ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
土曜日に更新できず、申し訳ありません。
後、今回は三人称ではなく、春香視点です。
第5話 私の時間
 その日は気持ち悪いくらいに暑い日でした。
 それにも関わらず、いつもは澄んでいるはずの蒼天の空はどこか憂いを帯びているように見えます。
 私たちの命を輝かせ、生の営みを照らす太陽もいつもより弱く頼りなく感じます。
 些細なことかもしれません。取るに足りないことかもしれません。
 それでも……。
 古の京の人々をじっと見渡します。人々は無邪気に笑い、自らを憂い、生を謳歌しているように見えます。
 私は恐怖を覚えました。
 何かが起きる――確信めいたものが心の隅を駆け抜けました。
 それでも私は祈ります。
 それが杞憂であることを。何も起こらないことを。
 運命の歯車は静かに動き出していました。



第5話 私の時間



 探偵の弟子兼助手である私の朝は早い。
 起きてすぐに身支度を整え、事務所に向かいます。
「おはようでやんす」
「おはようございます、湯田さん」
 帳簿と睨めっこをしていた湯田さんが、こちらに気づき顔を上げます。湯田さんもかなりの早起きです。以前理由を聞いたところ、回復薬や爆弾の調達が出来ていないのに、師匠が勝手に出発したため、ひどい目に遭ったそうです。それ以降、師匠が起きてくる前にあらかじめ準備をしているのだそうです。
 私は再び帳簿と睨めっこし始めた湯田さんの側から離れ、事務所の掃除を始めます。
 カーテンを開き、心地の良い朝日を部屋に入れ込む。そして窓を開き、空気を入れ換えます。
「はあ〜、良い天気。今日も暑くなりそうです」
 新鮮な空気を胸にいっぱいに吸いこむ。
「さ、掃除。掃除」
 箒と雑巾を手に私は掃除を始めました。



 掃除を終えた私は、師匠を起こしに行きます。師匠は寝起きが悪く、湯田さんは起こすのは無理だと言っていましたが、なぜか私が行くと師匠は起きてくれます。その理由を本人に聞いたら、間違いを犯してはいけないからとまじめな顔をして言われました。何のことかさっぱりわかりません。
 事務所を出た私の耳にびゅんっと空気を切り裂く音が入って来ます。事務所の裏に回り、槍を構えて、汗を流す女性に声を掛けます。
「おはようございます、ヤシャさん」
 私の声に、背の高いスレンダー女性――ヤシャさんは槍を止めました。
「ん、春香ちゃんやん。おはようさん」
 ヤシャさんが片手を挙げて人の良さそうな笑みを浮かべます。
「春香ちゃんも朝早くから大変やなぁ」
「そんな。ヤシャさんこそ朝からトレーニングしてるじゃないですか」
「ん、あたしのこれは習慣やからな」
 そう言ってくるりと槍を回転させ地面に突き刺すヤシャさん。やはり槍の名手です。
「今から師匠を起こして、朝ご飯にするんですけど、ヤシャさんもどうです?」
 私の言葉に少しヤシャさんはうらやましそうな顔をします。ですが、すぐにうーんとスレンダーな体を伸ばして
「うーん、じゃあ。いただくわ」
 ヤシャさんの言葉に頷いた私は、師匠を起こすべく小さな借家に向かいます。
 鍵を開け中に入ると珍しく師匠は起きていました。小さなデスクに向かって何かを読んでいるようです。
「師匠〜」
「ん、春香ちゃんか……」
 小さな封筒を懐にしまい込んで師匠が、こちらを見ます。その表情はどこか憂鬱げにも見えます。
「…………何かあったんですか?」
「いや、何もないよ」
 師匠は微笑んで立ち上がります。
「さ、事務所に行くか」
 師匠の言葉に私は頷きました。どこか憂いを帯びたその瞳を横目に。



