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【一】 始まり -アレサンドロの過去編-
楽園へ
 天井が抜け落ちているとはいえ、谷底には日差しが少ない。
 アレサンドロはユウに光石灯を持たせ、オオカミの傷口に向かい合った。
「見ろよ」
 小型ナイフを開き、むき出しの筋肉を軽く突くと、桃色の繊維はその柔軟な弾力で刃先を押し返す。
「すごいな。これが、人工なのか」
「ああ。帝国の奴は完全に機械だが、こいつは違う。魔人が作った、もうひとつの身体だ」
 アレサンドロは湖で回収した包みから、五センチほどもある針と、太い糸を取り出した。
「光炉は心臓。乗り手は脳みそ。こうして筋肉もありゃあ、骨も腱もある。自力で傷を治す力だってな。人間と同じだ」 
 すでに背骨は破片が集められ、元の形に固定してある。
 そこに、革を巻いた指の腹を使い、アレサンドロが針を突き通した。

 ひと針、ひと針。それこそ全身を使っての縫合が進む。
「上手いな」
 ユウは感心しきりに言った。 
「医者みたいだ」
 器具や傷口の大きさに差はあれ、糸の断ち方、結び方はまさにそれだ。
 手ぎわもいい。
「そう言ってもらえんのは嬉しいがな……」
 アレサンドロは苦笑し、首を振った。
「こいつの整備を一年もやってりゃ、誰だってこのぐらいはできるようになる。こっちに関しちゃ、俺は……まだまだだ」
 最後の糸を結び切り、アレサンドロはオオカミの装甲板を、元通り覆いかぶせた。
「さ、次に行こうぜ」
 あとはN・Sの自然治癒力まかせなのだという。

 そして実際、二体の傷口は三日でふさがった。
 人間にすれば尋常ではない、驚異的な回復能力である。 
「光炉が無事だったのは大きかったな」
 アレサンドロは糸を抜く手も軽やかに、言った。
「供養するつもりで治してやるってのも、ちょいと複雑だがよ、もう少し、頑張ってもらわなけりゃならねえからな」

 ふたりはこの三日間、二体のN・Sをどこへ葬るかを話し合った。
 帝国に侵されず、文明からも切り離された場所。
 極力人目につかずに、たどり着くことができる場所。
 選ばれたのは、西海の秘境アルケイディア群島だった。
 ただし、その群島、実は地図にも名が載っていない。
 七つの海を渡り歩いたと自称する魔人マンタが、砦の子供たちに語り聞かせた寝物語。
 そこに登場した夢の楽園である。
 極彩色の花々。ずっしりと果汁を含んだ果実。輝く珊瑚礁。青い海。透き通る空。
 子供たちのみならず、山育ちの魔人たちも皆、美しいアルケイディアに思いをはせ、いつかきっとと語り合ったという。
 無論それだけでは眉唾ものだが、アレサンドロが言うには、海を渡ることのできた魔人たちの間では、それと知られた場所であったらしい。
 そしてもし仮に、そこが夢幻の桃源郷だったとしても、西海には『竜の喉』と異名をとるパーシバル大海溝が走っている。
 いざとなれば帝国の手の及ばぬ深海に、N・Sを眠らせてやることもできるだろう。
 ユウにも、これ以上の場所はないように思えた。
「どのくらいかかるかわからねえが、どんな回り道をしても必ず連れていく。必ずな。……でもよ、いいか、ユウ」
「?」
「もし……」
   
 ロロロロロ……。

「!」
 その、明らかに異質な駆動音に、ふたりは身体をこわばらせた。
「しっ……」
 アレサンドロは指を立て、口を開きかけたユウを制する。
 音は上空を旋回しているようだ。
「間違いねえ、鉄機兵団の、L・J《リヒト・イエーガー》だ……」 
 N・Sを元に開発された対兵器L・Jは、コクピット式の操縦方法を採用し、近頃では傭兵や土木作業員、中には格闘賭博用などにも広く普及している。
 しかし、空を飛ぶほどの性能ともなると、そうした民間機ではありえないのだ。
「通り過ぎてくれるといいな」
「ああ。それにしても……」
 アレサンドロは鋭く舌打ちした。
「嫌なタイミングだな」
 今ここで戦闘になれば、当然、ふたりは出ていかざるを得なくなる。
 日中だけは避けたかった。
「とはいえ、黙って見てるってわけにもいかねえ、か……。とりあえず、いつでも動けるようにしておこうぜ」
 ふたりは手早く身支度を整え、ユウはカラスに、アレサンドロはオオカミに隠れ、息をひそめた。
 そのうちに、
『おい、ここじゃないか?』
『む、間違いない』
『よし、降下する。アルノー隊、続け』
 声が聞こえ、アレサンドロが歯噛みする。
「クソッ、目当てはここか」
「アレサンドロ」
「わかってる」
 小声でやり取りしたふたりの身体が光球となり、N・Sに吸いこまれた。
 同時に、天井の穴より姿を現したのは、帝国三〇三式L・J。
 虫羽に見える飛行翼(フラップブレード)を装備した、下位騎士用機である。

『見ろ!N・Sだ!』
 嬉々とした声が響いたが、ユウとアレサンドロは微動だにしなかった。
『機兵長に報告!発見せり!』
『了解!』
 L・Jは、二体の背後に着水した。
『これがN・S……初めて見るな』
『おお、俺もだ……』
 ひざまずいたカラスの肩に、手がかかる。
 まさにそのとき。
 ユウの身体が動いた。
『あっ!』
 振り向きざまに刃を抜き払い、L・J一体の腰を、音もなく切り裂く。
 滑るように胴が落ち、小さな爆発と共に水蒸気が吹き上がった。
『こいつ、動くぞ!』 
 思わぬ奇襲に、帝国騎士は完全に浮き足立った。
『本隊に連絡を……うわぁっ!』
『ああ……ッ!』
 勝負は、一瞬で決まった。

『やるな』
 華麗な動作で剣を鞘に収め、オオカミを操るアレサンドロが言った。
 ユウは驚きを隠せない。
 短剣程度しか扱ったことのない自分が、これほどの長剣を、それも体勢を一切崩されることなく振るうことができる。反応速度も上がっている。
 まるで、強靭な筋肉と鋭敏な神経を、全身に移植されたかのように。
 これがN・S。
 ユウは胸の内で、うなった。

『時間がねえ。いいか、ここからは別行動だ。互いが、奴らを引きつけながら逃げる。デローシスの中央図書館、歴史書のコーナー。先に着いた方がそこで待つ』
『わかった』
『待て、あとひとつ』
『ん?』
『ヤバイと思ったら、迷わずN・Sを捨てて逃げろ』
『ッ!……どうして!』
『奪われたら奪い返してやりゃあいい。だが俺たちは、捕まりゃおしまいだ』 
 ユウの腕を握るオオカミの手に、力がこもった。
『いいか、ユウ。信じるも信じねえもねえ。お前にカラスを預ける。だが、そのためにお前を死なせるのもごめんだ』
『アレサンドロ……』
『頼むから、無茶はしてくれるな。いいな?』
『……わかった。あんたも』
『ああ、生きてまた、会おうぜ!』  
 オオカミの拳が、ドーム外壁を打ち抜いた。


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