……眠ってしまったか。
丸椅子に腰かけ、ベッドに顔を埋めた状態で、ユウは目覚めた。
耳に聞こえるのは、月女神の神歌。
顔を上げると、丁度、一節を歌い終わったハサンが、
「起きたか」
と、言う。
「それは、こっちの台詞だ」
ユウは、大きくため息をついた。
テリー・ロックウッドの放った弾丸は、ハサンの右肩、鎖骨の下を貫通した。
急ぎ、宿へかつぎ戻り、アレサンドロの手当てが施され……、それから五日。
今の今まで、昏睡状態が続いていたのである。
「アレサンドロを、呼んでくる」
ユウが立ち上がると、
「いらん」
ハサンが、手をつかんだ。
「そういうわけには……」
「ならば後にしろ。今はいらん」
「……」
強くはなかったが、その声には、決して放さぬという意思が宿っている。
ユウはため息をつき、再び腰を下ろした。
レースのカーテンに遮られた茜色の西日が、目蓋を閉じたハサンの横顔を、柔らかく照らし出している。
特に話しかけられるでもなく、穏やかな時間だけが過ぎていった。
「なにも、聞かないんだな」
言われ、ハサンは目を伏せたまま、鼻で笑った。
「お前たちが指輪も取らず、死にかけの私を放っていったというならば、何故、と問う気も起きた」
その言葉通り、カラスは無事、ハサンの荷物から見つけ出され、ユウの左中指へ戻ってきている。
コウモリも、アレサンドロの懐にあった。
「ああ、賞金稼ぎがいたな」
こちらは、例の五十万を工面して戻る途中、疾駆するユウたちを発見、尾行してきたらしい。
今は一階で、アレサンドロたちといるはずだ。
しかしそう聞いても、ハサンの表情は大きく動かなかった。
ユウはもう一度、アレサンドロを呼ぼうと声をかけたが、答えは同じだった。
「私は、誰も信用しない」
「ハサン……」
そんなことを言っている場合か。言葉が喉まで出かかったが、
「お前だけは別だ」
「……え?」
「……信じるか?」
ユウは目をそらし、
「信じるさ」
ハサンの喉が、くっくと鳴った。
やがて太陽が、この日最後の輝きを放ち、湖に沈んだ。
そろそろ、アレサンドロが様子を見にくる時刻である。
「さっきは、どうして神歌を……?」
薄闇の中、ユウは光石照明のつまみを回した。
高級宿だけあって、光量の調節ができるタイプだ。
「私とて祈りたくなるときもある」
「なにを?」
「さて、神に教えてもらえ」
と、そこに、
「彼氏さん、ちょっといい?」
テリーが、顔をのぞかせた。
「あれ?なんだ、目、覚めてたんだ」
「おかげ様でな」
「そいつは好都合」
テリーは、ずかずかとベッドへ近づき、ユウの座っていた丸椅子を奪った。
その姿はシャツにベスト。あの、銃弾を差した胸と腰のベルトも、一階に置いてきたようだ。
「おい、ちょっと待ってくれ」
ユウは遠慮会釈もないその態度に、腹が立った。
「話なら下で聞く」
「いやいや、目が覚めてるなら、こっちに直接話した方が早いからさ」
「ハサンは怪我をしてるんだ」
するとテリーは目を丸くし、
「なんだか、すっかりそっち側だね、彼氏さん」
「ッ……!」
「ユーウー」
ハサンが、例のごとく、指を振った。
「気にかかるなら、そこにいるがいい。だが、黙っていろ」
「そうそう」
ユウは唇を噛み、窓辺に立った。
口火を切ったのは、テリーだった。
「おたくらのことは聞いてるよ。十年来の師匠と弟子だって?いやぁ、世界は狭いね」
「まったくだ。私もまさか、ここで撃たれるとは思わなかった」
「アッハハ」
「見事な腕だ」
「お褒めにあずかり、恐悦至極」
ふたりこそ、まるで長年の友人のようだった。
「さて、ハサンさん。本題に入るけど……」
と、テリーが言うと、すかさず、
「私の首か……。ああ、好きに持っていくがいい」
ユウは驚愕した。
「おたく、ホントに話が早くて助かるよ」
「引き際は心得ているつもりだ。この期に及んで、無様な真似はしたくない」
「お察しするよ」
テリーは、ユウを一瞥し、腰を伸ばした。
「んじゃあ、まあ、一緒に来てもらおうかな。心配ないよ。依頼人に届けるまで、命は保障する」
「優しいことだ」
「それがモットーでね」
左脇に腕を差しこまれ、身を起こしたハサンの喉から、低い、うめき声がもれる。
「待て!」
