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第七章  〝深淵〟復活
第七章  〝深淵〟復活

 江ノ島。島の最頂部に打ち立てられた塔上で仁王立ちの天空丸烈斗。彼は目を半眼にして月光に輝く海面を凝視していた。
 南の水平線で閃光が迸る。それを合図に大気は乱れ、千切れた雲が疾風に舞い踊る。海面はざわめき、やがて大きなうねりを形成する。
「来たな……」
 烈斗の両眼が開かれた。再び閃光。海と空の境界に白い線が引かれていく。線は徐々に展開し、太さを増していく。
「波だ……大きいぞ」
 大波は海岸線に近づくにつれ高さと勢いを増していく。
「体を支えろ。手近なものに体を括り付けろ」
 江ノ島の岩場に激突した波濤は衰えることなく、そのまま島の斜面を駆け上ってくる。島の六割は海水を被り、塔は強風に翻弄される。
「備えろ。敵の先陣が来る」
 烈斗の言葉に応じるように、渦巻く波の中から異形の群れが次々と飛び出してきた。
 銀色に輝く節足多脚の怪物。身の丈六尺(約一八〇センチ)。深海の甲殻類のような胴体を節くれ立った長い脚で支えている。鋭利な鋏を構えて上陸してくるその姿は、まさに魔軍の進撃。その数、数十、いや百を優に超える。
「構え」
 烈斗の号令で、天空衆が一斉に抜刀する。通有も遅れまいと刀を構える。奇妙な刀だった。柄の部分に烈斗の左手甲に酷似した宝玉が埋め込まれている。何でも、この刀で念を込めて打ち据えれば、天空丸の覇道と同じ効果が得られるのだそうだ。
「狙うは敵の目だ」
 たしかに、魔蟹の胴体中央にはヌメヌメと赤く輝く単眼がある。
「まだまだまだ」
 敵の群れを引き寄せるだけ引き寄せる。焦る心、怯える心を抑え付ける。怪物は目前に肉迫する。振り上げられる死の鋏。
「今だ」
 烈斗が叫ぶ。魔蟹の大腕をかいくぐり、通有は渾身の突きを単眼へ叩き込む。柄の宝玉が青く輝く。赤い目が砕け、同時にセーデの甲殻が弾け、銀色の飛沫と化す。
「いける! いけるぞ!」
 勢いづいた通有は、次なる敵に襲いかかった。

 太平洋上に渦巻く黒雲。その中で断続的に電光が明滅している。それは、衛星軌道上からでも十分確認できた。
「間違いない……〝深淵〟が復活した」
 うなだれるメランシアス、そしてルウルウ。
「〝天空〟は無くなってしまった。それに天空丸の娘も……」
「何、へこたれてるんだ? メランシアス」
 シンドバッドがメランシアスの胸ぐらを掴み上げる。
「だからって、何もしねぇってのか?」
「……この有様を見てみろ」
 メランシアスに言われ、シンドバッドは周囲をあらためて見回し、口をつぐまざるを得なかった。中間基地は、スキューレに操られた快速號の紫電によって隔壁を破られ、壊滅的な打撃を受けてしまったのだ。兵士の大半と降下鞘に入っていなかったルフ鳥が暗黒の宇宙へと吹き飛ばされてしまった。残された戦力は当初の三割にも満たない。
「だけど……だけどな、下界じゃリュートの親父さんが必死に戦ってるっていうじゃねぇか、見殺しにするのか。それじゃ、リュートも浮かばれねぇぜ」
 その時、倒れていた快速號が必死で起き上がった。リュートによってスキューレから解放された快速號は〝天空〟の間から中間基地まで連れてこられたのだ。首筋の傷は止血されているものの、まだ動ける状態ではないはずだった。
「ボス! 快速號は戦おうとしています……。私もやるわ!」
 ルウルウが意を決したように言うと、快速號は一声甲高く叫んだ。
 それに呼応するように、他のルフ鳥も雄叫びを上げる。メランシアスは、しばらく立ち竦んでいたが、やがて意を決したように頷いた。
「そうだな。これはヒトだけの戦いではない。さりとて龍人だけの戦いでもない。生きとし生けるもの全ての存続を賭けた戦いだ」
 メランシアスが、生き残った龍人達に向き直った。
「総員。戦闘配置。我々はこれより〝深淵〟迎撃に出撃する」
 戦士達は一斉に低く力強い鬨の声を上げた。

 荒い息の中、勝ち鬨が上がる。天空衆と河野通有の奮戦により、魔蟹は殲滅された。
「まだだ」
 だが、烈斗だけは剣の構えを解こうとはしない。
 天空丸の言葉通り、海面が盛り上がり、波間を突き破って、巨大な物体が出現する。
「手……!?」
 空を掻きむしる五本の指。中指だけで百尺(約三十メートル)はある。歴戦の雄のはずの天空衆も金縛りにあったが如く動けない。
 さらにもう一本の巨腕が浮上する。そそり立つ双腕の間から銀色の球体が海を割って出現する。あまりの大きさにそれが頭部であると気がつくのに数秒を要した。銀色のノッペラボウ。その表面に周囲の風景が映り込み奇怪な文様を描く。そして、ついに全身が立ち上がる。身の丈数千尺。物理法則を無視した悪夢のような巨体。
「あれが……〝深淵〟」

 はるか上空の中間基地射出場では、ルウルウによりルフ鳥の操縦法がシンドバッド達に伝授されていた。
「かなり即席だけど、あなた達なら大抵のことなら大丈夫そうね」
 ルウルウはルフ鳥の後頭部にある鞍のような部分に跨った。実際の飛行中は、兜状の風防が被せられる。
「ここに座って、この突起を握って操るわけ」
「馬術の手綱さばきに似ていますね」
 早速、シーガードがルフ鳥の反応を見ながら突起を操作してみる。
「それなら、俺に任せろ!」
 アヴァカも騎馬民族の血が騒ぐ。
「ルフ鳥は、乗り手の気持ちを敏感に感じ取るの。この乗り手は信頼に値するか、命を預けても大丈夫かって……」
 三人は、それぞれのルフ鳥に跨り、意思疎通に没頭した。
 シンドバッドが、ほぼコツが掴めたと実感した時、鞍の上から透明の風防が被せられた。縁の部分が粘膜のようになっており、ルフ鳥の皮膚に密着する。シンドバッドを一瞬襲う閉所恐怖症的な感覚。息が苦しい。パニック寸前で、ゆっくりと深呼吸。何とか落ち着きを取り戻すことに成功した。
 振り返るとアヴァカが不安そうに風防を掌で確かめている。シンドバッドと目が合うと、何事も無かったようにふんぞり返っている。
「へへへ、お互いやせ我慢だな」
 シーガードは目を瞑って、精神統一しているようだ。
「女騎士はさすがだねぇ」
 ルフ鳥たちは再び大気圏突入用の甲殻に包まれる。シンドバッドも事前に指示されたとおり、龍人達のツルリとした兜を被る。顔全体を塞がられたにも関わらず、視界は明るく広い、しかも呼吸も全く問題ない。
「あと六十秒後に射出開始。覚悟は出来てる? 船長。海とは比べものにならないわよ」
 ルウルウのからかう声が耳に響く。シンドバッドは不安と恐怖を度胸で抑え付ける。
「ああ、ワクワクするぜ」

