遺恨
それは蒸し暑い夜だった。
吹いてくる風すらも肌に貼り付くような気さえした。
夜なのにまだ蝉が鳴いている。
そのやかましさが、暑さを助長させているのだろう。
しかし、その熱気すらも押し曲げる雰囲気が辺りには漂っていた。
8月、とある草地。
男が二人向かいあってたっている。
一人は筋骨隆隆と逞しく、一人は痩躯ながらも締まった肉体を有していた。
杉田孝之助と椿参賀。
筋骨隆隆なのが参賀で、痩せているのが杉田である。
椿が杉田に対して果たし状を送ったのだった。
「良く来てくれたな。」
椿が言う。
「逃げるのかと思ったぜ?」
それを聞いた杉田は
「絶滅した筈の天童流と闘れるんだ。逃げる筈がなかろう。」
と笑った。
「くくく、良いねぇ。」
椿が笑う。
「なら話は早え。闘ろうぜぇ。」
「応、そうだな。」
禍々しい空気が更にねじれる。
いつの間にか蝉が鳴きやんでいた。
「天童流、椿参賀、参る!」
「杉式空手、杉田孝之助、参る!」
ほとんど同時に叫んだ。
椿は腰を落とし、両手を前に出すような形で構える。
杉田はボクシングに近い構えをとる。
ジリジリ―詰め寄る。
杉田が飛んだ。
飛びながら蹴りを放つ。
椿は蹴りを脚を捌いて掴んだ。
杉田が片足で立つ形になった。
投げられる前に喉に向けて抜手を放つ。
椿は手を離し、喉を庇いながら避けた。
杉田の左フックがそれを追う。それを後転受身でかわす。
椿は起き上がる際に地面を押し、跳ねた。
「しゃっ!」
なんという腕力か―杉田は思った。
体制を立て直し、椿が前に飛びながらストレートを出す。
杉田は捌きながら下がった。
それを追いながら椿は杉田の片足を掴んだ。
しまった―そう思った刹那、杉田は地面に倒された。
椿は上にまたがり、杉田の手を取った。
「ぬぅ、腕ひしぎか!?」
腕を折られまいと両手でクラッチする。
怪力で引き剥がす。
完全に決まった。
みしり、という音がする。
不意に椿の顔が苦痛に歪んだ。
手を離して杉田を蹴り、その勢いを使い後転受身で起き上がる。
ぺっ。
椿が何か吐き出した。
肉片。
それは椿のふくらはぎの肉だった。
杉田は椿の脚を噛みきったのだった。
「ふん、ひでえ事しやがるな。」
「へっ、お互い様じゃねぇか。」
二人とも息があがっている。
「これからだ。」
杉田が言う。
「もう、逃げられないぜ。」
椿が言う。
杉田は笑顔をもって答えた。
にい、と牙をむく。
「そうか。楽しいか。」
椿が言う。
「ああ。」
「俺は楽しいぜ。」
ユラリ、ユラリ。
椿が左右にゆらめく。
まるで風に煽られた枝のようである。
「しっ!」
鋭い息とともに椿の手が襲ってきた。
腕のしなり具合が半端無い。
それを避ける。
「これは、波拳!?」
正確には違うのだろう。
だが、理論はおそらく同じである。
それが天童流に渡って独自に変化したのだろう。
次々に襲ってくる椿の手をかろうじてかわす。
ふと、椿の両手が消えたような感じがした。
ぶんっ、
うなりをあげながら、右手は顔を、左手は腎臓を狙ってきた。
両手で挟むような攻撃である。
「大扇拳だと!?」
肘と膝でガードをする。
予想だにしなかった動きである。
続けざまに足が胴めがけて襲ってきた。
丸太のような太い脚であった。
しかし、太さを有していながらも、蛇のように柔らかい脚だった。
内側に踏み込み、威力を殺す。
まともに喰らえば肋骨が折れる―杉田は直感した。
入りながら手刀を顎に叩き込む。
バツン、
