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海神

作者:貞治 参
 海神ハイシェンとは、15歳の少女・白華ハクランの呼称である。その名の通り、彼女は水上戦において敵う者なしの最高戦力。身に宿す御業により波を操り、敵の艦隊を轟沈させる様はまさに神の如し。海を越える数多の襲撃にもかかわらず、中つ国が侵略も受けず平穏を保っていられるのは、彼女の存在があるからに他ならない。東方の異民族には白虎バイフーとして怖れられている。群れを成した虎が駆けるが如く、怒涛の波が押し寄せてくる様子を生還した敵兵が伝えたらしい。

 神や虎というには、彼女の姿はあまりに可憐であった。年相応のあどけない顔、起伏の少ない身体、風で手折れそうな儚さ、寂しさを想起させる表情。つねに白の装束を身に纏い、楚々とした所作で歩くという。伝え聞くところによるその容貌は、数々の武勇伝と相容れぬものだった。

 彼女の武神を直接目撃するのは、これが初めてである。中つ国は東の海、視界の下半に青、上半に紺碧の空を頂く。六方に広がる戦場、その水平線上にぽつりと浮かんでいる一艘の白い船。彼女はその船上に立っている。遠くから揺蕩う船を目撃したとき、ふと頭に思い浮かんだのは「そまずただよふ」という古の句の一節だった。後で聞くところによれば、彼女にはもう一つ、海鴎ハイオウなる呼び名があるという。定めし私と同じ情感を抱いた者が軍にいたのだろう。

 さて海鴎であり、白虎であり、海神である彼女の戦陣だ。それは実に呆気なく終わった。空と海の境目に幾多の黒い影を視認したかと思えば、瞬く間に生じた遠大な津波がそれらを覆い隠したのだ。波が去り太平が戻ったときには、すでに敵の姿はなかった。強いて記述するならば、戦いの間も白船はゆらゆらと小さく揺れ続けていたということだろうか。以上の極めて簡易な描写が虐殺の全記録である。軍の方に船を出して頂いたにも関わらず、これだけの報告しかできないことを申し訳なく思う。それと同時に、海神の凄絶さをこの目で見て、改めて身が震える気持ちだ。



 海神の保護者的存在である黄純アンジンという若い女性に話を聞いた。岸へと帰る航路の上、すでに日は傾き、行く手から差す朱い日の光に右の頬が染まっている。海神の船は後からついてくるという。

「もう限界かもしれない」

 戦果にも関わらず、黄純の横顔は泣きそうにも見えた。

「『月のユェシー』という薬があるの。白華は、自身の能力増大のために毎日それを摂取してる。いいえ、私たちがそうさせている。初めはあの子、嫌がってた。それでも禁断症状の恐ろしさを身に染みて理解すると、厭うことはなくなった。そう仕向けたのは、私。軍と国に必要だったから。あの子の力が」

 拳を固く握りしめて震わせているのが目に入った。

「あの子、最近、毎晩のように我を失って叫び続けてる。理由は私には話してくれない。発作の間隔は以前よりも短くなってる。このままでは、心も身体も近い内に朽ち果てる。わかっているけど、止められない。あの子は『月の石』なしでは生きられないから。

 あの子ね、桃が好きなの。毎晩夕食後、いつも食べるのを楽しみにしてるわ。その黄桃にね、私が『月の石』を注入してるの。あの子は鋭いからとっくに気づいてる。でも、それはもうおいしそうに食べるのよ。それを見るたび、私の内側は焼き尽くされるように熱くなる。そう、これは怒り。軍、中つ国の民、それから何より私自身に対する。あの子を犠牲にして成り立っているすべてに対する」

 斜陽は益々朱くなる。

「いっそのこと何もかも――。いえ、これ以上、私がここで言うわけには、――え?」

 黄純の視線を追って左を、船の後方を見た。途端、船が大きく揺れた。

 天にまで届く高い高い波の壁が成長しながら迫っている。

 船の前方を見る。岸はもうすぐ。凪海に突如出現した大津波は、この船だけでなく中つ国東部に壊滅的な被害をもたらすだろう。血潮の如き勢いで波は全てをさらう。

「これで白華は、あの子は、独りで漂わずに済みますか?」

 私の問いに黄純は驚いたように目を見開く。それから目を細め、ええ、と短く答えた。


 *


 場面はいつも夜。黄色い月が私を見下ろしている。誰も助けてくれない。黄純、軍の人、国の民や殺した敵兵がよってたかって私の頭を抑えつける。それでも海には沈まない。呼吸が苦しく、頭が真っ白に、激痛が肺に全身に。死ぬほど苦しい思いを味わうと、顔を上げることを許される。腕にすがりつくの。私を抑えている腕に。海水を吐き出し、やっと息を吸えたと思ったら、海にざぶん。鼻から口から塩辛い水が流れ込んでくる。苦しい。海を操っているようで、溺れているのは私自身。ああ、今は、月は暗い北雲に隠れてしまってるわ。岸にも明かりは見えない。漆玄の闇ってこういうのをいうのかしら。これで私も消えてなくなる。これで――。

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