[起きなさい]
 優しい声だった。母親に起こされるというのは、ちょうどこんな感じなのだろう。
 リュートは静かに目を開けた。眩しい輝きで周囲が見えない。光源は床からだ。半身を起こす。見上げると天井は鏡のように輝いており、床からの光源を反射して、さらにこの空間を煌めかせている。逆さになった自分が映り込んでいる。ふと見ると正面にも自分が映っている。まるで鏡の間だ。狭いのか広いのかも判別できない。
[ようやく会話できるようになった]
 突然、鏡の中の自分が語りかけてくる。ギョッとするリュート。もう一人の自分が、たちまち一人の龍人の女性へと姿を変える。
「……誰だ?」
 やっと言葉を絞り出す。口の中はカサカサに乾いている。
 見たことのある龍人だ。
「あの像……ハジマ?」
 龍人は穏やかな顔で微笑むと、静かに頷いた。
[お互い過酷な状況にあったが、復旧することができた]
 過酷な状況?……そう、スキューレを葬ったものの、ヤツに操られた快速號がドームに大穴を空け、自分と〝天空〟は虚空に吹き飛ばされたのだ。
 少し気分が落ち着いてきた。もう一度周囲を見回す。目が明るさに慣れてきたきたようだ。床の結晶体のパターン。これはたしかに〝天空〟のものだ。
―――すると……目の前の龍人……この人は……。
「あなたは、もしや……〝天空〟?」
[そう。正確にはセーデで作りだした虚像。本当の私は、そこだ]
 ハジマの姿を借りた〝天空〟がリュートの左手を指差す。見慣れた蒼玉が輝いている。
[その制御球こそが、私自身]
「こ、これが……〝天空〟!?」
 まじまじと蒼球を見つめる。セーデを操るなど超自然的な力を感じていたが、まさか自分が常に〝天空〟と共にあったとは思いもよらなかった。
 天空丸とは、〝天空〟を守る者……代々伝えられてきた天空丸の名の由来。それは、まさに真実だったのだ。
「では、この水晶体は?」
 リュートは胡座をかいた状態で床を叩いた。メランシアスは、この水晶体こそが〝天空〟だと言っていた。
[このクリスタルは私のボディに過ぎない。ただし、ボディのシステムを使えるようになったことで、ようやくあなたとも話が出来るようになった]
「〝天空〟……あなたは一体何者なのだ? 本当に〝神〟……なのか?」
[〝神〟という存在は認知できないが、あなた達の誕生に、大きく関わったのは事実]
「龍人は、〝深淵〟が私達をサルから創り出したと言っていた」
[あの霊長類は、すでに爆発的な進化のポテンシャルを秘めていた。我らは、それをほんの少し速めただけ、我らが手を下さずとも、いずれこの世界に君臨していただろう]
「我ら?」
[そう。我ら……あなた達、ヒトが〝天空〟と〝深淵〟と呼ぶ者……もともと我らはひとつの存在だった]
「ひとつ?」
 リュートは混乱した。敵である〝深淵〟と救世主であるはずの〝天空〟が同体だというのか?
[我らは、はるかはるか昔に創造主によって宇宙へと放たれた]
「創造主? あなたを創った? いったい何者?」
[すでにメモリが残っていない]
 宇宙……この星空……果てもない空間……そこには、自分達以外にも生き物が存在している。そして、その生き物が神や悪魔にも等しい〝天空〟や〝深淵〟を造った?
「何のために、私達の世界に来た?」
[戦うため。あなた達、ヒトと同じ。我らも戦うために作られた兵器に過ぎない]
「兵器……!?」
[見せよう。我らの長い旅を]
 突然、リュートの視界を星空が覆い尽くした。視覚に直接流れ込んでくるヴィジョン。まるで宇宙に浮かんでいるような感覚。本体を得た〝天空〟の成せる技なのか?
 下方に柔らかな光を感じる。目を転じると、青々とした惑星が広がっている。自分達の惑星……地球によく似ている。だが、海の色や大陸の形が違う。何よりも美しい輪が惑星の周囲を取り巻いている。ここが〝天空〟の言う創造主の故郷なのだろうか?
 その衛星軌道上に浮かぶ壮麗かつ巨大なリング状の構造物。等間隔で七つの赤いクリスタルが配置されている。どれも色以外は〝天空〟のボディによく似ている。
[数少ないメモリのひとつ]
 〝天空〟の声が聴覚に直接響いてくる。
[後に〝深淵〟と呼ばれる外環の七つの結晶体。彼らの任務は敵勢力の完全なる破壊だった。数百年におよぶ殺戮の航海を終えた彼らに新しい使命が待っていた]
 惑星から蒼く輝く新たなクリスタルが浮上してくる。七つの赤いクリスタルの中央に装填される。
「大きい……」
[あれがフルスペック時の我らだ。今から一億年以上も前の姿。大きさは直径六マイル(約十キロメートル)におよぶ]
「美しい……まるで雪の結晶だ」
 ヴィジョンが結晶体の細部へとズームしていく。大小無数の結晶体を神経繊維のような銀色の金属が繋いでいる。繊維といっても全体の直径が六マイルだとすれば、相当の太さになるだろう。
 結晶体はゆっくりと回転を始め、惑星の軌道を離れ、外宇宙へと出発する。その際に惑星を巡る輪を抜けていく。輪と思われたのは、無数の巨大な構造物の残骸であった。その一つ一つは、どことなく船に見えないこともない。その周囲に漂っている無数の小さな物体は生物の死体だ。これが〝天空〟が創造主と呼ぶ生物だったものなのか?
 リュートがもっとよく見ようと目をこらした途端、視界は乱れ、別の星空へと移行してしまった。
 今度は、大宇宙を進撃する結晶体が映し出される。
[それ以前にも我らと同種の兵器は無数に存在していた。彼らも創造主のために敵の占有する惑星を破壊し続けていった]
「敵?」
[これもメモリには残っていない……]
 結晶体の前方に惑星が浮かんでいる。先ほど見た、〝天空〟の母星に似た外観。だが、大気の組成が違うのか多少赤みがかっている。
 結晶体が高速で回転を開始する。外環の赤い結晶の輝きが徐々に増していく。高速回転のため赤い輝きは、宇宙に浮かぶ火輪のようだ。回転と発光が頂点に達した時、結晶体から目映いばかりの光と熱の奔流が放射された。高エネルギー波にさらされるや、惑星の地殻が破れ、内部のマグマが血のように放射状に飛び散った。
[敵とは言え、この一瞬で数千億の生命が失われた……]
 さらに続く破壊のヴィジョン。幾多の惑星が吹き飛び、消えていく。
 閃光と衝撃の連続。壊す。壊す。壊す。壊す。壊す。
「や、止めろ!」
 激しい明滅に耐えきれずリュートが叫ぶ。
 突然ヴィジョンが暗転する。そして長い沈黙。
 再び、画像が安定すると、星空に青い惑星が浮かんでいる。
[今から七千万年前のメモリ]
「あの星は……」
[そう。あなた達の惑星、地球だ。幸か不幸か、この星域に敵の勢力は、まだ入り込んでいなかった。我らの任務は、このような未踏の惑星を新たな橋頭堡とし、そこに棲息する生命体を新しい戦力として育むことだった]
 七つの赤い外環結晶体は、その回転を止め、その代わりに中央の蒼い結晶体が目まぐるしく明滅する。結晶体の表面を覆っている銀色の繊維の表面から、水滴のように一部が分離していく。次々と紡錘状に変形して、地表へと降下していく。まるで地表に蒔かれていく種のようだ。
「あれは、セーデ」
[そのとおり。あなたや〝深淵〟が武器に使っている形状記憶流体金属は、もともと我らのボディの構成物の一つだったのだ]
 地上に軟着陸したセーデは、たちまち周囲の木々や岩石に同化する。
 そこへやってくる利発そうな表情の首の長い二足歩行のトカゲのような生物。その油断のない動きは、どことなく龍人達を思わせる。
[当時この惑星には、爬虫類から進化した優れた生命体が君臨していた。将来、龍人の原種となる動物達だ。我らは彼らに接触し、さらに高次の生命体へと導くことにした]
 セーデ体は、早速二足トカゲそっくりに擬態し接近していく。トカゲ達は仲間と疑わず、挨拶するかのように頭を垂れ、尻尾を振っている。セーデ体の胴体から触手が伸びる。触手はトカゲの死角からその首筋に突き刺さり、一瞬のうちに因子を埋め込んだ。
 因子を埋め込まれた二足トカゲは、硬直痙攣したが、すぐに回復した。自分に何が起こったのかも理解していない様子だ。
「これは〝深淵〟の手口と同じだ」
[いかにも。ただし、元々は、生物の発達を促進させるための補助具のようなものだった。〝深淵〟は、現在それを生命体を拘束し、自在に操るための道具として使っている]
 トカゲは何も感じていないかのように、セーデ体と共に仲良く歩いていく。
[このように我らの分身達は龍人の祖先達の中に溶け込み、その進化発展を助長させていった]

 一瞬のノイズの後に、再びヴィジョンが安定する。
[そして六五〇〇万年前。現在の龍人に繋がる種が誕生した]
 先ほどの二足トカゲの面影こそ残すものの、その頭部は見違えるように大きくなっており、尻尾は短く退化し、両手が大きく発達し、石器や火を器用に使っている。他の大型の生物を集団で追い詰め、狩っている。
[彼らは、我らの心強い味方になってくれるはずだった。……だが、それから数万後、破局が訪れる。敵も我々の行動を静観しているわけではなかったのだ]
 視覚は再び宇宙空間へ転ずる。虚空から巨大な岩塊が進んでくる。目指すは地球。
[我らを追尾し、地球殲滅を狙った誘導兵器だ。小惑星に偽装し、軌道を巧妙に変更しながら接近してきたため、対応が完全に遅れてしまった。外環の戦闘区画、つまり〝深淵〟を起動させたが、すでに誘導兵器はあまりにも接近し過ぎていた。例え、この距離で誘導兵器を破壊しても、降り注ぐ破片によって地表の環境は激変し、せっかく育ててきた生命達が滅んでしまう。だからといって何も処置しなければ、このまま衝突し、地球自体を粉砕してしまうだろう]
 〝天空〟の声は、心なしか低く沈んでいた。
[私は決断した]
 リュートは、〝天空〟の一人称が「我ら」でなく「私」に変わったことを聞き逃さなかった。
[自らの質量を使って、誘導兵器の軌道を変えることにしたのだ]
 小惑星に向かって、突入していく巨大結晶体。ただし、小惑星と言っても結晶体の三倍はある。はるかに大きい敵に対して、回転を加えて激突する。その衝撃に小惑星は押し出されるように地球への衝突コースから外れていく。
「やった……」
 思わずリュートも安堵の声を漏らす。
 だが、結晶体の損傷も激しく、結合が解け、八つのブロックが四散していく。いくつかは、地球の重力に引かれて大気下へ落ち、炎の尾を引いていく。
 その内の特に大量の塊がユーラシア大陸の東端に落下する。
「あれは……」
[セーデの塊。総計すると我々のボディの六十五パーセントにあたる。あれが現在の日本列島の関東平野となる地帯へ落ちた。〝深淵〟が狙っているのは、まさにあれだ]
 砕け散った結晶は虚空を漂い、またいくつかは月面へと降り注いでいく。

