気づいた時にはもう遅い。
黒翼騎士団シリーズ第7弾です。
幼い頃、孤児院を訪問した際に一人の女の子に出会った。
明るい茶色の髪に、灰色の瞳を持つ少女。孤児院育ちで、両親がいないという『エル』は、体が弱かった。
俺がプレゼントを持っていくと、「ありがとう」って嬉しそうに笑ってくれた。
その笑みが好きだった。いつもベッドの上で、消えてしまいそうなほどに儚かった彼女の面影を今でも覚えている。
俺は言った。
「迎えに来るから」と。
だって俺は『エル』が大好きで、『エル』とずっと一緒に居たいとそう望んだから。
そしたら、『エル』は笑ってくれた。
「うん、約束だよ、ロウ。待ってる」って、そんな風に。
何時か『エル』を迎えに行く、それを決意してから俺は勉強も頑張っていたつもりだ。一生懸命、『エル』を迎え入れようとしていた。
そうしている中で、十一歳の時、両親が行方不明になって、兄上も大変そうで。
『エル』の事を思い出す暇もないぐらい、目まぐるしい日々を過ごしていた。
両親が助かった時、「お前の初恋の子はうちの援助している孤児院にいたんだぞ」といわれ、ショックを受けた。『エル』の居た孤児院はなくなっていた。両親が行方不明になり、兄上が行った『孤児院への援助の打ち切り』によりだ。
それから、『エル』を探した。
あんなに儚くて、弱弱しくて、病弱だった『エル』は孤児院が亡くなった後、一人では生きていけないだろうから。
『エル』という名のつく少女をひらすらに探した。
食堂に住まうという『エル』に会いに行けば、魔物を狩るような猛者で『エル』とは全く違ってすぐに候補から外した。
孤児院育ちだという『エル』は、水商売に身を落としていた。男を誘うような動作は『エル』と重ならなかった。
そうやって『エル』を探していく中で、俺は『エルナ』に会った。
『エルナ』は、『エル』と同じだった。俺の頭の中の『エル』と重なった。
記憶喪失であるという『エル』。ああ、見つけたと思った。
「貴方が俺の探していた『エル』だ」
とそう俺は言った。
だって俺の記憶の中の『エル』と重なったから。守ってあげたくなるような笑みも、頼りなさげな動作も。
だから、「結婚してください」とプロポーズした。『エル』は頷いてくれて。
反対はされたけれど、説得した。『エル』と結婚するために。
お祖母様とお祖父様は反対していたけれど、「記憶喪失ならわからないじゃないか」といった面も含めて。だけど、俺が『エル』を間違えるはずがないと思って結婚した。
結婚して、二年後に娘が生まれた。リルという娘の事がいとしかった。俺と『エル』の子供だと思うと嬉しかった。
―――でも、その一年後、『エルナ』が俺の『エル』ではないということが発覚した。
『………ごめんなさい。私は、貴方の「エル」ではなかったです。ごめんなさい。ごめんなさい』。
『エルナ』はそういって泣きじゃくった。『エルナ』を知るという少女が現れて、思い出したらしい。俺の『エル』ではなかったらしい。
話し合いをしようにも彼女はずっと泣いていた。ごめんなさいと。違うのだと。そして大切な人がいると。そんな風に。
俺は俺で、彼女が俺の『エル』ではないなら、『エル』は何処だと思った。本物の『エル』を探さなければならないと俺は思った。だって『エル』は支えがなければ、生きていけないような少女で、俺の言葉に頷いてくれた『エル』はきっと、俺を待っててくれているはずだから。
――と、そんな風に。
俺は、その時考えもしていなかった。
俺が『エルナ』を『エル』と勘違いし結婚したために、俺の『エル』がとっくにほかの男のものになっているなんて。
そして俺の『エル』が、黒翼騎士団の六番隊副隊長なんて地位にいたなんて。
挨拶だってした。俺が貴族で、彼女が六番隊隊長だから。でも俺は気づかなかった。
《剣姫》なんていう、呼び名がつけられるほどに『エル』が強くなっていたなんて、幼い頃病弱だったのは魔力が多すぎた影響だなんて。
――――もう一度調べなおして、信頼できる伝手から探して、『エル』があの、《剣姫》エラルカ・トリスタだと知った時愕然とした。
馬鹿な、と思った。
『エル』を探していた時、真っ先に排除した、魔物を倒していた少女が、病弱で、はかなくて優しかった『エル』なのかと。
