たとえば、変わらないものがあるとしたら。
永遠に続くものがあるとしたら。
変わらないことで、変わることがあるのだろうか。
針でちくちくと刺されるような冷たい空気。
うっすらと靄がかかったまとわりつくような寒気。
どんよりとした重い雲が空を覆いつくし、もしかしたら雨か雪か降りそうな、そんな天気。
家の中は外の空気と同じように張り詰め、暗い。明かりはまだ灯らない。
私はぼんやりと縁側に座っていた。
この家の主、みっちゃんは庭いじりが好きで、私の目の前に広がる四畳半にも満たない小さな庭に、たくさんの木や花を植えている。
だが、冬に咲く花はほとんど無い。
生気のないしおれた草花が花壇を覆い、家の境目に植えた木が茶色くなった葉をカサカサと鳴らす。黄土色の絵の具だけで描いたみたいな庭。
唯一冬に咲くサザンカは、ここ数年花をつける回数も少なくなり、今年にいたってはすっかり元気をなくして枯れかかっている。
そんな寂しさ漂う庭だけど、私はぼーっと眺めているのが好きだ。
季節は移ろう。春には春の、夏には夏の、秋には秋の、冬には冬の、その時にしか見せない顔がある。今はこんなになってしまった庭だけど、毎年毎年違った顔を見せ、私の心を和ませてくれる。
ずっとずっとここで、それを見ていられたら。なんて幸せなんだろう。
「お嬢さん」
少し寒くなってきて、裸足の足をかばうようにあぐらをかいた時だった。
庭の片隅に、奇妙奇天烈な人間が、突如姿を現したのだ。
いつからそこにいたのだろう。枯れたサザンカの木の前に、真っ赤な服を身にまとった小太りのじいさんが、作り笑いのような薄気味悪い笑顔で立っていたのだ。
「泥棒がいる」
「いや、あのさ、こんな格好の泥棒いないからね」
真っ赤な格好をしたそのずんぐりむっくり体型のじいさんは、丸いメガネをくいくいと人差し指で直しながら、私の元に歩み寄ってきた。
「みっちゃん! 泥棒がいるよ!」
「サンタクロースだから! サンタ!」
じいさんは慌てた様子で私のもとに走り寄り、私の口を手で塞いだ。
赤い手袋についた白いモアモアが鼻をくすぐり、私は思いっきりくしゃみをかます。鼻水がじいさんの手袋についてしまった。
「汚いんですけど」
「そのモワモワした服が悪い」
じいさんは顔をしかめ、細い目をさらに細くして私を睨んできた。
今この人、自分のことサンタって言った? 三太の間違いじゃなくて?
「メリークリスマス! サンタさんがプレゼントをあげるよ!」
そう言って、自称三太は両手を大きく振った。ぶちぶちと洋服の糸が切れた音がしたのは聞こえなかったふりをしておいてあげよう。
すっかり忘れてたけど、今日はクリスマスなんだ。
「私が知ってるサンタは赤い服じゃない。赤い服のサンタはとある企業の広告により生まれたわけで、正式なサンタは赤くない。つまりあんたはサンタじゃない。というわけで、帰れ」
「なにそのトリビア。おじちゃんの言ってること総無視?」
「リストラにあって仕方なくサンタやってるケーキ屋アルバイトのじいさんなんでしょ? 帰れ」
「ひどくない? おじちゃん、サンタなんだけど、まじで」
「かわいい女の子をひっかけるためにサンタの格好でナンパしてる、いい歳こいて露出狂のおっさんなんでしょ? 帰れ」
「露出一切してないじゃん!」
胡散臭いくらいに伸びた白い髭は、この家でなぜか額縁に入れて飾られている大昔の紙幣を思い起こさせた。ひげが二股に割れている偉人、板垣退助が脳裏をよぎる。
いや、板垣退助に失礼か。このサンタの格好をした、いかがわしいじいさんはこれでもかというタレ目の細目で、にやけた薄い唇はエロオヤジそのものだもの。
「サンタさんがクリスマスの夜に何の用? 売れ残りのケーキならいらないから」
「だから、リストラにあって仕方なくサンタやってるケーキ屋アルバイトのじいさんじゃないからね」