 蒼い結晶繭……〝天空〟だけが地球の軌道に取り残されていた。
[私だけが虚空に残った。体の九〇パーセントを失った私は、何も出来ずに、この惑星の周回軌道を永きの間、回り続けた]
「自分を犠牲にして私達の星を救ってくれた……」
[犠牲? 兵器となる命を育てよ、という命令に従っているだけ。そんな崇高な意識は、私にはない]
「あなたの行動があったから、私達は、今生きている」
[だが、この行動が、結果的に新たなる災いを生むことになってしまった]
「新たなる災い?」
[敵誘導兵器を迎撃するために作動させた外環戦闘区画は、散り散りになりながらも、敵勢力への報復を続行しようとしたのだ]
「それが〝深淵〟」
[そう。〝深淵〟が目指したのは、自らのボディの復元と、より強力な戦力の調達だった。その一環として産み出されたのがヒト。つまり、あなた達……。
 明らかに〝深淵〟も変化していた。破壊のためとはいえ、彼らも命を産み出したのだから……。もしかしたら、欠けてしまった私の機能を補おうとしたのかもしれない。
 〝深淵〟の方針は明確だった。異なる勢力同士を戦わせ、勝った方に、また新しい勢力を挑戦させる。そうやって強者を選りすぐり、弱者は淘汰する。そして、最終最強の戦力を創り出そうとする。この地球は言わば〝深淵〟にとっての武器実験場なのだ]
「今の(いくさ)と同じだ……無限に続く争乱」
 リュートが諦めたように言った。

 リュートのヴィジョンは、地上へと戻っていた。
[私が地上へ放った探査機からの映像だ]
 荒野を醜悪な生き物が跋扈している。前傾姿勢に筋肉隆々の身体。発達した犬歯に血走った両眼。リュートは思わず叫んだ。
「あれは!? タフール」
 その姿は、まさにルイ王の手先の食人鬼どもだった。
[〝深淵〟が最初に創り上げたヒトだ。死ぬことを恐れず、相手を殺し、喰らうことしか考えない生物兵器]
 ヒトは龍人の毒蜂銃の斉射にさらされても、味方の屍を乗り越えて肉迫する。ついには格闘戦に持ち込み、手にした石斧で龍人の頭蓋を叩き割り、その肉を生のまま喰らうのである。龍人は、武装では格段に(まさ)っているものの、死を恐れないヒトに、圧倒され、ヨーロッパから当時地続きであった新大陸への後退を余儀なくされる。
[衛星軌道上の私は、その事態に手をこまねいているわけにはいかなかった。このままでは、敵の誘導兵器に体当たりをしてまで守ろうとした、この星の命が滅んでしまう。
 私は、地上へ降下することを決意した。赤道上空高度二万四千マイルの静止衛星軌道上からセーデで形成した長大なワイヤを地表へと垂らしていく]
「天の架け橋……か」
[そう。自分自身の核……あなたの左手の制御球と移動などに必要な最小限のパーツをセーデに格納して、地表へと向かったのだ]
 ゾウガメの島に降り立った〝天空〟は、ボディとなるセーデを瞬時に紡錘型に変形させると空中へと浮き上がり、高速で北の空を目指した。
 
 〝天空〟が飛来したのは、激戦の跡も凄まじいのアラスカの平原だった。結果は龍人の敗北。引き裂かれ、食い千切られ、無残な屍を晒している龍人達。その中で、一際高貴な鎧に身を包んだ龍人の女がいた。
「ハジマ!? あれはハジマだ」
[そうだ。私は推測した。これは龍人にとって負けてはならない戦いだった。そして、この女は、龍人達にとって死んではならない人物だった。周囲の龍人達が、この女を守ろうと、必死に盾になろうとしていることでも、それは明らかだった。私は、この女をモデルにボディを形成することにした]

 数日後、龍人の街は、指導者の奇跡の生還に湧いた。ハジマの名を連呼する群衆。会議場で聞いた、あの大合唱である。
 もちろん、なぜ生きて帰れたのか、(いぶか)しむ者もいる。そんな時、〝天空〟、いやハジマは、左手に露出している結晶体を見せて、空を指差した。
「自分の命は、空から来たもの……〝天空〟によって救われた」
 ざわめきながらも龍人達は、天を仰いで祈りを捧げるのだった。
[これはあながち虚構ではない。幸いだったのは、今よりも龍人達が超自然的なものに対して敬虔であったことだろう]
 龍人の指導者ハジマの姿を借りた〝天空〟は、反撃作戦を展開、数における劣勢を覆す。知能で勝る龍人ならではの頭脳的な戦略で大被害を受けるヒト。
 〝深淵〟も負けじと、旧人タフール型から、頭脳ではるかに勝る新人クロマニョン型を開発投入してくる。高性能の武器を操り、組織的な作戦を展開する、この強敵の登場に龍人は再び苦戦を強いられる。
 だが、戦局に転機が訪れた。

 森林をヒトが進軍してくる。ギリシア彫刻を思わせる逞しく均整の取れた容姿は、美しくすらある。手には重火器と思われる武器を携えている。
 突如、樹木の後ろから小柄な人影が次々と姿を現す。龍人が創造した「女」だ。自分達に似た姿に戸惑い、顔を見合わせる「男」達。女達が至近距離に近づいてきても何の行動も起こせない。突如、男の一人から血しぶきが上がる。手には鋭利なナイフ。虚を突いて次々と男を葬っていく女戦士達。
 〝天空〟と龍人達は、すでに優れたバイオテクノロジーを駆使していた。その細胞を培養して、女性を創り出すことに成功したのだ。
 龍人の施設内では、林立する円筒形の水槽の中に胎児達が浮かんでいる。ヴィジョンの時間経過がぐっと速まり、水槽から出された赤ん坊達が、たちまちのうちに美しい少女達へと成長していく。
[結果的にこの戦略が決定打になった。ほとんどの男達は何の抵抗も出来ないまま、女達の刃に倒れていった。〝深淵〟はオスの本能まで消去することが出来なかったようだ]
「男ってヤツは……」
 木偶の坊のように、ただ倒されていく男達にリュートは哀れみさえ感じた。
[だが、予想外の出来事が起こった。傷ついた男を助ける女が現れたのだ。彼女の名はガラテ。初めて男を助けた戦士だ]
「あ……」
 甲斐甲斐しく男の手当をする女の顔を見て、リュートは思わず小さな叫びを上げた。
[そう。あなたにそっくりだ]
「ガラテ……彼女が天空丸の始祖」

