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【一】 始まり -アレサンドロの過去編-
カラス
 十五年前。
 アレサンドロはまだ、十五歳の少年だった。
 彼女のことも、初めは母親か姉のように慕うばかりだった。

 彼女の名は、カラス。
 魔を宿し、人へと変異した鳥獣・昆虫。その、魔人のひとりである。
 名の通り、あの黒鳥から転生した女性だった。
 すらりとした肢体。輝く黒髪。露に濡れるまつ毛。
 肌の白さは白磁にも勝り、唇はみずみずしく膨らむ、薄紅の蕾。
 アレサンドロには彼女の美しさが、今も鮮やかに思い出される。

 そして彼女はまた、魔人の中でも特に力のある戦士だった。
 アレサンドロの知る中でも、彼女に勝てた者はひとりか、ふたり。
 N・Sを駆り、天空を自在に舞い飛ぶその武勇は遠く聞こえ、聖鉄機兵団にも『黒の魔女』、『人喰鳥』として、いまだに噂が残っている。

 そんな、強く、気高く、美しいカラス。
 月日を重ねるうち、アレサンドロ少年の想いは、憧れへ、そして恋心へと変わっていった。
 だがそれは……、決して叶うことのない初恋だった。


 アレサンドロはここまで語り、沈黙した。
 あぐらをかいているが、がっくりと頭を垂れ、指を組むその姿は、まるで祈りを捧げているように見える。
 ユウはただ黙って、次の言葉を待った。


 気づいてしまうと、想いというものは、日に日にその大きさを増していく。
 焼きついた彼女の姿。彼女の匂い。彼女の声。
 毎晩、アレサンドロは自身をかき抱くようにして眠った。
 毎日、彼女を見つめ続けた。
 だが皮肉なことに、だからこそ、アレサンドロは知ってしまった。
 彼女もまた、ひとりの男を見つめ続けていることに。

 相手の名は、オオカミ。
 砦の指揮をとる、魔人だった。
 豊富な知識。的確な判断。カラスに勝る力。容姿。
 男としての魅力に満ち満ちた彼は、確かに、カラスと並び立っても遜色のない男だった。
 だから、仕方がない。
 アレサンドロは、そう納得した。納得するしかなかった。
 どれほど想おうと、カラスが自分を見てくれない限りは、ただの片思い。
 ならば、今は彼女の幸せを第一に考えるべきなのだ、と。
 胸の苦しみは、それこそ尋常ではなかった。
 彼女を想っていた頃の、何倍もの痛みがアレサンドロを引き裂いた。
 だが、彼女のため。
 すべては、彼女のために。
 アレサンドロは十五歳。まだ、少年だった。

 
「なにが正解だったのか、いまだにわからねえ」 
 アレサンドロは眉をひそめた。
「今の俺だったら……いや、それでも引いていたのかも、しれねえな」

 
 帝国の大軍勢が目の前に迫っている、と物見から報告が入ったのは、それからまもなくのことだった。
 砦はにわかに色めき立ち、アレサンドロも失恋の痛手が薄れるほど、N・Sの整備助手として忙しく立ち回る日々が続いた。
 無論、そう簡単に忘れられるはずもなく、カラスのN・Sを未練がましく磨き上げていたりもしたが、それでもただ泣き暮らすよりはましだった。
 眼下に見える帝国の旗は、日に日に増えていった。

 そして、緊張感の高まる中、ある日のこと。
 いつものように格納庫へ向かったアレサンドロは、そこで、自身のN・Sにしなだれがかり、静かに目を閉じるカラスの姿を見た。
 しばらく会えずにいた彼女は少しやつれ、アレサンドロ、と呼ぶ声に涙が出そうになった。
 どうしたの。
 痛む心でアレサンドロは聞いた。
 すると、少し悩みごとがあるのだという。
 オオカミのこと?
 カラスの顔色が変わった。
 アレサンドロは、ああ、やはりそうか、と感じた。
 気が遠くなった。
 
 ……そこからのやり取りを、アレサンドロは詳しく覚えていない。
 ただ、戦いが始まればどうなるかわからない。言いたいことがあるなら伝えておいた方がいい、というようなことを話した記憶が、おぼろげにある。
 そのときのアレサンドロは、とにかく早く話を切り上げ、部屋へ戻りたいと、そればかり考えていたのだ。
 これ以上、彼女の口からオオカミの名を聞きたくはなかった。

 それが、カラスと話す最後の機会になるとも知らずに。


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