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第4楽章 ダリ・ボジョレ即興曲
イヴは、今夜の収穫に、ため息をついた。

手の中には、5ペイル紙幣2枚と10ペイル紙幣1枚。

新年だというのに、景気がよくない。

とは言っても、ホテルに連れ込んで、相手がシャワーを使っているうちに、金目のものだけ頂戴するのが彼女の仕事だ。定期的な収入など望めない。小金とはいえ、ありつけただけでもいい方である。

イヴは苛立たしげに、染色の抜けた髪をかき回した。

もうひとり、ふたり分くらいどうにかしたい。

彼女の目が、行きかう人をせわしなく追い、査定していく。

幸せな人間か、不幸せな人間か。





世界は、線で2分され、点で303に分けられ、円で4分割される。

線は南北境界を、点は国々を、円は4大国を表す。
軍事力のベイリア合衆国、発明や学問でのし上がった大東万皇国、金と石油の産出地、南ヨハルカプラン共和国。

四方を銀氷海とオールドケンジントン海に囲まれた、ここ海上の王国ギルシアンブリジットも近代都市国家として、円のひとつを担っている。

首都は、白亜王都マルゴール。

千年暦カルヴァン793年、新興国トイドと、ベイリア合衆国によって火蓋が切って落とされた第2次世界大戦時、合衆国側の後方支援に徹したギルシアは直接打撃を受けず、戦後の弱体化した世界に頭角を現わし始めた。

ユーロパ各国にて同盟を組んだのは、5年以上続いた大戦の翌年、同799年のことである。

暦名に挙げられているカルヴァンは、別名戦略王と呼ばれ、実際に軍隊を指揮することはほとんどなかったものの、外交に長け、自国に有利な条約を次々結んでいった。

決して広くはないギルシアが、大国に並んだのは、この頃の条約におされた世界貿易による。

しかし、新千年の始まった頃、熟しきった果実が腐るように、平和と栄華を極めたギルシアは、内側から徐々に乱れ始めていた。

その原因のひとつが、南と北の貧富差だ。

ギルシアは北方に位置し、縦に長いため、北と南で天候にかなりの差異がある。
自然、住みやすい南には裕福な人間が集まり、住みにくい北には貧しいものが追いやられることとなる。

そのため、賑やかな時期になると、おこぼれ目当ての北方貧民が、南に流れてくるのだ。
ちょうど、今のように。




かくいう自分も、浮かれた中流市民を目当てに、ニーニョからダリまで足を伸ばしたのだが。

外灯脇に座り込んでいる物乞いから、目をそらし、イヴは鼻をすすった。

あぁ、くそ……こんな金額じゃ列車代にもなりゃしない。

立ったままの体勢に、むき出しの背中が冷える。

もうどんな相手でもいいから、とりあえず部屋に入りたい。

薄いケープを巻きつけ、周りを見回すと、寝癖のついた茶色い頭が目に入った。雑貨屋の1ペイル均一のワゴン前で、いかにもとろそうなガキが、うろついている。身なりを見るに、修道士かその見習いといったところだろう。

イヴは、さりげなく修道士に近づいた。
まだ膨らみの足りない胸を、ぐっと強調して、ささやく。

「ねぇ、マッチ買わない?」





「はい?」

修道士は、ぽかんと少女を見つめた。

派手な化粧と香水で飾っているが、まだどこかあどけなさ残る顔。身体のラインも、体型を差し引いたとしても、くびれがなく幼い。

マッチを買うとは、女性を一晩買うことの隠語である。

言うまでもなく、イヴの外見とはあまりにも不釣合いで、また言うまでもなく、修道士には一番縁の薄いセリフであろう。

修道士の少年は、目を白黒させたまま、なんとも答えない。

イヴは相手にお構いなく腕を取って、さっさと路地裏に歩みを進めていく。中ほどまで来たところで、イヴは修道士と向き合った。

「おい、教会鼠のくせに、マジでついてきてんじゃねぇよ。バカ」

鼻先でせせら笑い、大通りから見えないよう、足に手を伸ばす。短いカットドレスから覗く太腿には、刃物がちらついている。勿論ただのお飾りだが、こういう気の小さそうなヤツなら、見せるだけで十分だ。

