外伝変態「親友だよ!林田くん!」
「林田ァ、放課後ちょっと俺のところに来い」
担任の岡部は昼休み直前の授業終了のチャイムが鳴り続けているのを無視し、教壇の上の教科書を片付けながら言った。
こちらの返事を待たずに岡部は教室を去っていく。林田は眠気眼を擦りながらその様子をぼーっと眺めていた。胸にもやが出来るのを感じながら。
放課後になり、職員室隣にある生徒指導や進路指導に使われる教室に向かうと、既に岡部は居た。ぺこり、と軽くお辞儀をして部屋に入る。
「お前、陸上やめるのか?」どっこいしょ、と漏らしながら岡部は高そうな皮の椅子に座る。「最近練習に顔を出さないだろ。やる気がないならやめろ」
顧問による辛辣な言葉によって、林田は呆然と立ち尽くす。「陸上…」
陸上という言葉を反芻してみる。自分にとって陸上は何なのだろうか。パンティを盗み、ひったくり犯を捕まえ、感謝状を貰った。このイベントのために毎日必死に練習していたのだろうか。
「どうなんだ?」岡部の真面目な視線。まっすぐな視線が刺さる。
「正直、迷ってます」
「どうしてだ? 何か悩みでもあるのか?」
悩み? それは少し違うような気がする。しかし、毎日財前の姉さんを捜しているとも言えない。これは絶対に言っちゃ駄目だ。
「やる気が無くなりました。モチベーションが下がって…」
「適当なことを言うな!」岡部が怒鳴った。まるで林田の心を読んだように、「嘘をつくな。お前は今まで努力してきたじゃないか。それなのに急にモチベーションが下がるなんて、何かあったに決まっている!」
図星、というのはこういうことを言うのか…。どうすればいい。財前のことは言えない、財前を裏切ることは出来ない。かといって、捜索をやめる気も毛頭ない。
「…言えないことか?」岡部は脚を組み直しながら心配そうな目をした。
そもそも俺は何故陸上部に入部したんだっけ?
太宰高校名物の大規模な部活紹介で、陸上部の走り幅跳びに感動したから? 違う。財前が関わっていたはずだ。俺は走るのは好きじゃなかったが、走るのには自信があった。それなのに財前に負けたんだ。体育祭の短距離などではなく、確かあれは…。
「どうした? 焦らなくていいからな」林田の考え込む顔を覗き込むようにし、岡部は優しい口調で言った。「言いにくいこともあるだろう」
今、自分がやりたいことは何だ。今、自分がすべきことは何だ。答えは自ずと出た。それはもう滑稽なほど簡単に、ぽんっと。
「先生…俺、陸上部やめます」
「…退部の理由は?」
「親友の為です」
岡部は初めにきょとんとし、次第に表情を緩ませていった。
「親友の為ときたか」
財前が泣いた。はじめてこの学校で出来た友人が身内を心配して泣いたのだ。部活なんて──陸上なんてやっている場合じゃない。
「林田。お前入部するとき、俺になんて言ったか覚えてるか?」
覚えてますとも、という意味を込めて静かに肯首する。
「『勝ちたいから』って言ったんだよな。誰が相手なのかは知らないが、陸上やめて勝てるのか?」
──勝ちたい…。まだ名前も知らないのに、肩がぶつかって財前を学校中走り回って追いかけたときは確かに本気で『勝ちたい』と強く思った。どんなに追いかけても近づけない財前の華奢な背中は今でも鮮明に思い出すことができる。
「勝てますよ。勝ってみせます」
と言うものの、俺はあの背中に追いつける自信は殆どない。今まで財前よりも先に廃ビルに到着したことはないのだから。
「そうか。勝てるのか。ならやめていいな」岡部は残念そうな顔で、「お前には期待してたんだがな」とも添えた。
「先生。俺に期待してたんですか?」顧問の意外な言葉に早口で反応する。
「ああ。してたよ」にこりと笑う岡部を見て、林田は少し気の毒になった。このままやめていいのか、などとまた迷いが生じる。が、岡部の次の言葉でその迷いは一蹴された。
──「もし勝てなかったら、いつでも戻って来い」
「…はい」
「よし、話はこれで終わりだ。退部届けはこっちでやっておくから」岡部は再びどっこいしょと小声で漏らしながら立ち上がる。「頑張れよ」と、林田の肩をぽんっと叩いた。
林田は涙腺が緩むのを確かに感じながら、部屋を後にした。
「俺が泣いてる暇はない…」
廃ビルへと向かう。自慢の脚力をフルに活用して、今日も親友の姉ちゃんを捜すべく──。
「おせーよ」
はぁはぁと肩で呼吸をしながら、財前の率直な文句を聞く。
「随分、息あがってるな。岡部に何て言われたんだ?」
「ちょっと待て。喋れん」
前屈のような姿勢で呼吸を整える。「財前、俺と初めて会った日のこと覚えてるか?」
財前は顔をしかめながら、わざとらしく考える振りをした。『覚えてる癖に、こいつ…』と林田はほくそ笑む。忘れているはずがない。
「肩がぶつかったのに謝りもせずにニヤニヤしたお前を俺は追いかけたんだ。そりゃもう死ぬほど」
あー、と財前は頷く。「そんなこともあったな」遠い目をする。
「んでさ。走り回った後、さっきみたいに俺がヘバってるのを見て、お前は…」
「俺は何て言ったんだ?」
「やっぱいいや。恥ずかしい」
「は?」財前は首を傾げた。本当に覚えていないのかも知れない。なんてやつだ。
「まぁいいや。今日も捜しに行くぞ」
「そうだな」
廃ビルに眩しい夕暮れの光が射し込む。それを掌で遮りながら、目を細める。ぼんやりと財前の華奢な背中が目に映る。
「早く来いよ、林田!」少し前を歩く華奢な男が手を振る。
財前はあのとき──
同じ距離を走ったのにも関わらず余裕綽々な顔だった。それとは逆に余裕皆無のくしゃくしゃな顔をして、地べたで大の字に寝転がる俺に手を差し伸べ、
「お前面白いな。友達になろうぜ?」と言ったのだ。
「今日は何処ら辺を捜してみる?」
「そうだなァ──」
―終― |