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  光の住人 作者:海堂莉子
第77話
「別に何もしてないんだけど?」
 本当に何もしていない。どうして私を好きになったのか、アレックに聞き出したいくらいだ。
「そんなはずないわ」
 そう言われても、何もしていないのだから答えようもないのだ。
「そう言われても……ねぇ。それより、このクッキースッゴい美味しいね」
「そりゃそうよ。あそこの料理は全て婆やが作っているんだもの。あなたももう料理の素晴らしさを知っているでしょ?」
 婆やってあの部屋まで案内してくれた人だよね。
 そっか、あの人が作ってくれていたんだ。
 昨夜の料理も、今朝のものも、今食べているクッキーも全て頬っぺたが落ちてしまいそうなほど美味だ。
「婆やの料理は、私達の言わばおふくろの味というやつなのよ」
「へぇ、そうなんだ」
 お母さんが料理が出来ないっていうのは、なんというか予想通りって感じだ。
「俺は一度で良いから、お前の手料理が食べてみたいぞ」
 漸く理性との戦いに終止符を打ったアレックが、私達の輪のなかに入ってきて、そんなことを言う。
「マリィ様の料理を召し上がるならば、事前に薬を用意しておいた方がいいですね」
 いつの間にか現れたジョゼフが、かなり失礼なことをぬけぬけと口にする。
 胃薬ってかっ。……悔しいけど、私もそう思うよ。
「あら、ジョゼフきっと大丈夫よ。愛の力があればそれは美味しい料理を作ってくれるわ」
 愛の力があったとしても、調理する能力を持ち合わせていないのだ。
 ある程度出来るっていうなら、愛の力で誤魔化すことも出来るかもしれないけど、私は本当に料理が出来ないのだ。
「1ヶ月、ううん、2ヶ月、やっぱり3ヶ月待って。アレックにきちんとしたもの食べさせられるようになってみせるから」
 城に帰ったら、料理の勉強をしよう。
 お母さんに料理を教えて貰おうか。
 そう思ったが、お母さんが料理出来るのか私は知らないのだ。
 日本から帰って慌ただしくて、落ち着いて話す暇もなく別れてしまった。
 私はお母さんの味を知らない。
 料理に限らず、もっと色んなことを知りたいと思う。そして、もっと話をしたい。
 ゆっくりと12年間を埋めていきたい。
「マリィ、どうした?」
「あっ、ごめん。私ってさ、お母さんが料理上手なのかも知らないんだなって思っちゃって」
 私がぼんやりしていたので、アレックは心配そうに私を覗き込んで来る。
「マリィ様のお母様はとても料理がお上手ですよ」
 ジョゼフがそう言った。
「何でジョゼフが知ってんの?」
「ああ、お二人が日本へ行っている間に、娘がお世話になっているので感謝の印に、とおっしゃって我々に料理を振る舞ったのです。城で働いている料理人を唸らすほどの腕前です」
 私達が日本へ行っている間にそんなことがあったなんて……。
「……ズルいっ。娘の私は食べたことないっていうのに。そりゃさ、小さい時には食べてたかもしんないよ? でも、全然記憶ないんだもん」
 小さい時に食べたかもしれなくても、記憶がないんじゃ、食べたとは言えないよね。
 私、娘なのに、みんなに先を越されてしまったようで悔しい。
「マリィ。これからこの世界で生きていくと決めたんだ。何度でも食べる機会はあるはずだろ?」
 アレックに頭を撫でて貰って少しは落ち着いた。
「分かった。仕方ないもんね。もうどうしようもないことをグチグチ言うのは止める。止めるから、この木に登ってもいいでしょう?」
 そう、この場所で休憩すると決めたときから、この木に目を付けていた。
 大きくて立派な木。ぽつりと一つだけ立っている木は、私と話したがっているように見えた。
「ずっと登りたくてウズウズしていたんだろ?」
 アレックには私の心中はお見通しだったようだ。
