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【一】 始まり -アレサンドロの過去編-
盗人ふたり
 廃墟の闇の中、ふたりの持つ光石灯だけが、煌々と輝いている。
「みなそこの……あかつきにこいをした」
 壁に彫りこまれた一文字一文字を追うユウの指先が、泥にまみれて汚れた。
「マッケの『水底の乙女』だ。どうしてこんなところに……」
「放っとけ、そんなもん。行くぞ」

 かつては空にあったという、この魔人最後の砦が落ち、十五年。
 大戦の記憶は、いまだ語られることも多いが、それでも確実に過去のものとなった。
 魔人の遺した技術によって、人類の文明レベルも、ここにきて急速に進歩している。
 だが、鉄くずのひとかけら、書物の一ページでも、魔人の遺物はまだ金になる。
 ユウとアレサンドロ。彼らもまた、そうした『飯のタネ』を探す盗掘者だった。
 それにしても……。
 身体にカビが生えそうだと、ユウはいつも思う。
 空気は湿り、土臭い。ぬかるみに足を取られることなど、日に十も二十もある。
 厳重にパッキングしておかなければ食料も長くもたない。
 これで割に合う稼ぎがあればまだいいが、ここ半月ほどはそうした喜びとも遠ざかっていた。

「『水底の乙女』……どういう話か知ってるか?」
 先を進むアレサンドロが、口火を切った。
「暁に恋した乙女が……月に相談する」
「それで?」
「それだけだ。『月影黙って微笑むばかり』、と」
「ああ……」
 アレサンドロはうなずいたが、そのまま口をつぐんでしまった。
 どうにも、いつもの彼らしくない。
「違ったか?」
「いや、そうじゃねえが……、昔、その原作ってヤツを読んだことがあってよ」
 こんなに分厚くて、とアレサンドロは指を五センチも広げて見せた。
「そいつでは、相談を持ちかけられた月が、乙女に言うのさ。そんなに好きなら暁の胸に飛びこんでみたらどうですか、ってな。乙女は言われた通り、次の朝日が海から顔を出す、その瞬間を狙って、暁の馬車にすがりつく。だが、海の雫でできた乙女の身体は、その熱で……」
 パッ、と手を開く。
「『月影黙って微笑むばかり』って、な」
「救われないな」
「ああ、まったくだ。救われねえ……」
 言って、アレサンドロは取りつくろうように笑った。
「まあ、おとぎ話ってのはそんなもんさ。忘れてくれ。『水底の乙女』で思い出した、ただのウンチクだ」

 それからしばらく、ふたりは無言だった。
 行動を共にして一カ月。勿論、こうしたことも今まで何度かあった。
 しかし今日は、やはりいつもと空気が違う。
 ユウは少しばかり不安になった。
「アレサンドロ」
「なんだ?」
「どうかしたか」
「……まぁな」
 歩みが止まる。
「聞きてえか?俺が今、なにを考えてたか」
「……いや、いい」
「いいのかよ」
 アレサンドロの背中が笑った。
 だがその、三十になったばかりとはとても思えないうら寂しさをたたえた背中が、話したくない、そう言っているように見えたのだ。
「お前のそういうところ、好きだぜ、ユウ」

 そのときだった。

「おい!誰だ!」
 振り向いた目に、強烈な光が突き刺さった。
 姿は見えないが間違いない、この砦を管轄する地方騎士団の巡回だ。
「くそっ!この辺りはコースから外れてたはずだぞ!」
「いいから、逃げよう!」
 ふたりはすでに駆け出している。
 手早くライトに覆いをかけて、目についた亀裂に滑りこんだ。
 あとは、手元だけとなったわずかな視界と、互いの息遣いのみを頼りに、這うように、滑るように。
 しかしその先は……。
「行き止まり……!」
 もし、それと気づかずに踏み出していれば、崖下の急流に呑まれていただろう。
 大峡谷に落下した砦はその衝撃で裂け、今は内部を、幾筋もの川が走っているのだ。
 天地左右にも道はない。
 そうこうしている間にも追跡者の靴音はその数を増やし、すぐ近くまで迫ってきている。
 ここまでか。
 ユウは思った。
 谷川に身を投じれば、あるいは逃げられるかもしれない。
 だがたとえ捕らわれたとしても、せいぜい鞭を二、三十発受ければ済む。一か八かのリスクを背負うほどの話でもないのだ。
 ユウの緊張が、ふ、と途切れたその瞬間、
「じゃあな、ユウ」
 アレサンドロの身体が宙に舞った。
「アレサンドロ!」
 空をつかむユウの手。上がる水柱。
「馬鹿な……どうして」
 どうすればいい?どうすれば!
 ユウは意を決し、自らも身を投げ出した。 


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