でもそれは本当の事らしい。
エラルカ・トリスタは、エルらしい。そして、六番隊副隊長であるバル・トリスタと結婚をし、貴族社会にも溶け込んでいるという。
俺は、エラルカ・トリスタを見て『エル』だとは気づけなかった。
迎えに行くといったのに、待ってるって笑ってくれたのに。どうして、と自分の事を棚に上げて考えてしまった。
エラルカ・トリスタが『エル』だとはわからなかった。そう思いもしなかった。
俺は、接触しようとした。
でもそんな俺の前に、一人の少女が現れた。
「―――エラルカ・トリスタが、『エル』だと気付いたのでしょう? なら、放っておいてあげてくれません?」
それは、シュパーツ商家の才女と噂されているウタという少女だった。俺はその名前を知っていた。そして言われた言葉に、俺は驚いた。
「どうして」
「何故って、私はエル姉と同じ孤児院育ちですもの。エル姉を迎えに行くといっていた王子様の事ぐらい知ってますし、調べていましたわ」
「なら、何故言わなかった!」
「何故?」
目の前の少女が『エルナ』は『エル』ではないと、いってくれれば、エラルカ・トリスタが『エル』だと教えてくれれば―――と混乱する頭で怒鳴った。
そんな俺に少女は目を細める。冷たい視線をこちらに向けていた。
「私もエル姉も、貴方の家のせいで孤児院がなくなり大変だったのですよ。エル姉はちょっとの事では死なないだろうって思っていたので、商家で働きながらも私は母様とほかの孤児院の子供たちを探すのに必死だったのですわ。孤児院がなくなり、皆バラバラになり、私は商家の養女として、エル姉は食堂で住み込みで働いて、生きるために必死だった」
俺の家のせいで孤児院がなくなり大変だったと、そんなことを彼女は語る。
「二年物歳月をかけて全員、ようやく探せて、ほっとして。エル姉を見たんです。そしたらエル姉は黒翼騎士団に入っていた。そして、そこで私はようやくエル姉の王子様を探したのです。そうしたらあなたは既に『エルナ』と婚約していた。エル姉は、《剣姫》なんていわれているけど、夢見がちで乙女思考で、だからあなたがエルナと共にあることにはショックを受けていましたわ」
『エル』がショックを受けていたという。《剣姫》なんて呼ばれていても、夢見がちで乙女思考だと、そんな風に彼女はエラルカ・トリスタを称する。
「エル姉が強くなったのは、エル姉に戦いの才があったからですが、元々は貴方のためでした。私の、『貴族と結婚するのに相応しい身分ではない』って言葉で、考えたエル姉は、騎士団で知名度を上げたかったんですよ。貴方と一緒に居たかったから。―――……まぁ、病弱だったというエル姉しか知らない貴方からすれば、エル姉に戦いの才があったとか、昔のエル姉が魔力が多すぎたせいでベッドに伏していたとかそういう事情は知らなかったでしょうけど」
彼女は語る。エラルカ・トリスタが、『エル』が必死だったということを。俺と、一緒に居たいからと。
「エル姉は貴方の事をショックに思っていましたわ。で、ようやく立ち直って結婚したんです。貴方は今更お呼びではありません。
それに貴方の『エル』は守ってあげなければならない病弱な『エル』でしょう? エル姉はそんな弱い女じゃない。自分から動いて、行動的で、おとなしくなんかない。少なくとも体が良くなってからのエル姉は、体を動かせるのが嬉しいって、野生児みたいで。貴方の幻想の中の『エル』とはエル姉は違いますわ」
今更お呼びではないと、彼女は言う。俺は一言も発せられない。
「――――エル姉の、貴方の『エル』の幸せを願うのなら、もうエル姉と必要最低限かかわらないでください。エル姉は、今十分幸せなんですもの」
そういわれてしまって。俺は動けない。
言いたい事は言い切ったとばかりに、彼女はそのまま姿を消した。
―――そして、俺は結局エラルカ・トリスタには会いにいかなかった。遠目にみた彼女が、バル・トリスタの傍で幸せそうに笑っていたから。俺が好きだった笑顔を浮かべていたから。
もし、間違えなければ、勘違いして『エルナ』と結婚しなければ、と思うけれどもう遅かった。
-――――気づいた時にはもう遅い。
(気づいた時にはもう遅い。幻想にとらわれて現実を直視しなかった代償は大きい)