目の前に広がるのは楽園か?
汝の求めし楽園か?
それとも死への落盤か?
どちらでもありどちらでもない。
通学途中に僕は彼女と出会う。
僕は自転車通学で、彼女は徒歩通学。
「良かったら学校まで乗せていこうか?」
僕は自転車を止めて彼女に手を差し伸べる。
「えっ、恥ずかしいよぉ」
彼女は回りの目を気にしてその手をつかんではくれない。
「いいから、ほらっ」
僕は強引に彼女の手をつかむ。
「もぉ、恥ずかしいなぁ」
彼女は恥ずかしいって言葉を使ったけれど、僕の差し出した手を喜んで受け入れてくれる。
照れ屋な僕の彼女。
いつだって僕は強引に引っ張ってばかりいる。
最初の出会いはなんて事のない、今日と同じような登校途中。
声をかけてきたのは、なんと彼女のほうだった。
「すいません、若葉高校ってこの道でいいんですよね?」
地図とにらめっこをしながら、必死な顔つきで彼女は僕に尋ねた。
「うん。あってるよ。それ以前に僕も同じ高校だしね」
「よかったぁ。間違ってたらどうしようかと思ってたぁ。あ、私今日転校してきたばっかりで、道とか全然わかんなくて、誰かに聞こうにもなんだかきっかけがなくて、オロオロしてるばっかりだったんです。あぁ、このまま転校初日で遅刻しちゃうー。いきなり遅刻とかしたらイジメとかされちゃうー。どうしようーって」
「ここで長話してても遅刻すると思うけど?」
いつまでたっても終わりそうのない彼女の会話を僕は遮ってみた。
「ああ、ごめんなさい。やっと道が聞けたらなんだか安心しちゃって・・・・・・。でも、普段こんなにお喋りじゃないんですよ。結構大人しめなほうなんです! でも今日は転校初日だから、ちゃんと喋らなきゃって。あ、自己紹介も昨日一日頑張って考えてきたんですよ! それはですね――」
落ち着きのない身振り手振りをくりかえし、彼女の口は動き続ける。
もう暫くこのまま彼女のマシンガントークを聞き続けていようかとも思ったけれど、そんな事をしていたら本当に遅刻してしまう。
名残惜しいけれど、この不思議な彼女のお話を終了させなければならない。
「ほら、遅刻しちゃうからさ。後ろに乗りなよ」
僕は強引に彼女の手を引っ張ると、自転車の後ろに乗せた。
「落ちないでね」
「えっ、えっえっえっ?」
彼女はなんだかわからないままに、僕の腰に手を回す。
こうして僕と彼女は遅刻から免れる事に成功した。
「あっ!」
転校してきた彼女が教室に入ったときの第一声がこれだ。
教室で僕の顔をみつけて、ついつい指を刺しながら声を出してしまったのだ。
そのあとの彼女は、真っ赤になってしまい、頑張って考えてきたはずの自己紹介を披露することなく終えるのだった。
彼女はいつも恥ずかしそうにしてばかりだ。
僕はそんな彼女を見ていると、とても平和な気持ちになる。
そして彼女は少し怒った様に頬を膨らましてこう言うのだ。
「もぉ、恥ずかしいなぁ」
そして僕は笑ってしまう。
高校を卒業して、僕らは大学生になった。
二人で頑張って勉強をして、同じ大学に入学する事に成功した。
そして、親には内緒でこっそりと同棲生活を始めた。
「浮気したらご飯抜きだからねっ」
「えっ、そんだけで許されるんだ?」
意地悪そうに僕は舌を出して答える。
「うぅぅ、じゃ次の日もその次の日もご飯抜きなんだからっ!」
「はいはい、ご飯食べられないと死んじゃうからね。浮気なんかしないよ」
そう言って僕は彼女にキスをした。
「もぉ、意地悪っ!」
大学を卒業して、僕は就職した。
彼女も就職した。
彼女の就職先は僕だった。
僕らは結婚した。
「幸せになろうねっ」
ウェディングドレスの彼女は、眩しいばかりの笑顔で僕に向かってそう言った。
「僕が幸せにしてあげるよ」
タキシード姿の僕は胸を張って言い返した。
「違うでしょ」
彼女は僕の口に指を当てた。
「二人で幸せになるのっ」
そして僕らはキスをした、
ここはきっと世界で一番幸せな場所だ。
楽園があるとするならばきっと今この場所に違いない。
そう思った。
目の前には僕の可愛い彼女。
いや、僕の可愛い妻。
これからも色んなことがあるだろうけれど、僕は彼女を愛して頑張っていける。
そんなとき、ふと教会の十字架が歪んだ様な気がした。
「あれ、なんだかおかしいな・・・・・・」
周りの景色の色が消えていく。
さっきまできらびやかだったこの教会が、殺風景な灰色になっていく。
おかしい、なんだかおかしい。
僕の愛する彼女の顔がおぼろげになっていく。
まさか、そんな・・・・・・。
僕はここである事に気がついてしまう。
いや、そんな事があるわけがないんだ。
あってたまるもんか!
