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第3楽章 青髭公の夜想曲
小指から 薬指 さらに中指へ

極上の絹糸でさえ叶わない あの柔らかさ

ぬらぬらと照りを帯びた あの鈍い輝き

とろりと指の間を滑り落ちる あの手触り

そのなかに 深く できるだけ深く 沈み込んでいたい



そこは 黒くたゆたう 毛髪の海







キオは抱えてきた包みを、園長に手渡した。

「これ、来るときに買ったものなんです。子供たちとどうぞ」

「ありがとう。気を使わせて悪いわね」

ルベルコンティの北、ニーニョと呼ばれる小さな町。そこからさらに離れた町外れに、一軒の施設が建っている。

そこは、オウゼ感染症に蝕まれた身寄りのない子供たちを、保護する施設「太陽の園」。人目の少ない施設ということで、キオが今回のボランティア先に選んだところだ。

オウゼとは、投薬で症状を抑えることはできるが、完全に治すことはできない免疫不全症の一種である。しかし、空気感染も接触感染もせず、普通に生活するのにほとんど影響がない。他者への感染率もほんの数パーセントの病気だ。

にも関わらず、どの町でも系列の施設を作るのを嫌がる。病気の人間の世話をするということ自体が、不潔で、恥ずかしいことだという一昔前の偏見が、まだ根強く残っているせいだ。だから、施設も、こんな町外れのさびしいところ――人目の少ない地域に建っている。

資金のほとんどは教会や慈善団体からの寄付からなりたっているが、最近はそれも思わしくない。せいいっぱい清潔にはされているが、しみのついた替えのないカーテンが、運営の苦しさを物語っている。キオは、教会のボランティアをしていた頃から、ここの園長とは懇意にさせてもらっているが、いつも明るい園長も少し疲れてるようだ。

「今日は、来てらっしゃる担当の人が少ないんですね」

「ちょうど勤めていた人が辞めてしまってね。なにぶん、お給料が安いから……だから、キオが来てくれて嬉しいわ」

園長は、疲れを隠すように微笑んだ。

「お友達も、たくさん連れてきてくれたし」

「……えぇ、まぁ」

キオの表情が、わずかに固まったが、園長は気付かなかった。

お友達――言うまでもなく、猟奇殺人鬼6人組のことである。





ジル・ヴィクトール・フランスワ・ド・ブルノーは長い足を組み、子供用の小さな椅子におさまっていた。

もう30分はたっただろうに、キオは園長室から戻ってこない。ジルは、早く帰りたいというオーラを全身から発しながら、何度目か壁掛け時計を見上げた。

肩に届く長い金髪に、役者顔負けの美丈夫なジルは、今日も己の信条にのっとり、黒のフロックコートに絹のチョッキと、なにやら高価な格好をしている。ここがどこぞの園遊会ならいいが、子供であふれかえっている施設の一室では、かなり浮いている。

さすがにタイは解いた。

見せる女性もいないことだし。

あくびを噛み殺したジルは、改めて部屋を見回した。最初は、ジルを警戒してぎこちなかった子供たちも、好きに遊び始めている。



騒いでいる。

子供がたくさんいて、ひとり残らず騒いでいる。

子供なんて、コミュニケーションのとれない人間発展途上生物だ。

ジルは、大きくため息をついた。

「……焼き払いたい」

物騒な独り言である。



ぼんやりと子供たちを見つめているジルの腕を、遠慮がちにつつくものがいた。スケッチブックを抱えた、黒髪の少女である。櫛を通していないような乱れた頭に、ちらと視線を送ったあと、ジルはまたため息をついた。

「ねぇ、おじちゃん」

「おにいさんだ」

「なんでこんなところにいるの?おうちないの、おじちゃん?」

ジルは、本気で子供を殺したくなった。

なんで子供は、人の話を聞かないんだろう?
せっかく律儀に訂正したのに、なんで無視するんだ?

「おうちないなら、マリアと一緒だね」

いやいや落ち着け、殺すのはやめとこう。
また頭痛で、寝付けない日々を過ごすのは(しゃく)だし、キオに怒られる。

「……ここがお前のうちだろう」

ジルに答えてもらえたのが嬉しいのか、マリアは顔を綻ばせた。

「でも本当のおうちじゃないもの。本当のおうちは遠いところにあるんだもの」

「なんで、そんな遠いところからここへ来たんだ」

「病気だから」

マリアは、少し悲しそうな顔をした。

「病気だから、ママもパパもマリアと暮らしたくなくなったの」

「あぁ、そう」

ジルは、可哀相ともなんとも思わなかった。

まあ、そんなものだろう。

「でも、ここは毎日楽しいよ。友達もたくさんいるし、ごはんも食べられるし」

いつまでもしゃべり続ける彼女にウンザリしながら、ジルはおざなりに返事をする。マリアの話は、いつも遊ぶ友達のことや、町で見たクリスタルグラス展のことや、ジルからすればどうでもいいものばかりだ。
ほとんど聞いていないうちに、彼女の話は将来の夢に移ったようだった。

