ひらひらと、空から白くて冷たい雪の花が舞い落ちる。
今年もこの季節がやってきたんだね……
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……一年前
東京に足を踏み入れたのなんて、これが生まれて初めて。
私は行きかう人混みの予想以上の多さに、あんぐりと口をあけたまま、羽田空港のロビーから外にでた。
「この街で、あたしの夢への第一歩が始まるんだ」
ドキドキワクワクと高鳴る鼓動を落ち着けるために、深い深呼吸をして胸を押さえた。
私は川村ひかる。プロのシンガーソングライターになることを目指して、高校を卒業した今年、ここ東京に上京してきた。
「なんかきんちょ―するな……。ちゃんとうまく歌えるかなぁ」
地方とは全く違う東京の凄さに圧倒された私の心は、期待と不安でいっぱいになっていた。
とりあえずは、新住まいとなる都内のマンションに移り、それから今後のことについて色々考えた。
別に、何も計画なしに上京してきたわけじゃない。上京する前にちゃんとオーディションも受けたけど……結果は不合格。
歌唱力には多少なりとも自信があったのに、私には何が足りないの? 落ち込んでいた間、私はそのことばかりを考えていた。そして見つけた。
――路上ライブ――
これだ! と、私はギターと最低限の荷物を片手に、東京で夢への第一歩をやり直すことにした。
だけど、人前で歌うということはかなり勇気がいった。東京の人混みに馴れない私にはなおさらで、初ライブの時は声も足も震えた気がする。けれども、一生懸命に私は思いを歌った。
私の前を誰もがせわしなく通り過ぎ、私の歌に耳を傾けてくれる人なんて誰もいなかった。
馴れない東京、冷たい人混み、私は疎外感を感じられずにはいられなくて……故郷が恋しかった。お母さんやお父さんに無性に会いたくなった。
あふれようとする涙をこらえながら、私はギターを弾き続けた。この歌声と音色が、いつかは人々の心を惹きつけるようになるんだと、そう思い続けた。
カレンダーの数字が11月から12月に変わり、私が路上ライブを始めてから二週間が過ぎようとしていた。
この頃になると、時々立ち止まっては私の歌に耳を傾けてくれる人もでてきた。けれども誰もがみな、時間に追われていなくなる。
私には人を惹きつける才能が無いのかな……と、期待よりも今はそんな不安がつのり心を埋め尽くしてゆく。私は浮かんできた涙に顔を俯け、唇をくいしばってたえる、そんな時だった。
……パチパチパチ
小さな、だけどとても温かな拍手が聴こえた。
「……っ」
顔を上げると、私の前には皺だらけの目尻を細めて、優しげに微笑みながら拍手をくれるお婆ちゃんが立っていた。
「うまい…うまいねぇ」
「あ、ありがとうございます…!」
私は嬉しくて嬉しくて、勢い良くお婆ちゃんに頭を下げたら、あふれた涙が頬を伝った。
「折角の可愛い顔が台無しになっちょる、泣きんしゃんな。これで拭いんしゃい」
お婆ちゃんはそう言ってハンカチを取り出すと、私の頬を拭ってくれた。東京で初めて触れた人の優しさに、泣くなと言われたけど、よけいに涙が流れてきた。
それはすさみ始めていた私の空に、一筋のきらめく光が降り注いだ瞬間だった。
それから、次の日もその次の日も、お婆ちゃんは毎日かかさず私の歌を聴きに来てくれた。
ある時、お婆ちゃんが私にこんな事を言った。
「ひかちゃんの歌を聴いちょると、孫を思い出すねぇ」
「お婆ちゃん、お孫さんいるの?」
「花奈美ゆーんだけどね、ひかちゃんみたいに歌がうまくてねぇ……。でも、去年事故でね……」
「……ごめんなさい」
「なんね、ひかちゃんが謝ることはなかよ。婆ちゃんにとって、ひかちゃんも可愛い孫だけんね」
お婆ちゃんのこの優しさが、嬉しくて、励まされて、私はお婆ちゃんの為に歌いたいと本当に思った。
この時初めて気がついた気がする……。それまで私は、周りの聴衆の事ばかり気にしていたから。誰も私の歌に耳を傾けないはずだった。私の歌には、誰かの為に歌うという気持ちがこもっていなかったのだから……。
ショーウィンドのガラスに映る空は、全体に灰色を散らしたような曇り空。
私は首をマフラーにうずめて、息を両手に吐きかけた。霧のように白い気体が、刺すように冷たい風に流されて消えていった。
今日は雪が降るかな……。そんな事を考えながら、私は今日も歌う。最近はめっきり寒くなり、歌っていると喉が痛くなることも増えた。
お昼が過ぎ、そしてそのうち向かいの公園にある時計の針が6時で重なった。
「お婆ちゃん遅いな〜、今日は来ないのかな」
それまで毎日かかさずに来てくれていたお婆ちゃんが、今日はまだ来てない。