でも僕はもうそうだと思ってしまっている。
気がついてしまった。
『ここは僕の見ている夢の中だ』
数秒後、いや夢の世界に数秒という観念が存在するのかはわからない。
僕は目を覚ました。
6畳一間のアパート。
乱雑に散らばった雑誌。
安っぽい蛍光灯。
僕はその安っぽい蛍光灯に光をともす。
そして部屋の片隅に置かれていた鏡を見つめる。
そこには涙を流しながら、しょぼくれた顔をしている40過ぎの男が映っていた。
これが俺か。
俺には甘い高校生活などなかった。
恥ずかしがり屋で、少しバカだけど、とても可愛い彼女などいなかった。
無気力に仕事と食事と睡眠を繰り返すだけの男がそこに居るだけだった。
『どうして俺は夢から覚めてしまったのだろう』
『どうしてあのまま眠り続けていなかったのだろう』
夢の中で過ごしたであろう十年近い年月は、ほんの一夜の夢に過ぎなかったのだ。
非常なる現実、それが俺の前に突きつけられる。
高校生活は戻ってなどこない。
過ぎた時間は戻らない。
せめて夢の中で、夢の中でだけ、偽りの青春時代を過ごす事しか出来やしない。
忘れよう、所詮夢のことなのだ。
こんなこと職場の同僚に話しでもすれば、失笑されるだけなのだ。
俺は顔を洗い仕事着に着替えると家を出た。
近所のコンビニでおにぎりを買い、自転車で職場へと向かう。
俺の自転車の後ろには、当たり前だが誰も居ない。
居るはずがない。
それがとてもせつなかった。
数日が過ぎた。
夢なんてものは、時間がたてばすぐに薄れていくものだ。
まぁ確かにこの前の夢は少しばかり俺の心にダメージを与えはした。
けれど、所詮は夢。
『でも、帰りたいと思っている。あの夢に帰れるものなら帰りたいと思っている』
そんな考え事をしていたせいだろうか。
俺の乗っていた自転車は、赤信号を無視して車道に飛び出してしまう。
大きなトラックが俺の自転車と俺の身体を空高く跳ね飛ばした。
とても大きな音がした、と思う。
俺の耳はもう音を聞く力を失っていた。
トラックの運転手が運転席から飛び出してきた。
俺の横にやってくるとなんだかわめいている。
ははは、なにを言っているのかわからないや。
意識が遠のいていく。
きっと俺は死ぬのだろう。
死ぬってなんだろ?
そうだ、もし出来ることならばあの夢を見て死んでいきたい。
そうだ、このままあの夢の世界へ行くんだ。
さぁ結婚式の続きをしよう。
僕がきっと君を幸せにしてあげるよ。
あ、そうだったね、二人で幸せになるんだったよね。
運転手が僕の顔を見て不思議そうにしている。
そうさ。
僕はとても嬉しそうな笑みを浮かべているに違いないのだから。
僕は目を覚ました。
ここはどこだろうか・・・・・・。
辺りを見回してみるが、どこに居るのか実感できない。
とりあえず立ち上がろうとしてみて、自分の力のなさに驚く。
立ち上がることが出来ないのだ。
ああ、俺はあの事故で死ねなかったんだな。
それで病院に運び込まれたんだ。
そう思った。そうだと思った。
頼りない腕力で俺は上半身を何とか起こす事に成功した。
ああ、確かにここは病院だ。
俺の周りにはたくさんの医療機器が備え付けられている。
きっととても大変な怪我をしたに違いない。
起き上がった僕を見て、近くに居た看護婦が叫んだ。
「117号室の患者さんが目を覚ましましたよ。先生! 先生を早く!」
この慌てっぷりからからいくと、生死の境からでも俺は復活したんだろうか?
