17 inch HEAVEN
僕の目の前で男が崩れ落ちる。
彼は腹から血を流してる。
そう、僕が刺した。
なんで刺したのか?
話せばとても長くなる。
それにきっとこんな話誰も分かってくれない。
だから理由なんていらない。
手が震えている。
分かってたことだけれど、
人を刺すのってとても、とても怖いことだ。
でも刺した。
僕は刺した。
「知らない男の声」
ん?
え!?
ちょっと、何やってるんだ!!
な、なんだこの血!!?
ちょっと、きゅ、救急車!
救急車誰か呼べ!!
救急車と警察はすぐにやってきた。
彼は救急車で運ばれた。
僕は逮捕された。
パトカーって案外乗り心地いいんだな。
そんなことを考えた。
僕の横でお巡りさんは黙っている。
取調べは署につけば心ゆくまで出来る。
だから今僕と話すことなんてないんだ。
彼は死んだのかな?
僕も死刑かな?
少年法があるから死刑はないか。
僕まだ15歳だもんね。
署につくとすぐさま
いかにもって感じの部屋に連れて行かれる。
ここできっと色々聞かれるんだ。
僕はなんて言おう?
いや、言う事なんてなにもないさ。
僕はただ、人を刺した。
それだけだ。
「老いた警察官」
よう坊主。
お茶、飲む?
「僕」
え?
一瞬何を言ってるのか分からなかった。
だって僕は人を刺したんだ。
いわゆる凶悪犯だ。
その凶悪犯に向かって警察官が最初に発した言葉が、
「お茶、飲む?」だなんて。
「僕」
え、あ、いいです。
喉渇いてないです。
そう言った次の瞬間、
僕はとても喉が渇いていた事に気づく。
僕は何事にも気づくのがワンテンポ遅い。
自分自身のことですらも、
大事な人のことですらも。
「僕」
あ、あの、
やっぱり飲みます。
喉すごく渇いてるんです。
「老いた警察官」
あっはっは。
そうか、じゃあこれ飲みな。
ちょっと待っててくれよ。
俺の分も入れてくるからな。
老いた警察官は部屋から出て行く。
そしてお茶をもう一杯持って戻ってくる。
「老いた警察官」
ちょっとは落ち着いたかいね?
僕は黙ってお茶の入ってたコップを見つめる。
「老いた警察官」
どうだい、人を刺した気分ってのは。
俺はさすがに人を刺したことはないけど、
人を刺した奴らと何度もこうして向かい合ってきたからな。
大体想像はつくさ。
「僕」
あ、あの、
か、彼は、助かりそうですか?
老いた警察官の顔が少し強張る。
僕はそれを見つめているのが耐えられなくて、
またコップに目を落とす。
「老いた警察官」
なあ坊主、
お前が刺したんだ。
お前にはお前の理由があって刺したんだろう?
なら、そんなことをここで聞くのは筋違いだ。
そうは思わないか?
それとも、それによって
自分がどの程度の刑に処されるのかが変わってくるから、
知っておきたいのか?
僕はただ黙っている。
「老いた警察官」
お前はな、人を刺したんだ。
それがどういうことかは分かってるよな?
傷の程度によって許される問題じゃない。
相手が死のうが、助かろうが、
それはお前が刺した後の問題だ。
ここで重要なのはお前が刺した、っていう事実だ。
分かるよな?
沈黙。
「老いた警察官」
はあ、おい。
ドラマで見たか漫画で読んだか知らんが、
黙秘がこういう場面で一番いいやり方だなんて思うなよ。
お前は人を刺したんだ。
その責任を取らなくちゃいけない。
それすらも放棄しようってのか?
人を刺しといて、
責任すら負わない気なのか?
まったく今時の子供ってのは、
少年法に守られてるからっていい気なもんだよな。
刺してもどうせすぐ出られるとか思ってんだろ?
あ〜あ。
ほんとお前みたいなのが最近わんさか沸いててさ、
ほんとこっちとしては困るんだよ。
なんちゅうか、インスタントにさくっと刺しちゃうっつうの?
安易過ぎなんだよね、発想が。
「僕」
違う!
そんなんじゃない!
彼のあまりの言い草につい僕はかっとなってしまう。
僕だって分かってる。
人を刺すって事がどういうことなのかくらい分かってる!
その上で刺したんだ。
この人生の残りを全て捨ててでも、
刺さないわけにはいかなかったんだ!!
「老いた警察官」
ほう、どう違うっていうんだ?
自分だけは他の奴らとは違うってか?
