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人食い森のネネとルル 作者:月宮永遠

2章:ルルの秘密

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 ネネはたった今仕入れた情報を整理仕切れず、喘ぐように呼吸を繰り返した。早鐘を打つ心臓の音が、闇に潜む者達に聞こえてしまいそうだ。
 夜の睡蓮沼は死霊の棲家だが……、調査隊があの沼でどんなことをしているのか、この目で見に行こうと決心した。

 ――何事もなければ、それでいい……。ルルがいなければ、直ぐに引き返す。

 人食い森に暮らして二年経つが、こんな危険な真似を冒すのは、初めてのことだ。背筋がひやりと冷えて、ずしりとした緊張感が死への恐怖を招く。背後に漂う死霊の影を振り切り、なるべく静かに森を疾走した。
 睡蓮沼に近づくにつれて、揺らめく松明の明かりは増えていく。これ以上は近づかない方が良さそうだ。
 見晴らしのいい樹によじ登り、遠くから睡蓮沼の様子を眺めた。
 一筋の光も射さぬ睡蓮沼は、黒沼と称される通り、ぽっかりと真っ黒な大口を開く不気味な怪物のように見える。
 周囲は青白く靄がかり、物言わぬ死霊達が次々と沼底から姿を見せ始めていた。此処は魔の巣窟だ――。
 恐れおののくく調査隊の面々は、魔除けの松明を命綱のようにしっかりと握りしめて、水底に太い網縄を投げ入れている。

 ――あんなもので、すくい上げようとしているのか……。

 仮にルルが捻じ曲げた鋼鉄が、水底に沈まず何処かで引っかかっていたとしても、あんな網縄では、とても掬い上げることは出来ないだろう。
 見たところ、ルルの姿は何処にも見当たらなかった。
 安堵を覚えると同時に、新たな不安が芽生える。ルルはあの日の光景を、人に見られていたと知っているのだろうか。
 あれだけ目立つ容姿だ。姿を見た人間が生きているのなら、そいつは決して、ルルを忘れたりしないだろう。
 今後は街へ降りることを控えた方がいい。ネネに腹を立てて、既に降りていたらどうしよう……。どうやって、伝えたら――。
 ルルに想いを馳せていると、睡蓮沼を取り巻く調査隊達に動きが見られた。
 腰をぐるりと縄で縛られた小さな子供が、調査隊の男に無理やり引きずられて、歩かされている。

 ――何だ……?

 まだ十にも満たないだろう少年は、必死にもがいて「嫌だ!」と喚いている。男は嫌がる子供を引きずり、沼へ沼へと足を進めた。
 睡蓮沼に、突き落とそうとしている――。
 理解すると共に、虫唾むしずが走った。

 ――ふざけるなよ……っ!

 燃えるような怒りと共に、クロスボウに銀矢を番えて照準を絞った。此処からでは的が遠い。ぎりぎり届かない。けれど近寄れば、ネネも見つかる可能性が高い……。
 迷っている間に、勇敢な少年は男の手に噛みついた。鈍い呻き声を上げた男は、「奴隷の分際で!」と怒鳴り散らし、小さな身体を蹴り飛ばした――。
 気づけば幹から飛び降りて、睡蓮沼に向かって突っ走っていた。

 ――脚を狙う。近くにいるのは三人。後回し――撒けなければ、距離を取って狙う。子供を連れて、あそこの茂みから逃げる。

 逃走経路を計算しながら、視界が開けたと同時に矢を番えた。迷わず男の太腿を射る――。
 ザシュッ!
 鋭く空気を裂いて、矢は男の太腿に命中した。

「ぐぁっ!?」

「捕まえろ!」
「左だっ!」

 ネネに気づいた調査隊の男達が、武器を手に近づいてくる。ネネは子供に手を伸ばした。

「こっち!」

 子供は弾かれたように駆けてきた。手を取ると、後ろは振り返らずに一目散に逃げた。この辺りの獣道なら目を閉じても歩ける。見る見る間に追っ手を引き離した。
 揺らめく松明から、十分離れたことを確認すると、ネネはようやく足を止めた。
 子供はぜぇぜぇと、苦しそうに肩で息をしている。無理もない、ネネですら息が上がる疾走だ。
 腰に結ばれたままの縄を、ナイフで切ってやった。利発そうな翡翠の瞳がネネを見上げる。

「ありがとう……」

 さっき男の手に噛みついた、同じ子供とは思えぬほど頼りない声だった。頭を撫でてやると、小さな肩を震わせてしがみついてきた。

「――っ、ふぅ、うぅ……っ!」

 子供は悲痛な嗚咽を漏らした。ずっと我慢していたのだろう……。

「お前、一人?」

 子供はコクリと頷いた。

「どうして連れて来られたの?」

「街に、母さんが……。母さん、病気なんだ。調査隊と一緒に行けば、薬をくれるって言われて……」

「誰に言われたの?」

「ゴトフリーっていう、森のお役人だよ……」

 ――ゴトフリー……、調査隊が話していた男か……。

 ネネは革袋にあるだけの銀貨を全て取り出すと、子供の手に握らせた。

「薬の足しに使いな……。森の入り口近くまで送ってやる。今日ここで見たことは、誰にも話すな。私のことも、沼で見たことも。誰にも見つからず、こっそり親の元へ帰るんだ。できる?」

 幼い少年は、しっかりと頷いた。手を繋いで森の入り口傍まで送ってやると、一度だけ振り向いてネネに手を振った後、転がるように街へ駆けていった。



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