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頭に浮かんだ言葉を一気に書き上げました。良かったら最後まで読んでみて下さい。
心の色
作:林檎


 心の周りに一枚薄い布のような物でもあったらいいのに。そうしたらもっと優しくなれるのに。そう思いながら育った私はこんな人間になってしまった。

 「あんたって何考えてるのか分からない。いっつも善人面して。こっちが嫌味で言ってることも分からないの?自分だけ良い人になろうとしてるんでしょ。そういうとこ、前からすっごく腹立つ」
仲の良かった友人が顔を真っ赤にして私を怒鳴りつけた。彼女は講義室の椅子を思いっきり蹴って、これでもかと言わんばかりに大きな足音を立てて出ていった。

 頭が痛くて何も食べる気になれない。せめて果物でも食べない?と信二郎がミカンの缶詰を開ける。
「ありがとう」
私は微笑んでタバコの箱を手にとった。細長いタバコを一本口にくわえ、ライターを擦る。
「お前の偏頭痛はやっかいだな」
信二郎はガラスの小さな器に、フォークで少しづつミカンを取り分けていく。私は口からゆっくり煙を出しながらその様子を眺める。
ミカンの浮いた透明の液体が少しオレンジ色に染まっているのを、とても心地よく感じた。


 次の日、案の定大学での私は一人ぼっちだった。
友人達は私を哀れそうに眺めたり、もしくは誇らしげに笑っていたりする。
不思議に私は何も感じない。こうゆう時悲しいと思わない私は、人間的に何か欠落しているのだろうか。
高校生の時にも同じような事があった。よく覚えている。今日みたいに肌寒い日で、抜けるように青い空だった。寒さは空を透き通って見せるようだ。
じっと見ているとあまり変化がないのに、気付くとあちこちにまばらな薄い雲が散らばっている。
きっとみんなの心もこんな風なんだろう。そのうち紅くなって、真っ暗になる。

 あの日も今日も、私はずっと空を眺めていたようだ。
気付いたら私は帰りの電車に揺られながら空を見ていて、ホームが視界を遮ったところで我に返った。

 家に帰ると信二郎が居て、私を見てにっこりと笑った。
「頭痛は治ったのか?」
私はうなずく。
「信二郎、今日も来てたんだね」
鞄を床におろし、カーディガンを脱ぐ。
「うん。なんとなく」
信二郎はタバコを吸いながら、テレビのリモコンに手を伸ばした。細長い指先に僅かな力が込められるのを私はぼんやりと眺めていた。
次の日も、その次の日も、私は空を眺めて過ごした。
次の日も、その次の日も家に帰ると信二郎が居た。まるでリピートしているみたいに、毎日同じ顔で信二郎は笑って、同じように私を抱いて一緒に眠った。
毎日同じ信二郎で、毎日同じ私だった。
もう長い間そうだったように、これからもずっとそうなのだと思った。


 私は毎日一人ぼっちで、誰も私に話しかけようとしなかったから休み時間には大学を出て近くの公園に行った。
一人で居ると落ち着いて、幸福さえ感じる自分が不思議だった。
公園には白い花がたくさん咲いていて、そこに居る時私は空ではなくそれを眺めて過ごした。花びらが地面にたくさん落ちていて、茶色の砂を透かすようにふわふわしていた。
心の布は多分こんな感じなのだろうと思った。私は白い花をひとつ手にとって、数枚の花びらを手のひらに乗せた。
公園には小さな子供連れの母親が多くて、たいていの子供達はつまづいて頭から転び、母親は抱き上げてあやしていた。
私は花びらを口に含んで、柔らかなそれを長い間舌の上に乗せた後、ゆっくり飲み込んだ。皺がよっていなければいいが、と思う。

 家に帰ると信二郎がいて、座ったまま私を見上げて微笑んだ。
「ただいま」
「おかえり」
信二郎はタバコを吸いながら雑誌を読んでいた。「頭痛は?」
タバコをくわえたまま信二郎が言う。
「ううん。大丈夫」
私は鞄を床に下ろし、そのまま信二郎の横に座る。
時間はそのままゆっくり流れ、テレビの中ではいつもと同じ夕方のニュースが流れた。
私はいつの間にか眠っていて、目が覚めた時信二郎はキッチンで何かを湯掻いていた。
「おはよう」
菜箸で鍋をかきまぜながら、湯気の中で信二郎が笑う。
「よく寝たね」
私は気だるい体を起こして
「おはよう」
とつぶやく。もう外は真っ暗で、テレビの放送も終わりかけていた。
「ずっと起きてたの?」
タバコを一本口に含む。
「うん。眠くないし、何か美味しい物でも作ろうと思って」
テレビの電源を切り、信二郎の方に歩み寄る。
「明太子のパスタ」
聞きもしないのに、信二郎はそう答えてにっこり笑う。
「食べたいな」
私は目を細める。
「うん。食べたいってお前が言ってくれたら嬉しいと思ったんだ」

湯気と一緒にパスタの匂いが鼻腔に広がる。
「信二郎」
「ん?」
「信二郎は私を変な人間だと思う?」
私は鍋の中でぐるぐるかきまわされるパスタを見つめた。
「んー」
信二郎は冷蔵庫をあけて、白いパックを取り出す。
「私に同情する?」
パックの中から明太子を取り出し、細長い指先でつつく。
「誰でも、好きな人には何かしら同情しているものだよ」

 その夜、信二郎の作ったパスタをたらふく食べて、いつものように私達は眠った。

 次の日、家に帰ると信二郎が居なかった。
次の日も、その次の日も信二郎は現れなかった。
信二郎の居ない日々は驚くほど空っぽだった。
私は一人でベッドに横になり、気付けば信二郎を恨んでいた。
誰かをこんなに憎いと感じたのは初めてだった。
胸が苦しく、全てが色を失った。
花びらを何枚も食べた。
部屋が汚れた。
一人でブツブツと信二郎への怒りをつぶやいた。菜箸と鍋を捨てた。
ガラスの器も捨てた。
信二郎は帰って来ず、家に帰るたびに落胆した。
熱を出した。
横になると、頭の後ろと背中が熱くて、目頭が熱くなった。
信二郎が居なくなってしまった。
頬を幾度も熱い涙が伝った。

 公園のベンチに座っていると、小さな男の子が私のところに走って来た。
私の手のひらにある白い花を見て
「それをちょうだい」
と言う。
私はそれをあげた。瞬間、男の子はその花を地面に叩き付け、小さな足で何度も踏み付けた。
驚いた。
男の子は母親にひどく叱られ、私は母親に頭を下げられた。


 大学の友人が私のところにやって来たのは、その日の午後だった。
「ごめん」
一言そう言って、友人は頭を下げる。
怖いほど冷めた目でそれを眺める自分に気付き、私は恐怖心を覚える。
「この間はひどいこと言ってごめん」頭をあげ、私の表情を見た友人はあからさまに顔を青くした。
「私、多分、今すごく疲れているんだと思うの」
私はそれだけ言って、立ち上がった。



 家に帰ると、なんの違和感もなくそこに信二郎が居た。
「おかえり」
私を見上げてにっこり微笑む。
「ただいま」
私は鞄を下ろすのも忘れて信二郎を抱きしめた。


書き終わった時に、初めて自分で納得した作品です。













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