よいこ わるいこ ふつうのこ
夏も近づく蒸し暑い休日の昼間。
住宅地から山手に外れた桜山公園には、多くの人が訪れます。
公園の前には一軒のコンビニエンスストアがあり、暑気に誘われて、こちらにも人が入っております。
売れるものといえばもっぱらドリンクの類で、買った客は涼しい場所を求めて公園に向かうか、またはその場で開けてしまいます。
そんな人の流れを見ながら、コンビニ前で休んでいるひと組の男女がおりました。
年頃はともに一七、八ほどでありましょうか。
「ねぇ、良い子くん」
「なんだい悪い子ちゃん?」
「ああゆうのってどう思う?」
「ああゆうのって?」
「ほら、あのペットボトル」
女の子のほうが、駐車場の止め石の上に置かれているペットボトルを指差します。
「ああ」
男の子のほうは、ためらいなく女の子の指差した先へと歩きはじめました。
「なあ良い子くんや」
と、女の子が呼びとめます。
「なんだい? 悪い子ちゃん」
「きみはいま、なにをする気だった?」
「ペットボトルを、ごみ箱に捨てるつもりだったよ?」
男の子が不思議そうに首をかしげます。
女の子のほうは、そんな男の子にため息をつきました。
「駄目だよ、良い子くん。ほら、見てみなよ、あのペットボトルを」
「なに?」
「ちょうど蹴りやすい高さにあるだろう?」
「まあ、蹴りやすくはあるだろうね」
「そして向こうにはプルプル震えながら日向ぼっこしてるお爺さんのつるつる頭がある」
「その言い方はどうかと思うけれど、まあ、いるね」
「あの輝かしいゴールにシュートを決めてみたいと思わないかい?」
女の子は、素晴らしい思いつきだというように、晴れ晴れとした笑顔でのたまいます。
「思わないしやっちゃだめだよ。かわいそうじゃないか」
まっとうな答えを返し、男の子はペットボトルを拾い上げてごみ箱に捨ててしまいました。
「ちぇ、相変わらず人がいいんだから」
女の子が苦笑交じりに舌打ちすれば。
「悪い子ちゃんは意地が悪いね」
男の子もさらりと応じます。
「……そう言えば、あの娘はまだなのかい?」
「携帯が不通だから、乗ってる電車が地下を通ってるんじゃないかな?」
ふつうの子はまだ来ません。
◆
蒸されるような一日です。
コンビニの前で休んでいる男の子と女の子も、ときおり涼をもとめて店の中に入ります。
「あっ、悪い子ちゃん。あれを見てみなよ」
ドリンクコーナーの前にいた男の子が、不意に出入り口を指差しました。
「なんだい良い子くん?」
女の子も釣られて首をのぞかせますと、重たいドアを一生懸命押して入ってきた幼い女の子の姿がありました。
「ちっちゃい女の子が来たよ。かわいいね」
「……良い子くん? キミ幼女趣味とかないよね?」
「なにが?」
「……いや、いいよ。なんだか私の目がすごく汚れてる気分になった」
きらきらとした瞳を向けてくる男の子に、女の子は肩を落とします。
だけど、それも一瞬のこと。すぐに女の子の瞳が輝きだしました。
「おやおや、あの子、お金を落としちゃったのかな? 泣きそうな顔になってるよ? 良い子くん、買ってあげるかい?」
「それは良くないよ。見ず知らずの人にお菓子を買ってもらうことを覚えさせて、もし変質者に引っ掛かったらどうするのさ? 取り返しのつかないことになるかもしれないんだよ?」
女の子の冗談に、男の子はまっすぐに答えます。
本当に幼い女の子のことを考えた言葉です。女の子はなにも言えません。
「でも、放っておくのもかわいそうだね。おうちの人に連絡してあげよう」
男の子はそのまま幼い女の子のところへ行って、なにやら話しかけています。
男の子のほうに邪気がないので、子供も気を許した様子です。女の子が同じことをすれば二秒で泣かれるでしょう。
しばらくして、男の子は戻ってきました。
「親御さんに連絡したよ。すぐに来るってさ。良かったね」
「はいはい、いいこいいこ」
「……どうしたの? おもしろくなさそうな顔して」
気のない返事をする女の子に、男の子は顔をのぞかせて来ます。
「幼女に構うヒマあるなら、わたしに構いなさい」
ちょっと拗ねた声でした。
男の子はいたずらっぽく微笑みます。
「そうだね、どうしたらいい?」
「……真顔で聞くなよ。照れるじゃないか」
女の子はすたすたと出口に向かいます。
ちょうどその時、ラジオのニュースが、事故による電車の不通を伝えました。
「ふつうちゃん、ひょっとしてまたこれに引っかかってる?」
「それっぽいねぇ……」
ふつうの子からの連絡は、まだありません。
◆
コンビニを出たふたりは、また店の前で休んでいます。
「さっきの話だけどね、悪い子ちゃん」
「なんだい、良い子くん」
「悪い子ちゃんに構いたいんだけど、どうすればいい?」
女の子はちょっと思案顔になります。
「……じゃあ、良い子くんの財布がほしい」
「ただの願望じゃん、てかいやだよ」
「ちぇ。じゃあ中身だけでいいよ」
「妥協したみたいに言ってるけど全然妥協してないでしょそれ」
「じゃあ見せてくれるだけでいいよ」
「それなら、まあ、いいけど。大したものも、大した額も入ってないよ?」
男の子が女の子に財布を手渡します。
女の子は自分の物のように遠慮なく中身を改めはじめました。
