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第5楽章 白鍵曲
ピエトが戻る数分前、途方にくれたキオは、とぼとぼとバス停へ向かっていた。

気持ちのいい別れ方でなかったうえ、エルトベーアの行方不明で、マシューマルロは慌しい気配を色濃くしている。キオとしては、後ろ髪を引かれる思いだ。

「……僕もエルトベーアさんを、探しに行った方がいいんじゃないかなぁ」

家人が出払ってしまっているのか、明かりの灯っていない家々を見回し、キオは不安げに呟いた。
一見静かだが、村全体をなんともいえない緊迫感が包んでいた。ちょうど、映画館で照明が落とされたときのように、さわさわと落ち着きのない空気の揺れを感じるのだ。

早く、お帰り。

そう急かされているような気もする。
それでも、キオは足を止めた。やはり、エルトベーアのことが気にかかる。

しかし、何度か訪れたとはいえ、キオはこのへんの地理に明るくない。捜索に加われば却って迷惑をかけるかもしれない。それに、彼の頭には、先ほどから、不機嫌そうなアイリーンの顔を浮かんでやまなかった。

ここは、おとなしく引き上げ――いやいや。

「……探すのは無理だけど、誰かと一緒なら平気だし。炊き出しのお手伝いとかなら、僕でもできるかも」

言いながら、深く頷くキオ。

アイリーンには悪いけど、もうちょっと待っててもらおう。

かくして、なにかにつけてお人好しな少年は、森付近にちらつく明かりを目指し、そちらへと進路を変えた。





「すいません、無理言って、ついてきちゃって……」

村人が集まった中に、鷲鼻の男を見つけたキオが早速捜索の参加を申し入れると、人手が多いに越したことはないのか、あっさり承諾された。今は、荷物の一部が見つかった付近を、4人一班で捜しているところだが、今夜は早く引き上げ、明日の早朝にもう一度集まる手筈らしい。

キオは、注意深く、木々の隙間を見渡した。

昼の森なら、小鳥たちの悪戯で、かさこそと落ち葉をこする音や、細い枝が折れる音がする。しかし、夜の森は、ガラスの容器にでも入れられたように静かだ。まだ葉もない枝が寒々しく両腕を広げ、地面にびっしり映り込んでいる。

「今夜は月が明るいから、視界はいいはずなんだがなぁ」

男は、声を潜めた。

「やけに、静かで……気味が悪い」

森の奥に進むにつれ、エルトベーアを呼ぶ声が小さくなっていく。おそらく、下手に騒いで狼に嗅ぎつかれるのを避けるためだろう。猟銃を抱えた人もいるが、扱い慣れてはいなさそうである。やはり、夜出歩くには危険すぎる場所なのだ。

「ピエト、まだ帰ってなかったけど、大丈夫かな……」

呟いた途端、考え事をしていたお約束。

「わぶっ!!」

地面に頭を出していた木の根に足を取られ、キオはその場で地面に口付けてしまった。

「おいおい……大丈夫か」

隣の男が呆れたように、松明をかざす。

「あうぅ……すいません。ちょっと、うっかりし、て」

一点を見つめたキオの眉が、不思議そうに顰められた。つまずいた先の根から徐々に視線をあげていくと、薄闇に白い模様が浮かび上がっている。

「なんだろう、これ」

こすれて、幾分読みにくくなった矢印のようなもの。それが、森の奥へと伸びている。
キオが中腰になったくらいの――ちょうど、子供の目の高さだ。

ピエトが描いたのだろうか。秘密基地がどうとか言っていたし。

キオは屈んだまま、その矢印に指ををはわせた。

そういえば、ピエトと秘密基地に行ってからのディーンは、様子がおかしかった。出掛けるのを、あんなに楽しみにしていたのに、秘密基地から戻ったら、すぐ帰りたがっていたっけ……。

少々すりむいた鼻先を撫でながら、ひとりごちる。

ひょっとしたら……ピエトの秘密基地とスコッチの隠れ家は同じ場所、あるいは、ディーンにとって見覚えのあるところだったんじゃないだろうか。だから、ディーンは、マシューマルロがラトゥールの跡地だと気付いて、帰りたがったのかも。

キオは、そっと背後を振り返った。村人たちは、あたりを見回すのに忙しい。
別件を優先することを申し訳なく思いながらも、キオは、目印に沿って、捜索隊から離れていった。



目印は、あっちの木へふらり、こっちの木へふらりと不定期に現れているが、道に迷わない程度には案内役を果たしている。
道なき道をひとり進みながら、キオはひとり思案に暮れていた。

