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ミルクちゃんのこと
作者:Titania
※この文章はブログ"Titania's Little Cabinet"にも掲載しています。
 私は実際に見たことはないのだが、息子の保育園で、去年の夏頃「ミルクちゃん」という名前のカブトムシを飼っていたらしい。 その頃息子は、「今日保育園に大きいカブトムシが来たよ」「名前はミルクちゃんに決まったよ」などと、毎日のようにミルクちゃんの報告をしてくれていた。私も彼の話から、なんとなくミルクちゃんに愛着を覚えて、話を聞くのを楽しみにしていた。だが、いつ頃からか、息子は全くミルクちゃんの話をしなくなった。
 そんな先日のことだ。息子が寝る前に突然、「ママ、ママが死なないように、神様にお祈りしているよ」と言ったので、私はとても驚いた。というより、かなり動揺してしまった。息子はもうじき4歳。そろそろ死というものを理解しかけているようだ。
 おそらく保育園で飼っていた虫か動物が死んでしまったのだな・・・と思った私は、「そういえば、ミルクちゃんは?」と、息子に聞いてみた。そうすると息子は、「ミルクちゃんって・・・?」
 「ミルクちゃんだよ、保育園にいたカブトムシの」と私が慌てて言うと、息子は「ミルクちゃんはカブトムシじゃなくて、人間だったよ。」
 彼はもう、ミルクちゃんのことを覚えてはいなかった。
 小さい子供って、どうしていろいろ忘れてしまうのだろう。あんなに可愛く思っていたミルクちゃんのことまでも。冬になって随分経つから、もうミルクちゃんは天国に旅立っていることだろう。そのことに関しては、おそらくだが先生から説明があったはずだ。息子は死ぬということがどういうことか、そのことだけは覚えているのだろうが、肝心のミルクちゃんのことは忘れてしまっているようなのだ。
 そういえばディズニー映画版の「ピーター・パン」に、こんな場面があった。ネバーランドで楽しく過ごしている弟たちに、ウェンディがお母さんの話をする場面だ。一生懸命お母さんの話をする姉に対し、一番小さい弟のマイケルは、何と「お母さんて、耳が大きくて毛が生えてた?」と尋ねるのである。 彼はお母さんのことを半ば忘れていて、飼い犬のナナと混同してしまっているのだ。この場面には、人間の記憶に関する本質が表れているのではないだろうか。
 私たちの記憶というものは、何か深い印象に残る事象があった場合、その印象だけを残すものなのかもしれない。そして本当に大事なこと―例えば息子にとってのミルクちゃんやマイケルにとってのお母さんのこと―は、決して辿りつくことのできない何かとして、失われてしまうのかもしれない。私には、その何かの中にとても大切な、人間にとっての本質があるような気がしてならない。私たちのあらゆる感情―私は、それが人生の全てなのではないかと思っているのだが―は、全てそこから生まれているように思えてならないのだ。
 だから私は、せめてミルクちゃんのことをここに書き留めて、覚えていようと思う。たとえ、ミルクちゃんが息子の記憶の中から消えてしまったとしても。
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