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猟奇殺人鬼の交響曲
作:三月



第5楽章 モーレンコップフの一人舞台


隣人だろうか、ふいに窓の外で共同の井戸を使う音が聞こえた。

「……すいません、ちょっとピエトを見てきますね。いい加減起こさないと」

奥へ向かったヘレンの後姿から、視線を移すと、曇ったガラスの向こうから、まだ瑞々しさを失っていない朝の光が、部屋に差し込んできていた。
談笑の声が、遠く聞こえる。

随分長い間、話を聞いたようだけど、まだ1時間もたっていないだろう。
キオは、椅子の背もたれに、ぐったりと頭を乗せた。

今までの話を聞く限り、ディーンは、ラトゥールの人とうまくやっている。伝説では、このあと町長さんが報酬を払わず、町を追い出されたから、仕返しに子供をさらうはず。

そこまで、考えて、キオは両手で顔をこすった。見知らぬ地に息づく伝説をなぞると、自分の知っている人間に辿り着く、というのは、なんとも奇妙な感覚だ。

「知っている人間ってわけでもないのかな」

やっぱり、僕は、ディーンのことを、ろくに知らないのかもな。

本で彼らのことを調べたとき同様の違和感と、取り残されたような孤独感。
築いてきた関係が、完全な虚構だったとは思わないけれど、隠された部分が大きすぎて、キオには少し重い。

自分の見てきたディーンは一体なんだったんだろう。

「……だって、僕の知っているディーンは」

キオは口を噤んだ。

僕の知っているディーンは、めったに怒らない。悪戯はよくするし、仕返しもする。
けれど、それはひどくバカバカしい、幼稚な仕返しだ。
それに、その仕返しの理由は、自分のお菓子を食べられたとか、お気に入りのクッションを取られているとか、そういうものばかり。

お金をもらえないということでも、ディーンは、仕返しを考えるんだろうか。

折に触れて思うが、ディーンは、お金の価値を全く分かっていない。
イチゴのケーキばかり何十個も衝動買いするのを普通だと思うくらい、金銭感覚がない。

だって、彼はまるで子供だから。

そんなディーンが、お金を、それも金貨を一袋も要求するだろうか。
仮に、要求したとして、彼はそれが大金だと分かっているだろうか。

もし、分かっていなかったら?
もしも、金貨一袋の価値をよく分からないままに、要求して、もらえなかったとしたら、ディーンは果たして怒るだろうか。

「怒らない」

僕の知っているディーン・クレンペラーなら、絶対に怒らない。





「ピエト?」

ノックに答えない息子を不思議に思い、ヘレンは部屋に入った。

「まぁ!」

ベッドはもぬけの殻。起きた後そのままに、毛布は丸まっている。
ベッド脇の窓を開き、あたりに呼びかけるが、当然あのピエトがそのへんをうろうろしているわけがない。

「もう、あの子ったら」

きっと、また秘密基地だわ。見せるのを楽しみにしていたもの。

毛布を畳み、念のため窓の鍵を下ろしながら、ふとヘレンは行為に、昔を思い出した。

男の子って、どうして窓から出たり入ったりするのが、好きなのかしら。

合図は、窓のノックだった。
コツンと一回はスコッチで、コンコンと2回は……ディーン。
窓越しに呼びかけてくれればいいのに、笛吹き男は最後まで、自分とスコッチ以外の人の前で話さなかった。どうして、声を出して話さないのか、あんまり気になったから、一度聞いたことがある。

