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夏の終わり

 この時間になるとうるさいくらいに鳴いているひぐらしの声が聞こえる、静かで古ぼけた神社も、毎年のこの日だけは、はちきれんばかりの人で溢れて、ひぐらしの鳴き声を雑踏がかき消した。
 「とうろう飛ばし」が行われる、夏の終わりに近いこの日を目当てに神社に殺到するのだった。
 とうろうは主に竹で骨組みを形成し、それに底部を除いた部分に和紙を張って固定する構造となっていて、熱せされた空気を逃さないようにできている。
 底部には、中間に油を浸した紙を固定し、その紙に染み込んだ油を燃焼させることにより、和紙内の空気の加熱を行なう。熱せられた内部の空気は周囲の空気と比べ軽くなる。
 これがとうろうが昇っていく原理である。竹と紙で出来た小さめの気球みたいな物を想像してもらえばわかり易い。
 そこに願い事を書いて飛ばすと願いが叶うというものだった。
 莉子(りこ)は、神社の境内へと続く長い道の入口で、待ち合わせの相手を今や遅しと待ちわびていた。
 濃紺に染め上げられた浴衣のあちこちに大小の淡い朝顔が彩られて、唇に引いた紅のような赤い帯が、浴衣と気持ちを引き締めていた。
 「遅いなあ……」
 浴衣の袖からちらりと伸びる白い手首の内側に付けた時計を見ながらぽつりと呟いた。
 約束の時間から30分が過ぎていた。
 熱気を帯びた空気が頬を撫でると、首回りに塗ったシッカロールの香りが暮れ泥む空に舞った。
 少し後ろを向いて、境内までの長い道の方へ目をやると、灯篭の形に似せた小さな提灯が道の両脇を所狭しと並んでいて、中に入って小さくなっていく蝋燭の光を柔らかく包み込んでいた。
 その前には、騒々しいくらい賑やかな屋台が両側に立ち並び、その先頭に構えた綿飴の屋台には子供たちが蟻のように列をなしていた。
 両側の提灯と両側の屋台に挟まれて出来た道には、頭があちこちでゆらゆらと蠢いて、米粒一つ入る隙の無いくらいに人でごった返していた。
 早く莉子もこの人ごみに混ざりたいと思いそわそわと浮き足立ったが、肝心の待ち合わせの相手は一向に現れる気配が無かった。
 しびれを切らして、巾着の中から携帯電話を取り出すと相手にメールを出す。
 『ねえ、まだ?』
 文章の後ろに怒った絵文字をくっつけてメールを飛ばす。
 少しふくれた顔で携帯を見つめていると連絡が返ってくる。
 『ごめん。あと少しで着く』
 相手のメールには絵文字も顔文字も無く、おまけに余計な文章が嫌いで返信も素っ気ない。
 男のメールは素っ気ないとは風の噂で聞いたことがあったが、ここまで素っ気ないものかと少し驚いた。
 元々無口な方なのを、私の猛烈な愛の波状攻撃で彼を捕まえたのだが、どうにも打っても響かないので、打ってるこちらもほとほと困って、告白しておいて何なのだけど、すっかりやる気がしょげかけてきた。
 その時だった。
 莉子の肩は、誰かが叩く感触を伝えた。シッカロールが舞って鼻腔をくすぐる。
 莉子が振り向くと、そこには紺色の帯を締めて白絣の浴衣を着た柊人(しゅうと)が、いつもの眠たげな目で私を見下ろして立っていた。それをみた莉子はわなわなと怒りに震えた。
 息も切れ切れ肩で息をしながら、自分の前にやって来て一言謝ってくれるくらいのものを想像していたのだが、柊人の後頭部にはお面が、右手には割り箸に巻きついたわたあめがあった。
 「なんで一人で楽しんでるの?私ずっと待ってたんだよ!」
 唯でさえ折れかけていた心が、音を立てて完全に折れていくような気がした。
 「もういい!私帰るから」
 せっかく楽しい行事で付き合い始めの弾みになればと思っていた莉子の思惑を崩すような柊人の行動に、莉子は呆れ果ててすっかりどうでも良くなってしまった。
 莉子は参道とは反対方向へ、人の流れに逆らいながら帰ろうと歩みを進めようとしたその時だった。