なーにを勘違いしてんだか。
人を刺したら、
そこにどんな理由があれど、
どんな願いがあれど、
犯罪者なんだ。
罪びとなんだよ。
「僕」
……………
「老いた警察官」
なんだ、やっぱりだんまりか。
お前さん、ほんとぶきっちょなやつだな。
周りからそう言われるだろ?
なんだ?
急に口調が柔らかくなった?
「老いた警察官」
こういう仕事何年もしてるとな、
自分のために人を刺す奴とそうじゃない奴の違いなんて
ひと目で分かるんだよ。
お前は自分の利己的な感情や、
怒りで刺したんじゃない。
誰かの怒りを代弁したんだ。
そうだろう?
「僕」
違う。
僕は……
僕は憎くてあいつを刺したんだ。
僕はあいつが憎かったから………
誰かの為なんかじゃない。
僕のために刺したんだ!
「老いた警察官」
憎いか。
坊主、
憎しみで人を刺す人間ってのは二種類いるんだ。
『自分が受けた仕打ち』に対する憎しみに耐えかねて刺しちまう奴と、
『自分の大切な人が受けた仕打ち』に対する憎しみに耐えかねて刺しちまう奴さ。
この二つは似ているようで全くの別もんだ。
前者はいわば自己中の典型だ。
自分がかわいくて、
それを何かしらの方法で汚されることが許せないんだ。
プライドが自我を形成するその根底にあるんだよ。
後者は少し違う。
大切な人を傷つけられた時、
その人を大切に思う気持ちが強過ぎるせいで
自分の気持ちがコントロール出来なくなっちまうんだな。
自分の両目を潰されてもその苦しみを耐え凌ぐことが出来るのに、
自分の大切な人を傷つけられる事にはとても敏感な種類の奴がいる。
きっとプライドじゃなくて誇りが高いんだろうな。
「僕」
僕は………
そんなんじゃない……………
「老いた警察官」
ふ〜む。
まあいいさ。
今日はこの辺にしよう。
坊主も疲れたろ?
あんまいいベッドは用意出来んがゆっくり休め。
「僕」
………………………
「若い警察官」
あの、熊月さん。
今日は族の一斉検挙もあったせいで
留置所の方の空きが足りないんです。
どうしましょう?
「老いた警察官」
あれま、
そっか〜
奴らも捕まえてたんだったなあ。
どうするかな。
あ、そういえばあの黒坊いたろ。
あいつも今留置中だろ?
あそこでいいじゃん。
こいつもそこ放り込んどいて。
「若い警察官」
え?
そんな、いいんですか?
仮にもこいつ人刺してるんですよ?
相部屋はちょっとまずいんじゃ………
「老いた警察官」
あー、
こいつはそんな心配いらんよ。
こいつは「あいつ」を刺したかっただけさね。
他のにちょっかい出したりしないよ。
それにほれ見てみろ、こんなにおとなしい。
「若い警察官」
でもこういう子ほど何考えてるかわかんないっすよ?
何かあったら熊月さん責任取れるんですか?
僕知らないですよ?
「老いた警察官」
もういいったらいいんだってば!
何か起こったりしないからダイジョーブだって!
それに、こいつもあの黒坊も似た目をしてる。
とても誇り高い眼だ。
だから心配いらん。
さあほら、とっとと行った行った。
「若い警察官」
もう、熊月さん。
ほんとにどうなっても知らないですからね?
若い警官に連れられて留置所に案内される。
それはまるでドラマや映画で見たそのまんまのそれだった。
薄暗い部屋。
鉄格子。
汚いベッド。
「若い警察官」
ほんと問題を起こさないでくれよ?
熊月さん今年で定年なんだ。
この時期に厄介ごとがあると色々面倒なんだよ。
あの通り悪い人じゃないんだ。
だからほんとくれぐれも…………
「僕」
分かってますよ。
彼の言葉を遮り、開かれた扉をくぐる。
なんともいえない匂いだ。
そこで先客と目が合う。
独特の色をした目だ。
肌は黒い。
日本人が海水浴で焼いてなる種類の黒さじゃない。
もう、なんていうか、まんま黒人だ。
彼は数秒僕を見つめてから口を開いた。
「黒人の男」
やあ、よろしく。
ストレンジャー。
やあ、よろしく。はとてもきれいな発音の日本語で、
ストレンジャーはとてもきれいな発音の英語だった。
「僕」
……………………
「若い警察官」
じゃあ鍵閉めるからな。
なんかあったら呼べば誰か来るから。
喧嘩とかすんなよ?
常駐の警備がすっとんでくるからな。
ガチャン。
扉が閉められ、鍵が掛けられる。
「黒人の男」
なんだい?
挨拶もなしかい?
