「アレサンドロ……!」
山頂へ続く足跡をたどり、ここまで息を切らせて駆け上ってきたユウは、遠く雪の陰にアレサンドロの姿を認め、思わず、足元がふらついた。
胸が苦しいのは、気圧のせいだけでも、山登りのせいだけでもない。
「おい、どうした。大丈夫か?」
と、ひざまで積もった雪を重たげにかき分け、斜面を下ってくるアレサンドロの胸へ、ユウは飛びついていた。
「よかった……アレサンドロ、よかった」
「ユウ……?」
「心配したんだ。急にいなくなって、どうにかなるんじゃないかって……」
「……死ぬと思ったか?」
「言うな!そんなのは絶対嫌だ!」
駄々っ子のように泣き声を出すユウを、アレサンドロは、ふ、と笑い、抱き返した。
その手のひらは、厚手のコート越しにも力強く、ユウの背を叩く。
「ああ、生きてるぜ。死んでる場合じゃねえよな」
ユウは驚いた。
「……なんだ?」
「いや、あんたこそ……どうしたんだ」
言葉も、目も、晴れ晴れと澄んでいる。まるで別人だ。
「なにがあったんだ」
アレサンドロは、さあな、と微笑した。
「まわりに合わせて、ちょいと顔を上げただけさ」
「え……?」
「ハ、まあ、いいじゃねえか。戻ろうぜ、俺はもう寒い」
頭をくしゃくしゃとなでられ、ユウは、アレサンドロを開放した。
と、突然。
「い、痛ッ!なんだ!」
なんの前ぶれもなく、ユウは何故か、鼻をねじまげられてしまったのである。
その痛さときたら強烈で、今度こそ本当に涙が出る。
鼻を押さえ、にらみつけたユウに、
「ああ、悪ぃ」
「悪いで済むか!」
「いや、あいつなら、変装だってしかねねえと思ってな」
「は?」
「いや、なんでもねえ。行こうぜ。……ほら、そんな顔すんな、悪かった!」
アレサンドロは、茶目っ気たっぷりにウインクしてみせた。
そうして、数十分後。
途中、左足の傷がうずき出したユウとアレサンドロが、ゆっくり時間をかけて戻ると、双角を山頂へ向けたマンムートでは、すでに破損部位の確認作業が終わっていた。
それによると、メインダクトやフィルター、管理システムなど、室内のおよそ三割の機械・部品に被害をこうむった空調室が、状況的に最もひどい。本来ならば全交換されてしかるべき状況であるという。
しかし、今はそれほどの資材も、人手も、時間もなく、かといって地上だけを走り、修理のできる場所へ向かう、などということも難しいために、
「とにかく、その……どこに向かうかだけでも決めてもらえませんか?応急処置のしようもありますから」
と、メイがおどおど、ハサンへ陳情しているところであった。
「ハサン」
「おお、いいところに戻ってきたな、リーダー君」
「チッ、やっぱりそれか。嫌味な野郎だぜ」
舌打ちしたアレサンドロが空調室をのぞくと、作業のため髪を結わえたセレンが、あごに手を当て、なにか考えこんでいる。
その隣ではララが、ナットをどこまで積み上げられるか、ひとり遊びに熱中していた。
「話は聞いていたな」
「ああ」
「意見は?」
「あんたはどう思う。鉄機兵団はここに来ると思うか?」
……やはり、アレサンドロは変わった、と、ユウは思った。
以前、特にマンムートに乗り始めた辺りから、アレサンドロはハサンに意見を求めても、どこか一線を置いた目をしていたものだ。
それが今は険の取れた、言ってみれば、普段の顔に戻っている。
「フフン」
と、髭をなでつけたハサンもまた、にやりとした。
「本隊は来ない。せいぜい様子見の二、三機だろう」
「理由は」
「オルカーンはトラマルへ戻ったが、そこで重光炉の修理ができるかと言われれば……どうかな、お嬢さん」
「む、無理……だと思います」
「よって、ホークの軍は除外していい。残るギュンターに関しても、炎と雪は相性最悪だ。私が紋章官ならば無理はせず、次に現れるだろう場所で張りこみをする」
「どこだ、そこは?」
「ンッフフフ、それは私が決めることではない。連中とて、いくつか候補を絞っている最中だろう」
「そりゃそうだな」
アレサンドロは頭をかき、苦笑した。
「で、これからどうするか、だが……俺は、まず戦車の修理を優先させるべきじゃねえかと思ってる」
「ンン、結構だな」
意見を求められたユウも、同意した。
「嬢ちゃん、この辺りに修理できそうな場所は?」
「え、あ、あの……ないこともないですけど、みんな一応、国の研究所ですから……」
「協力は望めねえ、か。ハサン、あんたはどうだ。最近はL・Jを使う盗人もいるみてえじゃねえか」
「生憎、私の友人は正統派ばかりでな」
「ふうん」
「だが、心当たりがないでもない」
ハサンは指を振った。
「海にいる女でな。なかなか、いい船を持っている」
「あ……!」
ここでようやく、ユウにもその相手の顔が見えた。