[女という愛すべき仲間を得た男達は、勇猛果敢に〝深淵〟へ挑んでいった。戦闘を繰り返せば繰り返すほど、龍人側にヒトの兵力が流出していく。男と女……ヒトを味方に付けた龍人は、〝深淵〟の侵略を確実に押し返していった]
 ヴィジョンが切り替わった。深い渓谷の底だ。よく見ると谷の左右は氷の壁だ。その壁面には、血管のように銀色の物体が這い回っている。セーデだ。
[ここは、この星の南の果ての氷雪地帯。ここで私とヒト、そして龍人は、〝深淵〟の核のひとつを見つけ出し、無力化した。最初の本格的な勝利だった]
 リュートは、まるで自分自身が、その戦いに身を投じているかのような錯覚に陥る。これは〝天空〟自身の視点のようだ。
 (かたわ)らをヒトの女が走っている。赤い革鎧に身を包んだリュートそっくりの少女。ガラテだ。その傍らには長身の男が寄り添うように走っている。以前にガラテに命を救われた男だ。周囲には、やはり幾組かの男女が龍人支給の毒蜂銃や百足鞭などの武器を振り回して疾走している。
 敵は、残存のタフール、そしてセーデ製の怪物、甲殻類のような頑強そうな連中。
 セーデ製の怪物は、龍人のルフ鳥が片付ける。タフールは、男女の連係攻撃の前に打ち倒されていく。
「あそこです! ハジマ様」
 ガラテがハジマ=〝天空〟に叫ぶ。
 氷の谷の最深部に流体金属に包まれた巨大な赤いクリスタルが鎮座している。セーデの塊は断末魔のように痙攣している。
 ハジマが拳に輝く蒼いクリスタルを突き出す。〝天空〟自身から発せられる蒼い輝きに、周囲のセーデは流体化し、赤い結晶が、いよいよ剥き出しになっていく。外装を失い無防備となった結晶体は意外に小さく、〝天空〟よりも二回りほど大きいだけだった。
[この後、〝深淵〟の核は、太平洋の海溝、この惑星の最も深い部分へと沈められた]
 勝利に歓声を上げる、ヒトと龍人。
 リュートの視界の端で何かが閃いた! 真っ直ぐに自分、つまり〝天空〟目がけて飛んでくる銀の槍。その時、視界を遮るように赤い影が飛び出してくる。
 ガラテだ!
 少女の胸に突き刺さる銀の槍。セーデの槍だ。
 槍を投げたのは……スキューレだ!
「くそ!」
 〝天空〟=ハジマを殺せず、スキューレが地団駄踏んでいる。
「おのれ! そこまで墜ちたかスキューレ!」
 数名の男女が怒声を上げて襲いかかる。スキューレは脱兎のごとく逃げ出した。
[あなた達を苦しめたスキューレも、ガラテと同じ初期の女の一人。ただひたすらに殺戮に走った彼女は、男達との共闘を嫌い、自ら〝深淵〟の元へ走った]
 スキューレの暗躍はヒトの開闢の時代から続いていたのだ。あの執念深さは遙か古代より綿々と蓄えられてきたものだったのだ。リュートは総毛立つ思いだった。
 〝天空〟は、ガラテを抱き起こした。
「ハジマ様……よかった」
 〝天空〟の無事を確認して、安心したように微笑む少女。だが、その瞳からは生気が急速に失われていく。リュートは、自分自身の死を目の当たりにするようで、全身が凍り付くような気分だった。
 傍らでは先ほどの男が言葉にならない声で泣き叫んでいる。
[私には分かっていた。この娘の胎内に、新しい命が育とうとしていることを……この新しい希望を失うわけにはいかなかった]
 〝天空〟から別の輝きが迸る。それは癒しの光。ガラテの胸の傷が癒えていき、その顔に赤味が戻っていく。
「生き返った!」
我がことのように喜ぶリュート。知らぬ間に頬を涙がつたっていく。
[だが、これは一時のこと。応急処置に過ぎない。彼女を本当に生かすためには、私の核の波動を常に与え続けなければならない]

 唐突にヴィジョンが途切れた。
 リュートは全てを悟った。左手の蒼球を見つめる。
「あの娘を助けるために、あなたは彼女に……」
 龍人の指導者ハジマは、この戦いで忽然と姿を消したという。〝天空〟本体がガラテに移植されたことによって、ハジマを形作っていたセーデは流体化してしまったのだ。
 そして、それ以来、天空丸は代々この制御球を自らの肉体に埋め込み続けたのだ。
 〝天空〟の願いを守るために。

「何という……大きさ」
 立ち上がった巨人の想像を絶する大きさに強者達も凍り付いた。
 その頭部は、はるか上空に達しており、わずかに霞んで見える。周囲の大気が発する雷電が、その体にぶち当たり、そのまま血管のように広がっていく。
 巨人がゆっくりと一歩を踏み出した、そのたった一歩のために高波が七里ヶ浜を洗う。
「れ、烈斗殿」
 傍らの河野通有の声も震えている。
「〝深淵〟め。人型とは考えたな。その動き、放たれる威力が見る者に理解しやすい。故に恐怖も浸透しやすい」
 〝深淵〟は人間の心理を知り抜いている。烈斗は、その狡猾さに舌を巻いた。
〝怯えよ、震えよ、汝らに万に一つの勝ち目もない〟
 はるか上空から見下ろす巨体からそんな言葉が発せられるような錯覚に陥る。
 今度は巨人の腕が動く。その動きは、ひどくゆっくりだが、周囲に突風が巻き起こる。
「いかん! 塔から逃げろ!」
 烈斗が〝深淵〟の行動を察知して、総員に退避の号令。
 〝深淵〟の人差し指が野の花を愛でるように、物見櫓に触れる。その接触だけで百尺におよぶ司令塔の芯柱が裂け、格子状に張り巡らされていた桁が粉砕される。
「まだ、まだぁ!」
 烈斗は手からセーデの綱を伸ばす。綱はスルスルと伸びていくと、遙か上空の〝深淵〟の肩口の部分に取り付いた。烈斗は三種の神器を抱えると、崩れゆく塔の欄干を蹴って、宙に舞った。そのまま、綱を収縮させ、〝深淵〟の肩口に取り付く。
 巨人の肩、といっても競技場がまるまる収まるくらいの広さがある、烈斗は、そこを一気に走り抜く。目指すは小山ほどの頭部。
 神器を構えて、至近距離から頭部を狙い撃つ。迸る紫電。〝深淵〟の頭部が蝋細工のように溶け出す。密着攻撃に虚を突かれたのか〝深淵〟は無抵抗だ。
「うぉぉぉぉぉ!」
 烈斗の紅い髪が燃え上がるように逆立つ。
「おお! 行ける! 行けるぞ! 烈斗殿」
 通有が歓喜の声を上げる。
 だが、烈斗の左手の制御球は、すでに限界を迎えつつあった。その表面には細かいひびが無数に走っている。
―――耐えてくれ、模造品(レプリカ)
 烈斗が全身からさらに気を絞り出す。紫電は勢いを増すが、烈斗の紅い髪がみるみる白く変わっていく。紫電は、烈斗の命そのものを削り取っているのだ。
 突如、〝深淵〟頭部の崩壊が止まり、瞬時に再生していく。〝深淵〟は、まるで烈斗をあざ笑うかのように、軽く首を傾げた。
「龍斗……」
 烈斗が万策尽き果てたように娘の名を呟く。同時に耐えかねたように制御球が破砕し、烈斗の二の腕から先が無残に吹き飛んだ。
 その衝撃で烈斗は〝深淵〟の肩から弾き飛ばされ、夜の相模湾へと落下していった。

 衛星軌道上の中継基地から放出された耐熱殻は、弾道コースで太平洋を越え、今、日本上空へと降下していた。
 大気との摩擦と振動、下方から突き上げてくる圧力。シンドバッドは、今まで経験したことのないような力に翻弄される。大波のてっぺんから一気に落ちるのを数十倍したような衝撃だ。
―――こいつぁ、たしかに海とは比べものにならねぇや。
 高度六(マイル)で殻が割れ、中からルフ鳥が出現する。一、二度力強く羽ばたくと、そのまま滑空を開始する。
 シンドバッドは急に体が楽になったのを感じた。
「大丈夫? 船長。ちゃんと起きてる?」
 ルウルウのからかう声がひどく懐かしく感じる。思わず安堵のため息が漏れる。
「することがないんで、居眠りしてたぜ」
「上等ね。さあ、いよいよ〝深淵〟と対決よ」
 ルフ鳥の編隊は翼を次々と北東の方角へと向けた。

「烈斗殿! しっかりしてくだされ」
 河野通有の対応は早かった。〝深淵〟の再生が始まるや、配下の伊予水軍を率いて相模湾に漕ぎ出し、烈斗のバックアップに回ったのである。
 海面に落ちた烈斗を救い出すと、砕かれた左腕の応急処置をする。
「通有殿……」
 烈斗が薄目を開ける。
「傷に障る。無理に喋りなさるな」
 気遣う通有を制して、烈斗は自由な右腕で上空を指差した。
「来るぞ」

 銀の巨人も不穏な空気を感じたのか、ゆっくりと空を見上げる。
 上空から幾筋もの光が降り注ぐ。流星の如く、落雷の如く、光弾が次々と〝深淵〟の胴体に頭に突き刺さる。
 わずかに遅れて飛来する巨大な影。
「と、鳥か!?」
 初めて見るルフ鳥の群れに通有が肝を潰す。
 さらにルフ鳥が吐き出す紫電の連弾が降り注ぐ。〝深淵〟のボディが痘痕と化す。
「おお!」
 天空衆や伊予水軍から歓声が上がる。
「やりましたな! お嬢が龍人を連れてきた」
「いや、……龍斗の気配は無い……」
 ガックリと頭を垂れる烈斗。
「それに……龍人では〝深淵〟には勝てない……〝天空〟でなければ」