俺は何の気なしに、病室の窓ガラスを覗いた。
外の景色がみたかったからだ。
しかし、そのガラスに映ったのは外の景色ではなく。
俺の顔だった。
そこにはどうひいき目に見ても80をこえた老人の姿があった。
どういう事だ?
あの事故のあと何十年も眠っていたのか?
それとも。
無気力に淡々と仕事をこなす40の俺すらも・・・・・・。
『夢の世界だったのか?』
ガラスをいくら覗き返そうとも、そこにはいつ死んでもおかしくないような老人の姿が映るだけ。
俺は近くにおいてあった花瓶を手に持つと、窓ガラスにむけて叩き付けた。
ガシャン
ガラスは小気味いいくらいに四散した。
俺はそのガラスの破片の一つを手に持つと、喉を切り裂いた。
目が覚めた。
僕はなにをしていたんだろう。
僕?
僕は80をこえる老人で、今まさに死に瀕していたはずだ。
それがどうだ、今ここに居るのはどう見ても10代半ばにしか見えない姿じゃないか。
そうか、あの老人も僕が見ていた夢に過ぎなかったんだ。
ならばきっと、この世界も夢の世界に過ぎやしないんだ。
この世界は真っ白で何も無かった。
この夢は手抜きな夢だな。
あからさまに夢だとわかるじゃないか。
「もぉ、なにを考えてるんすかー! ほんとこまるっすよ!」
何もなかったはずの空間に何かが現れた。
それは見たところ20代くらいのメガネをかけたパッとしない感じの青年だった。
「夢の世界、夢の世界って言いますけどねぇ。夢と現実、一体なにが違うって言うんですか?」
青年は度のきつそうなメガネをクイクイっと人差し指で持ち上げながら、僕の方にズンズンと歩み寄ってきた。
「あ、自己紹介が遅れたっす。わたくし、神様です。あぁ、自分を様付けするのは恥ずかしいなぁ。神ちゃんでいいっすよー」
そう言うと懐から名刺を取り出して僕に渡した。
名刺には『職業 神様』と書かれていた。
「さすが夢の中だな。もうなんでもありなんだな」
僕は呆れた。
ここまであからさまに非現実的な夢はそうは無い。
「あなたリアリティーを求めてますねぇい。しかして、そもそもリアリティーとはなんぞや! それはあなた個人の概念の中でしかないんっすよ。もともとこの世界自体が持ちえるリアリティーがこの真っ白な空間、それでいて胡散臭く存在する神様。これこそがリアルだとはおもわないんっすかねー?」
「じゃ、ここが現実で今までのが夢だって言うのか?」
「そうは言ってないっす。最初に言ったでしょ。夢と現実。どこがちがうんっすかねぇ? ならおっしゃってくださいよ、どこが違うのか?」
「えっと、夢の中だと痛くなかったり、ありえないことが出来たり、自分の顔が違っていたりとか・・・・・・」
僕の言葉を聞くやいなや、自称神様は馬鹿にするように笑った。
「夢の中だから痛くない? なにをおっしゃるウサギさん。痛いんすよ! ただそれを覚えてないだけなんすよ? ありえないこと? なにがあり得てなにがあり得ないって決め付けてるんすか? あなたの顔なんて、10の世界があれば10の顔があって当然でしょ。まぁ、例を挙げてみてみましょか」
神様は何もない空間に息を吹きかけた。
何もなかった空間に見たことのある風景が浮かび上がる。
「ああ、この風景は・・・・・・」
「そう、あなたが高校時代に熱愛し、そして結婚式を挙げた場所っす」
そう、そこには彼女と僕の姿が浮かびだされていた。
「んでもって、次は・・・・・・。」
神様はさらに別の場所に息を吹きかける。
そこに浮かび出たのは、ぼろアパートで退屈そうにテレビを見る俺の姿だった。
「他にもいろいろ見せましょうか? あれなんすよ。あなたの意識はね、無限に存在するんすよ。パラレルワールドとか言う言葉があるでしょ。あんなもんじゃないんっすよ。あなたの意識がつくってるんっすよ。無限の世界をあなたがつくりだしちゃってるんっすよ!」
「僕が・・・・・・。作ってる?」
神様はどこからともなく樫の木の杖を取り出して、チャップリンよろしく振り回している。
「ちなみに、このわたくしこと神様もあなたがつくったんすよ」
