覚悟
「どうして避けなかったの?」
絢子が藤四郎に尋ねた。
しかし手はしっかりと包帯を巻いている。
「なんか...」
藤四郎は呟いた。
「なんか、避けたくなかった。」
現に藤四郎は避けなかった。
普段なら避けられたはずの攻撃も避けなかった。
「それに...」
「それに?」
「それに、その頃の記憶が無い。」
「え?なんですって。」
「僕、気がついたら師匠に羽交い絞めにされてた。」
「・・・」
「なんか、涙が出てた。なんでだろう。」
なんでだろう。
もう一度藤四郎は思った。
殴られて泣いてしまったのか。
違うよな。
非力な自分を恨んだのかな。
そうかも知れないな。
それとも...
それとも自分の暴力を泣いたのかな。
アイツは僕が暴力を悦んでるって言ったっけ。
でも僕、泣いてたよ。
あれは悲しみの涙だったかな?
悲しみとも違うな。
ただ、
ただ思いが溢れてきただけ。
想いが。
「お前は優しい。だから涙が出てきたのだろう。」
杉田は言った。
「優しい?」
「そうとも。お前は優しい。だから泣いたのだ。」
「僕が相手を殴りながらですか。」
「ああ。お前は『何故、殴らせる!』という表情をしていたよ。」
「・・・」
「お前はまだ技術的には未熟だ。だが、心の強さならこのわしにも勝るとも劣らないモノがある。」
「心?」
「自分の心に目を向けたことがあったか?」
「いえ...ありません。」
「自分をおろそかにしてはおらんかったか?」
「・・・」
「闘え。闘えよ、藤四郎。それしか道はない。」
「・・・」
「闘って、闘って、闘って。救うのだ、妹を。」
「二階堂財閥の解体。」
「それだけではないぞ?」
「闘うのは二階堂だけではない?」
「それはいずれと分かるもの。答えは自分で見つけろ。」
「はい。」
今までに何人もの弟子を育ててきた。
師範になるもの。
独立するもの。
外国で道場を開くもの。
何人もの若い弟子が旅立った。
みな満足していた。
しかし、藤四郎はどうだろう。
こいつだけは満足するのことがない。
常にハングリーだった。
技術を教え込めば、乾いた大地に水を流し込むようにすぐに吸収した。
それでももっと多くの技術を欲した。
稽古が終われば空ばかり見ていた。
不思議な感じの少年だったな。
無邪気。
19にして無邪気。
いつまでも白いキャンパスのよう。
キャンパスはわしの問いに答えられるかの?
頼んだぞ、藤四郎。
―杉田は思った。
ドアベルがなった。
三人は顔を見合わせる。
再びなった。
「はーい。」
絢子が答える。
「郵便ですー。」
ドア越しに男が言った。
「今行きますわ。」
直後、けたたましい音を立ててドアが倒れた。
男が蹴破ったのだ。
敵襲だ。
考える前に藤四郎の体は動いた。
杉田は絢子の前に立っている。
「師匠、絢子をお願いします!」
藤四郎が吼えた。
「いけるのか!」
杉田は言った。
「いけます!」
「よし、いけ!」
「はい!」
男が迫ってくる。
藤四郎は構えた。
ボクシングに似た構えだが、スタンスが少し広めである。
リズムをとる。
タン、
タン、
タン。
男もリズムをとる。
タタン、
タタン、
タタン。
お互いがにらみ合ったまま、動けなくなった。
間合いに入れない。
こいつ相当の手合いだな、藤四郎は思った。
不意に男の体が消えた。
なに!?
同時に背筋がぞくっとした。
タックル。
おそらくアマレス仕込みのタックル。
くそっ!
転がされてなるものか!
後方に足を出し、タックルを切った。
堪える。
凄まじい力である。
踏ん張っているのに、押される。
ジリジリ、
とも
ズズズ
とにも似ている音とともに、
少しずつ、だが、確実に藤四郎の体は下がって行ってる。
藤四郎は夢中で肘を相手の後頭部に打ち下ろした。
ゴン、という音がする。
ひとつ、
ふたつ、
みっつ。
倒れろ。
倒れろ!
倒れろっ!!!
いい加減倒れろ!!!!
数多の数を打ち下ろした気がした。
それでも倒れない。
畜生、なんてタフな奴だ。
藤四郎は戦術を変えた。
相手の耳を平手で打った。
パン、
乾いた音がする。
手を少し曲げて、お椀の様な形を作り、打つ。
鼓膜と三半規管を同時に攻撃する。
打った。
狂ったように打った。
パン!
