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私の正しい、生き方
作:都穂



再会と喪失


 前原岬まえはらみさきは、ふぅと一度ため息を入れた。すっかり冷えこんでいる。只野真実ただのまみは、頬杖をしたまま、じっと前を見ている。津村ひろとつむらひろとは下を向いたまま、動きもしない。
「その日は、家に帰る気にもなれなくて、公園の滑り台の下にずっといた。栄太えいたさんには、ちゃんと帰るって嘘ついて。まだ寒かった頃だろうに、何も覚えてないの。ただ、ずっと震えてた。朝、家に帰ってドアを開けたら、鍵がかかってなくて。お母さん、仏壇の前で空のお酒のビンの横で寝てた。仕方がないから、制服に着替えて、学校行って。そしたら、たまきの担任の先生が、環が書いた、自分のプロフィールを見せてくれたの。事故のあった日に書いたって言ってた。それを家にもって帰ったら、お母さん、ポロポロ泣き出して、<岬、アンタ、保育士になりなさい>って言われて。後でそれを見たら、将来の夢の欄に、保育士って書いてあった。」
「だから?」
真実が小さく聞いた。それに答えて、岬も小さくうなずいた。
「それからは、必死だったよ。もう当時、中三だったし、確実に保育士になるために、保育科で有名な緑林りょくりん大学付属高等学校に行こうって思ってたし。毎日、勉強で。だから、合格したときは嬉しかった。お母さんも喜んでくれたし、このまま、環の代わりをずっとしててもいいな、って思ったくらい。だから、高校は充実してた。これで良いって思えた。栄太さんも応援してくれてたから。でも、高三のとき、お母さんがおかしくなって。仕事は普通にこなしてくれるのに、家に帰ってくると、<環、環はまだ帰ってきてないの?>って探すようになってきて。栄太さんの家にまで時々、行くようになっちゃって」
「それって・・・?」
ひろとが、不安そうに聞いてきた。
「うん、精神的にね。ちょっと。お父さんが数ヶ月前に婚約して、ストレスが溜まってたみたいで。一時期は、入院もしたけど、治りそうにもなくて」
「じゃあ、今も?」
ひろとが重ねて聞く。真実はもう、なにも言わなかった。
「うん。今は実家で一人暮らししいてるけど、一応、家が近い叔母さんに面倒を見てもらってる」
「そうなんだ。大変だね」
「実は、そうでもないの。暴れるとか、物を壊すとか、そういうのは全然ないから。ただ、環を探しているだけだし」
しばらくの沈黙の後、真実が聞いた。
「ねえ、もしかしてさ、南君だっけ、彼も関係してるの? おねえさんの事件に」
「・・・うん。・・・南君は環をひいた、トラックの運転手の息子さんなの。でも、南君のお父さん、そんなに過失はなかったんだよ。環が、信号変わる直前に道路を渡ったのがまずかったの。でも、南君のお父さん、すぐに救急車を呼んでくれて、ずっと謝ってたの。判決は、五年間の懲役で、多分、最近、出てきたんじゃないかな?」
「そうだったんだ、通りで」
真実が南と岬の緊張感を思い出して、つぶやいた。
すると、大きく冷たい風が吹いた。真実は思わず、髪を押さえる。風と同時に、雨もふってきた。まだひどくはないが、いつ大雨になるか分からない。
「ヤバイな。走ろうか? みんな駅でしょ?」
ひろとが早口で聞いた。
「いや、私は栄太さんが駅の近くの駐車場で待ってるから」
「私、途中のバス」
その間にも、雨は強くなってきそうな気配である。
「じゃ、また明日!」
そういうと、真実は小走りにバス停に向かって走っていった。
「じゃ、私も駅の途中まで」
岬が言うと、空を見ていたひろとが小さくうなずた。