ヘレンさんは、なにか隠し事をしている。

キオは、怯えたようなヘレンの瞳を思い出して、少し苦い気分を味わった。

自分の秘密に必要以上近づかれると、人はひどく怒るか、ひどく怖がる。
ヘレンさんの秘密がなにかはともかく、それはディーンの事件と深い関わりがあるのだろう。それが発覚するのを恐れて、あんなに取り乱したに違いない。

身体の障害で、ただでさえ、腫れ物扱いをされていたのに、ディーンの事件にも関係があると町の住人に知れたら、モーレンコップフ氏よりひどい目にあっていたかもしれない。

だから、今になっても、怖くて言えない。それを隠すのは――

「……悪いことだなんて言えないよ」

彼女には、自分の身を守る術が、他になかったんだから。
そういう意味では、ディーンもヘレンさんと同じかもしれない。
そして、嘘をつくことでしか身を守れないような状況を作ったのは周りだ。
では周りが全部悪いのか、といえば、勿論そうではない。

誰が悪かったのか。

それをはっきり断定できないから、誰も彼もが自分以外の誰かのせいにしたがっている。

キオは思う。もし、どれかひとつでも、要因が欠けていたら。

もし、町長が、ディーンに報酬を払っていたら。払わなくても、彼が住むことを許してあげていたら。ディーンが、おそらくはヘレンのために、あんな悪戯思いつかなかったら。それが成功しなかったら。成功した、そのときに地震さえ起こらなければ。

1日でも、いや1時間でもいいから、地震がずれていたら。

そうしたら、今残っているような最悪の事態にはならなかったろう。

ラトゥールの住人みんなが、「あのとき、こうしていれば」と思ったに違いない。
気付いたときには、なにもかもが手遅れだった。
住人にとっても、ヘレンにとっても、ディーンにとっても、それから……僕にとっても。

キオは、丸い肩を落とす。

もっと、ディーンに気をつけてあげればよかった。

彼にとっては、土足で秘密に踏み込まれた気分だったろう。なにがあったのかはまだ分からないけれど、大事な友人を手にかけた過去なんだ。

「ディーンが怒るのも、無理ないか……」

帰ったら、もう一度話し合って、ちゃんと謝って――

ふと、目の端に、チラリと月光に反射するものが入った。

人工的な物のない空間には、やけに異質な光の破片。
キオは、矢印だけ見逃さないように確認し、惹かれるように、そちらへと歩を進める。

エルトベーアさんの落し物かもしれない。

思い至り、足早になったせいで、キオは森の圧迫感が消えていくことに気付かなかった。
足元だけを見つめていた視界が、なんの前触れもなく開ける。

「……はぁ」

思わず、大きく息をつくキオ。

そこは、幾分まばらになった樹木が、端に身を寄せ合い、中心だけ避けるように現れた、小さな自然の広場であった。
緩く円を描くその場所を、ぽっかりと口を開けた満月が、無表情に見下ろしている。
きっと、上空からは煙草の焼け焦げみたいに見えることだろう。


ちらり。


まるで自己主張するように、また閃く光。

ようやく目当ての物に近づき、キオは注意深く屈み込む。しかし、気まぐれな風が雲を誘い、月を隠してしまう。再び、満月が顔を出し、キオはほっと息をついた。

くだんの物を、さてと、拾い上げようとして――キオはその場に凍りついた。
月明かりに照らされ、浮かび上がった、残冬の森に不似合いなもの。



夜目にも美しい、ひとひらの羽根飾り。



「ディーン……?」


彼がここにきている……?

何故だか、ひどく嫌な予感がした。思わず生唾を飲む。

いや、前に来たときに落としたものかもしれない。

考え直そうとしたが、奇妙な動悸が治まらない。

以前マシューマルロに来たとき、ディーンは普通の格好をしていたはずだ。だから、この羽根を落とすわけがない。

じゃあ、いつ落としたんだ。

どこかで、ごく小さな音がした。小さな、そう、幹の軋み。

いつ、じゃない。

キオは、早くなる呼吸を抑え、拳を握り締めた。

僕の知る限り、落とす機会はなかった。それに、少しも汚れていない。

いつ、じゃなくて、今日、落としたんだ。

珍しい鳥の羽根、子供なら十中八九、立ち止まって拾うだろう。

今の僕のように。



鏡の湖面に波紋がたつ如く、丈の短い草が、キオを中心に、ざぁっと音をたてた。

振り返ることができない修道士の背後――天に伸びる手の大木で、鮮やかな両翼が広がる。

地面に浮かび上がった影は、子供をさらう巨大な怪鳥を思わせた。



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