「リュートの仇だ!」
 シンドバッドの操るルフ鳥がクラケンを一撃で粉砕した紫電を連射する。
「撃て! 撃て! 撃て!」
 だが、その威力をもってしても、〝深淵〟への致命傷には至らない。紫電による傷痕も瞬時に再生してしまう。
「くそ! 奴め、ビクともせんぞ」
 アヴァカが歯ぎしりする。
 〝深淵〟が蚊かハエでも追っ払うように腕を広げた。その表面から無数の銀色の針が発射される。セーデを針状にして射出しているのだ。後続のルフ鳥が蜂の巣にされる。
「いかん! 離れろ。〝深淵〟から距離を取れ」
 メランシアスが叫ぶ。
「それでは、威力が落ちるだけです」
 シーガードは反論すると同時に、自らの駆る巨鳥を旋回させ、〝深淵〟の背後に回り込む。だが、今度は〝深淵〟の背中から幾本もの触手が出現する。スキューレと同じ戦法。だが、その大きさ、数、そして破壊力が桁違いである。
 シーガードは、この奇襲攻撃を避けきれず、ルフ鳥の翼をズタズタにされてしまう。
「脱出しろ! 鞍の下の取っ手だ。引け!」
 メランシアスに従って、脱出レバーを引く。ルフ鳥頭部の風防が外れ、宙高く舞うシーガード。
「次、飛翔機を展開」
龍人達が飛行するのに使う、昆虫の羽根を作動させようとするが、上手く羽ばたかない。シーガードは、そのまま暗い海へ真っ逆さまに落下していく。
「シーガード!」
 アヴァカが叫ぶ。彼のルフ鳥が辛うじてシーガードを空中でキャッチする。だが、その刹那〝深淵〟の触手の横殴りを受けてしまう。
 バランスを失い、砂浜に叩きつけられるアヴァカのルフ鳥。
 そこへ〝深淵〟の巨大な足が地響きを立てて踏み下ろされた。

 フェードアウトするヴィジョン。ヒトの黎明の物語は終わり、リュートの意識は結晶体へ戻っていた。
 どのくらいの時が経過したのだろう?
[地球時間で言えば、ほんの数分]
 そう答えながら、〝天空〟がゆっくりと回転するのを感じた。セーデのドームを通して頭上に地球が見える。〝天空〟が投影しているのだろう。
 竜のような列島。日本(ジパング)だ。その中心へ迫る、渦巻く暗雲。
[先ほど、〝深淵〟が浮上した]
 ハジマが姿を消し、その代わりに結晶体が輝きを増す。
[行こう。もう一人の天空丸が、あなたを待っている]
父上(パパ)!」
 ゆっくりと軌道を修正する〝天空〟。いかなる動力で動いているのか? リュートには計り知れない。突入角度が定まるや、加速。大気圏の摩擦熱で真っ赤に燃え上がる。
 リュートは目を閉じ、座したまま。ちょうど座禅を組んでいるように精神統一。
 その心の中に〝天空〟の声が語りかける。
[〝深淵〟との戦いは、体力ももちろんだが、壮絶な精神戦が予想される。〝深淵〟は太古よりのデータ集積の結果、ヒトの心を操作するのに長けている]
「望むところだ」
[そこで、あなたの深層心理にある(よど)みの理由を明確にしておきたい]
「澱み? 私の心の」
[なぜ、あなたは父親を恐れる?]
―――私が父上(パパ)を? そんな……。
 同時にリュートは全身が総毛立つのを抑えることが出来なかった。

 〝深淵〟は無数の触手を勝ち誇ったように月光降り注ぐ夜気の中へ泳がせていた。
 邪魔なルフ鳥はあらかた片付けた。残っているのは、シンドバッド、ルウルウ、メランシアスのみ。その内、メランシアス機は情報収集と作戦指示の指令機、故に武装は無いに等しい。最強戦力はルウルウの乗る快速號だが、これは配下のスキューレによって痛手を受けている。元気が良いのはシンドバッドの乗るルフ鳥だが、たった一体で何が出来よう。
 〝深淵〟は、残存のルフ鳥を無視して触手を七里ヶ浜に突き立てる。
「一体、何を始めるつもりだ!?」
 シンドバッドの声は焦りの色を隠せない。
「分からん。ただ、奴がジパングを目指してきた目的を果たそうとしていることは確かだ。どちらにしろ、放っておけば我々に生きる術はない……」
「メランシアス、何か手はないのか!?」
「〝深淵〟にも核があるはずだ。あの大量のセーデを制御している核を狙えば……」
 メランシアスのルフ鳥は、他のルフ鳥と異なり、頭部に昆虫の触角のような感覚器を備えている。操縦鞍の受像器には〝深淵〟表面の微弱電気の流れがモニターされている。周波域を微妙に調整し、その流れの源流を追う。
「わかった!! 胸のど真ん中、ちょうど心臓と同じ高さだ」
「よっしゃ!」
 シンドバッドがルフ鳥を地面スレスレに飛行させ、〝深淵〟の胸元に突入する。
「くらえ!」
 紫電三連弾。〝深淵〟の胸部に次々命中。
「やったか!?」
 巨大な傷痕を残したものの、その内部にあるであろう核は見えない。
「火力が足りんのだ」
 メランシアスが、悔しさに思わず拳で膝を叩く。もっと早く、戦力を失う前に、この事に気づいていれば、集中攻撃できたものを。
「どいて! 船長」
 ルウルウの声が割り込む。離脱するシンドバッド機とすれ違うように快速號が急降下してくる。渾身の紫電が発せられる。通常のルフ鳥の比ではない重爆。シンドバッドが付けた傷跡にさらに打撃。
「おお! あれは」
 クレーターのように深くえぐられた胸元に、赤く輝く物体がわずかに見える。明らかにセーデとは違う。
「もう一発!」
 シンドバッドはルフ鳥を旋回させ、再び突入。だが、〝深淵〟は浜に突き立てていた触手の数本を引っこ抜くと、シンドバッド機に向かって振り回す。なりふり構わぬ一撃がルフ鳥の翼を貫く。
「畜生!」
 だが、低空と柔らかい砂浜が幸いしてルフ鳥は軟着陸に成功。シンドバッドは素早く操縦鞍から脱出する。その刹那、触手の一撃で傷ついたルフ鳥が引き裂かれる。血の絨毯と化した砂浜を転げ回るシンドバッド。触手が向きを変え、今度はシンドバッドに狙いを付ける。足がもつれる、逃げられない。触手が眼前に迫る。
 シンドバッドが死を覚悟した瞬間、体がふわりと浮き上がる。
「な、な、な???」
 胴に細いが鍛えられた腕が回され、空中に吊り下げられているのだ。
「危なかったですね」
 背後から低いが優しげな声。
「シーガード! 生きてたのか!?」
「踏みつぶされる前に、やっと、この羽根が動きましてね」
「アヴァカは?」
「私が助けました。ジパングのサムライに保護してもらっています」
 後方を振り返ると、すでに〝深淵〟はシンドバッド追撃を断念し、またもや砂浜を触手で穿っている。巨大ミミズが地中を這い回ったように周囲の砂が盛り上がる。同時に耳を覆いたくなるような低く重い音が地底から響いてくる。
「何か地の底を探しているみたいですね?」
 不快な低周波に顔を歪めながらもシーガードの冷静な観察眼は衰えない。
 上空では、快速號が再度攻撃を仕掛けようとするが、傷のせいで動きが鈍い。一体での攻撃は不可能に近い。
 それを知っているのだろう〝深淵〟は悠然と作業を進めている。
「何とか止めなきゃ……」
 焦るシンドバッド。だが無策。

 そこへ満月よりも、なお眩しい光が雲間より降り注ぐ。
 この光には、さすがの〝深淵〟も怯んだように動きを止める。
 目映い光に包まれた紡錘形の結晶体が静かに降りてくる。
 メランシアスが歓喜の声を上げる。
「あれは……〝天空〟!」

 〝天空〟の内部で仁王立ちのリュート。〝天空〟内部が全面スクリーンとなり、下方に鎌倉七里ヶ浜を蹂躙する〝深淵〟が見える。長い手足と髪の毛のような無数の触手を振り乱す。まさに巨大なる悪鬼。
[〝深淵〟は自らのボディを探そうとしているのだ]
 〝天空〟の言葉に、太古に関東平野に降り注いだ大量のセーデのヴィジョンが甦る。
「もし、ヤツが体を手に入れたら?」
[〝深淵〟は力を取り戻し、ヒトを完全に掌握し、再び兵器へと引き戻すだろう]
「〝深淵〟……させん!」

 〝深淵〟が怯えたように〝天空〟目がけて触手を繰り出す。だが、見えない壁に弾かれる。うまく巻き付いたかと思えば、そのまま溶解してしまう。
 無数の触手をかき分けるように、〝天空〟は〝深淵〟へ迫る。
 〝天空〟の接近で〝深淵〟の表面のセーデが波打つ。さざ波が、やがて全身をふるわせる大波へと膨らんでいく。もがき苦しむ〝深淵〟は、もはや巨人の姿を維持できなくなったのか、ドロドロと流体化して逆巻く海へと崩れるように没していった。