 朝食を終えて、少しして師匠はいつものように事務所を開けます。
 ヤシャさんは朝食を食べ終えるとすぐに出て行ってしまいました。組織が崩壊した後、ヤシャさんは師匠の密偵をしているそうです。今日もその任務なのでしょう。
 ヤシャさんが出て行った後、湯田さんと師匠は何やら話を始めます。話の途中から湯田さんの顔色が悪くなってきました。
 大丈夫かと尋ねると、大丈夫でやんすと沈んだ表情で返されました。師匠も同じようです。
 しばらく依頼もなく暇をもてあましていました。師匠も同じようで分厚い本を読んでいます。
「暇ですね〜」
 本に集中しているのか師匠からは返事は返ってきません。
「もう……」
 私が師匠に向かおうとした時、ドアが開きました。
「おーい、祐介。生きてるかー?」
 ずかずかと野暮ったい格好をした男の人が入って来ます。
「親父……」
 師匠は呆れたような表情で男の人を見ます。
「つれないな。せっかく父親が会いに来てやったのに」
「借金残して息子に肩代わりさせた奴がどうどうと親のツラするなよ」
 師匠の言葉にぐっとわざとらしく男の人が心臓を押さえます。
「な、なんて奴だ。血も情もないのか」
「あんたに言われたくない」
 師匠は冷たい目で男の人を見ます。
「しかし立派になったな、お前も。こんなかわいい娘までゲットしやがって」
 男の人は懲りずに師匠に言います。そしてちらっとこっちを見てウィンクします。
「あの娘は俺の弟子」
「な、何、それは聞き捨てならんな」
「むしろあんたの行動こそ聞き捨てならないよ」
 もう師匠は疲れたような表情で返します。
「しかし、弟子と言えば、何でもしてもらえるじゃないか! あんなことやこんなことも」
「そんなのするのはお前がどっかの女にしてもらうだけだろ」
「ぐっ、俺は母さん一筋だぞ」
「嘘付け」
「まあいい。今日はまじめな話をしに来た」
 師匠のお父さんは真剣な表情になります。
「金は貸さんし、借金も肩代わりしないからな」
 師匠の言葉に打ちひしがれるお父さん。すぐに持ち直し
「ああ、自己紹介がまだだったな、お嬢ちゃん。俺は布具里。こいつの父親だ」
「実態は女好きの借金ばっかりのダメ男だ」
 ニヒルに決めた布具里さんの横で師匠が呆れながら付け足します。
「倉見春香です。よろしくお願いします」
「春香ちゃんか」
 布具里さんはにやりと師匠の方を見て笑います。
「親父、今日は何のようだよ?」
「実はな。堤と南米の方に行くことになった」
 布具里さんの言葉に師匠は目を丸くします。
「もしかして、あの遺跡か?」
「確証は無いがな」
「じゃあ、俺も」
 師匠が興奮したように立ち上がります。
「ちょっと待て、祐介」
 布具里さんも立ち上がります。そして師匠の腕を掴みます。
「…………大事な話がある」
 険しい表情で布具里さんが呟きます。師匠は私に二人で話すと言って、奥の部屋に行ってしまいました。
 私は師匠の後ろ姿を呆然と見送るだけしかできませんでした。



「あの二人の長話はいつものことでやんすから」
 湯田さんはずずっと紅茶を飲みます。私は湯田さんと一緒にお茶を飲んでいました。
「そうなんですか?」
「そうでやんすよ。七尾君が10000円(当時の1円=現在の5000円)の借金を肩代わりさせられたときも長話していたでやんすね」
「え、10000円ですか」
「そうでやんす。まったくあの時は苦労したでやんす」
 湯田さんが当時を思い出してかふうっとため息をつきます。
「そういえば湯田さんと師匠はどうやって出会ったんですか?」
 ふと気になっていた質問を湯田さんに尋ねます。
「七尾君とでやんすか? オイラがまだ駆け出しの行商人だった頃でやんす」
 湯田さんは懐かしそうに話し始めます。私は湯田さんの言葉に耳を傾けました。
「オイラはまだ別の人と行商を行っていたんでやんすが、ある日突然、大きな獣の群れに襲われたんでやんす」
「獣ですか?」
「そう。ジャングルでやんしたからね。そこに七尾君達冒険家の一団が助けてくれたんでやんすよ。まあ、それから色々あって一緒に行動するようになったんでやんすけどね」
「へえ〜、知らなかったです」
「七尾君は昔のことを話すのがあまり好きじゃないみたいでやんすからね」
 湯田さんは残った紅茶を一気に飲み干しました。そして二人が出てきたことを伝えてくれました。
 布具里さんは師匠に手を振ると私の隣にやってきて
「あいつをよろしく頼む」
 それだけ言うと立ち去ってしまいました。
 呆気にとられていた私たちを一瞥して師匠は奥の部屋に閉じこもってしまいました。
 湯田さんは私の方を見て、ゆっくりと首を横に振っていました。



 次の日、いつもより早めに事務所にやってきた師匠は私と湯田さんを見て言いました。
「昨日はすまない。いずれ機が熟せば話すから……」
 師匠は強い決意を秘めた瞳をしていました。無言で頷く湯田さん。その強さが少しうらやましいと思ってしまいました。
「約束ですよ、師匠」
「ありがとう、湯田君、春香ちゃん」
 師匠は俯き、拳をぎゅっと握りしめ、霞んだ声で答えました。
 あの日以来、布具里さんの姿を見ることはありませんでした。師匠はそれでも心のどこかで解っていたのかもしれません。
 私の心に布具里さんの残した言葉が深く残ります。
――あいつをよろしく頼む。
 この日を境に私の、そして師匠の運命は大きく動き始めました。
 運命の足音は小さく一歩ずつ近づいていました。


+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。