「ふむふむ、カード類に現金が……結構入ってるじゃないか」
「そうかな? 普通だと思うけど」
「だって、わたしなんか自分の財布持ってない」
「そう言っていつも人に奢らせてるよね、悪い子ちゃん」
「他人の財布ならときどき持ってるんだけどね」
「届けようよ警察に! そういうのは! ――って悪い子ちゃん? いまこっそりなにを入れたの!?」
女の子が財布になにか忍ばせたのを、男の子が目ざとく見つけました。
「ナンデモナイヨ」
「なんでもないじゃないでしょ、いまカードの間になにか挟んだよ?」
男の子が財布を取り返して改めます。
出てきたのは男性用避妊具――コンドームでした。
「……悪い子ちゃん、なんでこんなもの入れたわけ?」
「女の子に言わせるなよ。恥ずかしいじゃないか」
開き直ったように女の子が言います。
男の子が疲れたようにため息をつきました。
「女の子は普通こんな悪戯しません……っていうか絶対いたずら以上の意味ないでしょ悪い子ちゃん」
「いや? 普通にあるよ?」
「どんな意味?」
「――愛だよ。良い子くん。財布の中身を母君に見られて、きみが気まずい思いをしているところを想像しただけで、なんだかおなかの下がむずむずしてくるんだよ」
「女の子が簡単に愛とか言っちゃいけません――というかそれは絶対愛じゃない」
「なんだって!?」
真っ当すぎるほどの男の子の突っ込みでしたが、女の子はショックを受けた様子です。
「――じゃあ良い子くんがキャンキャン泣いてるところが見たいとか、抵抗しながらも淫らな快楽に堕ちていく姿を見たいというこの感情も、愛じゃないとでも?」
「それは欲望。というかそんなこと考えてたの悪い子ちゃん?」
「なんと。じゃあわたしはちっとも全然まるっきり良い子くんを愛していないとでも言うのか!? こんなにも良い子くんをいぢめたいのに!」
「それが本音だとしたら、やっぱり愛してないと思う……」
男の子の表情にはあきらめの色しかありません。
たいする女の子の表情も、まったく無駄に深刻です。
「なんと、なんと……いや、まてよ? 良い子くんのほうが間違っているという可能性もある。良い子くんはピュアだ、純真だ、きっと童貞だ。まだ未成熟過ぎてわたしのような愛の形を認められないのかもしれないじゃないか」
「こんなとこで大声でなに言ってるのさ悪い子ちゃん。だいたい勝手に決めつけないでよ。僕に経験がないって誰が言ったの?」
最後の一言で、女の子の時が止まりました。
「なん……だと……?」
「いや悪い子ちゃん驚きすぎ」
「ふつうちゃんだな? あいつだないやあいつに違いない良い子くん喰っちゃうバカなんてあいつしかいない! もー! もー! もー! なんで取っちゃうのさわたしが奪うはずだったのにーっ!」
女の子は火がついたようにまくし立てます。すこし涙目です。
「興奮しすぎだよ悪い子ちゃん。というか想像飛びすぎだよ悪い子ちゃん、決めつけるなって言っただけなのに」
男の子の言葉で、女の子がまたぴたりと動きを止めます。
「……なんだ驚かせてくれる、焦っちゃったじゃないか。
はは、そうだよね、良い子ちゃんな良い子くんが婚前交渉とかするわけないよね?」
「そういえば選挙が近いねー」
「露骨に話をそらさないでくれるかな良い子くん!」
「いや、時と場所をわきまえようよ悪い子ちゃん。ここコンビニの前なんだよ? こんなところでする話題じゃないでしょ」
男の子は声をひそめます。
たしかに公衆の面前でする話ではありません。
「わたしにとってはすごく大事な問題なんだよ良い子くん。いいじゃないか別に店の人に顔をしかめられようと、クラスメイトに気まずい思いをさせようと」
女の子の言葉に、今度は男の子のほうが驚きました。
「いたの!?」
「うん」
「なんで言わなかったの!?」
「いや別に顔知ってるだけのヤツだし、見ちゃいけないもの見たみたいな顔してまわれ右していったし」
「ああーもう、横着なんだから……で、その子来たの、いつ?」
「コンドームの話してた時」
「気まずすぎる! どうして言ってくれなかったのホントに。その場で説明してたら簡単に誤解解けたのに!」
「良い子くんの困った顔が見たかったから」
「なんでそんなイイ顔して言うの!?」
男の子の困った顔を見て機嫌が直ったのでしょう、女の子の表情がからりと晴れました。
「はっはっは――あ、ほら。さっきの幼女だよ良い子くん」
「あ、ほんとだ。むこうに手を振って……ああ、あっちにいるのがお母さんだね、たぶん」
「日本晴れみたいな笑顔だね。警報出るくらいどしゃ降りにしてみたくなるよね?」
「なんでそう思うのか、悪いけどさっぱり理解できないよ悪い子ちゃん……」
母親と店から出てきた幼い女の子は、ふたりにお礼を言うと、コンビニに入って行きました。
「無事に会えてよかったね、悪い子ちゃん」
「わたしたちの待ち人は、いつになったら来るんだろうね、良い子くん」
結局その日、ふつうの子は来ませんでした。
そして家に帰った女の子に、男の子からの電話がかかってきます。
「ふつうちゃん、携帯と置手紙残して自分探しの旅に出ちゃったって。完全に音信不通だって」
「また!?」
ふつうの子は一週間後、北海道で見つかったようです。