ねがい が かなう ノート
――今日も勉くんに話しかけられなかった。
高校からの帰り道、私、木浦まどかは溜息を何度も吐きながら帰る。政田勉くんは、同じクラスの、帰り道が駅まで一緒な私の好きな人。何度頭の中で「駅まで帰らない?」 「偶然だね。ちょっと話して帰ろうよ」 なんてシミュレートしただろう。
それらは全部失敗に終わる。本人を目の前にすると、あがってしまって何も言えなくなる。ならせめてちょっと距離を置いて帰りながら、一緒に帰ってる気分を味わうなんていいかな。とか思っても、誰かにそれをさとられたらと思うとどうしても出来ない。結果、無駄に電車の時間をずらして帰る日々。
どうして恋をするとこんなにも臆病になるんだろう。何かきっかけがほしい。こんな私でも上手く出来るきっかけが。
そんな風に思ってたら、家まであと数メートルの距離で、道端に変なノートが落ちていた。落し物かと思って拾うと、まず乱雑な字で書かれたおかしなタイトルが目に入った。
「……何これ。『ねがい が かなう ノート』?」
字のあまりの読みにくさからいっても、小学生の私物だろうか。中身を見ないようにして落とし主を探る。しかしタイトル以外何も書かれていない。やむなく中を見るもどのページも真っ白で、使ったのはタイトル書きだけのようだった。
これでは持ち主特定は無理そう。私に出来るのは……他の人に見つかって本人特定されて黒歴史を作る前にこちらで処分することくらいだろうか。特定されたら、絶対馬鹿にされるタイトルだよこれ。小学生くらいなら悪気無くクラス全員でからかい倒すとかありそう。
そう思って、誰も見ていないのを確認してさっとノートを鞄にいれる。悪いことしてるみたい。……いやよかれと思ってやってるけど、悪いことか。でも帰ったらさっさとゴミ袋入れて処分しよう。
しかしその日は私の大好物が並んだ夕食で、私はノートをすっかり忘れてしまった。
翌日、夕食の良い気分が続いたまま最寄の駅まで行くと、勉くんが友達数人と談笑しながら登校しているのにかち合った。今日は良い日だなあ、なんて気分は次の瞬間地に落ちた。
「政田、お前好きなやついるのかよ」
「誰だよ! 言っちまえって!」
心臓が、縮み上がって痛い。え、嘘でしょ。そりゃあ自分と彼が、何て思っていたけど。そんな誰かと、なんてそんな想定してなくて。胸が痛い。お願い否定して勉くん。
「バカ、軽々しく言えるかよ」
泣かないように頑張った。頑張って高校まで歩いて、トイレで泣いた。好きな人が、話したこともない私じゃないのは確かだ。容姿だって、好かれるような容姿とは言いがたい。彼を思ってるだけで幸せだと思っていたのに、こんな気持ちになるのは、やっぱり私にも汚い独占欲があったんだ……。
目薬をうって教室に出る。そこには、心配そうに私を覗き込む親友の菊井恵那ちゃんがいた。
「まどか、大丈夫? 着くなりトイレに駆け込むんだもん。お腹痛いなら、保健室行こうか?」
自慢の友人だ。優しくておまけに可愛い。私が自分の何を誇るかって、こんな友人持ってる自分に誇る。だから心配かけさせたくなくて、明るく振る舞う。
「大丈夫。ちょっとお腹冷やしちゃったみたい」
「そう? ……悩み事があるなら、いつでも相談してね」
目薬では目の赤みは消しきれなかったかな。色々言いたいことはあるだろうに、あえて何も聞かない恵那が好きだ。それでいて、弱音を吐けば付き合ってくれるしいつでも手を貸してくれる。自慢の親友だ。
けど、そんな親友にも恋愛の悩み事なんて言えない。恥ずかしいし。第一さっき終了したも同然だし。
そんな、憂鬱な午前中を過ごした。昼休み、お弁当を食べようと鞄を漁ると、見知らぬノートが見えた。と、思い出す。ああ、昨日の……。……。
本物、だったらいいのにな。
ねがい が かなう ノート。小学生どころか、字を覚えた幼稚園児が必死に単語単語を噛みしめて書くような稚拙な字面。それが眩しかった。だから、このノートに書き込んだ願いは、どんなものでも純粋にものになるような気がした。たとえそれが、下心満載なものでも。
『勉くんが、まどかに教科書を借りに来る』
人の目を盗んで軽く書いた文章。見てて乾いた笑いが込み上げた。自分が幼稚園児の時は、ケーキ屋さんになりたいとか玩具がほしいとかだったけど、これの持ち主はこんなことが第三者に書かれるとは思っていないだろう。私も汚れたな。誰かを自分の言いなりにできたら何て思ってる。隣のクラスの政田くんが借りに来るなんてそうそうない。昔少女漫画で見た、教科書に手紙を挟んで、なんてシチュエーションが好きだったからって。浅ましさを実感しながら、恵那と屋上でお昼を食べる。
本人も忘れたころ、それはおこった。
「誰か、古典の教科書持ってない?」
政田くんが隣のクラスからやってきた。私の驚きは言うまでもないだろう。
え!? 何これ偶然? それとも……まさか本物?