音はするが、椿の太い首が衝撃を吸収していた。
よく鍛えられた肉体のみがなしえる芸当である。
不意に椿が杉田に抱きついた。
もの凄い力が杉田を襲う。
抵抗しようとした瞬間、杉田の体は宙に浮いた。
空中で椿は手を離し、杉田だけが吹っ飛んでいった。
B2B、即ちベリィ・トゥ・ベリィである。
着地の際に受身を取り、大ダメージだけは避けたものの、
腰をやられてしまった感がある。
杉田が立ち上がる。
苦痛を隠し切れない。
「教えてやるよ。」
椿が言った。
「今の技はな“梅花・開”ってんだ。」
「へぇ。嬉しいね。」
「じゃあ、俺も教えてやるよ。」
「何をだ。」
「杉式空手の真髄を!」
杉田は一気に駆けた。
一撃に全てを賭けるしかない。
それ以上長引けば腰が悪化し、勝てなくなる。
いや、負ける。
野試合での負けは最悪、死を意味する。
死にたくは無かった。
椿も前進した。
カウンターを見舞うつもりだ。
杉田の顔にストレートを見舞う。
チッ、
という音がした。
チップしたのだ。
杉田が椿の腹にめがけて肘を繰り出す。
ミゾオチをガードする。
しかし、ミゾオチが杉田の狙いでは無かった。
ミゾオチの数ミリ上のツボだった。
九尾。
西洋医学では未だ解明されず、東洋医学では針灸をすることすらも出来ないと言われる禁断のツボ。
そこを杉田は肘で突いた。
「あがぁっ!」
口から血を吐き、椿はぶっ倒れた。
杉田は肩で息をしている。
椿の頚動脈に手を当てた。
トクン、
死んでは居ないようだ―杉田は安心した。
その場にへたり込んでしまいたかった。
凄まじい相手だった。
天童流、表に出ないだけに恐ろしい流派だった。
生涯になんどこれ程の相手に出会えるだろうか。
天童流、椿参賀。
恐ろしい男だった。
もう、二度と会うことは無い。
しかし、その名は一生心に刻まれるであろう。
振り返り、杉田は一目散に退散した。
「そういう事だったのだ。」
杉田が言った。
「その天童流が今だ因縁を?」
藤四郎が短く尋ねた。
「いや、恐らく違う。」
「何故ですか。」
「あやつは『関係ない』と、確かに言っておった。」
「関係ない?」
「ああ。あやつにとっては仇なんぞより、闘うという事が重要なんじゃろう。」
「じゃあ、また襲って来ることがありそうですね。」
「うむ。多分そうだ。」
二人はタクシーを拾い、ホテルに戻った。
車中、一言も話さなかった。
新たに浮上した問題が頭を廻っていた。
僕も闘う事になるだろう―藤四郎は思った。
勝てるのか...
ホテルのロビーには絢子がたっていた。
「二人とも、夜遅くに何をしていたの?」
凄い見幕である。
「新たな刺客が現れた。」
杉田が言う。
「え?」
「刺客の名は椿堅吾、天童流の使い手じゃ。」
「嘘、そんなの叔父の傘下に入ってなかったわ。」
「いや、恐らく椿の目的はわしだろう。」
「・・・」
沈黙が続いた。
こんな時に気休めも言えない自分が情けなかった。
何か言おう、と思ったが口が開かない。
また黙ってしまった。
「まぁ、わしと藤四郎二人が入れば平気じゃろう。」
わざとゆったりと杉田が言った。
「そうですよ。な、心配すんなよ絢子。」
藤四郎が続いた。
果たして本当に大丈夫なのだろうか。
誰の胸中も不安だらけである。
しかし、今はどうしようもなかった。
また会うだろう敵の事で頭が一杯になり、藤四郎はその夜上手く寝付け無かった。
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