「だって、出来すぎじゃない」

19歳のヘレンは、明るく笑った。

「見えない少女に、聞こえない少年に、話さない男なんて、物語の登場人物みたいよ」

ヘレンの膝の上の本を、見るともなしにめくっていた笛吹き男が答える。

「ピエロは話さないものなんだって。動きだけで相手を笑わせるんだよ」

「そう……それが、私にも見えたらいいのにね」

できるだけ自然に言ったのだけれど、笛吹き男は敏感にヘレンの声の調子に気付いた。

「じゃあ、ヘレンの前でだけ、ちゃんと話すよ」

だけ、を強調した言葉に、ヘレンは笑みを零す。
でも、どうやらその顔は、まだいつものヘレンに見えなかったらしい。

「……じゃあねぇ」

顔のあたりに漂う空気が、ふわりと左右に広がる。それを不思議に思う間もなく、ヘレンはすっかり笛吹き男に抱きすくめられていた。

「ほら!これなら、目が見えてても、見えなくても、真っ暗」

真っ暗どころか、頭が真っ白になりそうなヘレンを、陽気な声が引き戻す。笛吹き男の声が、触れ合った身体に共鳴して、心地いい。
顔全体をやんわりふさいだ長い腕や胸は、細くしなやかながら、自分とは違う硬さがあり、まるで温かみを持った若木の中に包まれているようだった。

本当なら、そのままうっとり抱き締められていたいのだが……いかんせん、なにか、もさもさしたものがヘレンの額に当たる。

「……ねぇ、さっきから当たってる、これはなに?」

「鳥の羽根だよ。服にくっついてるんだ」

堪え切れず、ヘレンはぶはっと吹き出した。

「そういえば、スコッチが言ってたわ!あなたって、親鳥のお化けみたいな変な格好してるって!」

大して面白くもないのに、なんで彼といるときだけは、あんなにも楽しかったのか。
どんな馬鹿げた話でも、笑いが止まらなかったし、私はいつも浮かれていた。
男性と話す機会が極端に少なかったから、あんまりにも淡くて掴み所がなくて、私はその気持ちの動きに追いつけなかった。

3人で過ごした、あの初夏を思い出すと、ヘレンはその場に崩れ落ちそうになる。

……どうして、本当に大事なことは、伝説にひとつも残らないのかしら。

どこかで、優しいノックの音がした。






こつん こつん こつん こんこんこん

町長シュトレ・モーレンコップフは、内心ひどく動揺していた。

まさか、本当に、笛だけでネズミを退治してしまったなんて。

開いた小鼻から、長く息が漏れる。

このままでは、金貨一袋はそっくりヤツのものだ。聖夜祭や町のために集めた資金を、あんな芸を見せるだけの物乞いに、みすみす渡すわけにはいかない。

モーレンコップフは、万年筆で机の上を繰り返しノックする。神経質なその音は、彼の苛立ちと比例し、徐々に早く大きくなっていって、ある瞬間ふいにやんだ。

「なるほど、芸か……」

広場にて、モーレンコップフの大演説が始まったのは、その1時間後である。



「私は皆様に謝らなくてはなりません!」

モーレンコップフは、真剣な面持ちで、演説を始めた。

「実は、これまで皆様のご協力でコツコツ集めた資金を、大変遺憾ながら、手放すことになってしまいました!」

突然の演説も、その内容も全く掴めない住人たちは、各々不思議そうな顔をしている。

「先日のネズミ退治のため、笛吹き男に報酬金として出さなくてはならないからです!」

あぁ、と溜息のような声が、あちこちで漏れた。

「……まぁ、でも、笛吹き男は、ちゃんとネズミを退治しましたからねぇ。約束したなら、払わなくちゃ」

灰色ボンネットの老婦人が、連れ合いに、しわがれた声で話しかける。

「そうです、私もそのつもりでした。しかし、妙なことに気付いたのです!」

町長は一体なにを言いたいのかと、住民は再び眉を寄せた。

「私は最初から、なにか変だと感じておりました。だって、こんなに清潔なラトゥールで、ネズミが突然、大量に繁殖するなんて、おかしいでしょう?」

勿論、何か間の悪い諸事情が、重なったから増えたのだとは思う。
しかし、家ネズミの天敵、猫や犬がいなくなったことは、間違いなく直接原因のひとつだ。

モーレンコップフは、ネズミ増殖の理由に、ちゃんと気付いていた。
それが、自分の公布した愛玩動物の飼育禁止令のせいだと、ちゃんと気付いていた。
そして、その禁止令を誰もが嫌がり、自分の政策が不満に思われ始めているのにも、気付いていたのである。