パン!
パン!
乾いた音がこだまする。
微かに男の手が緩んだ。それを藤四郎は見逃さない。
身体を半回転させて、無理矢理引き抜く。
ニュートラルのポジションに戻った。
藤四郎が構える。
合わせる様に、男も構える。
男が右方向に回る。
藤四郎は左方向に回る。
まるで、透明な球体の回りをくるくる回ったように。
消耗する。
体力を―
気力を―
押さえる。
今すぐ攻撃したいという衝動を―
激しい呼吸を―
呼吸を悟られては駄目だ。
呼吸に合わせて攻撃されれば、ひとたまりも無い。
やられる。
体力は持って数分。
作戦は、無い。
いや、一つだけある。
賭けに近い作戦。
しくじれば、死ぬ。
やるしか、ない。
藤四郎は歩みを止めた。
大きく息を吸う。
右足を半歩下げ、左手を顔の前に出す。
脚を微かに曲げる。
右手はぶらりとだれ下がっている。
異形の構え。
大きく息を吐く。
覚悟は出来た。
男はジリジリと近づいてきた。
タックルに来た。
藤四郎は横に避ける。
男は体制を立て直す。
タックル。
避ける。
タックル。
避ける。
何回繰り返したろう。
男が焦れてきた。
タックルが雑になってきている。
スゥ―
藤四郎は微かに左手をずらした。
顔面に攻撃が入りそうである。
男はそれを見た。
にやり、笑みが浮かんだ。
しめた―男の顔がそういっている。
再び腰を落とし、タックルの用意を構える。
来た。
タックル。
いや、違う。
タックルではない。
男は上体を起こし、藤四郎の顔面を叩きに行った。
タックルに見せかけたストレート。
タックルの加速があるだけ、当たればひとたまりもない。
藤四郎は腰を落とした。
引き付けろ。
まだ引き付けろ。
まだまだ。
よし、今だ!
腰が回転し、右手が飛んで行った。
右手が鞭の様にしなっている。
当たった。
バチン
平手で頬を張った様な音がした。
藤四郎は男を見た。
男はまだストレートを出している。
しくじったか!?
しかし、男の拳は藤四郎に当たることはなかった。
男は倒れた。
ズシン
「ぜぇ、ぜぇ。良かった。決まった...波拳。」
―波拳―
力強さが特徴の杉式空手使いにとって、最も難しいとされている打法の一つ。
上半身の力を抜き、腰の回転だけで突きを繰り出す。破壊力こそ無いものの、相手の意識を刈り飛ばすことが出来る。
有段者でも成功率は低く、絶対の確率で出せるのは杉田だけとされている。
藤四郎は杉田の方へ歩いて行った。
「藤四郎!無事のようだな!」
杉田が喜んだ。
「はい、なんとか。しかし、凄まじくタフな奴でした。」
「そうか。して、どうやって勝ったのだ?」
「波拳で...」「本当か!?いや、それは凄いな。」
「賭けでした。」
「うむ。だが、今はとりあえず勝てば良かろう。」
「はい。」
「おお、そういえば絢子が屋上に来いと言っておったぞ。」
「では、行きましょう。」
二人は屋上に上がった。
けたたましい音がする。
音の主はヘリコプターだ。
「絢子、なんだこれは。」
藤四郎は聞いた。
「私だって二階堂財閥の令嬢よ。ヘリコプター位持ってるわ。」
「流石、金持ち。」
「このままヘリコプターに乗って成田空港に向かうわ。成田には私の手配したチャーター便があるの。それでイギリスに向かいましょう。」
「ふっ。」
軽く笑って二人はヘリコプターに乗り込んだ。
「まさか空までは追っては来まい。」
杉田の言うとおり、流石に空までは追手は来なかった。
ヘリコプターは成田空港に着いた。
「お二人、準備は良いかしら?」
絢子が言う。
おう―
勿論―
二人の武人は答えた。
不安、焦燥、色んな感情が藤四郎の中には渦巻いていた。
でも、やるしかないんだな。
全てを拳に乗せるしかないんだよな。
藤四郎は思った。
誰かが言ってた。
『死ぬ時は死ね』って。
でも、僕は死にたくない。
生きて日本の地を再び踏むんだ。
妹の好恵と共に。
チャーター便は飛び立った。
杉田と絢子と藤四郎と覚悟を乗せて。
イギリスに向けて。
大切な妹に向けて。 |