「登ってもいいよね?」
「マリィ様。ダメに決まっているでしょう。何を考えているんですか?」
 ジョゼフが割って入って、断固反対を唱えた。
「登りたいんだよ。この木に。何でだろう。登らないといけないような気がするんだ」
 そう、この木が私をしきりに呼んでいるような。そんな気がするんだ。
 何かを私に伝えようとしているんじゃないか、と思えるんだ。
「アレック。お願い……」
 私がただ遊びたいという気持ちだけで、登りたいと言っているわけじゃないことをどうか、分かって。
「マリィ。気を付けるんだぞ?」
「うん。ありがとう」
 木の前までゆっくりと進み、手をかけて登っていく。
 上の方の枝まで登ると一息ついた。
 真下を見下ろすとアレックが心配そうに見ている。
 ジョゼフとエレーナは怒っているのか、憮然とした表情を浮かべている。
 ジョゼフが怒るのは分かるのだが、何故エレーナまで怒っているのかがイマイチ理解できない。
 私は安心させるように下に手を振って見せた。
「さて、あなたは私に何を伝えようとしているの?」
 木の幹を優しく撫でて話しかける。
 突然強い風が通り過ぎ、葉を大きく揺らした。
 髪の毛が激しく乱れ、それを掻き上げて広がった視界の先に私は見たのだ。
 ここにあるべきではないものを。
「ま、まさか……あれは」
 考えるよりも先に体が動いた。
 私は木の枝から飛び降り、綺麗に着地すると、馬に飛び乗った。
 なぜ? なぜ、ここに。
 確かめなければ。まだ分からないではないか。とても類似しているだけなのかもしれないのだ。
 落ち着け。とにかく落ち着かなければ。
 手綱を持つ手が汗ばんでいた。
 馬に乗って離れるときにアレックとジョゼフの声が聞こえた。
 後で怒られるのは必須だ。木の上から飛び降りるなど、危険極まりない行為を目の前で披露したのだ。でも、そんなことは今の私にはどうでもいいことだった。
 しばらく馬を走らせて、それを目の前にした時、私は息をするのも忘れていた。
「あ……」
 馬から降りると、それを前にして私は立ちすくんだ。
「これは、一体どういうことだ」
 いつの間にか隣に並んでいたアレックがこぼした。
 そんなこと、私が聞きたい。
 見間違う筈なんてあるわけがなかった。
 つい数日前に足を踏み入れた場所だったのだから。
「どうしてここに……あの公園があるのっ?」
 私達が目の前にしていたのは、つい先日リューキと璃里衣と共に足を踏み入れた公園だったのだ。
 あの公園は日本にあるはずのもの。
 どうしてここにあの公園が現われたんだ。
 あの時、アレックと登り、夕日に照らされた町並みを眺めた木も全く同じところに立っていた。
「何が起こっているんだ」
「アレック……」
 日本にあるはずの公園がここにある。
 私はゆっくりと公園の中に足を踏み入れた。
 アレックはそれを止めることはしなかったが、私の手を取り一緒に公園の中へと入った。
 本当に公園が存在しているのか。それを確かめるために。もしかしたら、幻影かもしれないのだ。
 日本とこちらの空間が歪んでいるとも考えられる。
 もし、そうであるなら危険が伴う。
 今、私の傍にリューキはいないのだ。公園に入った途端に日本に移動するという可能性もないわけじゃないのだ。
 日本に行ってしまったら、リューキ不在でこちらに戻るのは今の私の能力では、不安が付き纏う。
 だが、だからといってこのまま見ないふりは出来ないのだ。
 公園の中に足を踏み入れ、公園の外を見る。
 だだっ広い草原が続く景色を目にして、安緒のため息を漏らした。
 だが、公園自体は幻影ではなかった。
 紛れもなくそれはカリビアナの草原の中に存在していた。


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