 駅は遠いわけではなかったが、走ると疲れるのが早かった。公園にいたときより、確実に雨粒は大きくなっている。駅の明かりが見えてきたところで、なんとなく歩き出してしまった。
「ねえ、津村君」
岬は自分でも気がつかないうちに、声を掛けていた。
「何?」
「私ってさ、人殺しかな?」
驚いたように、前を歩いていたひろとは立ち止まり、岬を振り返った。
「なんで?」
「何でだろう。なんとなく・・・。事故からそう思ってて」
少し悩んだような、困ったような顔をしてひろとは動きを止めた。人々が駅に向かって、もしくは駅から雨の中走ってゆく中で、二人は目立った。
「違う、と思う。多分、その考えの根本的なところから違ってると思う」
少し、まずいという表情をして岬を見たひろとを、岬は笑顔で受け止めた。
「そうかもね。ありがとう」
「いや・・・」
ひろとは少し照れて、顔をそむけた。
「じゃ、電車の時間あるから」
「うん」
そういうと、カバンを頭の上に置いて、駅まで走っていった。間違えている、その言葉の意味を考えつつ、ひろとの後姿を目で追った。目の前の駐車場の入り口には、傘を差して待つ、栄太の姿があった。環と栄太が一緒に帰っていた、あの日を思い出す。私も、彼も大人になった。でも、と思う。でも、二人とも、心のどこかはあの日のままだ。そして、私はひろとと真実に嘘をついた。いや、嘘というほどでもない。ただ、言っていないことがある。私の心に秘められた、もうひとつの事を。雨が頭に当たる。痛いほどに、雨粒は大きくなって、激しさも増してきた。
 栄太が探すような動きをして、道路に立っている私を見つけた。驚いたような、嬉しそうな笑みをうかべて走ってくる。目の前で止まって、自分のハンカチを渡した。私が暗い表情をしていたせいか、不安な顔になった。
「どうかした?」
私は答える。いつもの通り。決めたとおり。
「ううん。何でもないよ」
気がつくかもしれない。真美さんなら、勘がいいから気づくだろう。それで、いいのかもしれない。

 雨はますますひどくなっていた。たまたまバスが来ていたから、良かったけど、このまま待つのは寒かっただろう。バスの中で、さっきの岬の話を考える。結構、いやかなり深刻だった。それに、多分、岬は言ってないことがある、とも思う。
 そこに、高校の同級生が乗ってきた。今はデパートで働いているなんて、噂を聞いた。
「久しぶり、真実」
「久しぶり、働いてるんでしょ? 大変だよねー」
「ううん、楽しいよ、今はね。やっぱり、短大よりかは面白みがあるし」
「ふうん、そんなもんかな?」
「そんなもんだよ。そうそう、姉貴がさ、あ、あたしの双子の姉って覚えてる?」
「え・・・? そっか、アンタん家、双子だったんだよね。それで?」
「姉貴、結婚することになってさ、旦那がお父さんにそっくりなの! お母さんと笑っちゃってさあ」
「そうなんだ。おめでとう! で、アンタはそういうのないの?」
「ないない! 本当になくて困ってる」
ふと、思いついた。
「あの・・・さ、ひとつ、聞いてもいい?」
「何? 深刻なこと?」
「ううん。そうじゃなくて。興味って言うか・・・」
「ふうん。いいよ、何?」
「双子ってさ、同じ人に恋に落ちたりする? しかも、同時期に」
少し迷ったような目をした。
「あると思うよ。でも、お互いに本気で争うって言うのは、なかなかないと思うよ。きっと、どっちかが、あきらめるとかね。そういうんじゃないかな?」
「そっか」
そういうと、私はハッとしたように、『降りますボタン』を押した。
「ありがとう。じゃ、私ここで降りるから」
「うん。また今度」
カードを通して、運転手さんにお礼をいい、歩道に下りた。真実は小さくうなずく。私の予想は正しい。