「なにか用事があるのかな」
結局この日夜になっても、お婆ちゃんは来なかった。
街頭はすでに数日後に迫ったクリスマスの色一色で、ライトアップされた大きなクリスマスツリーには、たくさんの飾り付けやイルミネーションが施されていた。
すぐそこの通りでは、ケーキを売るサンタやトナカイが、大げさに愛嬌をふりまいている。
「もう……クリスマスかぁ。あともう少しで今年も終わりなんだぁ」
私は帰路の途中、しみじみ上京して来てからを振り返ってみた。毎日が忙しくて、ゆっくりする暇なんかなかったな―…なんて考えながら、ふとある思いがよぎった。
「そうだ、クリスマスの日はお婆ちゃんに何か歌を作ってプレゼントしようかな」
お婆ちゃんへの感謝の意を込めて、私は朝方まで作曲に夢中に取り組んだ。
『メリークリスマス♪』
今日はクリスマス。着ぐるみのサンタが、道ゆく人々へとお馴染みの言葉をかければ、街頭にはクリスマス独特の音楽が流れている。
この日ばかりは、通りは家族連れや恋人達の割合が大半を占めている。
「お婆ちゃん……今日は来てくれるかな」
早くお婆ちゃんに曲をプレゼントしたくて、私ははやる気持ちを抑える反面、今日もお婆ちゃんは来なかったらどうしようかと、寂しさ混じりの不安を抱えていた。
朝方私の前を家族で仲良く過ぎていった子供が、夕方になると大きなプレゼントを両手で抱えて両親と過ぎていった。
やっぱり、待ってみたけどお婆ちゃんは来なかった。もしかしたら、なにかあったのではないかと、さらに不安が募る。
その時……
「ひかちゃん」
待ちわびた声が聞こえた。
「お婆ちゃん! ずっと待ってたの、来なかったから心配してて……どうかしたの?」
やっとお婆ちゃんに会えた嬉しさで、私はつい叫んでいた。お婆ちゃんはにこにこ笑ったまま、スッと何かの紙袋を差し出してきた。
「これを私に? もしかして、プレゼント? ありがとうお婆ちゃん」
中を覗くと、そこには暖かそうな手編みの靴下と手袋が入っていた。薄ピンク色の、心のこもった贈り物。
「ありがとう……私、大切にする」
私が喜ぶのを見たお婆ちゃんは、すごく嬉しそうに目尻を細めた。そして、一言……
「ひかちゃんの歌が、もう一度聴きたくてねぇ」
歌ってくれるかい? お婆ちゃんのリクエストに、私は誠心誠意応えた。
お婆ちゃんの為に書き下ろした曲を、お婆ちゃんの為に真心を込めて歌った。
私の歌声に共鳴するかのように、天から白い雪の花が舞い降りる。
ひらりひらりと、鮮やかな白が東京の街を優しく満たした。
私の歌は行き交う人々の心にじわりと染み込み、自然と流れが、人々の歩みが止まった。私の歌は彼らの心を、ひしと繋ぎとめたのだ。
「ひかちゃん、ありがとう。……最後にひかちゃんの歌が聴けてよかった」
「……え?」
「ひかちゃんの歌は人を幸せにする力がある。大丈夫、婆ちゃんがちゃんと保証する」
「……お婆ちゃん?」
お婆ちゃんの体から、ふわりと光が現れた。それは曇り空を漂いながら、じょじょに天に向かって吸い込まれているかのようで……
「お婆ちゃん……やだ……いかないで!」
「ありがとう、ひかちゃん」
「……お婆ちゃん」
私は消えていくお婆ちゃんの手を握りしめて、必死に笑顔をつくろうとした。泣くもんか……私が泣いたらお婆ちゃんが悲しむ。
けれど、いくらとめようとしても、あふれる涙はとめどなく頬を伝わり、ポタポタとお婆ちゃんの手のひらに雫をこぼす。
「なんね、泣いたら折角のべっぴんさんが台無しになっちょる」
お婆ちゃんはしょうのない孫だねぇ…と、私の頬を皺だらけの指で拭ってくれた。
「……っ、えへへ」
頬を濡らし、赤く腫れた瞼をした私のはにかんだ笑顔に、お婆ちゃんも満足げに頷いて、最後にこうつぶやいた。
「本当に、ひかちゃんに会えてよかったよ。もう、婆ちゃん何も思い残すことはなか」
お婆ちゃんの体が淡い雪の光と同化するように、ゆっくりと、ゆっくりと消えていった。
******
クリスマスの翌朝、私は真実を知った。
お婆ちゃんが私の路上ライブに来なかったあの日、近くの交差点では交通事故があり、乗用車にお年寄りが跳ねられていた。そのお年寄りは病院に搬送されたけど、翌日の朝に静かに息をひきとった。
とても大切そうに、薄ピンク色の手編み靴下と手袋の入った紙袋を抱えたまま……
きっと、私の前に現れたのは、最後に一目元気な私を見て安心したかったんじゃないかと、この話をしてくれたおじさんが言っていた。
あれからもう三年が経ったんだ……
今年もまた、クリスマスの季節がやって来た。
――お婆ちゃん
――私は今、自分の手で夢を掴みました――…
願わくばこの歌声が、天国のお婆ちゃんのもとへ届きますように……
END |