まあ、留置所で礼儀も糞もないか。
ははは。
僕は真治って言うんだ。
松本・ヘブンス・真治。
親父が向こうの人らしくてさ、
まあ、見ればわかるか。
ははは。
君はなんていう名前だい?
馴れ馴れしい人だな。
こういう人苦手だ。
でもあんまり無視して怒り出したら厄介だしな。
「僕」
白幡……
白幡 稔。
「真治」
OK.
シラハタ
まあ、短い付き合いになると思うけれど、
よろしくやろう。
彼がその黒い手を差し出す。
僕は遠慮がちにそれを握る。
ほんとは握手なんてしたくなかったけど、
僕はとっても気が小さいんだ。
だから相手に求められた事を拒否出来ない。
とても大きくて硬い手。
自分のとはまるで別物だ。
「真治」
君はなんでまたこんな所に来るハメになったんだい?
見た所、随分と大人しそうだけれど。
「僕」
人、刺した。
「真治」
へえ。
そうか、
憎かったのかい?
驚かないんだな。
この人はもっと大きな罪を犯したのかな。
まあ、どうでもいいけど。
「僕」
憎くないのに刺したりしないよ。
「真治」
そうか、そりゃあそうだ。
憎くないのに刺すなんて馬鹿げてるね。
でも、普通ちょっと憎いくらいじゃなかなか刺したりはしない。
よっぽど憎かったんだね。
一体何があったんだい?
遠慮がない人だな。
なんでそんな事言わなきゃいけないんだよ。
関係ないだろ………
「真治」
おっと失礼。
そりゃあ一言二言で言い尽くせる理由なんかじゃないよな。
僕の悪い癖だ。
興味本位でつい立ち入った事まで知ろうとしすぎてしまう。
そのせいでまたこんなとこにぶち込まれるハメにもなったんだ。
注意しなきゃな。
おしゃべりな人だな。
人見知りとかしないんだろうな。
外人だからグローバルなのかな。
ちょっと静かにしてくれないかな。
「真治」
少し、
僕の話をしていいかい?
まあ、一人事だとでも思って聞いてくれ。
こんな所だからさ、話くらいしかすることがないんだ。
僕の返事も待たずに彼はしゃべり出す。
「真治」
僕はここに入れられるのは初めての事じゃない。
むしろ常連だ。
年に何度かはお世話になってる。
なんでそうしょっちゅうこんな所にぶち込まれるハメになるのか?
半分はこの肌の色のせい。
半分はみんなのせいさ。
僕はね、ガタイに似合わずずっと虐められっこだったんだ。
僕がみんなとは違う肌の色をしているから。
子供ってのは無邪気だ。
自分と違うものを特別な目で見る。
僕はこの肌の事を言われると何も言い返せなくなってしまう。
だって、皆と違うのは事実だからね。
そして自己嫌悪になる。
「なんで僕は皆と違うんだろう?」って、
自分がどんどん嫌いになる。
皆が僕の肌を蔑むように、
僕自身が僕自身を蔑む羽目になる。
そしてそうなるとドツボさ。
みんなからすりゃあいいおもちゃだ。
いじめってのは虐められてる側が反抗しなければどんどん加速する。
ある時それがPTAで問題になった。
僕に対する虐めがね。
そこで初めて僕に対する虐めを知った母は、
決して僕を慰めようとはしなかった。
その代わりに厳しい表情で一言だけこう言った。
「誇りを持ちなさい」と。
僕はその意味を必死で考えた。
「誇り」とはなんなのか。
「人とは違う」僕が一体どんな誇りを持ちえるというのか?
こんな虐められて、やり返す事も出来ない僕が一体どんな誇りを持てるというのか?
分からなかった。
我慢する事が誇り?
やり返す事が誇り?
いや、きっと違う。
そんな事じゃない。
そしてその「誇り」ってのが何なのか分からないまま中学に進学した。
そこで僕は初めて僕以外の「いじめられっこ」と出会った。
彼には右手の人差し指が無かった。
ある時クラスメートが笑いながら彼にこう言ったんだ。
「箸も満足に持てないくせに」
僕はその瞬間に切れてしまった。
僕は我を忘れてそのクラスメートをぼこぼこに殴ってしまった。
僕は彼が実に器用に他の指を使い鉛筆や箸を持つ様をよく見ていた。
なんせ隣の席だったからね。
指が一本くらい無くったって、
とてもその事で人より劣っているようには見えなかった。
だから許せなかった。
彼の「箸の持ち方」を笑う事が。
一体どこに笑う理由がある?