そこで辛抱たまらず、ユウが叫んだ。
「口を出すなと言ったはずだ」
ハサンはにらんだが、
「それは、あんたの都合だ!俺は、こいつに誰も捕まえさせないと誓った!」
「あんねぇ、気持ちはわかるけど……」
迫るユウを振り払おうと、テリーは身を返した。
……が。
「……あら?」
右手が動かない。
振り返り、腕を見たテリーは、
「ええっ!」
素っ頓狂な声を上げた。
なんと、右の手首に、鈍く輝く真鍮の手錠がかけられていたのである。
「やれやれ、お前はまだ、私がどういう男かわかっていないらしいな、ユウ?」
「い、いやいやいや!」
テリーは、もちろん外そうと左手を伸ばしたが、そこをさらに、かちり。手錠が噛む。
しかも、天蓋の支柱を抱きこむように鎖を渡されてしまったため、完全に身動きならなくなってしまったのだった。
「フフン、賞金稼ぎ」
と、ハサンの唇が、にやりと持ち上がり、
「ひとつ教えてやろう。この道で長く生きたければ、誰も、信用、するな」
「そ、そんなぁ……」
「ンッフフフ。さあ、ユウ。あの若造を呼んで来い。すぐに出立するぞ」
「……プ、わかった」
ユウは、笑いをこらえながら階下へ走った。
「さぁて、賞金稼ぎ」
ふたりきりとなった部屋で、ハサンは、すっかりしょげ返ったテリーに、思わせぶりな視線を送った。
「これがなにか、わかるか?」
と、鼻先にちらつかされたのは、小指の先ほどの小さな鍵。
「あっ!」
テリーは身体をありったけ伸ばしてそれに噛みついたが、勢いあまってベッドの端に顔を打ちつけてしまった。
「うう……」
「まずは問題に答えてからだ」
「て、手錠の、鍵……」
「その通り」
ハサンは、突っ伏したテリーの頭をなでた。
「これが欲しいか?」
「そりゃ、そうに決まってるでしょ」
「ならば、頼み方があることもわかっているだろう?テリー・ロックウッド」
するとテリーは、一瞬、言葉を詰まらせ、
「おたく、やっぱりそっち系の人?……あいたぁっ!」
鼻をつねられた。
「うう……」
「さあ言え」
涙目になったテリーは、しぶしぶ両ひざをついた。ただし、手錠が梁板にかかり、両腕だけは高く掲げた状態である。
「……ハサン様、その鍵を俺にください」
「……」
「……ダメ?」
「ンンン、わかっているなら、もう一度だ」
「ハサン様、どうか、この哀れな賞金稼ぎに、お慈悲をお与えください」
ハサンは首を振る。
「ハサン様!どうか!この、意地汚く!愚かで!ちっぽけなテリー・ロックウッドに!あなた様の愛と!真心を!お与えください!」
「ああ、よくできた」
ハサンの手が、再びテリーをなでた。
「……おたく、お弟子さんにもこんなことさせてたわけ?」
「フフン、お前はあれよりも、おねだりが上手だ」
テリーは、聞くんじゃなかった、と思った。
「ま、ほら、とにかく鍵ちょうだい」
「鍵?」
とぼけた調子で片眉を上げられ、テリーは一瞬、めまいを覚えた。
「い、いやいやいや、ここにきてそれはないでしょ。約束が違う」
「約束?いつ、誰が、なにを約束した。お前はまさか、金をくれ、と言われれば差し出すのか」
「う……ぐ……」
確かにその通りである。
「テリーよ。愚かでちっぽけな、テリー坊や」
ハサンは、テリーの亜麻色の前髪をかきわけ、いたずらな目で、のぞきこんだ。
「いいか?言葉はタダだ。そして、盗人はタダでは動かん」
「ま、まさか……」
「五十万、用意できているのだろう?それで手を打とう」
「え、えげつねぇぇぇっ!」
テリーはのけぞった。
「ほぅ、ならばこれは、馬にでも食わせるとしよう」
「ま、待った待った!」
「なんなら、お前が食っても構わんぞ」
「冗談に聞こえないからやめて!」
「フフン……それで?」
「……わかった、払うよ」
テリーは、五十万がL・Jのコクピットにあることや、その暗証番号まで、洗いざらい吐いた。
そして、包帯や薬などの準備を整えたユウたちが戻ってきた頃には、
「……なにしてんだ?お前」
「いやまあ、いろいろありまして……」
と、ハサンになでられながら、先ほどにも増して、やせ細っていたのだった。
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