 返事はない。
「ねえ」
「抱くよ」
 もう一度、キスを交わした。
 やっぱり硬かった。
 *
 電気をつけると、シーツは、毎月の血とは違う鮮血にまだらに染められていた。
 そっと鏡の中の自分を見た。
 顔も胸も血まみれだった。
 見れば、もう、全身が血まみれなのだった。
 祐二もそれに気づき、血まみれの口元で笑んで見せた。
 まるで地獄の鬼のように。
 *
 気絶しそうなほどの恐怖。
 気絶さえ許されない嫌悪。
 叫びながら裸のまま、すべてから逃げて走り出したかった。
 あの地獄絵の亡者のように。
 本当に罰が当たった。
 私はノコギリで裂かれた。
 裂いたのは誰と、誰?
 *
「見ないで!」とシーツを引き剥がし、それを持ってバスルームへと走った。
 *
 私のあとでシャワーを浴び、服を着た祐二を見て、強烈な後悔が湧いてきた。
 こんな男だったのか。
 こんな男にすべてを任せ、血まみれになりながら感じていたのか。
 そして思った。
 自分は誰に抱かれているつもりだったのか?
 あの男?
 ちがう。
「あなたのはただの性欲よ」
 愕然とした。
 声も出ない。
 汚れた。
 血だけではなく、汚れた。
 *
 祐二も同じように後悔しているのかも知れなかった。
 だからあれほどキスが硬かったのだ。
 *
 シーツを洗っていたら、二時間料金を一時間も超過していた。
 もう祐二とは二度とないだろうと思った。
(続く)












ケータイ表示 | 小説情報 | 小説評価/感想 | 縦書き表示 | TXTファイル | トラックバック(0) | 作者紹介ページ


小説の責任/著作権は特に記載のない場合は作者にあります。
作者の許可なく小説を無断転載することは法律で堅く禁じられています。




BACK | TOP | NEXT


小説家になろう