目の前におにぎりがある
一週間前、父が左手を骨折した。
大きな事故を起こした訳ではない。ただ、躓いて手をついてしまっただけだ。
しかし症状は重かった。全治数か月と診断された。
幸い父は利き手が右手だった為、仕事をする事は出来た。
支障が出ないと言えば嘘になるだろう。
だが、それでも父は陽気だった。片手でパソコンが打てるようになったと、自慢げに話していた。
しかし、大きな問題があった。
僕たちの家は、坂の上にあった。
大きな、大きな坂だ。
登下校が大変なのは当然だが、正直僕たちは慣れた。
でももう1つ大きな問題があった。買い物だ。
僕たちの家族で、免許を持っているのは不運にも父だけだった。
20歳になったら免許を取ろうと思っていたが、こんな所でツケが回ってくるとは。
17歳の妹も、当然免許は無い。
母は週に3回買い物に行く。
しかし、どうしてもお米は。10キロのお米だけは重くて買って来れなかった。
若いころに膝を痛めたらしい。お米を買って来れなくても、それでも両手いっぱいの大荷物だ。
だから僕は言ったんだ。
「お米は、僕が買ってくる」
何故か近所のスーパーでは、お米は最低でも10キロの袋しかなかった。
田舎だからだろうか。5キロとかなら母でも買って来れたかもしれないのに。
学校の帰りにスーパーに寄る。
確か、母は無洗米のお米を好んでいたな。
コレがいつも母が買って来るお米だったはずだ。
ショッピングカートに乗っけてレジへ持って行こう。
お米を持ち上げる。う、重いな。
部活は文化系な僕だ。体は決して丈夫ではない。
母が諦める訳だ。
でも、買って来れませんでしたで済ませる訳にはいかない。
思い切って、僕はもう1袋のお米にも手を伸ばした。
持ってきた大きなリュックに2袋のお米を入れる。
20キロ。これだけあれば、しばらくは大丈夫なはずだ。
レジに向かい、母から預かっていた五千円札とポイントカードを出す。
……お札が少し派手に折れてしまっていた。まぁいいか。
空のリュックにお米を入れる。重さもそうだが、体積も中々のものだ。
少し怖いが覚悟を決めて背負う。
よっと……。結構重いな。だけど、何とか行ける!
伊達に小さい頃、妹を背負ってない!
スーパーを出ようと自動ドアの前に立つ。
自動ドアが開くと、外の熱気が全身を襲う。
……こんなに暑かったか?
夏休み前だと言うのに、どうなっているんだ。
一歩を踏み出す。
その一歩が重い。だが、歩けない事はない。
僕は歩いた。そして、例の坂の前まで到着した。
いつも歩いている坂が、まるで崖のように見えた。
母は、こんな坂で両手いっぱいの荷物を持って家に帰っていたのか。
しかし、ここで立ち止まる訳にはいかない。僕は、まるで崖のように見えるその坂への第一歩を踏み出した。
僕は休憩を挟みつつ、30分の時間をかけてなんとか坂を踏破した。
上り切った達成感は無く、ただただ疲労感に襲われた。
シャワーを浴びて汗を流す。
少し早いがパジャマに着替え、新聞のテレビ欄を眺めていると妹が帰ってきた。
妹はお米を研いで炊飯器にセットする。我が家のルールの1つのようなものだ。
やがて母がパートから帰ってきた。
俺が持ってきたお米を見た時、笑顔でありがとうと言ってくれた。
お米を持ってきた疲れが吹き飛んだ。
母の提案で、今日の晩御飯はおにぎりパーティーにすることになった。
やがて夕方になり、父が帰ってきた。
ギプスが暑いとおちゃらけて言っていたが、きっと本当に暑いのだろう。
しかしその汗も、簡単にはお風呂で洗い流せない。
ギプスが外れるまでの辛抱だ。きっと大変なんだろう。
ご飯が炊きあがる。
最近はついつい麺類やパン類に流れてしまっていたので、この炊き立ての匂いを嗅ぐのは久しぶりかもしれない。
ツヤツヤのお米だ。
父は明太子が、僕はシャケが、妹はツナマヨが好みだ。
母はツナマヨを作る妹に自慢げに、豆知識を話していた。
この塩は伯方の塩って言うけど、実際はメキシコで作られてるって。
テレビからの受け売りだろう。
海苔は親戚から贈られてきた、何か高そうなのりを新しく開けていた。
目の前におにぎりがある。
父が稼ぎ、僕が買い、妹がお米を研ぎ、母が握る。
そんな家族の連携によって作られたおにぎりだ。
ただのおにぎり。しかし、これは家族の絆の1つの形なんだ。
海苔を1つ取り、母の握ったおにぎりに被せる。綺麗な三角形のおにぎりだ。
白米の中からうっすらと見えるこのオレンジ色。間違いない、シャケだ。
パリッパリな海苔で優しく包み込む。
お米独特の香りがまた、空腹を刺激する。
大きな口を開け、かぶりつく。
ただ、ただ美味しい。
先ほど豆知識で登場した塩だろうか。ちょうどいい塩加減がいいアクセントになっている。
一生懸命お米を持ってきたからか。いつもより空腹だった為、より美味しく感じる。
おにぎり1つにここまで美味しいと感じたのは、小学校の時に運動会のお弁当で食べた以来だ。
おにぎりを食べて家族皆が笑顔になっていた。
いつもより大きいおにぎりだったが簡単に平らげてしまった僕は、次のおにぎりへと手を伸ばす。
そうだなぁ、次はおかかにしようかな。
目の前におにぎりがある
という言葉を全力で描写するとどうなるかという議論から生まれた文章です
正直、『目の前におにぎりがある』以上の意味はないです
宜しければ、他の連載や短編もよろしくお願いします