なんで彼女はこんなリスクを犯してまであの「花」を盗んだのだろう?
破壊された警備ロボットの残骸を飛び越えながら俺は目前の逃亡者に想いをはせた。
彼女は22歳というその若さと美貌からは想像できないが高名な植物遺伝子学者だ。
若干18歳にして遺伝子学の博士号を取得し彼女が書いた論文は多くの論文に
引用されている。
本人の望む望まずに関わらず、様々なメディアが様々な形で彼女の偉業
そして女優ともひけを取らない程のその容姿を取り上げていた。
遺伝子学なんぞに全く興味などなくTVもろくに見ない俺でも
栗色のつややかな髪に同じ色の優しげな瞳、そして驚くほど抜群の
プロポーションを何かの雑誌で見かけ知っている程だ。
富・美貌そして仕事、彼女が欲しいと願って手に入らない事の方が少ないだろうと
思う程に彼女は恵まれた人物だ。
そんな彼女が警備ロボットを薙ぎ倒しながらしがない刑事である俺に追われている・・・
世の中よくわからない。
女の細足と侮っていたが彼女は女性ならではの身軽さと的確な判断力で
警備ロボットを次々と破壊し確実に出口に近付きつつあった。
現在の被害状況・・・「花」盗難、器物損害・・・警備ロボット数体を破壊したけれど
人間の被害者はなし・・・
花一本手折れませんってお嬢様面してるクセにロボットは脳天に電気棒一撃で
スクラップ行きにしてしまうとは女は怖い。
しかしオーケー、お嬢さん。
人間に手をあげないってことはサイコキラー志望って訳じゃないみたいだな。
ここは彼女の職場。
恐らく人間の警備がいる場所を避けて逃亡しているのだろう。
ルートが最短距離ではなくやや迂回して建物の外に向かっていると思われるあたり
彼女が人を傷付けずに実行する計画を入念に練っていた可能性を示唆した。
俺は追跡の手を(この場合は足か?)緩めるつもりはないが相手は危険性が薄いと判断した。
がしゃーん
前方より派手な音で彼女がラボの強化ガラスを物理的に破壊し道を
新しく作ったことがわかった。
この場合、心配なのは逃げている本人の安否だ。
殺人犯などとは違いただの窃盗なので無傷で捕まえたい。
そんな俺の心配などよそに、どこかを引っかけたのだろうか?
ガラスをまたいだ場所に点々と血痕が残っていた。
おそらく彼女自身の傷だろう。
その痛々しい落とし物を見て
「まったくあの学者先生はこんなことまでして・・
何をしたいんだよ」
俺は肩を大袈裟にすくめるあのジェスチャーをしたい気分になった。
もちろん走りながらなのでそんな事するヒマはないが。
先月、彼女が勤める有名製薬会社は、見る角度により様々と花弁の色が変化する「花」を
遺伝子操作により作り出すという一大プロジェクトを成功させた。
「花」の値段は成功までの莫大な研究費とあるスキャンダラスな事件も手伝って
同じサイズのダイヤモンドに匹敵するほどという空恐ろしい値段につり上がった。
その完成第一号をメディアお披露目当日に研究グループのコアメンバーである
彼女がラボから盗み出したのだった。
何も盗み出さなくてもいつだって見放題だろうに、
俺は舌打ちしながら彼女を追いかけた。
転売目的か?
いや、作った張本人の一人なんだからまたいくつだって同じ「花」を作れるだろう。
しかもよりによって多くの人が集まり警備も強化するであろうマスコミ発表当日に
実行するとは余計に解せない。
俺には彼女がここまでする利点が全くわからなかった。
頭が良くなるとどこかネジが緩くなるのかね、
なんてうがった事を思い、俺は彼女を追ってラボの裏山に入っていった。
外に出られてしまっては予め用意した車などで逃亡する可能性は高い。
先ほど呼んだ応援はまだ来ない。
点在する血痕より彼女が裏山に入っていったことは間違いない。
無線で居場所を知らせるために立ち止まるよりはこのまま彼女を追跡する方が賢明だろう。
そう判断した俺はスーツ姿で一人、慣れない山歩きをしるハメになった。
森林特有の湿った土の感触と草木の香りを伴った清浄な空気は
もしもこんな状況じゃなかったらちょっとした気分転換になったかもしれない。
ったくどうせなら先生とは別のカタチで一緒に森林探索でもしたかったよ。
苦笑しながらとんだ「デート」を続ける。
彼女が通ったと思われる細い獣道がある。
血痕もところどころにあるのでこの道で間違いないだろう。
俺はヘンゼルとグレーテルよろしくその「落とし物」を辿って足場の悪い
うっそうとした林の坂道をしばらく抜けると途端に開けた場所に行き着いた。
振り返るとさっき出てきた研究所の建物を一望できた。
どうやら丘のようになっているらしい。
その広場には一面に美しい花が咲き乱れていた。
無粋な一刑事である俺には何の花かはわからないが、コスモスにも似たその花たちを美しいと素直に思えた。
花に埋もれるようにまだ新しい墓石があった。
風に揺れた花の色が一瞬虹色に見えたような気がした。
俺は唐突に同じ研究グループであった彼女の婚約者がプロジェクト成功を妬んだ
元・メンバーに刺殺された事件を思い出した。
犯人は仕事のストレスより鬱病を患いプロジェクトより外された男性技術者で、
現在逃亡中の学者先生に振られた腹いせと大成功に終わったプロジェクトから
最後の最後で戦力外通知された恨みより、彼女の恋人を彼女の目前で
刺し殺したという痛ましい事件・・・・
犯人の男は心身喪失の状態にあったということで起訴されない可能性も高いらしい。
じゃあ目の前で恋人を殺された彼女の気持ちはどうするんだよ?