どこにもないさ。
僕は先生に取り押さえられ、
職員室に連れて行かれた。
そして母もそこに呼ばれた。
先生は僕と母を責めた。
僕がしたことについて。
母は僕の顔をしばらく見つめたかと思うと姿勢を正し、
説教を続ける先生に向かってただ一言、こう言った。
「うるさいわ」ってね。
一瞬にして場が静まり返った。
顔を赤くしてプルプル震えていた先生の顔を今でも覚えてる。
そのあと何やら喚いてる先生達を全部無視して
母は僕を職員室から連れ出した。
帰り道で母は無表情な顔で僕に言った。
「私はあなたを誇りに思うわ」
と。
そして思い切りニカッと笑ってみせた。
僕はこの肌が皆と違う事を
「皆より劣った事」だと考えていたんだ。
だから僕は皆からの視線を恐れ、
皆の罵声に対して何一つ言い返せなかった。
僕自身が僕自身のそれを一番蔑んでいたから。
でも、他人の「皆とは違う所」を目の当たりにして、
それを誰かが笑う場面を目の当たりにして初めて分かったんだ。
僕は見当違いの理由で自分を蔑んでいたんだってね。
胸を張っていいんだって気付いた。
次の日、
学校に行く途中で僕が前日に殴り倒した奴とその仲間が待ち構えてた。
仕返しにきたんだね。
彼らは口々に言ったよ。
「仲間がやられて黙ってるわけにはいかねえ」
ってね。
僕だって引き下がるわけにはいかない。
母さんが言ってくれた。
僕のことを誇りに思う、と。
そう、誇りを見つけたんだ。
幸い僕はこのガタイだから、
そこいらの同い年にはちからでだって負けない。
片っ端からやっつけた。
さすがにちょっとした騒ぎになっちゃって警察が駆けつけてきた。
それが僕の初めての前科ってわけさ。
それ以来ここに来る事はしょっちゅうだ。
はあ、ベラベラとしゃべり過ぎてしまったね。
ここに来るといつも僕が初めて「誇り」の意味に気付いた日の事を思い出すんだ。
そもそもここにぶち込まれる時はいつも一人だからさ。
君みたいな話相手がいたせいで余計話が過ぎてしまったんだな。
すまないね、退屈な話だったろう?
そう言いながら
本当にすまなそうな顔で僕の顔を見つめる。
彼はとても不思議な目をしている。
黒い闇の中でその不思議な目に見つめられると、
僕は少し自己嫌悪になる。
彼を「境界線」よりこっちには入れさせまいとしている自分に対して。
「真治」
僕も君も多分何日かここで過ごす事になるだろう。
まあ、その間お互い仲良くやろう。
彼が僕に微笑みかける。
僕は彼に何かを言おうとしたけれど、言葉がうまく出てこない。
せめて笑顔だけでも返そうと思ったけれど、
それもうまくは出来なかった。
「真治」
明日は多分早く起こされるだろうからそろそろ寝ようか。
毛布は君が使うといい。
僕はなんせここの常連だからね。
このくらいの寒さは慣れてるんだ。
彼が笑いながら僕に毛布を差し出す。
「僕」
ありがとう。
やっと言えた。
あの時も言いたくて、でも言えなかった言葉。
僕はその言葉をもう一度呟いてみる。
ありがとう。
「真治」
ちょっと、どうしたんだい!?
おい、大丈夫かい?
彼が僕の肩を揺する。
僕ははっとする。
僕はそこで初めて自分が涙を流していることに気づく。
「僕」
あ……
ちょ、ごめっ………
僕は彼の手を払いのけてうずくまる。
なんで僕は泣いているんだろう?
分からない。
泣きたい事だらけだけど、
この涙の理由は一体なんだろう?
うずくまる僕に彼は毛布をかけてくれる。
僕は毛布にくるまりながら硬く目を閉じる。
………………………………………………………………………………
「若い警察官」
おーい、起きろー!
朝だぞーー!!
朝飯を食ったらまた昨日の取調べの続きだ!
ほら、早く起きろー!
僕はその怒鳴りつける声にびっくりして飛び起きる。
向かいの壁にもたれ掛かり寝ていた真治はまだ寝ぼけた顔だ。
「熊月」
んで、どうだい?
なんか話す気になったかいね?
昨日と同じ警察官だ。
なんだかとても眠そうな顔だ。
僕はやっぱり黙り込む。
「熊月」
ふうむ。
やっぱりダンマリですかい。
まあ、気長にいきゃーしょーかね。
ところでよう、
黒坊、あいつ面白い奴だろう?
毎年何度もここにぶち込まれるような奴だが、
根はとっても真っ直ぐしてる。
そんくらいはお前さんも分かったろ?