「じゃあ、毎年クリスマスになると『プレゼントくれよ〜!』って言われていじめられる、親に文句のひとつも言ってやりたい名前を付けられたかわいそうな三太なんでしょ」
「サンタ違いだからね、それ」
じゃあ、なんなの。
色んなところで描かれているサンタの姿そのままだけど、サンタなんているわけない。
「おじちゃんは本物のサンタで、本当に欲しいものがある子のところにだけプレゼントを届けてるんだよ」
「本物のサンタだって証明はあるの? トナカイもそりも無いじゃん」
サンタと言えばトナカイとそりだ。あれをシャンシャン言わせて登場するのがサンタであって、いきなり庭の片隅に幽霊みたいに現れるやつをサンタとは言わない。
「そこのTIMESに停めて来たから、ここには無いよ」
「TIMESって駐車場だよね……」
「一応乗り物だからね。また駐禁くらったら、おじちゃん免停なのよ」
トナカイに乗るのに、免許いるんだ……。しかも何回駐禁くらったの? ますますうさんくさいんですけど。
「ほれ、プレゼントあげるんだから、とりあえず信用しなさい。本当に欲しいもの、あるじゃろう?」
「本当に欲しいもの?」
「そう、本当に欲しいもの」
そう言って、じいさんはにっこりと微笑んだ。ほっぺがまあるくなって真っ赤になる。こんなサンタのポストカードをどこかで見たことがある。
「欲しいもの……」
「何でも言ってごらん?」
あ、なんだか、このじいさん、えびすに似てる。ビールの。
「永遠の命がほしい」
「なにその魔王っぽい発想」
「だめなの?」
「だめじゃろ」
「だめなのか……」
ううん。一番欲しいものだったのに。
「じゃあ、何もいらない」
「まじで? 欲深いんだか欲が無いんだかわからんお嬢さんだね」
じいさんは縁側にどさりと腰を下ろしたが、床がひんやりと冷たかったのだろう。すぐに腰を上げ、私をちらりと見た後、また座った。
霜が降ったように白くなった床はじっとりと冷たいはずだ。じいさんはやせ我慢しているのか、引きつった笑みを浮かべて、また私に目を向ける。きもい。
「お嬢さん、寒くないのかい?」
そう言われて、初めて自分が寝巻き用の着物とひざかけという肌寒そうな格好だったことに気付く。寝起きのままだった。
「少しはね。慣れたよ」
「どうしてこんなところにずっと座っているんだい?」
「ここが好きだからだよ」
「どうして好きなんだい?」
どうして? 好きに理由はいらないじゃない。私はここにいるのが好きなんだ。放っておいてよ。
「お嬢さん、いつからここにいるの? いつまでいるの? 風邪引くよ」
おせっかいなじいさんだ。私はじいさんを無視することにして、あぐらをかいた膝に肘をつき、そのまま頬杖をする。
少し冷えた手にホッと吐息を吹きかけると、指先がじんじんと疼いた。
「ねえ、サンタのじいさん」
「なんだい?」
「私が欲しいもの、わかる?」
「永遠の命って言ってたじゃろ」
「そう、永遠が欲しいの」
乾いた土は灰色。空はどんより真っ黒。この庭の草木はぐったりと土気色。
どうしてこんな色に染まってしまったのだろう。
ここには、暗くにごった淀みしかない。
「おじちゃんには、永遠はあげられないよ」
「しょせんサンタと言ってもその程度か」
「お嬢ちゃん、やっぱり魔王でしょ?」
いつからこの庭から煌くような生気が無くなってしまったのだろう。
みっちゃんの大事にしていた庭が、どうしてこんな姿になってしまったのだろう。
私の大好きな庭は、今、死のうとしてる。
「あのサザンカに永遠をあげてよ」
「いや、だからね、永遠とか、無理!」
「話は最後まで聞け」
「はい、すんません」
じいさんが素直に謝ったから、私は「ふんっ」と鼻息を吐いて、すぐに続きを話す。