 今日はずいぶん早く、仕事が終わった。いつも締め切りギリギリで出してくる作家が、今回は早かったおかげだろう。上司の機嫌もいい。しかし、まだまだ岬を迎えに行くには時間がある。ふと、頭に浮かんだのは実習の日の、駐車場での岬の表情だった。前日、綾子に会って、いわれた言葉が響いたか、それとも、来るのが遅かったから、当日何かあったか・・・。不安が消えたことはない。第一、岬は車だって助手席に乗ったことはない。どれだけ勧めても、いつも首を横に振って、助手席の後ろに座るのだ。それでずっと外の景色をぼんやり眺めている。時々、思い出したように、こっちの話に相づちをうち、質問に答え、ごく稀に独り言のように話しかける。そんなのばっかりだ。
 机に、コーヒーが置かれた。ふと、横を見ると後輩の清水優佳しみずゆうかがお盆を持っている。
「八坂先輩、珍しく浮かない顔してますねー」
最近の子らしく、語尾が上がる。
「そうかな?」
「はい。なんか、小さくため息ついてました」
清水が何を言いたいのかは分かっている。目は、爛々と輝いてもう話を聞く体勢だ。しかし、清水は自分が避けてきた人間の一人だ。理由は、数が月前に二人で作家のところに原稿を取りに行った帰り、道路で「付き合ってほしい」と言われたのだ。自慢じゃないけど、そういうのはこの会社に入って初めてじゃないし、すぐに断った。それでも、しつこい。
「さてと・・・。今日は寄るところがあるから、お先に」
机の上のカバンを持って、席から立った。清水が恨めしそうに見上げている。とっとと、部署を出た。エレベーターの中で時計をチェックするが、やはり岬を迎えに行くには、早かった。
 思っていた通り、遠回りをしても大学には早く着いてしまった。ずっと車の中にいてもすることがないので、車から出て、伸びをした。すると、目の前の男子学生が、友達に何かを聞き、大学へ飛んでいった。そういえばさっきから、どうも賑やかだ。不思議に思って、大学まで歩いていくと、その原因は分かった。どうやら、喧嘩しているらしい。広場になっている庭園は、普段とは雰囲気が違っていた。喧嘩しているのは二人らしく、誰かがとめに入ったらしい。少し近づいてみると、庭園のはじの木で囲まれた、ベンチのあるところで喧嘩をしているらしかった。木に沿って野次馬が並び、野次を飛ばす。その前では、中に誰も入んないようにか、教員が警備員のように手を広げている。
「ねえ、これ、どうしたの?」
前の男子生徒に聞いてみた。
「喧嘩ですよ。噂では、社会学科の奴等らしいです」
「そうなんだ、ありがとう」
立ち去ろうと思った。すると、聞き覚えのある声がして、その声はある名前を呼んだようだった。無意識に立ち止まる。
「岬・・・?」
不安がよぎった。思わず振り返る。すると、横に誰か駆けて来た。
「あの!」
声の大きさに驚いて見ると、前に門のところで声を掛けてきた、岬の友達の只野だった。
「岬が、岬が中に入っていっちゃって!」
それだけ聞くと、急いで人ごみの中に分け入っていった。前に来ると、岬の声がした。止めようとする教員の横で喧嘩している一人に何かを言っている。教員があきらめたのか、一歩下がると、自分で喧嘩を止めようとした。思わず、前の列から岬のところへ走った。警備員のような教員の、「ダメですよ!」の声が聞こえた。岬は、その一人の腕をつかんだが、軽く飛ばされてしまった。岬の横に着いたが気づく様子もなく、すぐにその一人のことを見て叫んだ。
「いい加減にして! 別に南君が事故を起こしたわけではないでしょう!」
あまりの迫力に、喧嘩している二人も、岬を見た。野次馬も静かになる。
 しかし、栄太は他のことが頭に引っかかった。虚ろな目が目の前の学生を見る。岬もハッとしたように、栄太を見る。栄太はつぶやいた。
「南・・・。お前、南新一か」
南新一みなみしんいちは驚いたように何も答えなかった。