何か神秘的な力が働いてると思った私は自己暗示によるものなのか強かった。「何の教科書?」 と話しかける。「古典なんだけど、ある?」 と答えて、私は「ロッカーにあるよ。待って、取ってくる」 と走る。胸がドキドキしていた。手渡したところでチャイムが鳴り、彼は私の教科書をしっかり持って自分のクラスに走っていった。彼が私の教科書を持ってる。それだけで、天にも昇りそうなくらい嬉しかった。
五時限目が終了後、教科書が彼から戻された。
「ありがとう、助かったよ木浦さん」
こんなに近くで話してる。彼からお礼を言われてる。彼が私に向かって微笑んでいる。今死んでも悔いはないと思えた。至福の時間はすぐ終わったが、今夜はこの教科書を抱いて寝ようと何気なくページをめくると、手紙が挟まっていた。一瞬心臓が止まったように思う。教科書に隠して、誰にも見られないようにして読む。
『今日は無理だけど、明日一緒に帰ってほしい。いいかな?』
顔が自然にニヤけてきて、周りの生徒に不審がられる。いけないいけない。でも抑えられない。これって、もしかしなくても、ラブレターってやつ?
すごい、あのノート、絶対本物だ。私がノートに畏敬の念を抱いていると、恵那がさっきから挙動不審の私に心配そうに話しかけてきた。
「まどか、どうしたの? 今日の六限は古典じゃないよね」
ハッとする。確かに、いつまでも眺めすぎだ。慌ててしまう。
「あ、うん。ちょっとぼーっとしてた。ごめんごめん。すぐ準備するよ」
「うん……。にしても、隣のクラスから教科書借りるなんて珍しいよね。先生に言えば貸してくれるのに」
恵那が訝しがるように言う。そんな言葉も、今の私には嬉しいことにしか変換できない。
「誰かどうしても借りたい人とかいたのかな? なーんてねっ!」
何故か、恵那がびくっとしたような気がしたけど、何だろう? でも恵那はすぐいつもの調子に戻った。
「ふーん? そうであって欲しいのかな?」
「えー? どうだろ?」
「もうまどかは。……でも、まどかが嬉しいなら私も嬉しいよ」
恵那はそう言って、どこか寂しそうに笑った。でも今の私にはそれに気を回す余裕がない。幸せオーラがあふれ出すくらい出てくるんだから。
「そう? じゃあ私の幸せわけてあげる~なんちゃって」
「わー、わけてわけて!」
恵那とのじゃれ合いは好きだ。何か青春してるって感じで。
その日家に帰ったら、私は普段は大嫌いな文字ばかりの教科書をすみずみまで読んだ。彼の名残を惜しむように。そこでふと思う。確か、彼の手紙が挟んであったページに出てる和歌。これ恋の歌だとか先生言ってなかったけ。『相念わぬ人を思ふは大寺の餓鬼の後に額づく如し』 意味全然分かんないけど、恋の歌なんだよね? これもわざと? きゃーロマンチック!
