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ケンプファー
作:弐番



不許


深夜。
車は出雲へ向けて高速を走っていた。
数時間の長旅を車の中で過ごしていた。
公共の交通機関を使わなかったのは、狙われる可能性があったからだった。
運転をしているのは二階堂絢子。
二階堂財閥の令嬢だが、今は父の敵である叔父、二階堂芳夫を倒すために動いている。
助手席に座っているのは古谷藤四郎。
妹を助けるために、妥当二階堂芳夫を掲げている。
二人の利害関係は一致した。

車は島根県、出雲市に向かって走っていた。
そこに藤四郎の師匠が居るという。
藤四郎は師匠に会わなければいけないと言った。
今のままではいけない、と。
常人より遥かに強い藤四郎。
その藤四郎を鍛えた師匠。
興味があった。
「ねえ、お師匠様はどんな人なの?」
運転しながら絢子が聞いた。
「師匠は、優しい人だよ。凄く優しい。怒鳴ったりしなかった。」
「アナタとは大違いね。」
「む...」
「悪かったわ。続けて。」
「そして師匠はいつも言うんだ。空手を護身以外で使うな、って。僕はその教えに従った。私利私欲のために力を行使したことは無いよ?」
「わかってるわ。」
「師匠は沢山の技を知っていた。その中には想像もつかない様なエグい技も含まれている。相手の弱点を容赦なく突くような技も。」
「怖いのね。」
「それが空手さ。一撃で相手を仕留めなきゃ自分がやられちまう。そういうリアリズムの中に空手は存在するんだ。」
「そう...頼りにしてるわ。」
「ふっ。」
藤四郎は軽く鼻を鳴らした。

窓の外を見る。
出雲を出て2年経ったな。
大学で東京に出て以来、出雲には帰っていない。
師匠は元気かな。
女将さんは元気かな。
道場のみんなは元気かな。
近所のチエばあさんは元気かな。
犬のジャックは元気かな。
今頃、出雲では蝉が鳴いてるだろな。
ああ。
師匠にこの事を話したらなんて言うだろう。
送り出してくれるかな。
まさか、自分も着いて行くとは言わないよな。
いや、師匠なら言いかねないな。
でも家族のある身だ。
さすがに言わないだろう。
あ、もうすぐ夜が明けるな。
さあ、出雲までもう少しだ。
心の準備でもしておこうか。
藤四郎はそう思った。

「ねえ、ちょっとサービスエリアに寄っても良いかしら。」
絢子は言った。
「ああ、構わないけど。」
「少し疲れたわ。休憩したいの。」
無理もない。
絢子はぶっ通しで車を運転していたのだ。
それに藤四郎も少し肩が凝っていた。
ちょうどいい機会だ。
ストレッチでもしておこう。

サービスエリアに着いた。
さすがに夜明け前とあれば、人が少ない。
藤四郎は自販機の方へ歩いていった。
脳がコーヒーを欲していた。
とてつもなく眠かった。
コインを入れてコーヒーを買う。
冷たくて美味しい。
たった百円でここまで幸福になれるとは。
庶民感情の塊みたいである。
でもそんな自分が好きだった。
庶民万歳。
そんな意味の無い言葉が浮かんでくる。
飲み干した空き缶をゴミ箱に捨てた。
車の方へ歩いていく。
刹那、
(きゃあ!)
と声が聞こえた。
女の声だ。
こう聞こえる。
(トーシロー!)
僕の名前かな。
もう一回聞こえた。
(トーシロー!)
そんな名前は僕しか居ないな。
という事は声の主は絢子か。
藤四郎は走った。

「大丈夫か?」
藤四郎は言った。
状況からして、絢子は不良3人に絡まれている。
またか―藤四郎はウンザリした。
「早く助けてちょうだい!」
絢子が言った。
不良のリーダー格の男が藤四郎に近づく。
長い金髪の男だった。
年は二十歳くらいであった。
「お前、こいつのカレシか?」
リーダー格が言った。
「違う。」
「じゃあ、こいつのなんだ?」
「パートナーだ。」
「はぁ?なんだそりゃ。」
「藤四郎、早く空手でやっつけてよ!」
絢子が叫んだ。
「お前空手やってんのか。やってみろよ、アチョーって。」
リーダー格が笑った。
つられて周りの不良も笑い始めた。
不良の一人が叫んだ。
「お前終わったな!タケシさんはキックやってたんだよ。」
「空手なんて意味ねえよ、バーカ!」
タケシと呼ばれた男が
「早くやれよ、アチョーって。」
と言った。
「やれば、絢子を放してくれるよね?」
藤四郎は笑った。
笑いながらタケシという男の方へ歩いていった。