 柊人が莉子の浴衣の袖を掴んで、それを制した。
 「いやっ!話して!」
 莉子は少し大きめに声を挙げた。近くにいた人の視線が一瞬莉子たちの方へ集まった。莉子の少ない経験上から無口な柊人には大声はかなり有効な攻撃で、すっかり怖気づいて莉子の思うがままになってしまうのだった。
 自分から告白して捕まえて、自分色に染め上げる。莉子はアメとムチのバランスの取り方がうまいのかもしれない。
 だが、今日の柊人は一味違った。莉子の大声にも怯まずに、半開きのような眠たげだが澄んだ目で莉子の全てを見透かすように見つめた。
 柊人のこれまでに無い頑なな態度と、澄んだような目にほだされた莉子は、反対へと歩めた足を元に戻し、柊人の方へとくるりと反転した。
 「別に……許したわけじゃないから……」
 そう呟くように柊人に告げると、彼はそれに応えるかのように持っていたわたあめを差し出した。
 この返答の意味が莉子にはさっぱり分からなかったが、どうやら怒るのを止めてくれたのは確かなようだった。
 莉子は、右手に持っていた巾着を左手に持ち替えて、彼の左の小指に小指を掛けた。
 大声を出して柊人を階段をゆっくりと上っていくように調教して、ゆくゆくは手をつないで、その先、そのもっと先までもと考えていた莉子なのだが、どうもまだ、思い切り手を握るという行為がなんだか気恥ずかしくて、申し訳程度に小指を掛けるのが精いっぱいだった。
 柊人はそんなものは気にも留めずに、あっちへこっちへとふらふらとホッケーで返されるパックのように左右の屋台に弄ばれていて、小指を繋いでいた莉子までも翻弄された。歩く度に、柊人の二枚歯の下駄がからころと響くと、莉子の巾着に付いた小さな鈴が、りんりんと涼やかな音色で呼応した。
 境内の中に着く頃には、柊人と莉子の財布はすっからかんだった。
 しかも、柊人の財布は早々に根を上げて、莉子に援助を求めてきたために、莉子の財布までも共倒れとなってしまうという結果になった。
 この援助の申し込みも、柊人には珍しかった。
 彼が今まで、彼女の財布をあてにしたことは一度もなく、金払いも決して悪くは無かった。
 訝しるように彼の方に目をやると、首には鳥を形どった水笛をぶら下げ、左手には金魚袋の中で捕まえた赤と黒の出目金がぷかぷかと泳いでいるのを愛おしげに指に提げていた。
 莉子は、子どもに混じって無邪気で天真爛漫に楽しむ身の丈180センチはあろうかという出来立てのボーイフレンドにため息しか出なかった。
 その上、莉子とデートをしている時は常に眠たげでぼんやりとした目つきなのに対し、屋台と向き合う時の柊人の目は真剣そのものだった。それを見た莉子の頬は、また餅のようにふくらんだ。
 人の波に乗って流れ流れて賽銭箱の前に着いた。
 二人で一斉に45円づつ賽銭箱に放り込む。柊人の45円は莉子が貸した。
 (どうか、もっと彼と仲良くなれますように……)
 莉子はありったけの力で願いを込めた。
 願いを終えてちらりと右側を見ると、なにやらぶつぶつお願いを呟いている知らない親父が居た。反対側を見ると、柊人は人ごみから外れたところにいた野良猫とじゃれあっていた。
 (神頼みしてもだめか……)
 神頼みに即効性があるのかは分からなかったが、とにかくこのやり場のない怒りをどこかにぶつけなければ爆発してしまいそうだった。
 猫がされていることを、私にもしてくれればいいのにと思いながら、神社に敷き詰めてある玉砂利を猫に向かって驚かす程度に蹴飛ばした。
 音に驚いた猫は、案の定飛び跳ねて逃げていった。良い気味に思いながら、猫から自分だけの特等席、つまり柊人の横へと収まった。
 『それでは、とうろう飛ばしの方を始めさせていただきます。とうろうをお持ちの方は境内へどうぞ』
 この放送が流れると、祭りに来ている人全員が境内に流れ込んできた。
