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天使長先輩と私シリーズ

虫と私の3日間戦争〜二度あることは何度もあるさ〜

作者:どくだみ
 私は激怒した。

 必ず、我が部屋に蔓延る虫たちを成敗せねばならぬと決意した。
 私には虫の言葉が分からぬ。私はただの大学生である。日々自分の食べる飯を作り、おこぼれを狙う虫たちを叩き潰しながら暮らしてきた。
 そのためか、虫に対しては人一倍の嫌悪感を抱いていた。とりわけ黒光りするあの虫が、根絶すべき最優先目標であったのは言うまでもない。名前を聞いた方がアナフィラキシーショックを起こすといけないので、ここでは代名詞を用いる。その虫、とか、例の虫、とか、名前を言ってはいけないあの虫、とかである。あの虫この虫何の虫。

『おお、我が仇敵たちよ。何故汝はそれほどにまで黒いのか。何故汝は我に仇なさんとするのか!』

 終焉の見えぬ戦いに疲れはて、そうして叫んだのも一度や二度ではない。私の住むマンションは法隆寺もかくやという程に古ぼけていた。心霊スポット一歩手前である。それがタメに、虫たちに取ってはこの世の楽園(エデン)に等しかったのだ。

 なお先に述べておくが、私はかの虫を『黒色』とする。
 噂によれば世の中には二種類の人間がいるらしい。あの虫を黒とみなす人間と、茶色とみなす人間だ。一歩道を誤ればどこぞのキノコとタケノコのごとく、戦火を交えかねない両者であるが、例の虫に敵対するという一点で手を結んでいるそうだ。実に皮肉な話である。
 閑話休題。


 ※


「ああ後輩。我が小生意気な後輩よ。彼らがそなたに何をしたというのか。なにゆえそなたは、そこまで彼らを憎むのか」

 今いる場所は大学の喫茶店である。そして目の前にいるのは我が敬愛すべき経済学部の先輩である。男の癖に髪が長い。それなのにカリスマ的で、しかも女性にもてるという罪深い御方である。なので私は、彼に天使長先輩(ミカエル)というあだ名をつけた。『調子に乗るなよ小僧』と、感激で握り拳を震わせる程に喜んでくださった。

「かの虫は、菓子を喰らいます」
「なぜ喰らうのだろうか」
「それはまさしく、繁殖のために。我が家の四面を覆う純白の壁紙を、いつしか黒い光沢で塗り潰すために。しかし住人は誰も、そのようなことを望んではおりませぬ」
「たくさんの菓子をやられたのか」
「はい、まず始めに、好物であったビスケットを。それから、秘蔵の菓子パンを。次に食パン。昨夜は、食べ途中のスナックが一枚やられました」
「驚いた。事態は切迫している」
「イエス、ミカエル」

 私は頷く。強く強く頷く。

「故にあなた様には、是非とも我々にお力添えをしていただきとうございます」
「ふむ。悪いが力にはなれん。私もそこまで暇ではないのだ」

 聞いて、私は激怒した。

「あきれた男だ。私を見放すとは、さてはあの虫の手先なのか」

 私は単純な男だった。世の中を二択でしか考えられない程に、単純であった。人はそれを馬鹿と呼ぶ。

「堕ちぶれたものだな、ミカエル!」
「だまれ、下賊の者」

 彼はさっと顔色を変えた。

「口では何とも言える、調子に乗るなよ小僧。お前はもう先がないように言うが、本当にそうか。本当に、一人では虫を退治出来ないのか」

 そう言われて、私の心に火が付いた。

「退治とは何か。やつらを一匹残らず駆逐する事か」
「左様」
「宜しい、ならばおっしゃる通り全力を尽くしましょう。ただ・・・」

 と言いかけて視線を落とし、瞬時ためらい、

「三日、三日お待ちください。それまでに、私一人で事を終えてみせましょうぞ」

 私は颯爽と立ち去る。上着の裾をバサッとはためかせて、風が吹いている感じを出した。だがしばらく歩いた所で、突然に立ち止まると頭を抱えた。

 やられた!

 自分がものの見事に言いくるめられたことに、たった今気づいたのである。
 振り返ってみても、もはや先輩はそこにはいない。

 私は両手を(そら)高く掲げ、心のなかで吼えた。


 Shit!



 オーマイガーだと思った人は、まだまだ想像力が足りていない。まことに残念である。



 ※



 ということがあったので、私は頭を悩ませていた。
 かの虫を一匹残らず駆除すると大見得を切った所で、何をすべきかまったく見当がつかぬ。兵糧攻め(ホウ酸団子)はもう試した。粘着罠(ホイホイ)も既に設置済みである。しかしそのどちらも、目に見えた効果を上げていない。効果は見えないくせに黒光りする背中はやけに目に映る。化学兵器(バルサン)を使うという手もあるが、それをすればこちらも被害を受ける。

