昔、子供の頃、サンタクロースは存在するものだと、本気で思っていた。
クリスマスイヴの夜、絶対にこの目でサンタクロースを見てやるんだと寝ずの番をしていても、睡魔はすぐに襲ってくる。
母親が作った枕元の赤い毛糸の靴下をじっと見つめながら、おれは絵本で見たサンタクロースに胸をときめかせていた。ただプレゼントを欲しがったわけじゃない。
あの胸いっぱいにふくらんだ気持ち、それが一体何なのかを解き明かしたい…そう思ったからだ。
クリスマスの朝、しんと冷たい空気が広がる部屋。目覚めたおれは、枕元を見る。
毛糸の靴下にはこぼれる程のお菓子と、その脇に目的のおもちゃが赤いリボンに飾られて置いてある。
喜びよりも、いつの間にか眠ってしまった自分を悔しがり、来年こそはと心に誓った。
小学4年の時、級友たちから聞かされたサンタクロースの正体は、胸のときめきを一気に消失させるものであった。家に帰って母に問いただすと、母親は困ったように首を傾げ、級友たちの言葉を肯定した。あの時の失望感は今でも忘れられない。
おれはあれから、心沸き踊るクリスマスを味わったことは一度もなかった。
しかし、今年のクリスマスは違う。
バカみたいに胸がざわついて仕方がない。
すべては宿禰凛一という男の所為だ。
大体…
おれが恋に浮かれる事自体がおかしいんだ。
今までだったら誰かを好きになったらなったで、自分の首を絞めるような、苦しいわずらわしさしか感じたりしなかったのに、今のおれはどうだ。
リンの事を想うだけで、動悸が激しくなったり、顔が熱くなったり…
相手は同級生のしかも男だぞ?おれ、ホモだったのか…と、悩むより、リンがおれを好きだと言ってくれる事のほうが数百倍も上等だと判明するわけだ。
この事実は誤魔化しようもない。
何を言われたとしても、おれがリンを好きな気持ちはぶれないでいられる。
その思いすら尊いもののような気がする。
クリスマスイヴは朝からヨハネ寮の住人たちは大わらわで、休んでいる暇はない。
ホールの飾りつけや、イベントのリハーサルに、プレゼントやお菓子の調達。
おれも一応寮生だから、二年生の指導で色々とやりこなさなきゃならない。
二年生の仕切り屋がのんびり屋の一年に檄を飛ばしているのを幸いに、こっそりホールから抜け出し、一休みしようとしていたところ、後ろから声をかける奴がいた。
「水川、準備終わった?」
こいつは…そうだ。リンのクラスの三上敏志だ。
「ああ、おれの分はね」
「ちょっと、話があるけど、いい?」
あまり話した事はないけれど、リンはこいつと親しいと聞いた事がある。
「いいよ」
「じゃあ、屋上に行こう」
話ってなんだろう。真冬に屋上なんか誰も来ない。寒いから当たり前。
「宿禰の事だけど…」
多分それしかおれと三上の接点はないだろうから、予想範囲内。
「水川は宿禰と仲がいいのか?」
「…うん」仲がいいと言われたら肯定するしかないだろうと思って頷いた。
「そうか…じゃあ、宿禰の言ってたかわいい子って…水川の事だったのか…」
「か、わいい?」
唖然となる。いや、リンは結構な割合でおれのことをかわいいと真顔で言うが、いつもの気楽ないいがかりだと思っていた。
…気分が悪いわけではないが、他の奴にそんな風に言ってるって…寒風に晒されているはずなのに、顔が火照ってくる。
「ああ、時々だけどすごく嬉しそうに話してくれるんだよ。うすうす男かな〜とは思っていたけど…水川だったとは」
こうなると、バレて嬉しいのか、むなしいのかわからなくなる。やっぱり普通じゃないと思っているんだろうか。俺は三上を複雑な表情で見つめた。
「いや、別に変な目で見てるんじゃないから。この学校じゃ男同士も珍しくないし、宿禰だったら男も女もほおっては置かないだろうし、気分悪くしないでおくれよ〜俺、水川を怒らせたら宿禰になんて言われるか…あいつはすげーいい奴だし、なんつーかさあ、心から信頼できる友人なんだよ」
よっぽど変な顔をしたのだろうか、三上は必死で弁解する。その様子がなんだか可笑しくて思わず拭き出した。
「怒ってないよ。三上はいい奴だってわかって、なんか安心した」
「良かった〜俺、宿禰は親友だと思っているから。おまえらのことも応援するよ」
「ありがとう」
「でも気をつけろよ、俺みたいな奴ばっかりはいないぜ。おまえらのこと、影で酷い噂立ててる奴もいる」
「え?」
そんな話は初めて聞いた。もっともおれはそんなのも、こんなのも知らない話ばっかりだったが。
「ちょっと前に宿禰の噂話が酷かっただろう?あれも酷い言いがかりだったけどさあ、俺、偶然聞いたの。おまえのクラスの…高橋って奴がさあ、おまえと宿禰の事をめちゃくちゃ言ってた現場にばったり…」
「高橋?」
「おまえ、期末で二位の高橋の点数めっちゃ離してトップだっただろう?だからだと思うけどさあ。歪んだ僻みって奴かね。一周回ったとしてもだ。何故におまえと宿禰の事を詰る意味が俺にはちっともわからん。腹立ったから殴ってやろうかと思ったけど、くだらない奴を殴ってもこっちの手が痛いだけ損だからな。でもおまえも気をつけろよ。ああいうクソムカつく奴は、どうでもいいことに意地になるからな」
「あ、ああ…なんかわかんないけど、気をつけるよ」
「それから…」
「ん?」
「宿禰の事頼むな。あいつ、なんでもかんでも悟っているみたいな顔してるけどさ、良く考えてみりゃ俺たちと同じ年数しか生きていない、ただの16のガキなんだよ。だから色々あると思うんだ。それを表に出していないだけでさ」
「…」
「なんてね〜俺より水川の方がよくわかっていると思うんだが、なんかあったら俺も力になるよ。当てにはならんだろうけど」
「いや、嬉しいよ、三上。おれもこんなだからさ、あんまり他人に心を打ち明けるのは得意じゃないんだ。友人になってくれると嬉しいよ」
「勿論さ。ふたりを繋ぐ伝書鳩にでもなってあげようか。と、言っても毎日顔見合わせているから必要なしだな。今日も来るんだろ?宿禰。あいつ案内状貰って喜んでた。水川が渡したんだな」
「うん、あげたの」と、ワザとかわいくゆってみた。
それを聞いた三上は大仰に頭を抱え、「うらやましい〜俺はきょうはひとりだよ〜ユミちゃんにも会えない〜よ〜神様俺にも御慈悲を〜!」と、曇った冬空に向かって叫んでいた。
夕方になり、俺は玄関ホールの待合室でリンを待つ。
和風旅館の玄関みたいな木の格子の向こうに、リンが映るのを思い浮かべながら、先程の三上の言葉を反芻した。
「親友」「心から信頼しあえる友人」
おれはリンとはそういう関係にはなれなかった。もしそういう関係だったら…こんな胸のときめきも少しの切なさも感じる事はなかったのだろう。
どっちが良かったなんてわからない。
おれはリンに惹かれてしまっているのだもの。
もうリセットして初めからやり直しなんてできやしない。
冬至は一昨日だった気がする。瞬く間に陽は落ちる。
ロビーの灯りが灯される頃、硝子の向こうにリンの姿が見えた。
おれは飛び跳ねるように立ち上がり、彼を迎えた。