「分かりやすいオネガイで悪いんだけどな、財布出しな」

修道士はそそくさと、荷物を地面に置き、財布を取り出した。
カウンターで代金を支払うような流れる動作である。イヴの目の前で、律儀に紙幣を揃え、硬貨も全部差し出す。

それも、笑顔で。

「はい、どうぞ。硬貨はジャラジャラするから、袋にまとめたほうがいいですか?」

「……はぁ?」

イヴから見ても、修道士は明らかに、ほっとしていた。

さっき腕を引かれているときは、なにやら挙動不審だったくせに。

彼にとって、単に誘惑よりも恐喝のほうが、ずっと分かりやすく望ましかっただけなのだ。

しかし、イヴはというと、実に不可解極まりないといった表情で、手の中の硬貨を見下ろしている。素直すぎる被害者に、不信感を抱いているのだ。

彼女のリアクションは正しい。

「……あのぉ」

お金を受け取ったまま、行動を起こさないイヴに、修道士はおずおず呼びかけた。

「……なんか、すいません。持ち合わせ少なくて」

「は?」

「トイレットペーパーを買いに来ただけだから、あんまり持って来てないんです。そこの雑貨屋で安売りしてたもので……だって、ほら、余計なお金持ってると、お菓子とか買っちゃうし」

どうやら、イヴが金額に満足していないため固まっているのだ、と思ったらしい。

「薬局って最近いろいろ置いてますから。即席ラーメンとか飲料水もあるし。あ、トイレットペーパーよかったら、ひとつどうぞ」

修道士は、両手に持っていた12ロール入りのトイレットペーパーをひとつ、恐喝加害者に差し出した。

「トイレットペーパーって、すぐなくなりますよね。僕、どちらかというと、ダブルよりシングルのほうが好きで――」

「待て待て待て!!お前のトイレットペーパー談義なんか、どーでもいい!」

なんだ、こいつ……と、イヴは、ますます困惑した。

見たとこ頭はマトモそうなのに、マトモじゃなかったのか……?

受け取ったトイレットペーパーを、険しい顔で見下ろす。

どうしよう、もらっとくべきか?でも、まだ客引きをするつもりなのに、その間トイレットペーパーをぶら下げとくのは、ものすごく変じゃないか?

黙考の末、イヴはそのプレゼントを突っ返した。

「……いらない」

よく考えたら、毎晩ホテル使ってるんだから、いらないだろ。

なにやら残念そうな修道士は、ふと大通りに目をやり、「あ、みんなだ」とつぶやいている。
目線を合わせ、イヴは絶句した。

なんて怪しい集団だ。
バカでかい着ぐるみに、派手なピエロに、赤ずくめに、怪しげな覆面男に、トイレットペーパーが全く似合わない男女。

あれが、こいつの家族……もとい仲間?それとも友達?どんな交友関係か、さっぱり検討がつかないぞ?ひょっとして王都の新年祭に参加する旅芸人か、なにかか?

イヴの視線に気付いたのか、修道士に気付いたのか、赤ずくめの少女がちらりと目をくれる。その視線の冷ややかさに、イヴは知らずおののいた。

グズグズしていて、仲間に見咎められるのは御免だ、と慌てて踵を返す。

「あ、ちょっと!」

修道士が、その背に声をかけた。

「あの、これ、トイレットペーパーの代わりにどうぞ」

イヴの肩にかけられたのは、手編みらしい白いマフラー。

「寒そうなので」

娼婦が肌を隠したらおしまいだ。その例にもれず、イヴも細い首を外気にさらしている。あちこちの毛糸が緩み、見栄えの悪いマフラーは、それでも驚くほど暖かかった。

「よい新年を」

返そうか、どうしようかと思ううちに、その修道士は変人集団にまぎれていった。

「……変なヤツ」

胸の内で、修道士の仲間が呼びかけた名前を反芻する。



キオ。


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