ユウがその女性と出会ったのは、家族と死別し、拾われた十五年前。ハサンに連れられ初めて引き合わされた盗賊が、当時まだ若く、ミラーダを名乗っていたその人だった。
『暗黒街の魔術師』、『北の魔術師』と異名をとったハサンに対し、こちらは『西海の悪魔』。
泣く子も黙る、海の悪女。血の嵐を呼ぶ女。
それが、女海賊ソブリンである。
「あのドックならば、設備も十分」
「行った途端に身ぐるみはがされる、なんてことはねえだろうな」
「それはソブリンの懐具合次第だ。海女神に祈っておけ」
「ハ!」
アレサンドロは笑った。
「おい、セレン!」
「いいよ、そこで!」
セレンも賛同し、決定である。
「場所は?」
「まあ待て、まずは海だ。少々距離はあるが、西海へ出る」
かくまわれる者の礼儀として、アポイントメントを取るのは常識だ。
「つなぎをつけ、その後、相手の指示に従って行動する。なに、肝の太い女だ。喜んで受け入れてくれるだろう」
「よし、セレンと嬢ちゃんは、とりあえずそのつもりで応急処置にかかってくれ。準備ができたら出発だ」
「りょ、了解です!」
修理は、足まわりや光炉のチェックも含め、三昼夜かかった。
さて。
その間、起こったことといえば、鉄機兵団の一個分隊が上空を飛んだ以外に、寝る場所が変わった。
理由は言うまでもない。オルカーンのアンカーに貫かれ、最上層居住区そのものが閉鎖されてしまったからだ。
しかし、マットレスを敷き延べた食堂での雑魚寝は面白みがあり、頭をつき合わせトランプをしたり、他愛もない話をしたりで、別段、文句を言う者はいなかった。
そんな、ある晩のことだ。
就寝前のトランプ大会をゴロゴロと眺めていたアレサンドロが、
「あんたは、これからどうする?」
マットレスの上に座禅を組み、瞑想しているクジャクに聞いた。
生身では物質を動かすほどの念動力など生じないが、こうすることで集中力が高まり、チャクラムの反応、速度が上昇するのだという。
「俺は奴らを追う」
「奴ら?」
クジャクは柳眉をひそめ、バイパーたちが、かつてトラマル砦にいたことを語った。
「あの日、俺はカラスに呼び出され、砦を留守にしていた」
「カラスに?」
「そうだ。だが何故呼び出されたのか、いまだにわからん。俺になにか伝えたがっていたようだが、くだらん世間話に終始した。戻ると、火の海だ」
「……カラスは、裏切り者なんかじゃねえ」
「フ、わかっている」
微笑んだクジャクの目が、薄く開いた。
「蛇どもの片棒をかついだのは、カラスではなく、俺だ」
「……なに?」
「オオカミはお前たちを愛し、お前たちのために戦を勝利へ導こうとしていた。だが俺は違う。俺は勝ち負けなどどうでもよかった。俺にとってトラマルは、人間たちの避難小屋にすぎなかった」
「……」
「その、俺の性根が砦を落とした……騎士団ではなく、俺がな。……フ、フ、奴らを追うのも、ただ罪をなすりつけているだけかもしれん」
そう言ってクジャクは、右耳にさわるような仕草をした。
しかし、アレサンドロにはわかっていた。
それでもクジャクは、オオカミや他の魔人たちと同じように、入れ墨の仲間たちのことを想ってくれていたのだと。
責任転嫁などではない、だからこそ、バイパーを追うのだと。
アレサンドロは、自責の念をかかえながら、晴らすべき恨みをも負うクジャクの姿に、まるで自分を見るようだった。
「……クジャク。これからも、俺たちに力を貸してくれねえか」
「……」
「バイパーは俺たちを追って、きっとまた出てくる。あんたの力が必要だ」
すると、しばし口を閉ざしたクジャクが、ふ、と、ため息をつき、
「お前たちは、なにをするつもりだ。なにをしようとしている」
鋭い眼差しで、アレサンドロを見据えた。
「目的もなく、闇雲に火の粉を払うだけならば、俺は協力できん」
「いや、俺は……」
「なにか目当てがあるのか」
……と、つい先ごろまでのアレサンドロならば、ここで話は終わっていたはずだ。
それが今、アレサンドロの心には、自分の行くべき道について、ひとつの答があった。
ユウにもハサンにも明かしていない、まさにこの瞬間、芽生えた答である。
「聞いてくれるか、クジャク」
「む……?」
アレサンドロは起き上がり、クジャクの耳へ口を寄せた。
二言三言つぶやくと、
「……なに」
クジャクが目を丸くする。
「その覚悟はあるのか」
「ああ。あんたや、ユウたちがいれば俺は戦える。だから力を貸してくれ」
「……後悔するな。俺はツキのない男だ」
アレサンドロの差し出した手を、クジャクは、しっかりと握り返した。
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