「まったく、どうしたものか!」

 スナックを貪りながら知恵を巡らせたが、アイディアは浮かんで来ない。そのまま一日目が過ぎた。


 ※


 私がそれを見つけたのは、二日目の夜であった。
 場所はまさしく部屋のすみっこである。放射状に張られた蜘蛛の糸、その中心部には白い繭のようなもの。見覚えがあったおかげで、それが蜘蛛の卵であると私には分かった。親蜘蛛の姿は見えない。

 当初私は、激怒した。

 あらゆる手段を以てして、眼前に在る卵を撃滅せねばならぬと決意しかけた。
 しかし私は思いとどまった。何故ならそれが、他でもない“蜘蛛の”卵であったからだ。

 だから何か?そう思われた方々のために、私の叡智をここで披露しておく。

 蜘蛛は、蚊や蠅を主食とする。特にアシダカグモという種類の蜘蛛は、にっくきかの虫の天敵なのだ。糸屑のような足をシャカシャカと動かして、いとも容易く捕まえてみせる。はいここ試験に出ますよ。
 興味がある方は、お手元の端末でチャチャッと調べてみてほしい。動画がある筈だ。なお食事中の方にはお勧めできない、と付け加えたい所だが、そもそも貴方は何故にこんな駄文を食事中に読んでいるのか。マナー違反も甚だしい。
 そこの貴方。貴方のことを言っているのだ。ちゃんと分かってますか?ん?

 すなわち!この部屋から虫たちを一掃する上で、蜘蛛との共闘は益しかもたらさないのだ。無論事が済んだ暁には、スリッパによる物理的打撃で穏便にご退場頂く。平和的解決である。
 誕生がいつになるやら見当がつかないが、そこは単に待てばいいだけの話だ。


 ※


 輝かしき栄光の未来を思い描きながら、私はチップスの袋を開ける。普段より10%増量しているのに、値段は同じ120円の特売品である。畳の上に置き、酒を片手にテレビを観る。至福の一時だ。
 いやあ、自堕落最高!

 と、その時。視界の端に黒い影がよぎった。
 敵襲。私は瞬時に戦闘体勢を取った。右手にスリッパ、左手にゴキジェット。菓子の袋を背中に庇い、接近する敵に向き合う。

 下がれスナック、ここは私が食い止める!

 閃光一閃。右手のスリッパを無慈悲に振り下ろした。だがヤツはその攻撃をかいくぐると、そのまま私の股を抜けて背後へと躍り出る。余りの速さに、私の動体視力は対処が出来なかった。

 そしてついに。虫によるチップス袋への侵入を、私は許してしまったのである。

 メディッーク!

 私は激怒した。
 いかなる手段を用いてでも、この負の連鎖を止めねばならぬと決意した。
 もはや一滴の慈悲たりともありえない。食の恨みはえてして深いと言われるが、その通りだ。かの虫に汚染されたチップスなど虫酸が走る。まったく腹の虫が収まらない。きっと今、私は苦虫を噛み潰したような顔をしていることであろう。

 末代まで呪ってくれようぞ。

 確固たる思いと悔しさが、胸の奥に深く深く刻み込まれる。
 明日だ。明日私は、徹底的な報復掃除によってかの虫の住み家を一網打尽にするであろう。思えば虫とは二年近い付き合いであった。懐かしき屈辱の思い出と共に浮かび上がる、この感情は何であろうか。惜別か。これが惜別の思いというやつなのか。

 私は静かに、あの虫を袋ごと叩き潰した。グッバイ。


 ※


 翌日である。
 大学からの帰り道、私はふと、昨夜みつけた蜘蛛の卵を思い出した。これから先、彼らの世話になる部分も多々あるであろう。
 携帯で『蜘蛛の卵』と検索してみた。すると白い繭みたいな写真が出てくる。そうそうこれこれ。昨日見つけた・・・・うん?

 『セアカコケグモの卵』

 これは私の見間違えであろうか。蜘蛛は蜘蛛でもセアカコケグモだと?結構ヤバいやつではないか。さもありなん。
 途端に、嫌な予感がしてきた。セアカコケグモの卵となれば話は別だ。相手は毒持ち。卵のうちに滅却しておかねばならない!

 私は走った。メロスもかくやと言うほどに走った。猶予短し、走れよ私。



 脱兎の勢いで部屋にたどり着くと、すぐさま卵を確認しに向かう。

 そして私は、落胆した。
 卵があった所には、無数の子蜘蛛が身を寄せ合って蠢いている。背中には一筋の赤い線。
 遅かった。私は間に合わなかったのだ。

 私の振動で散らされた蜘蛛の子が、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

 い、いやあああぁ!

 悲鳴を上げる私は、とにもかくにも転げるように部屋から出た。 
 昨日の自分をぶん殴ってやりたい。蜘蛛と共闘など、まさしく虫のいい話でしかなかったのだ。

 茫然としている私の元に、件の先輩が様子を見にやって来た。

「はっはっは。そりゃ災難だ」

 私が事情を話すと、彼は声を上げて笑う。

 私は、ひどく赤面した。まさかこのような恥辱を受ける事になろうとは。

 もういっそ、このままクモ隠れしてしまいたい。
 だがそれが出来ないのが、人生というやつである。まったく虫が好かない。


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