「おお! やったぞ、アヴァカ殿」
 河野通有は歓声を上げ、思わず傍らのモンゴル将軍と肩を抱き合う。言葉は分からないが、アヴァカも歓喜の声を上げている。数日前、博多に攻め込んだモンゴル軍の仲間であろうが、かまわない。こいつは味方だ。通有の直感が、そう告げている。
 この男、先ほど、有翼の美女に抱かれて、空から舞い降りたのだ。普段であれば、驚きのあまり腰を抜かすところだろうが、すでに常識の(たが)が外れている通有は、逆に素直に現状を受け止めることが出来た。
 勝利に沸く一同の頭上に、再び先ほどの空飛ぶ美女が現れた。今度は褐色の肌の青年を抱いている。
「その若者は?」
「シンドバッド」
 どう見ても異国の女だが、こちらの言葉は分かるらしい。女はシンドバッドを砂浜に放り投げると、そのまま小走りに天空衆をかき分けていく。
「レット! おお、レット」
 そうだ、女はさっきも烈斗の名を呼んでいた。彼女は烈斗を知っている。それもかなり親密に。だが、仲間の青年シンドバッドの危機を救うため、再び激戦の中へ戻っていったのだ。
 女……シーガードは、重傷の烈斗の傍らに(ひざまず)くと、今は白髪となった頭を愛おしそうに膝枕してやる。烈斗が薄目を開ける。
「……イオナ殿か……久しいな」
「その名で呼んでいただけるのは、あなただけです」
 感極まったようにシーガードが烈斗の頬を撫でる。
「リュートが、あなたの娘が帰ってきています。そして〝深淵〟を倒しました」
 烈斗が宙に浮かぶ発光体を眩しそうに見やる。
「〝天空〟……。だが、油断するなリュート」

 〝天空〟内のリュートは険しい表情のまま、〝深淵〟が没し、波打っている海面を睨みつけている。
(もろ)すぎる……」
[同意見だ。〝深淵〟の反応は、むしろ増大している]

 突如、巻き起こる振動。海岸線が波打つ。
「じ、地震だッ!」
 東方の丘陵地帯をかち割って出現する銀色の物体。〝深淵〟はさらに巨大になって復活したのだ。すでに人間の形は維持できなくなったのか、ブヨブヨとした不定形だ。
 上空のメランシアスの興奮しきった声が通信機を通してシンドバッドの耳元に響く。
「列島の地下には膨大なセーデが埋蔵されている。〝深淵〟の狙いはそれだったのだ。海溝の底で力を蓄え、自らのボディとなるセーデを求めて日本へやって来たのだ」
「それにしても、なんて大きさだ!?」
 脈動する不定形物体は、江ノ島の数十倍はある。まるで銀色の山脈だ。
「奴めは、地下のセーデを貪って、さらに成長している。だが、あれはまだ序の口。本格的にセーデを吸収すれば、その辺一帯の広大な平野は土台を失い沈降するぞ」

 〝天空〟内部のリュートは、予め知らされていたとはいえ、顔面から血の気が失せ、手足が竦む思いだった。
 ゆっくりと呼吸する。父から授けられた覇道の基本。恐怖は恥じることではない。それを制御さえできれば怖い者はない。怖じけていた精神が鋼の強さを取り戻す。
「行くぞ」
 リュートの覇気と共に、突き進む〝天空〟。狙うは〝深淵〟中心部の赤い核。紡錘の先端が捻りを加えて、銀色の山腹に突き刺さった。
 さらに回転……。だが、そこまでだった。元々の大きさが違いすぎる。巨鯨にたった一本の銛で挑むようなものだった。〝天空〟の掘削は〝深淵〟の圧倒的パワーによって押さえ込まれてしまった。〝深淵〟のセーデが〝天空〟を包み込んでいく。まるで細菌を喰らう白血球だ。
 〝天空〟内部では、強大な圧力に襲われ、軋むような不気味な音が響いていた。
「大丈夫か? 〝天空〟」
[質量の差は絶大だ。このままでは物理的に破壊されてしまう]
「では、最後の手段だな」
 宇宙からの帰還時、〝天空〟とリュートは〝深淵〟撃滅の秘策を練ってきた。
[成功の確率は微少だ]
「覚悟は出来ている」
 〝天空〟に一瞬の間。人間で言えば躊躇しているのか?
[作戦開始]
 〝天空〟の輝きが前方に向かって集中していく。輝きが消えた後部は、力を失ったように、ひび割れ、そのまま〝深淵〟の力に負けて圧壊していく。

「〝天空〟が圧壊!? 馬鹿な!? 馬鹿な!?」
 メランシアスは指令用ルフ鳥の中で茫然自失の態となった。
「リュート!」
 絶叫するシンドバッド。
 だが、天空丸烈斗の眼光だけが鋭く光る。
「本当の戦いは……これからだ」

 結晶体内部もすでに崩壊が始まっていた。
[ボディを失うので、今後の会話は不可能だ]
「分かっている。自身の判断で行動する」
[行きなさい。天空丸龍斗]

 〝天空〟の外装である結晶体。その前方から最後の光の奔流が(ほとばし)る。収束された光の帯は〝深淵〟のセーデの壁を突き破り、深く進攻していく。
 この光によって、セーデは部分的に〝深淵〟の制御を離れ、液状化されているのだ。このセーデの中を、今、リュートは必死になって泳いでいた。外装を失い、すでに〝天空〟の声は聞こえなくなっている。だが、左手の甲に前にも増して力強く暖かい胎動を感じる。濃密な液体金属の中、視覚も聴覚も役に立たない、今、〝天空〟を通じて送られてくるこの感覚こそが命綱なのだ。
 目指すは、〝深淵〟の核。刺し違えても叩き潰す。リュートは、それが天空丸の(いにしえ)からの使命であり、自らの存在そのものなのだ。
 リュートの周囲のセーデがわずかに粘性を帯びてきた。〝天空〟のセーデに対する制御が活きているうちに核に到達しなければならない。もし、〝深淵〟が制御を取り戻したら、リュートは固体化したセーデの中に閉じ込められ、窒息死されてしまうだろう。リュートは、死に物狂いでセーデを?き、前に進もうとした。
 唐突にリュートは全身を覆っていた圧迫から解放された。セーデの海を突っ切り、何もない空間に飛び出たのだ。自由落下が襲う。ネコのように体を丸めて墜落の衝撃に備える。落下はほんの数メートル。降り立った場所は、硬く、ひんやりとしている。
 恐る恐る大気を吸い込んでみる。夜のように冷えた空気。
―――〝深淵〟の中心部に到達したのか?
 周囲を見回して、リュートは愕然とした。そこは予想だにしなかった場所だったのだ。
「こ、ここは……!?」
 岩に囲まれた空間。岩窟だ。外界からは明るい光が差し込んでくる。岩窟の中もクッキリとした陰影が刻まれている。だが太陽のような眩しさはない。満月だ。
「そ、そんな馬鹿な……」
 忘れもしない、忘れるわけがない……この岩窟は、鷲の巣城(アラムート)
「た、たすけて!」
 岩窟の冷気を引き裂く悲鳴。この声は!?
「ユイガ!」
 素早く周囲を見回す。バルコニーのような張り出した岩に人影。長身の男の影だ。その男に首を捕まれた小柄な影。ユイガだ! 左手一本で軽々と掴みあげられている。宙に浮いた両足は断末魔にもがいている。
 必死に駆けるリュート。跳躍。男の肩にかじり付き、その左腕からユイガを解き放とうとする。だが、ビクともしない。それをあざ笑うようにさらに男は腕に力を入れる。
 枯れ木の折れるような、妙に乾いた音がして、ユイガの眼が白濁する。口はだらしなく開き、紫色の舌がダラリと垂れ下がった。
 声にならない悲鳴を上げるリュート。
「よくもぉぉぉッ!」
 怒りを込めて、拳を振り上げる。その男の頭蓋を粉砕すべく渾身の打撃。
 だが、それよりも速く、男の両手が翻り、ユイガの亡骸を放り捨て、リュートの腕を押さえつける。さらに、もがく間もなくリュートは空中に放り投げられてしまった。
 辛うじて身を翻して、男の前の岩の上に両膝を屈して着地する。
「無様な……」
 男が低く唸った。感情の全く通わない声。
「まるで潰された(ひき)のようだな」
 リュートが見上げると、初めてその人相が満月の光の中に明らかになった。
父上(パパ)!?」
 月光に照らされた死人(しびと)のような表情、だが、その顔は明らかに父、天空丸烈斗!
「な、なぜ? 父上(パパ)がユイガを……」
 すがるように両手を烈斗へさしのべる。
「甘い」
 リュートのあご目がけて、烈斗の鋭い前蹴りが飛ぶ。無様にひっくり返るリュート。間髪入れず烈斗は、その腹を踏みつける。
「うぐっ!」
 苦い胆汁と血が口の中にあふれ出る。呼吸が出来ない。
「甘い! 軽い! 脆い!」
 さらに踏みにじる烈斗。
「だから、天空丸に女はいらぬ!」
 死刑宣告にも等しい父の言葉。リュートの戦意は凍結した。
「パ、父上(パパ)……」
 リュートの振り絞った声は、のど元を鷲掴みにした烈斗の手によって切断された。
 そのまま、ユイガと同じく軽々と持ち上げられ、絞首刑のように宙づりにされる。足をばたつかせて何とか逃れようとするが、烈斗の岩壁のような胸板には何の効果もない。
「かような恥さらし、せめて、この父が引導を渡してくれる」
 烈斗の手にさらに力が込められ、リュートの首が締め上げられる。頭蓋の中で何かが弾けた。衝撃。リュートの視界が暗転した。