「僕が神様を作った?」
「ああ、はじめましてお父さん! 会いたかったよぉ」
神様は泣きじゃくりながら僕の胸に飛び込んできた。
かと思うと、後ろにジャンプして杖をくるりと回した。
「なぁんてね。あなたが神様ってものを意識し認識し想像した。だから神様が居るんっすよ。神様なんてものはね、人間様がつくったもんなんすよ。 凄いよ! 偉いよ! 人間様!」
「じゃむしろ僕が神様なんじゃないのか?」
「ああ、おしい! とてもおしい! 人間は自分を超常的存在に置き換えることがあまり得意ではないんっす。だから、あえて自分と別の存在として、何でも出来る、パーフェクトな存在を自分とは別のものとして作り上げたんっす。それがわたくし神様、神ちゃん!」
えっへん、わたくしってば偉いだろう。
ふんぞり返る神様が居た。
「教えてくれ、僕は一体なにをすればいいんだ?」
「別に? 何もしないでいいんすよ」
「何もしないでいい?」
「さっきも言ったでしょ。あなたの意識は無限に繋がっていく、それをあなたは夢という形で渡り歩いていく。あなたはそれを繰り返すだけっす」
「僕はその間に年老いていったりとかは?」
「だぁかぁらぁ。時間が流れてるって思うのがそもそもの間違いなんすよ! 時間はね、元から流れてなんてないんす! 時間は流れじゃなくて小さな点の集まりなんですよ。その一つの点に、一つのあなたの意識が存在する、100個の点に100個のあなたの意識。全部別の存在なんすよ。ゆえに時間は流れてるんじゃないんす。あれっすね、パラパラ漫画みたいなもんす。いっぱいの絵を連続で見ると動いてるように見えるでしょ?」
そらいっぱいの空間に、何百、何千、何万という僕の姿が浮かび上がる。
それは同じように見えて、全てほんの少しだけズレていた。
全てが繋ぎ合わさると、一つの動作をしているように見えた。
「ほいほい、そろそろお別れの時間っす。涙涙の別れっす」
神様は露骨に嘘泣きとわかるポーズをして見せた。
「僕の意識は次どこに行くんだい?」
「さぁ・・・・・・。それを決めるのは、神様じゃなくて、きっと・・・・・・。」
神様は僕の胸に指を押し当てた。
「あなた自身っすよ」
神様は歯をむき出しにしてニカッと笑う、メガネのフレームが歯と一緒に光って見えた。
目が覚めた。
なんだか長い夢を見ていたような気がするけれど、何も思い出せない。
まぁいいか。
急がないと中学校に遅刻してしまう。
僕は髪形を整えるのも適当に自転車に飛び乗った。
「おっそいぞっ。なにやってんだよ。ばーか!」
僕の自転車の真後ろから声がする。
隣に住んでいる小枝子だ。
「うるさいな。勝手に先にいけばいいだろ!」
「待っててやったのになんだよその態度は!」
小枝子は乱暴に僕の自転車を蹴りつける。
僕は半分涙目になりながら、自転車を漕ぎ出した。
「泣くなよ、男の子だろぉ。女に泣かされてるんじゃねぇよ!」
小枝子の言葉が追い討ちになり、更に僕の目から涙がこぼれる。
涙が視界をふさぎ、そして僕は自転車ごと転んだ。
そのショックで不幸な事にチェーンが外れてしまい、僕の自転車のタイヤはカラカラカラと嫌な音を立てるだけで前に進まなくなった。
「しょうがないなぁ。ほら、後ろに乗せてやるよっ」
「えっ?」
小枝子は僕に手を差し伸べる。
僕は自然とその手をつかんだ。
「ちゃんと捕まってないと落ちても知らないからねっ」
僕は小枝子の腰にしっかりと腕を回す。
なんだか凄く恥ずかしかった。
「はぁ、ほんと人間って凄いっすよねぇ。あ、どうも神ちゃんです! これから一体どうなるのかホントそれは誰にもわからないっす。あ、ちなみに今この文章を読んでいるあなたも! そこのあなたも! もしかしたらここはすでにどこか夢の世界のひとつなのかもしれないっすよ!」
「はてさて、さてはて。どうなるかは・・・・・・。」
神様は懐からサイコロを取り出した。
そして大空に向かって放り投げた。
おしまい☆
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