「ケーキ屋さんかお花屋さん、歌手もいいね」

子供らしい職業の並びに、ちょっと苦笑する。

「でも、1番はお嫁さん」

マリアはやおら、スケッチブックを開いた。ジルの足元で、色の揃っていない粗末な色鉛筆を片手に、なにやら描き始める。桃色の服を着た少女の絵だ。

「こういうキレイなお嫁さん。ピンクのドレスにキラキラした宝石がいっぱいついてるの。花もついてるし、金色の冠も被るのよ。お姫様みたいなやつ」

普通はウェディングベールじゃないか?冠じゃなくて。

大人げないことを考えるジル。

「でも、きっと無理だね。マリアは病気だからケッコンできないんだ」

「そんなことはないだろう」

「そうかな」

「あぁ」

どうして、結婚なんてしたがるんだ。

無責任な相槌を打ちながら、ジルは冷めた目でマリアを観察した。

結婚なんて、お互いの首を絞めあうようなものだ。するだけ時間と労力と金の無駄なのに。いつか分かるだろうけど。

「じゃあ、おじちゃんとケッコンする!」

言うと思った。

ジルは、わずかに肩を落とした。

「……もう少し大人になったらな」

あと、その小汚い格好をやめて、貧乏臭さが抜けたらな、と心のなかでつぶやく。女性の好みにはうるさい方じゃない。十人いれば、十人の楽しみ方がある。

熟した女のむせかえる香気と濃厚な甘さもいいが、若い女の柔らかく溶ける前、硬く筋張る前の清々しさもいい。体型や顔立ちも、それほど問題じゃない。見慣れれば豚でも愛らしいし、枯れ枝も磨きがいがある。溺れさせるか、屈服させるか、手懐けるか、女の数だけ楽しめる。

だけど、ガキなんて、さすがに趣味じゃない。

ジルの失礼を通り越して、かなり自分勝手な思いも知らず、マリアは身を乗り出した。

「本当?本当にいいの!?」

「あぁ」

「じゃあ、待ってて!いいものあげるから」

マリアは、どこからか、銀色の空き缶を持ってきた。パッケージを見るに、クッキーの空き缶だろう。中から転がり落ちてきたのは、たくさんのガラクタだった。

少なくともジルにはそう見える。

造花のついた髪飾りだの、安っぽいブローチだの、オモチャのペンダントだの。

「これ!」

マリアが取り出したのは、すぐに壊れてしまいそうな細い指輪だった。どこかのバザーで銅貨1枚も出せば10は買えるだろうという代物だ。

「ケッコンのときは、指輪つけるでしょ?だから付けてあげる」

マリアに手を取られ、ジルは思わず払いのける。彼女は決して汚いわけじゃない。けれど、寄付された古着に子供特有の汚れをつけた彼女は、ジルにとっては触ってほしくない対象だった。

「……おにいちゃん」

不愉快な様子を隠そうともしないジルに、マリアは不安げな視線を向けた。あまりにもあからさまな拒絶に、黒い瞳が、潤んで揺れる。

「ごめんなさい……」

マリアはおずおずと指輪を拾い上げ、空き缶のなかに戻そうとした。

その手をジルが掴む。ほぼ反射的に。

目を見開くマリアの指に、指輪が滑り込んだ。

手馴れた所作は、一分の乱れもない。

「こういうことは、男のほうからするものだからな」

無愛想に言うジルに、マリアは再び嬉しそうな笑みを浮かべた。

「ありがとう……でも、おじちゃんの指輪がないね」

「いや、私は……」

「いいこと思いついた!」

また、余計なことを思いついたのか、この子供は。

ジルの心中など知らず、子供が嬉しそうに持ってきたのは、金モールだった。細い針金が金色の紙で覆われているだけの消耗品。

「こっちのほうがキラキラしてキレイだね」

ジルの指に、それを大事にそうに巻きつけ、マリアが満面の笑みを浮かべる。元々赤い頬が紅潮し、八重歯がのぞく。

「えへへ、ケッコンのときは、ちゃんと交換しようね」

子供なんて、みんな物知らずかと思ったが、ちゃんと調べているらしい。

でも、指間違ってるぞ。

「ねぇ、マリア!検査終わったから、遊ぼう!」

部屋に入ってきた三つ編み頭の少女に、マリアは手を振った。

「あれが、メグ!さっき話したいつも遊ぶお友達!おじちゃんも行こうよ」

マリアに手を握られたが、もう殺意も嫌悪感もわかなかった。

小さな、やけに熱い手だ、と思っただけだった。


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