事件の報告書でした見たことがないその恋人は精悍かつ誠実そうななかなかの美男子だった。きっと彼女と並ぶと美男美女のカップルでさぞかし人目をひいたことだろう。
そんなスキャンダルをマスコミ達はおもしろおかしく書き立て、
彼女は一時悲劇のヒロインとなった。
そんな悲しい出来事を乗り越え、そして大成功を納めた彼女の仕事ぶりはまた
マスコミによって煽られ「花」の値段と会社の株価をつり上げる結果となった。
もしかして・・・?
彼女は恋人の後を追って自殺する気なのか?
俺は途端恐ろしい考えが浮かんだ。
さっきまではあんなに必死に逃げていたのに驚くほど落ち着いて見える彼女は
もう逃げることなくその墓石の前にたたずんでいた。
よかった。
まだ生きていそうだ。
何らかの薬を服用して死期を待っているワケでもなさそう。
しかしクスリに関してはまだ油断できない。
右肘部分にできた大きな傷がありそこから血が滴ったのだろうが
命に別状があるほどの大けがでもない。
肩で大きく息をつき俺は彼女に声を掛けようとしたら意外なことに
最初に口を開いたのは彼女だった。
「ここにある花はみんな「花」の試作品よ。
あの人は例え七色にならなくても咲いた花は大事にしたいと
試作品を大事にこの庭に植えていたの・・・・」
鈴を転がすような声色。
俺は彼女の声を初めて聞いたことに気づいた。
彼女は悲しそうなでも美しい笑顔を俺に向けた。
「君は何のために窃盗罪を犯す気になったんだい?」
俺の声はいささか意地悪な響きだったろう。
しかし彼女はそんな事は一切気にする風でもなく静かに続けた。
「この「花」が一番美しいのは培養液に着床させてから
ちょうど112日目・・・・それは今日・・・
これを・・・・見せたかったの・・
彼に・・・・
もう間に合ったから・・・いいわ」
それと同時、「花」は音もなくその花びらを散らしそのまま風化してしまった。
数億とも言われている花が!?
唖然とする俺に彼女は落ち着いた声で
「美しい外見に似合わずこの「花」にはシアン系の猛毒があるの。
だから悪用されたくないと考えた彼は
この花に時限機能をつけた・・」
そんな「副産物」がこの花の値を更に引き上げたのだろう。
美しい花に猛毒・・・・
要人暗殺の道具としてテロリストたちが欲しがるかもしれない。
彼女の恋人は自分の研究が殺人に使われるのはいやだったのだろう。
・・・もしかしたら最初から極秘指令として猛毒を含ませていた可能性だってある。
この会社は大手ながら黒い噂も絶えない企業だ。
もしかしたら・・・疑惑はミルクに垂らしたエスプレッソコーヒーのように
徐々に濃くなりそして色をつけていく。
他部署に応援を願いウラを洗う価値はあるかもしれない。
風化したチリがさらさらと指から逃げていく様を眺め、
またさっきと同じ悲しそうな笑顔を見せた。
所々が血で染まった白衣をぱさりと脱ぎ、
彼女は無言でその白く細い手首を俺に差し出した。
「もう・・・・大丈夫。
やりたい事は終わったわ・・・・もう逃げない・・」
気丈にも微笑みすら浮かべて彼女は優しい口調で俺にそう告げた。
「君はこんなことのために・・・」
俺は何も言えず彼女の美しい顔をただただ見つめることしかできなかった。
風が花たちと彼女の髪を優しく揺らした。
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