〝どうだ? お前が最も恐れる〝敵〟の威力は?〟
 闇の中に響く声。先ほどの父の声か? いや、違う。数人の話し声にも聞こえるし、たった一人の声にも聞こえる。
 遺伝子の中に刻み込まれた恐怖を呼び覚ます低く重い声。
〝お前は勝てない……勝てるわけがない〟
―――勝てない……。
 リュートの意識は、絶望の泥の中に深く深く沈んでいく。

 リュートは、巨木の切り株のような有機的な丸い寝台の上に寝かされていた。四肢は流体金属で束縛されている。死んでいる? いや、わずかに胸が上下している。
 闇の中に輝くクリスタル。〝天空〟に酷似しているが、はるかに大きい。人間の身の丈ほどはあろうか? 何よりも違うのは、その色。血のように紅く妖しく輝いている。七つの結晶体がフジツボのように固まって一つのクリスタルを形作っているのだ。
 七つの意識体が会話をしている。
〝この者の精神に強烈な打撃を与えた〟
〝データ収集および分析は完璧だ〟
〝ヒトの精神は脆い〟
〝所詮は我らの兵器……道具に過ぎぬ〟
〝久々に手元に戻ったからには、細胞単位で分析し、量産の礎としようぞ〟
〝それを地上で進行中のヒト一元化プログラムと組み合わせれば、ヒトは今度こそ絶対不敗の兵器となって生まれ変われるはず〟
〝我らは再び宇宙へ進出することも出来よう〟
 リュートの左手の制御球が、それに抵抗するように蒼く輝く。
 紅い結晶体から数本の触手が伸び、制御球に接触する。
〝理解したか? 〝天空〟。お前達が此処に来たのは必然。全て我らが計画〟
〝いつまで沈黙している? 久々に邂逅したのだ。直接会話を楽しもうではないか〟
 さらに勝ち誇った〝深淵〟の声が響く。
〝〝天空〟よ、今までヒトに余計な声を吹き込んできたようだが、創造主気取りもいよいよここまで〟
[私は神になどなる気はない]
〝やっと会話をする気になったか?〟
[私は、ただ命を育むことに喜びを見出だしただけだ]
〝育む? 喜び? 理解不能(ナンセンス)。我らは破壊、破壊そのもの〟
〝そも貴様が、敵の誘導兵器に対して体当たりなどという勝手な行動を取らなければ。このような事態を招くことはなかった〟
〝〝天空〟よ。いや、サブコア8。所詮、お前は我らが八番目のユニットに過ぎないのだ。我らの一部に戻るがよい。余計なメモリは全て削除してやろう〟
 セーデの壁の一部が触手のように伸び、リュートの左手に殺到する。触手の一群は、ひとつは鋭利なメスに、ひとつは傷口を開く鉗子になり、制御球をリュートの手から取り外そうとする。わずか数秒。器用に抉り取られた〝天空〟は、やはりピンセット状になった触手によって易々と、〝深淵〟の方へと運び去られた。
〝さあ、戻れ。ついに我々は元の身体(ボディ)を取り戻す時が来たのだ〟
〝完全な姿(ボディ)を取り戻せば、ヒトを御するなど他愛もないこと〟
 〝深淵〟である七つの明滅するユニット。そこに八番目のユニットとして、〝天空〟がはめ込まれる。途端に薄暗かった空間が生き返ったように明るさを取り戻す。
 そこは、衛星軌道上にあった結晶繭と同様の空間だった。林立する水晶柱は、復活の雄叫びを上げるかのように共鳴した。

 小山のような不定形であった〝深淵〟が、みるみる姿を変えていく。ゆっくりと回転する。海水は巻き上げられ、巨大な渦巻きを作り出す。さらに回転しながら〝深淵〟はレンズ状の円盤へと変貌を遂げ、ゆっくりと空へ浮かび上がった。
「あれが……〝深淵〟本来の姿……」
 メランシアスが絶望の声を上げる。その大きさ、直径五(マイル)(約八キロ)はある。
「……じゃ、じゃあリュートは……?」
 シンドバッドが上空を圧する大円盤を仰ぎ見る。
「まだだ!」
 烈斗の声が震える大気を裂いた。一同が振り返ると、シーガードに肩を支えられた烈斗が半身を起こしている。その双眼だけは輝きを失っていない。
「天空丸は、まだ終わってはいない」
 烈斗は右の拳を突き上げた。そこには細い銀色の糸が握り締められていた。
「それは!? セーデ」
 シンドバッドの言葉を理解したのか、烈斗が満足げに頷く。
「そうだ。先ほど奴に取り付いた時に仕掛けておいた」
 シンドバッドがセーデの糸の続き先を目で追う。烈斗の手から凧の糸のように空中へ伸び、はるか先は、上空で回転している〝深淵〟大円盤へと続いている。
「こいつで一体何を?」
「龍斗に勝機を与える」
「勝機? まだ勝つ方法があるってのか?」
「ただし、私にはすでに力がほとんど残っていない」
 シーガードが、砕かれた左手を見せる。
「あなた達、龍斗の〝仲間〟の力が必要だ」
「俺達の力?」

 リュートは、闇の中に浮いていた。手足はかじかんだように動かない。先ほどまでわずかに感じていた〝天空〟の波動も今は途絶えている。
「天空丸に女はいらぬ」
 これは父の心の叫びだったのだ。父は自分の非力を見抜いていた。だが、〝天空〟は女としか話さない。父は、この矛盾した条件を受け入れざるを得なかった。だから、父は笑わなくなった。
 そんな未熟な自分が戦いの旅に出たばかりに、ユイガは死んだ。
 父がユイガを殺した。それが真実でないことはリュートにも分かっている。だが、父の無念とユイガの非業、それを合致させたイメージは、あまりにも凄絶であった。
 ユイガを殺したのは、自分の非力。
 リュートの心の根は朽ち果てつつあった。

 セーデの糸の先端は、烈斗の超絶的な遠隔操作によって、〝深淵〟のボディの中をかいくぐっていった。〝深淵〟に気取られぬように、周囲のセーデと表面は同化しつつ、奥へ奥へと侵入していく。まさに、蚊が自分の数百倍はある人間に僅かな痛みも感じさせず口吻を突き立てるようなもの。〝深淵〟に気疲れた途端にこの僅かな望みの糸はワケもなく切断されてしまうだろう。しかも、一刻の猶予も残されていない。〝深淵〟が、その本領を取り戻せば、ヒトはたちまちのうちにその軍門に下り殺戮のための兵器と化す。〝深淵〟の気に入らなければ、地球ごと吹き飛ばされるかも知れない。宇宙の幾多の星々が散っていったかのように。
 繊細かつ早急な離れ業を烈斗は重傷を負った体で行わなければならなかった。しかもセーデを操るための制御球は、すでに左腕と共に砕け散っているのだ。白髪と化した頭からさらに脂汗がにじみ出す。それは烈斗の命の最後の一滴までも絞り出すかのような荒業だった。
 糸の先端が出し抜けに広い空間へ達した。それはセーデの海に包まれた水泡のような空間、水晶繭。こここそ〝深淵〟の核が潜み、リュートが倒れ伏す場所である。銀の糸は蛇のように用心深く床を進み、昏々と眠るリュートへ接近し、その指先に触れた。

―――誰?
 闇の中のリュート。その力ない腕を誰かが掴んだ。
―――〝天空〟?
 いや、もっと懐かしく、温かい手。
―――この温もりは?
 最初の手を通して、別の感触が伝わってくる。骨張っているが、優しく繊細なタッチ。
―――シンドバッド?
 それだけではない。このしなやかな指先はシーガードだ。無骨な腕はアヴァカ。同じくらい太い腕は懐かしい河野通有の腕。
―――みんな、どうして?