昨日一晩一緒に過ごしてさ。
「僕」
…………………
「熊月」
まあ、今日もどうせ何も話してくんねえんだろうから、
ちょっと俺の話を聞いておくれや。
俺があいつと初めて出会ったのは今から丁度2年位前だ。
当時俺はこっちに配属されたばっかりでね、
ちょっと荒れてたんだ。
何故かって?
いわゆる左遷て奴さ。
元々俺は捜査一課の警部補様だった。
ところがある時部下が失態をしでかしてね、
部下のミスは俺の経歴にも傷がつく。
だからもみ消そうとしたんだ。
んで、バレた。
半年後にはこっちに回されてた。
まあ、そんなこんなで俺はその鬱憤をお前等みたいなガキ相手に晴らしてたんだな。
いわゆるあれだ。八つ当たりってやつだ。
ガキどもの顔はどれもこれも俺を苛立たせた。
俺はこんな所でこんなガキ相手に説教たれる為に警察になったわけじゃねえ、ってな。
とても法を取り締まる人間の考えとは思えんだろ?
でもそれがつい2年前までの俺さ。
それまで死に物狂いで頑張ってきたんだ。
キャリア組みに負けまいと必死だった。
なんせ俺はたたき上げでそこまで上り詰めたんだ。
学歴もキャリアも無い。
そんな俺の誇りだったんだ。
捜査一課警部補っつう肩書きがね。
そんな誇りを奪われて、
次に回された場所でやる事っつえばガキの子守だ?
とてもじゃないが、まじめにやる気なんて起きんかったわ。
それまで一線で難解な殺人事件ばっか相手にしてた俺だ。
しょーもないガキを真面目に更正させてやろうなんて気はテンで沸きやしねえや。
片っ端から怒鳴りつけて、
泣かして謝らして、
そんなガキの表情見て気晴らししてたんだ。
ヤンキーだろうがチーマーだろうが、
一人一人取調室連れ込んで怒鳴りつけりゃあっさり弱音をあげる。
群れてなきゃなんにも出来ねえ連中さ。
そんな生活に慣れ始めた頃、
奴が来やがったんだ。
昨夜お前と一緒に留置所で夜を明かしたあいつさ。
俺は例のごとくしょっぱなから怒鳴りつけた。
最初は威勢のいいヤンキーだって大抵1時間も怒鳴りつけりゃ大人しくなる。
でもあいつは違った。
怒鳴りつける俺を見て、
哀れむように言った。
あんたの誇り、そんなもんなのかい?
ってね。
俺は激昂した。
奴を殴りつけようとした。
見事にカウンターを食らったよ。
腰の入った最高のパンチだった。
まさか署内で反撃をくらう事になるなんて思ってもみなかったからな。
もろに食らった。
周りのやつらがとっさに黒坊を押さえつけ、地面に這わせる。
男ってのは不思議なもんだよなあ。
俺はそこで気づいちまったのさ。
ああ、こいつの言ってる事、やってる事、
俺なんかより全然正しいじゃねえかってね。
ガキから本気のパンチを食らって気づいた。
60過ぎたおっさんがね。
それから俺は変わった。
この仕事の持つ意味を考えるようになった。
捜査一課だろうが、少年課だろうが関係ない。
人と人だ。
扱う相手も人、俺も人。
所属する場所の呼び名が変わったって、何一つ変わっちゃいなかったのさ。
あいつ、変な魅力があるんだよ。
分かる奴には分かる。
本物の匂いって奴だ。
お前さんも感じたんじゃないか?
いや、感じたはずだ。
分かってて俺はお前をあいつと相部屋にさせたんだよ。
僕は相変わらず沈黙を続ける。
「熊月」
まあ、何も言わなくていいさ。
俺には分かる。
同じように黙りこくってても、
昨日みたいな敵意を周りに抱いてない。
少なくとも俺と黒坊にはね。
ま、話したくなったら話してくれや。
気長に待つとするよ。
ところで話してたら喉渇いちゃったんだが、
お前さんもお茶飲むかい?
「僕」
………………………
熊月さんがお茶の入ったコップを二つ持ってくる。
「熊月」
ほいよ。
どうせ喉渇いてるんだろう?