「そこを不思議に思ったとき、私には全てが分かったのです!」

自分への不満は、別の誰かへなすり付けてしまえばいい。
犬が棒切れに身体をこすりつけ、泥を落とすように。

真面目で神経質なモーレンコップフ氏は、自分の間違いなんて絶対に認めない。

「ネズミの増殖は、誰かによる意図的な工作だったのです!」

そうだ、その通りだ、とモーレンコップフは、自分に言い聞かせた。
周囲の住民たちは、なんともいえない音を発したり、ぽかんと町長を見たり、その飛躍的な考えに、なかなか付いて来られない。

「さぁ、よく考えてください!ネズミが増えて、困るのは我々です。では、得をするのは?」

誰かが――そう、あくまで、誰かが、群衆に巧みに紛れ込んだまま叫んだ。

「笛吹き男だ!」

その声は、朗々と響く。

「ネズミ退治の報酬に笛吹き男は、金貨一袋を頼んでいたぞ!」

なんとなく集まっていた住民も、その台詞は聞き逃さない。
金貨を!ハンチングを被った老人が声をあげ、一袋も?と隣の夫人が囁いた。

「おいおい、ちょっと待ってくれ!」

手を挙げたのは、赤ら顔の中年男だった。
スコッチや笛吹き男に、おやつ代わりにパンを分けてくれるパン屋である。

「そりゃあ、いくらなんでもむちゃくちゃだ!だって、こんな小さな宿場町で、金貨一袋がすぐ準備できるなんて、どうして笛吹き男に分かるっていうんだ?」

「聖夜祭よ!聖夜祭には、神様への贈り物のために、集金をするわ!」

太った婦人が金切り声をあげると、その後ろで、ふたりの若者が顔を見合わせた。

「でも、ちゃんとネズミは退治したよな?」

「馬鹿、見るからに、あいつは大道芸人だろう。最初から、サーカスで仕込まれたネズミを使っていたんじゃないか。あの笛だって、本物かどうか怪しいもんだ」

その言葉にのせるよう、モーレンコップフは声を張り上げる。

「お察しのとおり、あの男は最初から報酬をふっかけるつもりで、我々の町にネズミを放ち、ある程度騒ぎになってから、いかにももったいぶって登場し、自分のネズミを自分の合図で引き上げさせたに過ぎなかったのです。そうでなくて、どうしてあんな笛一本でネズミが退治できるでしょう?あまりにも出来すぎた演出だと思いませんか!」

しばらく、しんと静まり返った群集たち。しかし、やがて葉がこすれあうように、ざわめきがあちこちで大きくなっていく。

「……最初から、おかしいと思っていたよ」

笛吹き男の登場を、あまり快く思っていなかったレンガ職人が呟いた。

「そういえば、そうよね。ネズミが増えたと思ったら、ふらっと現れるんだもの。偶然とは思えないわ」

笛吹き男は、どこか別の町でネズミの噂を聞きつけたのかもしれないのに、婦人はこう同調した。

勿論、なかにはモーレンコップフの演説を相手にしない住人だっていた。現にパン屋は、頑としてその意見に同意しなかった。
しかし、ならお前が金貨を払えと言われてしまうと、もう彼にはなにも言えない。

即興の虚偽に、都合のいい砂糖がふられ、いかにも本当っぽい糖蜜がかけられ、それがたくさんの人の手で形だけは見事に飾りつけられると、もう人々には全く他の可能性なんて見えなくなってしまった。

「私は、どうしても、皆様の財産、大切な資金を手放すことが出来ず、こうやってお話したのです。ご理解頂けたことを、心から感謝致します」

町長は、仕上げのトッピングに、苦いチョコレートをのせ、誠実そうに微笑んだ。







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