絢子は藤四郎の顔を見た。
藤四郎の顔は笑ってる。
白い歯がこぼれている。
しかし、眼が、眼だけが笑っていなかった。
眼だけが燃えていた。
黒い炎をともしながら。
初めて見る表情だった。
「じゃあいくよ。アチョー!」
藤四郎は言った。
ゆっくりとしたパンチをタケシの腹部に繰り出した。

藤四郎のパンチを見て、周りの不良たちは笑った。
その刹那の事だった。
何かが不良たちの方に飛んできた。
それは、高い声をか細く上げながら、
軟体動物のようにうごめいていた。
眼を疑った。
タケシだった。
前歯が無い。
きっと、アイツが折ったんだ。
それしか解からない。
タケシの顔面から血が滴り落ちる。
不良達は恐怖した。
駆け寄ることも出来なかった。
藤四郎に殴りかかることも出来なかった。
不良立ちは恐怖した。
ただただ恐怖した。
恐怖するしかなかった。
「どうした、そんなものか。」
藤四郎の声はいたって平坦であった。
こいつは、人の前歯を折ってもなんとも思わないのか。
不気味なまでの冷静さ。
それ故か、不良たちは藤四郎に
「この野郎!」
とも
「ぶっ殺してやる!」
とも言えなかった。
沈黙。
ただただ沈黙。
発狂しそうな沈黙。
「ほら、どんどん行こうよ。」
藤四郎は微笑んだ。
「あぁ...!」
耐え切れずに一人が走り出した。
つられて全員が走り出す。
藤四郎とは逆の方向へ走り出す。
「お、おい...」
タケシは置いていかれた。
タケシの前歯は無い。
取り巻きもいない。
二つを同時に失った。

絢子は見た。
藤四郎は確かにゆっくりとした突きを出した。
しかし、突きはタケシの腹部手前で加速した。
有り得ない加速。
それは常人離れした運足と、腰の回転によって実現できる技であった。
寸頸とも、ジョルトとも違う技だった。
食らったタケシは前につんのめった。
直後に身を引いた藤四郎は、タケシの髪をつかんだ。
つかんで引き寄せ、顔面を膝にぶつけた。
変形のココナツクラッシュ。
食らえばひとたまりも無い。
現にタケシは前歯を折った。
絢子は思った。
とんでもない人物ね、と。

藤四郎は地面で蠢いているタケシに近づいた。
顔を覗き込み、言った。
「空手を馬鹿にする奴は許さない。誰も。」
車の方へ向かう。
絢子が後を追う。
5歩くらい歩いた頃か。
「おい、これで済むと思うなよ!地獄の底までテメェを追いかけるぜ!」
藤四郎の背中にタケシが吼えた。
歩みを止め、振り返った。
頭を指で掻く。
突然、タケシの方へ向けて走り出した。
「しゃっ!」
鋭い息を吐き、タケシの顔面に蹴りを入れる。
パァン!
乾いた音がした。
タケシの鼻が折れた。
「がぁ!」
タケシが呻く。
顔が苦痛に歪む。
「どうぞ、ご自由に。」
藤四郎は言った。

車の中で絢子は聞いた。
「ねえ、どうしてあそこで蹴ったの?」
「そうする必要があったからだ。」
「だって、もう十分だったでしょ。」
ふん、と軽く鼻を鳴らし、
「それは僕が決める。」
と藤四郎は言った。
「それに、鼻が折れても死にはしない。」
「でも、折るなんて...」
「酷いと思うか?残酷だと思うか?じゃあ君は自分が手篭にされた後でも同じことが言えるか?どうだ、さあ、答えてみろ!」
藤四郎の大声に思わず、
「ひっ...」
と絢子は声を上げてしまった。
藤四郎ははっとした。
「すまない、つい大声を。僕としたことが...」
藤四郎はため息混じりに言った。
「ただ、僕は空手に誇りを持っている。それが言いたかった。」
絢子は今の藤四郎にただならぬ雰囲気を感じていた。
渋谷の戦闘の時とは違う雰囲気を。
―それほどまでにこの男は空手に誇りを持っているのね。
―それほどまでに誇りを大切にする人物なのね。
絢子は藤四郎を少し理解した気がした。
少し嬉しかった。

「さあ、到着よ。」
絢子が言った。
「ああ、懐かしい...」
藤四郎のは独り言に近かった。
車を降りて深呼吸する。
藤四郎は叫んだ。
「ただいま、出雲!」












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