僕は受け取り、一口だけ飲む。
沈黙。
ブラインド越しに太陽の光が差し込んでいる。
窓が少しだけ開いていて、秋の匂いがする。
白い部屋。
白い壁。
会議室とかによくあるようなテーブル。
パイプ椅子。
テーブルに乗った二つのコップ。
コーヒーを飲んだりするときに使うようなコップだ。
明らかにお茶には似合わない。
昨日も同じ風景を見たはずだけれど、
僕はまるで、それらを今になって初めて見たように感じる。
「熊月」
さて、じゃあそろそろ黒坊と交代の時間だ。
まあ、あいつを取り調べすることなんてないんだけどね。
あいつがここに来るたびに将棋をひとつ打つのが日課になってるんだ。
これがまたあいつなかなか負けず嫌いでね。
追い詰められると次の一手まで1時間でもかけやがる。
だからそろそろあいつと交代せんと今日中に決着がつかねえってわけだ。
まあ、また明日色々話そうぜや。
熊月さんがそういって僕の肩を軽くぽんと叩く。
なんだかここが取調室であることを忘れてしまいそうだ。
………………………………………………………………
その夜、僕は黒坊こと松本ヘブンス真治と少し話をした。
とりとめもないような話。
彼が実は僕と同じ年だって事が分かった。
とてもそうは見えない。
どう考えても20歳以上に見える。
外見も、話し方も。
消灯時間になり、
彼が寝静まる。
僕は昨日よりいくらかこの状況に馴染んでいる。
なんだか不思議なものだなあ、と思う。
たった二日しかいないこの場所に、
それも留置所なんかに、
なんていうか、居心地の良さみたいなものを感じている。
こんな気持ち、久しぶりだな、と思う。
僕はそんなちょっと不思議な安堵感に抱かれ、静かに眠りにつく。
………………………………………
………………………………………………………………………………
………………………………………………………………………………………………………………………
次の日、僕の取調べをした人は熊月さんじゃなかった。
なんかやたら早口な警察官。
早口過ぎて何を言ってるのかよく聞き取れない。
まあいいや。
どうせ聞き取れても聞き取れなくても、
僕はそれには答えないんだから。
熊月さんはどうしたんだろう?
昨日は確か「また明日話そうぜよ」っていってたのにな。
急に何か他の仕事が入ったのかな。
まあどうでもいいか。
………………………………………………………………………………
「真治」
どうだい?
ここの生活にも少し慣れてきたかい?
「僕」
うん、少しね。
「真治」
そうかい。
それは良かった。
留置所だろうがどこだろうが、
居心地が悪いよりはいいほうがいいに決まってるものね。
君の方は早くここから出られそうかい?
「僕」
どうだろう。
人刺した訳だから、
ここから出られても鑑別所とか、そういうところに入れられるんだよね。
それならずっとここのほうがいいかなあ。
なんてね。
「真治」
帰る場所がないのかい?
普通なら、ここから出て鑑別所に行くことになっても、
とっととそれを済ませて外の世界に行きたいと思うものだよ。
「僕」
帰る場所か。
僕の場所、無くなっちゃったんだ。
「真治」
人を刺してしまったから?
いいかい、
罪を犯したってそれをきちんと償えば君の居場所は君を受け入れてくれるはずだよ。
「僕」
ううん、
そうじゃないんだ。
刺したから帰る場所が無くなっちゃったんじゃなくて、
帰る場所が無くなっちゃったから刺したんだ。
本当は刺してから僕も死のうかと思った。
でも怖くて、出来なかった。
死ぬのがとかじゃなくて、
なんていうか、刺したことも、
生きてることも、死ぬことも、全部。
「真治」
なあ、
僕ね、最近音楽を始めたんだ。
「僕」
?
「真治」
母さんから聞かされてね。
僕の親父は昔バンドでドラムスをしていたらしいんだ。
僕は親父の顔も知らないし、
どんな人なのかも知らない。
でも、その事を知った時、まるで体に電気が流れたようだった。
かつて無いほどの衝動だった。
親父がしてたというドラムス。
僕にも出来るだろうか。
僕は親父を知りたい。
だから僕もドラムスを叩いてみることにした。
まだまだ下手糞だけどね。
もし良かったらさ、
ここを出たら、
君も僕のバンドに来ないかい?
「僕」
え?
そんな……
僕楽器なんて何も出来ないよ。
「真治」
いいんだよ。
最初は誰だって何にも出来ないさ。
もしやってみて、これは違うなって思ったら辞めちゃえばいい。
本当にこれだ!って思う居場所が見つかったなら
僕とのバンドなんてやめてその道へ進めばいい。
難しく考える事は無いさ。
間に合わせでも帰る場所があったほうが、何かと都合がいいだろう?
「僕」
……………………
「真治」
あ、嫌ならいいんだよ。
断ってくれて全然かまわない。
迷惑だったかい?