一日天国にいる気分を満喫しながら、私は放課後を待った。途中、彼が「委員会終わったらでいいかな? 時間大丈夫?」 と聞いてくる。貴方のためなら何時間でも待ちますとも。図書館で時間を潰して……と思っていたら、恵那の部活で使うという。あー、文芸部ね。何か野球部のボールに成りきった小説で大賞取った生徒が在籍していた由緒ある部だとか。でもだから偉いんだぜって強引に他の部に絡むこともあるし、私あの部好きじゃない。恵那と恵那の書く小説は好きだけどね。
仕方なく、教室でスマホいじって時間をつぶす。時間がきて、髪と制服をきっちり整えて校門にいくと、彼が待っていた。
「あ、ごめん遅れた?」
「ああ、今来たとこだから平気」
何か、今の恋人同士みたいだよね。勉くんとこんな会話をする日が来るなんて。嬉しい。それに一緒に下校なんて、それなりに脈有りって思っても、いいよね? ほんと嬉しすぎる! 雲の上を歩いている心地で帰途につく。嬉しすぎて、会話が結構生返事だった気がする。
「いつも友達の子と、何を話してたりする?」
「へ? ああうん。テレビとか、雑誌とか? 私はドラマが好きだな!」
「へえ……菊井さんもそういうのが好きなんだ?」
「どうだろ? 流行りものを小説にいれると食いつきがいいとか言ってたけど。私は何でも見るタイプ」
「ふーん……。定番の名作とか範囲外だったりするのかな」
「それはそれで読んでるって言ってたよ。家にいっぱい本があるから、私も何度か行ってるの。恵那のうち、お菓子が美味しいんだ」
「そうなんだ。二人とも、本当に仲いいね」
あれ、もしかして彼ったら恵那に焼いてる? ふふふ。仲がいい友人に嫉妬って、漫画や小説でも定番のパターンだもんね。そんなことしなくても、私は勉くん一筋なのに。
幸せな気分で、駅まで歩いた。彼は人の多い駅につくなり、少し距離をとった。まあ、噂とかされても困るもんね。そしてさもずっと弄ってましたといわんばかりに、スマホを取り出して眺め始めた。お互い迷惑ならないためと分かっていても、ちょっと寂しいな。帰り際、何気なく聞く。
「スマホ、楽しい? 何を見てるの?」
彼は、ちょっとむっとした表情をしてから答えた。
「本が無料で読めるとこ……著作権が切れたのをね。結構面白いよ」
「わ、すごい」
「何かの役に立つかと思ってね。でも、恵那さんは前に進む人だった」
最後の辺りは電車が駅に入ってきて、よく聞き取れなかった。でも、彼が読書家なんて分かってよかった。スマホじゃ読書かなんて分からないもの。恵那に言って、私も何か良い本借りようかな。
その夜、私はこれが出来たら満足ってことを全部したのに、どうしてか飽き足らずにもっともっとと思うようになっていた。今日なんか駅についたら無言で離れられたし寂しい。きっと付き合ってないからだ。付き合えばもっと一緒にいられる。もっと話せる。もっと彼を私だけのものにできる! 私は願いが叶うノートを取り出した。
『明日、勉は放課後告白する』
書き終わってベッドでごろんごろんした。明日は告白されちゃうかも! 身だしなみに気合いれなきゃ!
「君が好きだ」
勉くんは確かに告白した。日にちも時間もぴったり。ただそれは私じゃなくて、恵那に。放課後こそこそどこかに行く彼を追ったら、恵那が校舎裏で待っていて、彼は軽く咳払いをして恵那にそう言った。
恵那は、震えていた。
「う、嘘。だって政田くん、昨日まどかと帰ってたじゃない」
「君と直接話すのは恥ずかしかった。だから友人から君のこと聞こうとしたんだ」
「まどか、嬉しそうだったのに」
「君の友人をあんまり悪く言いたくないが、あの子自分のことばかり話すからちょっと。誤解が浸透する前に告白しようと思って」
「私の友人を悪く言わないで」
「ごめん。……こんな男は、やっぱりだめかな」
恵那は、涙を流した。私はその瞬間腹が立った。でも何に怒っているのか自分でも分からなかった。悲劇のヒロインぶる恵那に? 親友を泣かした勉くんに? それとも私を無視する二人に? 答えは今でも出ない。恵那は私が見ているのにも気づかず、ぼろぼろ泣いて勉くんの好意にこたえた。
「好き、だった。ほんとはずっと好きだった。でも、まどかが貴方を好きみたいだから、やめようと思った。でも、貴方からこう言われたら、私引けない」
抱きあう二人を盗み見しながら、私は『願いの叶うノート』 を震える指でめくった。
これに、『政田勉は木浦まどかを好きになる』 と書いたらどうなるんだろう? このノートは私の願いを、願望を何度も叶えた。書いたらきっと叶う。彼は恵那を振って……。
そうまで考えて、私は苦笑した。
私は、恵那が嫌いじゃない。
だから、この状況で恵那を振って私のところに来る勉くんは、好きじゃなくなる。そんな最低男、好きじゃなくなる。
私はそんな男、好きにならない。だから、このノートにもう用は無い。
その夜、やけ食いして翌日学校を休んだ。あのノートは、最後のページに『ヒロインとヒーローはずっと幸せ』 と書いて、破かないようにしてゴミ袋に入れて捨てた。ごみ収集者に運ばれる指定ゴミ袋を見て、私は無理矢理気持ちに区切りをつける。
大丈夫、明日になったら笑って二人に会える。
振り回して、ごめんね……