遠吠えが、高く低く、洞内に響いていく。
どれほどの時間が流れたものか。
いや、計ってみれば、それは、ほんの数分のことだったのかもしれない。
後光を背負い立つ黒い天使が、次第にその光を失い始めた。
「あっ……」
ユウはとっさに飛び出した。
とにかく身体が動いた。
「待ってくれ」
伸ばした指先をかすめるように、光が引いていく。
ユウはがむしゃらに追いかけた。
「待ってくれ……!」
……もうどこにも、その姿はなかった。
ユウは冷たい岩壁を前に、ひざまずいた。
奇跡に感謝して、ではない。
ただただ、目の前の現実が信じられなかった。
まさか本当に天使だったとでもいうのか。
自分に、なにか啓示を与えるため降りてきたと?
ユウは苦笑した。まるで神話か三文小説だ。
では魔人か?
だが彼らは、人と変わらぬ姿をしていたという。
思い巡らせるユウの目の端に、
「?」
ふと、奇妙なものがとまった。
触れてみると木製の棒である。
明らかに人の手で加工された、棍棒のようなものが三〇センチほど壁から突き出ている。
なにか、ユウの心に引っかかるものがあった。
この形、この角度。
まるで壁から『手』が生えているような……。
「あ……!」
ユウは小さく叫んだ。
そして飛びつくように、手探りで岩壁を調べ回った。
「そういうことか……!」
わかってみれば、なんのことはない。
これはただの、自然のいたずらだ。
今、おぼろげに見えるだけでも、この場所がかつて、壁に囲まれていた空間だったらしいことはわかる。
まず、その支柱のどこか一本が崩れ、両側の梁が引きずられるように落下した。
おそらく間の壁が支えとなり、完全な崩落はまぬがれたのだろう。
だが、柱は縦の衝撃でいくつかに断たれ、梁にはひびが入った。
それが実に上手く天使の胴となり、羽となった。
あとは、背後から強い光を当ててやればいい。
逆光は鋭角的なシルエットをごまかし、神秘的な状況の演出にもなる。
演出といえば、あの腕もそうだ。
ほんの一部分立体感を持たせるだけで、天使は実に生き生きとしたものとなった。
『目の錯覚』と『思いこみ』。それが天使の正体だったのだ。
それにしても、見事にだまされた。
ユウはあまりの馬鹿ばかしさに、笑いを噛みしめた。
それから、数分も経った頃だろうか。
例の遠吠えと共に、にわかに周囲が明るくなった。
天使が、再び現れたのだ。
しかし、今となっては驚くことではない。タネのバレた手品だ。
だが一方で、その光はユウに新たな事実を気づかせるきっかけとなった。
そう、『向こう側は外につながっている』のだ。
遠吠えは、天使のシルエットを描く岩の裂け目を、風が吹き抜ける音。
天使の出現と音が連動していることを考えれば、後光の正体もおのずと察しがつく。
月光だ。
風が吹けば雲が動く。
月はその度に見え隠れを繰り返す。
その、月光が差しこむ場所。
少なくとも天井のない空間であることは間違いない。
ユウは振り返った。
急流に乗り、随分と下層まで流されてきたように思う。
この辺りは特に損傷の激しい区画で、遺物を掘り出そうにも手持ちの短剣や軽工具では、とても歯が立たないだろう。
つまり結局は一度外に出て、態勢を整えるか、上層に戻るかするしかないのだ。
外に出るためには……また川を下るか?
考えるまでもない。
答えはひとつだ。
ユウは、『天使の腕』を両手でしっかりと握り、ひとつ息をはくと、
ゴ、トンッ……!
力任せに引き抜いた。
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