 莉子は、柊人に振り回されてすっかりくたびれてしまい、近くにあった切り株に腰掛けていた。浴衣も崩れてあれだけきつく締めていた帯も、先ほどまでの気合もどこへやらだった。
 しかし柊人は、くたびれた莉子の手を引いて人混みの中に入っていった。
 おろしたての草履の鼻緒が指に擦れてひりひりと痛む。汗がシッカロールの香りに混ざった。
 (どうしてこんなに人をすきになったのかな……)
 あっちこっちへと振り回される莉子は考えた。
 もう告白した頃の燃え上がるような情熱はすっかり失われているようだった。
 もうそろそろ潮時なのかもしれない。
 柊人に引っ張られながら最悪のケースが頭を過ぎった。
 人波を押しのけるように分け入って、境内の真ん中へとたどり着いた。満員電車の中にいるように、ぎゅうぎゅうとひしめき合っていた。
 『とうろうをお持ちの方は、とうろうに火を灯して下さい。』
 柊人は浴衣の懐をもぞもぞさせるて、もったいぶるようにとうろうを取り出して、火を灯した。
 とうろうに入った火は、和紙に囲まれる事で、柔らかいオレンジ色が、そこらじゅうが煌めいた。
 それを見た莉子は目を丸くした。
 この祭りでとうろうを飛ばしたい参拝客たちは、とうろうの生産時期に入ると同時に予約を次々に入れるので、手に入れるのは至難の業なのである。しかし、柊人が手にしているのは間違いなく、今日の祭りで飛ばすとうろうだった。
 「それ…どうしたの…?」
 莉子は相変わらず目を丸くしたまま尋ねる。
 「やっぱり予約は出来なかったから、工房まで行ってお願いした」
 柊人はさらりと話した。
 莉子は、柊人に金が無かった理由を察した。とうろうに張られた和紙は火に負けないようにできているので、少し高めの値段になっているのだった。
 そのとうろうを見ると、和紙の片隅に細い文字で何かが書かれているのが莉子には見えた。
 「莉子と仲良くできますように」
 丸くなっていた莉子の視界は歪んで、涙がこぼれた。
 私の気持ちは届いていたんだ。
 『それでは、3、2、1、0合図しますので、0と言ったら、一斉に空にとうろうを飛ばしてください』
 『3』
 「莉子」
 柊人は、泣いている莉子に声を掛ける。
 『2』
 「好きだ」
 そう言って、莉子の手を繋いだ。目は相変わらず眠たげだった。しかし、綺麗に澄んでいた。
 片手にはとうろうが握られていた。
 『1』
 「うん」
 莉子の声はしゃがれ、めかしこんだ化粧はどろどろと崩れていた。
 しかし、それでも柊人を確かめるかのように、手をきつく握った。
 持っていた巾着を足元に落とすと、空いた手で、柊人が添えていた反対側にとうろうに手を添えた。
 『0』
 柊人と莉子はとうろうに添えていた手を同時に離した。周りにいた人達も、煌々と光るとうろうを空へ放つ。
 一斉に舞い上がると同時に、歓声が上がりフラッシュが炊かれた。
 莉子と柊人は、飛ばしたとうろうの行方をどこまでも見ていた。
 夜空はとうろうで埋め尽くされ、オレンジ色の天の川が流れているようだった。
 空を見上げた莉子の首から、匂いは薄らいでいた。代わりに、大好きな柊人の匂いが、指先から染み込んでいくようだった。
 夏独特の熱気を失った風が静かにそよいだ。
 最後に残ったシッカロールの残り香を運び去っていく。
 とうろうはどんどん小さくなっていくのを、莉子と柊人は手をきつくつないで、揺らめくオレンジ色の天の川をどこまでも見つめていた。
 
タイトルの夏の終わりは、The End Of Summerらしいですけど、映画っぽくしてsummer fin.
略してSFってことにしました。こじつけですけど何か?

いわゆる、王道のSFとはちょっと離れた事をテーマに出来ればと思って書きました。

追記
ポイント、感想を寄せていただいた方、ありがとうございます。

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