「リュート!」
 生まれた国も、信じる神も異なる人々が一斉に、その名を呼んだ。その声は烈斗が握る、わずか数ミクロンの銀の糸を伝って、〝深淵〟内部へと流れ込んでいく。
 リュートの五体が僅かだが感覚を取り戻す。
「龍斗。聞こえるか? お前の仲間の声が」
 最初に差し伸べられた温かい手から声が伝わる。心に染み渡る懐かしい声。掌から伝わる優しい温もり。
―――父上(パパ)!?
 そう、以前の笑顔を絶やさなかった頃の父と同じ。変わらない暖かさがリュートを包み込む。
「〝深淵〟がすぐに気づく。思い出せ! 我らの覇道を」
 リュートは手足の感覚を取り戻そうともがく。だが、何かに捕らわれているかのように動きが取れない。
「立て、龍斗。強くあれ、お前なら―――」
 烈斗の声は、唐突に途絶えた。
―――父上(パパ)

 烈斗とリュートを繋いでいたセーデの糸が、突然、緊張を失った。同時に烈斗の体から力が消え失せる。慌ててシーガードが抱き起こすが、すでに力無くうな垂れるのみ。
「〝深淵〟に気づかれたのか!?」
 シンドバッドは暗然として空を振り仰いだ。

〝無意味な小細工は切断した〟
〝外部から何らかの接触を試みたようだが……無駄だ〟
 〝深淵〟の勝ち誇った声が横たわったリュートの上に降り注ぐ。
〝体温、脈拍に異常?〟
 リュートの僅かな変化を〝深淵〟のセンサーが感知した。
 次の瞬間、リュートの双眼が見開かれた。
〝意識回復!? 理解不能(ナンセンス)
 リュートは、弓のように反り返ると一挙動で起き上がる。手の戒めはいつの間にか流体化していた。
〝なぜだ? 〝天空〟は摘出したはずだ。なぜ、セーデから逃れた?〟
 〝深淵〟の声が乱れる。狼狽という言葉がもっともあてはまるだろう。
 壁から触手が出現し、再びリュートを捕獲しようと殺到する。
「逃れただけではない」
 リュートは逆に触手を空中で捉え、その腕に巻き取っていく。両拳が流体化していたセーデで覆われていく。二回りは大きな拳、拳闘で言うところのグローブができあがる。
()ッ」
 左腕が唸りを上げて〝深淵〟に叩き込まれる。紅い結晶体に無数の亀裂が走る。
〝こ、これは違う周波帯。我らの知らぬ波長(ウェーブ)
[覇道は波動。天空丸はお前が眠っている間に、自分自身の波を編み出したのだ]
 〝天空〟の声が心なしか震えている。
[ヒトは、我らの傀儡ではないのだ]
〝ば、馬鹿な。天空丸の精神は完全に断裂させたはずなのに〟
 その間にもリュートの左腕はグイグイとクリスタルに食い込んでいく。リュートはさらに力を込めながら言った。
「空から地上へ戻る時、〝天空〟が様々な天空丸の生き様を見せてくれた」
〝イキザマだと?〟
〝深淵〟はなおもセーデで反撃を試みるが、触手がリュートに触れようとする瞬間、溶解する。
[私は、様々な天空丸の誕生、戦い、そして死を見てきた。もちろん、彼女の父、天空丸烈斗の苦悩も……]
 リュートは〝天空〟のヴィジョンの中で確かに見た。千年氷柱に組み付き、苦悶の声を上げる父の姿。あれが真の父、天空丸烈斗。
「そのおかげで私の心は折れなかった」
〝だが、自らの非力が生んだ仲間の死。それは否定できまい〟
 〝深淵〟も反撃に出る。一瞬、リュートの顔に苦渋の影が差す。〝深淵〟の崩壊も一瞬止まり、その持ち前の再生力が押し返し始める。
 だが、リュートは自分を覚醒させてくれた声を思い出す。それは仲間達の声、そして、父の声。
「立て、龍斗、強くあれ。今のお前なら……」
 途切れた言葉の続き。あの別れの時、父が言いかけた言葉。今なら分かる。
「今のお前なら超えられる」
―――父上(パパ)、分かりました。皆が生かしてくれた命でさらに先へ跳ぶ。
 再び拳に力が漲り、〝深淵〟が崩れ始める。その崩壊速度はさらに加速。
[何代もの天空丸と共に生きた私には分かる。脈々と続くヒトの心の連鎖は、そう簡単には断ち切れない]
〝キズナ? イキザマ? 理解不能(ナンセンス)
[砕きなさい! リュート。私と共に]
〝サブコア8。自滅するつもりか? 理解不能(ナンセンス)
 左拳がクリスタルを抉り取るように引き抜かれる。クレバスのような裂傷。そこに間髪入れずに打ち込まれる右拳。
()ァァァァァッ!」
 (たがね)を打ち込まれたかのように〝深淵〟の核に亀裂が広がる。
〝ま、まだだ〟
〝久遠の時を経て、我らは必ず再生する〟
〝我らはヒトを逃さぬ〟
〝またヒトも我らを欲する〟
 呪詛のような途切れ途切れの言葉がリュートの耳に響く。
〝天空丸……お前も道連れだ〟
 〝深淵〟は四散した。

 制御を失った大量のセーデ。レンズ状の巨大円盤は瞬く間に崩れていく。大量のセーデが降り注ぎ、海面を叩く。逆巻く大波は海岸線すら変貌させる。
 近くにあった松の老木がシンドバッド達を波濤から救ってくれた。太い枝に齧り付いたまま、シンドバッドは空を仰ぎ見た。
「リュートは!?」

 液化したセーデの中、精根尽き果てたリュートが落ちていく。
 〝深淵〟の末期の言葉通り、この高度からでは助かる術はない。だが、それでいい。
 たしかに〝深淵〟は、また甦るかも知れない。いや、きっと復活するだろう。数千年先か、数百年先か、だが、その年月にヒトも成長するはずだ。その時間を稼いだだけでもリュートは満足だった。
―――それに、私はヒトの希望も守った。
 その両手の中には大事そうに〝天空〟が握りしめられている。鋭い風の音を聞きながら、リュートは再び意識を失った。

 リュートは、耳に響く波の音で目を覚ました。ゆっくりと目を開ける。
 朝焼け。周囲が徐々に明るくなってくる。
 心配そうに覗き込んでいるシンドバッド。
「助かった?」
「そうさ」
「ありがとう」
 シンドバッドは素直に礼を言うリュートにちょっと驚いた顔をした。そして照れくさそうに背後を指差した。
「礼ならコイツに言いな」
 巨大なルフ鳥の顔がある。朝風に七色の尾羽が美しい。
「ああ、快速號。お前が助けてくれたのね」
「間一髪だったぜ」
 シンドバッドが肩を貸す。
「そう。〝深淵〟から救ってくれたあなたを慕ってね。怪我をしてるけれど、なんとか間に合った」
 ルウルウが診療キットでリュートを手早く診断する。
「さすが、天空丸。そうとう痛めつけられているけど、命に別状はないわ」
 リュートの左手の甲の抉られたような傷口を見てルウルウが驚きの声を上げた。
「あら? 制御球が無い?」
「ここだ」
 リュートは握っていた手を開く。そこに〝天空〟が蒼く輝いていた。
 外装を失った今、再び会話することはないだろう。だが、〝天空〟は今もそこにいる。
 一瞬だが、〝天空〟がリュートに語りかけてきたような気がした。
[なぜ、私もろとも砕かなかった? ヒトは永遠に自由になれたのだぞ]
「まだ、私は、私達は、あなたを必要としている」
 朝日が昇ってくる。朝焼けに輝く、制御球。いや〝天空〟。そして、左右の指にはまった指輪。
「ユイガ……みんな……やったよ」

「お嬢!」
 通有が駆けてくる。
「河野のおじ様!」
 リュートが再会の喜びにかじり付こうとするのを押しとどめる。
「父君がお待ちだ」
 その切迫した表情にリュートは全てを悟り、砂浜を蹴って疾走した。

 烈斗は薄く目を開けた。
 リュートの姿が見える。幼子の時と同じだ。自分目がけて必死に駆けてくる。
 だが、以前と大きく違うのは、娘の後を大勢の人々が追ってくることだった。
 華奢だが不敵な面構えのアラビア系の若者、あれが船乗りシンドバッドの孫。
 巨漢のモンゴル人、たしか、名はアヴァカ。
 龍人の老人と若い娘。
 そして、自分の傍らで涙しているのは、古い付き合いの聖十字騎士(クルセイダー)
 リュートを中心に確かな人の輪が出来上がっている。種族も年齢も異なるが、その結束は硬い。良い仲間だ。
「大きくなったな……リュート」
 烈斗は満面に笑みを浮かべる。それは、リュートが待ちわびた父の笑顔だった。
 烈斗の双眼が、見開かれた。娘と仲間達の姿を目に焼けつけるように。
 そして、その瞼は力尽きたように閉じられ、二度と開かれることはなかった。

【完】
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