「ずっとじゃなくていいの。この家にみっちゃんが戻って来るまででいいの。あのサザンカが咲いたら、きっとみっちゃんは帰ってきてくれる。みっちゃんが戻ってきて、庭の手入れをしてくれたら、この庭はまた活気付くよ。そしたら、サザンカにとっては永遠じゃなくても、この庭に永遠が戻ってくるの。だから、サザンカを元気にしてよ」
みっちゃんが植えたサザンカ。
冬に咲く、白い花。真っ白な花弁を大きく開き咲き誇る。
みっちゃんは、サザンカが大好きだった。あの白い花が咲くと、この縁側に座り、ずっとじっと眺めてた。
私はみっちゃんの横で、ほのかに甘い香りがつんと鼻腔を通り抜けていくのを感じていた。
今でも思い出す。あの香りと、みっちゃんと見た、白い清廉な花。
冬の寒さの中で、それでも艶やかに咲く花は、みっちゃんにとって世界一の花だった。
だから、きっと目印になる。
「そのくらいなら、能無しのサンタのおじさんにも出来るでしょ」
「恐ろしいくらい上から目線なのね、お嬢さん」
じいさんは寒そうに両腕をさすって立ち上がり、そっと枯れたサザンカに手を触れた。その一瞬、まるで春の陽光のような、秋の木漏れ日のような温かな光が波打った。
空気を震わすそれは、私の体を貫いてとくんとくんと波紋を広げてゆく。
そうだ、この音は。
――生命の吐息の音。
どこか懐かしく、温かく、そして、なぜか哀しい。
失われた、優しい音。
「お嬢さん、欲しいものは確かに贈ったよ」
「花はいつ咲くのかな?」
「明日には咲くよ」
じいさんはくもったメガネをキュッキュッと赤い手袋で拭きながら、私の手を取った。目を細め、柔らかな笑顔を私に向けてくれる。
「まだ、ここにいるかい?」
「うん。だってここは、私の家だから」
サンタのじいさんは小さく肩をすくめると、頭にかぶった間抜けな赤い三角帽子を脱いで会釈した。おお、見事につるっぱげ。
私の視線に気付いたのか、じいさんは慌てた様子で帽子をかぶり直し、「じゃあお元気で」とウィンクした。
じいさんの姿は、雪がいつの間にかとけてなくなっていくみたいに消えていった。
私は頬杖をついたままそれを見送り、大きく息を吐き出す。
なんだか、ちょっと寂しい。口から自然に歌が零れだす。
そっと口ずさむ、クリスマスの歌。
ねえ、サンタさん。
この庭を愛した人は、私を残してどこかへ行ってしまった。
本当はわかってるの。もう帰ってこないこと。
だけど、ずっと過ごしてきたこの場所から、私は離れられなかった。
みっちゃんは腰の曲がったおばあちゃんで、私はみっちゃんに気付かれることはないのに、それでもずっとそばにいた。
小さいころに死んだ私は、この場所を百年二百年と守ってきたから。
たくさんの人がここで生きて死んで、そして、みっちゃんが最後の人になってしまった。
私はひとり、息吹を無くし消沈するこの庭をただずっと眺めていたの。
だって、私には何も出来ないから。
見ているしかなかった。
誰かがまた、ここに命の花を咲かせてくれる日をずっと待っていた。
サンタさん、しょうがないから感謝するよ。
ねえ、もし、もしも。
明日咲く花を見たら、この暗い家に光はもたらされるだろうか。
今日口ずさむ歌が、あの花に届いたら。
きれいに咲いて。鮮やかに咲いて。
そして誰かが、あの花に気付いてくれたら。
この家に、誰かが帰ってきてくれたら。
そうして、笑顔が戻ってきたら。
私はまた、誰かの新しい生活が健やかになるように、平穏であるように、見守っていくだろう。
命の循環は変化をもたらすと同時に、永遠を作り上げる。
この庭に、みっちゃんが遺した命が戻ってきたら、きっと。
きっと、何かが変わる。
だから今日は歌い続けよう。
サンタさんからのプレゼントが、夢を伴って開かれると信じて。
明日咲く花が、私の夢を叶えてくれると、願いながら。
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