「僕」
ありがとう………
やっぱり僕の目からは涙がこぼれている。
ありがとうの言葉はまるで魔法みたいだ。
僕にとって本当に大事な言葉。
大事すぎて照れくさくて、うまく言えないんだ。
本当に言わなきゃいけない時に言えなかった。
なんで、
なんであの時に言えなかったんだろう?
ただ一言、
ただひとこと言えたなら、
こんなことにはならなかったかも知れないのに………
僕は声を上げて、しゃくり上げながら大粒の涙を零す。
「真治」
ちょ、ちょっと、そこまで泣くことかい?
真治が僕の背中をさする。
僕の涙はどんどん溢れてくる。
だめだ。
堪えていたはずのものが止め処なく溢れてくる。
「僕」
僕ね、
ずっと一人だった。
友達とか作るのが下手で、君と同じようにずっと苛められてたんだ。
だから学校に行くのが辛くて、
中学二年の途中くらいから学校に行かなくなったんだ。
クラスの皆に見られたりしたら嫌だから外にも出られなくなって、
ずっと家の中に閉じこもってた。
部屋に閉じこもってひたすら毎日を過ごしてた。
でもさ、学校に行かなくて、外にも出られないとする事がなくてさ、
ネットのゲームを始めたんだ。
なんで普通のゲームじゃなくてネットのゲームなのかって言えば、
多分寂しかったんだと思う。
お父さんもお母さんも僕の事が世間に恥ずかしかったみたいで、
居ないものとして扱うようになってた。
友達もいない。
話す人もいない。
僕はネットゲームの世界ででもいいから誰かと話がしたかったんだ。
ネットゲームの世界は現実とは全てが違ってた。
僕みたいな何のとりえもない人間だって、
敵を沢山倒せば強くなれる。
強くなった僕をみんなが認めてくれる。
僕には友達が出来た。
ネットゲームの中だけの友達。
でもね、それが僕にとって初めて出来た友達なんだ。
その友達たちの中にある女の子がいたんだ。
僕と年が同じで、同じように引きこもりをしてる子だった。
僕たちは同じ時間帯にいつもゲームをしてたからどんどん親しくなった。
彼女は僕の事をとてもよく理解してくれた。
その世界で僕には他にも友達がいたけれど、
ほとんどは僕の使ってるキャラクターの強さで繋がってるような友達だった。
でもその彼女はそんなんじゃなくて、
もっと、僕自身を理解してくれたんだ。
嬉しかった。
強さでも才能でも外見でもなくて、
ただ、僕っていう人間を見てくれた。
初めてだった。
そんな風に誰かから接してもらったのは。
僕たちはゲームの世界で恋人同士になった。
ゲームの世界で恋人だなんて馬鹿げてるよね。
でも、僕にとってそこが初めて僕を受け入れてくれた場所なんだ。
馬鹿げてたっていい。
誰が笑ったっていい。
僕たちは本当に、その時がそれまでの人生で一番幸せだったんだ。
だけど僕は次第にゲームの中だけじゃなくて、
現実の世界でも彼女に会いたくなった。
こんなに僕の事を分かってくれるんだもの。
きっと現実の僕を知っても受け入れてくれる。
そう思った。
でも彼女はそれを拒んだ。
僕の事をとても好きだって言ってくれる。
でも現実の世界では会いたくはないって言う。
その理由を僕は何度も彼女に尋ねた。
そういう話になるといつも彼女はそれをあやふやにしてはぐらかした。
でも、ある時彼女は僕に打ち明けた。
それを知られて僕に嫌われるのが怖くて今まで言えなかった。
でも騙し続けてるのはもっと辛い事だからって。
彼女は性同一性障害を抱える男の子だった。
僕はとても驚いた。
何も言えなかった。
だってもう半ば恋しちゃってたから。
どう接していいのかわかんなかった。
でもね、僕にとってその人が大切な事に変わりはなかった。
その人は初めて僕って言う人間を認めてくれた。
必要としてくれた。
本当に初めてのことだった。
その人に会って初めて
「今日が惜しい」っていう気持ちを知った。
その人に会って初めて
「明日が楽しみ」っていう気持ちを知った。
だから僕もその人の事を認めてあげることにした。
僕たちはそれまで通り恋人として過ごすことにした。
だけどある時、
僕の仲間内でその人の中身が男だって言う噂がたった。
ネットゲームって多いんだ。
男の人が女のキャラ使ったりするの。
だからある事ない事すぐ噂がたつ。
その人はそのことでとても苦しんだ。
自分の体が男である事を受け入れられなくて苦しんで、
自分の心が女である事を社会に認めて貰えなくて逃げ出して、
そうしてたどり着いた場所すら彼女を責め立てた。