 応接室には、明らかに嫌な空気が流れていた。
 一時間ほど前・・・。岬の一言に喧嘩は止まり、喧嘩をした二人は、教員に連れて行かれた。そして、怪我したところを治療してもらったらしい。岬と、明らかに不機嫌、いやそれを超えていた栄太は、校舎の出入り口で新一を待っていた。早速出てきた新一を、栄太は殴りつけんばかりの勢いで呼び止めた。それを岬はまずいと思い、二人に話してみることを提案した。そして、たまたま通りかかった長谷川直子はせがわなおこ准教授が応接室のある、自分の部屋を貸してくれたのだ。そして、たまたま居合わせた真実が心配する中、応接室の中はこうなったのだ。
「すいませんでした」
沈黙を破って、新一が頭を下げた。栄太はそっぽを向いて、聞く気配さえない。
「頭上げてよ。もう終わったことだし」
あわてて岬が止めた。
「どれだけ謝られても、環は帰ってこない」
栄太が部屋の角を見ながら、つぶやいた。岬は無言で下を向いた。
「・・・カッとなったんです。突然、お前の父親は人殺しなんだろ? って聞かれて。つい、手が出たんです。・・・今まで僕は、自分は父親と同じ事はしないって決めてきました。でも・・・。これじゃ、同じですよね」
少し、涙声になっているような気もした。
「南君・・・」
「俺は、俺は親父かもしれません」
つぶやくような声だった。すると、栄太は無言で立ち上がり、部屋を出て行った。
「栄太さん!?」
岬が呼び止めても、無視して長谷川に会釈をして、出て行った。岬は追いかけようとしたが、長谷川は小さく首を横にふった。横のソファーでうなだれる新一を見て、岬はさっき座っていたところへもう一度座った。
「南君、私も時々思うの。私は、環なんだろうなぁ、って」
新一は小さく頭を上げた。
「お母さんは、環の夢を私にやらせた。父は会うたびに、環の話だけする。栄太さんは・・・、どう、なんだろう。分からないや。私はね、自分を悲劇のヒロインにはしたくなかった。なんだか、いろんな事に負けそうで、悲劇と戦う勇気がなかった」
隣の部屋にも聞こえているらしく、人がいないかのように静かだった。
「だから、負けた。いろんな事に負けて、自分を失いかけてる。でも、そこから出るのは怖い。そのくり返し。嫌になっちゃうよね」
新一は困ったように、岬を見た。その顔は少し涙で濡れている。
「南君のせいじゃない。私のせい」
そういうと、岬はカバンを持ってゆっくりと部屋を出て行った。

 今日が終われば、開校記念日と土日、さらには保育科の授業はなし、と四連休だ。そのせいか、保育科はずいぶんと明るい。応接室のできごとのあと、岬は一度も栄太に会っていない。携帯にも着信はあるが、出ていないし、返信もしていない。なんとなく、擦れ違ってしまった。ひろとやら真実はそれなりに気を使ってくれているらしい。家庭の話題や、事故系の話題は避けてくれた。そして、いつもの使われていない会議室に、四人は集まった。話題はズバリ、連休の過ごし方だ。
 真実は今、住まわせてもらっている知り合いのやっている、居酒屋の手伝い。ちあきも家の手伝いと映画。ひろとは、家でダラダラと過ごすらしい。
「岬は?」
「私は、お母さんが心配だから、実家に帰ろうかと思って」
一瞬、真実とひろとは止まったが、何も知らないちあきは「ふうん」と頷いた。

 連休の一日目、岬は着替えて、大きな旅行カバンと肩掛けのポシェットを持った。実家に帰るのは、たしかに母親が心配だと言うのもあるし、あと、なるべく栄太から離れていたかった。
 実家に着いたのは一時間ほどしてからだった。ちょうど、叔母さんが帰る所で、母親の最近の生活がますます環を中心になっていると言うのを聞くことができた。確かに、さっき部屋を覗いたときも、目が虚ろでボーっとしていた。
 叔母さんが帰るのを見届けて、母親の部屋を覗いた。
「お母さん?」
声を掛けると、ゆっくり岬のほうを向いた。
「岬だよ。帰ってきたから」
「環は?」
「環はね、今日は帰ってこれないよ」
「環がいないのよ」
「うん、今家にはいないよ」
すると、少し下を見て、また岬のほうを向いた。
「ところで、あなたは誰? 環のお友達?」
「え? お母さん、私、岬だよ?」
「岬? 聞いた事があるかしら? なんせ、環のお友達は八坂さん家の栄太君しかしらないもので。ごめんなさいね」
そういうと、近くにあった環の写真をゆっくりとなでた。岬はショックで動けそうになかった。確かにさっき、叔母さんは人の名前を忘れることがあるって言っていた。でも、まさか娘の自分が忘れられるとは思っても見なかった。十分、いや二十分、母の隣で無言で座っていた岬は、二階の自分の部屋へゆっくりと入っていった。ふと、外の空気が吸いたくなって、ベランダを開けた。思いっきり深呼吸をすると、ついに、嗚咽がこみ上げてきた。嗚咽を止めるため、歯を食いしばると、涙がこぼれてきた。そのまま、しゃがみこみ、足を抱えて小さく嗚咽を漏らしながら、泣き続けた。
 ベランダには、環が好きだったコスモスが季節はずれに咲いて、風に揺らされていた。












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