第三幕 忍びよる影
「ふ〜やっと終わったね。」
品川プリンスホテルに面しているカフェで、由佳里が晴れ晴れした笑顔を透に向けた。
「ははは。由佳里はホントに照れ屋なんだね。」
由佳里の無邪気な笑顔を見て、透は幸せそうに微笑んだ。
記者会見が終わった後、透と由佳里は、近くのカフェでランチを取っていた。
二人が食事をしているテーブルは外にあり、キラキラとした秋の日差しが、まわりの木々の緑を伝い木漏れ日となり美しく輝いていた。
「……まぁ。由佳里の照れ屋は今に始まった事じゃないけどね。」
「……そっか。私は10年前の放火事件のショックで幼少の頃の記憶を無くしてしまったみたいだけど、透さんは…記憶をなくしてしまう前の私も知ってるんだもんね。」
「まぁね。知ってるって言っても、君がこっち(東京)に来てからの中学時代の事だけだけどね……。」
「なるほど……。確か…私って小学生の頃は、富山の施設で育てられてたんでしょ。」
「……うん。君が生まれ育ったのは富山だよ。」
透は、由佳里にゆっくりと話し始めた。
「例の事件をきっかけに、一ノ瀬のご両親を亡くした君を、朝比奈家で引き取る事を決めた時……実は僕は、君が育った施設に、父と一緒に一度ご挨拶に行った事があったんだよ…。そこの園長先生はね、確か熱心なクリスチャンでね…とても真面目でまっすぐな方だったよ。」
「………そうなんだ。」
由佳里は、自分の奇妙な運命を振り返ってしまったのだろうか、少し寂しいそうな表情で透に微笑む。
「…………」
そして、寂しそうな由佳里の表情に気づいたのか、由佳里にとってデリケートな部分に思わずと言えども、触れてしまった透は神妙な面持ちで由佳里を見つめる。
「ねぇねぇ。中学の頃の私ってどんな女の子だったの!?」
そんなぎこちない時間にピリオドを打ったのは由佳里だった。
愛する婚約者に気を遣わせまいと、由佳里は無邪気に笑いながらあえて透に尋ねたのだ。
由佳里とは、そんな女性だった。
自分がいくら辛い過去を持っていても、決してそれで周りに心配などはかけたくはなく、むしろそんな辛い過去も吹き飛ばすくらい、常に笑顔を絶やさず、周りに元気を与えて生きてきた。
きっと透も、そんな由佳里の健気さや前向きさが何よりも愛おしくたまらなかったから、由佳里がどんなハンディを背負っていても、ずっと由佳里を支えてきたのであろう。
「……そうだなぁ。中学生の頃の君は、部員たちの面倒見がとてもよく、いつも笑っていて、僕たちサッカー部員たち全員の憧れだったなぁ。」
「きゃははは。……それでその憧れの女の子のハートは、10年前のクリスマスイヴに透さんに奪われた訳だ。」「……ばか。」
二人の笑い声は、昼下がりの木漏れ日で美しく煌めくオープンテラスに優しく響き、二人を幸せすぎるほどに包んでいた。
―――しかし
その幸せそうな時間を、怒りに満ちた目で見つめている眼差しが、周りの木々の中から怪しく光っている事に、二人は全く気付いていなかった。
「……由佳里。ちょっとタバコ買ってくるね。一人で大丈夫!?」
「うん。平気だよ。車イスだからって、甘くみないでよね〜。」
由佳里はおどけながら、車イスを器用に右左と自分の身体のように操る。
「はははは。分かった。分かった。じゃぁ、ちょっと行ってくるね。」
「うん。行ってらっしゃい。」
由佳里は、小走りに駆けて行く透に、笑顔で手を振った。
「…………?」
さっきまで輝いていた日差しが、急に雲により遮られ、辺りを大きな陰で包み込んだ。
「………少し寒くなったかな…。」
由佳里は横に置いてあったバックから、ストールを取り出し肩に掛けた。
「………ねぇ…。結婚するってどんな気分!?」
―――!!!
まるで由佳里が一人になったのを見計らったかのように、急に由佳里に問いかける男の声がした。
「…………だれ!?」
恐る恐る声がした方向へ顔を向けると、タイトな黒いスーツに身を包み、大きな帽子を深くかぶった直哉が立っていた。
「ねぇ教えてよ。結婚するってどんな気分!? 楽しい……!?」
「あなた……ダレよ!?」
由佳里は、急に現れた直哉に怯え、両手で車イスのタイヤを回し、後ずさりする。
しかし、そんな事おかまいないしに、直哉は両手をポケットに突っ込み、腰を屈めながら車イスの由佳里に目線を合わせじわじわと近づいてゆく。
「結婚するってさぁ…。今まで付き合ってきた男を裏切り、夫になる男にその身を捧げんだろ…!?」
「………ちょっ…近づいてこないで!! 大声出すわよ!!」
「………ねぇ…。あんたも今ままで何人もの男と付き合ってきたんだろ!! その男たち裏切って自分だけ幸せに結婚するってどんな気分なんか教えてよ…!!」
「……ふざけないで!! ちょっとあっち行きなさい!!」
直哉がいきなり、由佳里の肩を掴んだ時だった………
「おい!! 何してるお前っ!!」
タバコを買いに行った透が、由佳里の前に不審な男がいる事に気づき声を張り上げ走ってきた。
「なぁ…由佳里!! 絶対お前らの結婚ブチ壊してやるからな!!」
透が戻って来たのに気づいた直哉は、由佳里の耳元でそう呟やくと走り去って行った。
「大丈夫か!? 由佳里!!」
透は由佳里を力いっぱい抱きしめる。
透の腕の中で、由佳里は小さく震えていた。
――あのヒト……
……私の名前を知っていた!?
透の腕の中で、由佳里は言いようのない恐怖に包まれていた。
|