彼女が僕にごめんねって言った。
僕は何も言えなかった。
何故彼女が僕に謝るのか分からなかった。
僕はどうしたらいいのか分からなくて、
ただ黙ってた。
ある日彼女はその世界からも消えた。
僕たちはその少し前に連絡先を交換してたから、
その電話番号に電話してみた。
彼女のお母さんが出た。
彼女のお母さんは「息子は死にました」って言った。
僕は彼女に会いに行った。
真っ白な顔をした綺麗な顔の子が眠ってた。
本当に女の子みたいだった。
自殺だった。
遺書も残ってる。
僕の名前もそこに記されてた。
迷惑ばっかりかけてごめんねって。
迷惑なんかじゃなかった。
本当に、本当に僕は彼女に感謝してたんだ。
ありがとうって………
ただひとことありがとうって僕が言えてたなら、
彼女の心はいくらか救われてたかもしれない。
もしかしたら死ななくて済んだかもしれない。
僕はそれを言えなかった事をとても悔やんだ。
照れくさくて、
なによりそんな言葉今までただの一度も使ったことなかったから、
どういう場面でどういう風に言っていいかさ、
わからなかったんだ。
彼女は死んでしまった。
僕は自分を憎んだ。
でも僕の憎しみは僕に向けただけじゃ足りなかった。
彼女を追い詰めた人達。
彼女の気持ちも考えないでからかい続けた人達。
彼女の最後の逃げ場すら奪った人達。
僕は許せなかった。
僕はその「噂」を流した張本人を突き止めた。
後は簡単だった。
ネットオカマになりすまして、そいつをおびき寄せた。
ネットオカマを晒しあげたりする奴って、
大抵ゲームの世界で出会った女の子と現実世界で関係を持ちたい奴なんだ。
僕はネットオカマとしてそいつと現実の世界で会う約束を取り付けた。
僕はポケットにナイフを忍ばせてその男がやってくるのを待つ。
メールで書いて来た通りの格好。
僕は声をかける。
そいつはとても驚いてた。
約束してた相手が実は男だったってね。
僕は彼女の名前を出した。
なんであんな噂を流したのか聞いてみた。
お前みたいなネカマがきもいからだって彼は言った。
気づいたらその男の腹から赤い血が出てて、
僕は逃げようか考えたけど、
足が動かなくて、頭も動かなくて、
そして捕まった。
僕はそこまでを言い終え、真治の顔を見る。
彼の僕を見つめる目がなんだか辛くて、僕はすぐに目を反らす。
数秒か、数十秒、あるいは数分の間、
そこには無機質な沈黙だけが存在していた。
彼が不意に歌を歌いだす。
とても優しいメロディー。
英語の歌だ。
僕は中学校もまともにいってないから英語なんて全く分からない。
でも彼の歌は何故だか僕の心に溶け込んでくる。
夜の留置所に、静かにそのレクイエムは響き渡る。
「真治」
赤子が生まれた時に人は歌を歌う。
人が死ぬ時に人は歌を歌う。
「声」は時として言葉よりも雄弁に語る。
僕の親父から母さんへ、
母さんから僕へ受け継がれて来た歌だ。
僕が君にしてあげられることも、
僕が君にかけてあげられる言葉も、
生憎僕は持ち合わせていない。
だからどうか歌わせて欲しい。
僕たちはその晩、夜が更け、そしてほとんど明けるまで二人でその歌を歌い続けた。
…………………………………
次の日、僕は熊月さんに全てを打ち明ける。
彼は昨日までほとんど一言も言葉を発しなかった少年が口を開いた事に全く驚かない。
ただ、優しい目で僕を見つめ、うなづくばかりだ。
僕は罪を償う。
してしまったことの罪を。
出来なかったことの罪を。
あれから何日かが経った。
僕の拘留期間はもうすぐ終わり、僕は鑑別所に送られる。
幸いナイフが小さなものだったから、
ちょっとしたかすり傷程度で済んだらしい。
真治の拘留が今日で解かれる。
彼とはしばらくお別れだ。
僕は彼に言う。
ありがとう、と。
彼はただ静かにうなずく。
秋が終わろうとしているあの晩、
毛布を僕にかけてくれた彼が震えながら夜を越したのを、
薄目を開けて見てたんだ。
朝まで、ずっと。
僕は帰らなきゃならない。
罪を償うんだ。
してしまったことの罪はここで償う。
でも出来なかったことの罪は、
これから先の人生を賭けて償う。
彼と音を奏でるんだ。
生きること。
僕には帰る場所があるから。
あの夜の歌を胸に、僕は一歩を踏み出した。
17 inch heaven... the end
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