第四話
先ほどの茶屋の前まで戻ると、あれだけ集まっていた町人の姿はなく、賑わいを見せる町の麗らかな午後の景色だけが広がっていた。
きさらの姿もない。
道の真ん中に転がっていた筈の二匹の姿も見えないから、おそらく治療の終わった狐と狸を山へ帰しに行ったのだろう。
茶屋の前には無残な姿を曝す材木の集まりが。先ほどまで腰掛けだったそれを横目に、俺は団子屋の暖簾をくぐった。
「すんませーん」
「はいはい」
奥から出てきたのは、この茶屋の主人なのだろう。
温和そうな中年男だが、手には大きな風呂敷包みを抱えていた。俺が言う前からその風呂敷包みを押しつけてくる。
中を確認すると、間違いなく今朝からきさらが買い集めた竹千代の為の道具ばかりだった。
「忘れもんだろ? しっかり持ってきな」
「……ありがとうございます」
思わず礼を言ってずしりと重い包みを受け取った。
「片腕じゃ大変だろう。団子のお代は次来た時でいいから、あの女の子と、派手な上着の子と、そのお茶碗の子と、みんなで一緒に来るといい」
次来るという保証もないというのに、茶屋の主人はそう言って笑った。
先ほどの岡っ引きは親父の店だと言っていた。言われてみれば、目元の雰囲気や眉の感じは似ていなくもない。もっとも、鼻息を荒くした息子とこの親父とでは表情に雲泥の差があるが。
「……請求しないんスか、店先を荒らした分」
自ら聞く事でもないのだが。
「いいよ、あれのお代は別のところに回させてもらうんでね」
「別のところ?」
「あの化け狐と化け狸の親分に請求させてもらうよ。烏組――と、今はそう言わないのかね。『元』羅刹狩りの一味さ。戦争も終わった今じゃ、商売あがったりだろうよ」
『元』羅刹狩り。
聞き覚えのある言葉だ。
「賽ノ地はさんざんこれまで羅刹の被害を受けてきたって言うのに、半年前、急に戦争が終わっただろう……全く、お上の考える事はよう分からんよ」
半年前の羅刹との和平成立。それはまだ、記憶に新しい。
羅刹族は、俺たちヒトと一線を画す、粗野で乱暴な戦闘種族だ。ヒトと同じ外見でありながら、明確な政治形態を持たず、ただ『力の強いモノが弱いモノを支配する』という一点のみに置いて組織を構成する。そして、たびたびヒトを襲う。快楽のため、強さを見せるため、目障りだから。そこに鮮明な理由などありはしない。あっても、ヒトには知る術がない。そのためヒトは羅刹を、ヒトに害なすヒトならざるモノとして狩り続けてきた。
中央の都ならばほとんど羅刹の姿など見ないかもしれないが、北倶盧洲最果てである賽ノ地は別だ。頻繁に羅刹族が出没するために、奉行所がいくつもの羅刹狩り一味を抱えて対応していたほどだった。
その羅刹狩りたちが、半年前に成立した和平のせいで職を失っている。
「狩る羅刹がいなくなったせいで、盗賊を狩ってるのか?」
先ほど、緋狐という妖弧は、殺していい相手だと言われた、と漏らしていた。暇を持て余した元羅刹狩りが、代わりに盗賊でも一掃しようと言うのだろうか。
全く、面倒な事だ。
さて、用事も済ませたし、このまま立ち去ろうか……と、した時だった。
暖簾を押し、誰かが茶屋へと入ってきた。
「すまない、風月庵はこちらか? 店先の騒ぎの非礼を詫びに……」
聞き覚えのある女の声だった。
思い出す間もなく、茶屋へ入ってきた女は俺を指さして絶句する。
「お前、盗賊っ……!」
誰かと思えば先日の羅刹狩りの女だ。
いや、今は盗賊狩りと呼べばいいのだろうか。
顎の下に布を当てているのは、俺が容赦なく蹴りあげたせいだろう。
今日は武器を手にしておらず、代わりに詫びの品なのか修繕代なのか、小さな風呂敷包みを胸元に抱えていた。
「何故お前がここにいる?!」
「それはこっちの台詞だ、盗賊狩り」
言い返すと、盗賊狩りの女は素早く懐刀を取り出した。
それを見た茶屋の主人はさすがに慌てて止める。
「おいおい、葉ちゃん、店の中で暴れるのはやめちゃくれないか。やるなら外で頼むよ」
「……そこで待っていろ、盗賊」
悔しそうに刀を仕舞い込み、翡翠の瞳で俺に鋭い視線をくれながらも、風呂敷包みを茶屋の主人に手渡した。
「此度は、烏組の狐と狸が風月庵の店先で、失礼仕った。今後、街中では暴れぬよう、言い聞かせておくゆえ、何卒、お咎めは勘弁していただきたい」
「さすが、烏之介様は対応が早くていらっしゃる」
盗賊狩り。一味。烏組。
なんとなく合点が行って、俺は大きくため息をついた。
何の事はない、俺は昨日からずっと、同じ一味の者に襲われ続けていたのだ。
ため息を、ひとつ。
待てと言われて、これから攻撃を仕掛けてくることが分かっている相手を待つ義理はないし、盗賊狩りの女が茶屋の主人にへこへこ頭を下げている今の間に姿をくらましてしまおうか。
竹千代への土産を抱え、俺は音もなく茶屋を出た。
先ほどの岡っ引きとでこぱちは、いったいどうしているだろう?
そう思って橋のところへ戻ってみると、けらけらと楽しそうに笑う相棒の姿があった。
橋の欄干に腰掛け、隣の岡っ引きと何やら談笑しているようだ。先ほどまで声を荒げて逃亡劇を繰り広げた二人とは思えぬほどに。
俺が近づいたのに気づくと、でこぱちは欄干を飛び降りてこちらに向かって駆けてきた。
「ねーねー、青ちゃん、聞いてよ! 雷がさ、また団子屋に遊びに行っていいって!」
雷って誰だ。
話の流れからすると、目の前にいる茶屋の息子の岡っ引きとしか考えられないが。
何故、俺が茶屋へ行って戻るだけの時間で仲良くなっているんだ。
「おう、じゃあな、耶八! おい、そこの無愛想なの、来る時はお前も一緒に来いよな!」
ばんばん、と俺の肩を叩きながら、嬉しそうに去っていく岡っ引き姿の茶屋の息子に、俺は茫然とするしかなかった。
あいつも馬鹿なのか?
あの様子では、でこぱちが団子を盗んだ事だって忘れているに違いない。
それにしても。
ようやく乾いてきた飴色の髪にぽん、と手を乗せてやると、でこぱちは嬉しそうに笑った。
厄介事を運んでくるかと思えば、いつの間にか味方を作っている。誰かと敵対する関係であり続けるということ自体が無理なのか、そもそも、この相棒の中には『敵』という概念が存在しないのか。
不思議な奴だ。
こいつならそのうち、あの狐や狸とだって仲良くなってしまうに違いない。そう思うと、何故か無性に可笑しい気がして、知らず、唇の端を上げていた。
重い買い物包みを頭の上に乗せ、落とさぬよう器用に歩くでこぱちの後を追い、賽ノ河原を往く。今日もこのまま、きさらの待つ草庵に戻る予定だった。
もう半刻もすれば陽は西に傾く。早めに戻らなくては夕餉に間に合わない。
ところが、先を歩いていたでこぱちがぴたりと立ち止まり、河原の人影を指さした。
「青ちゃん、なんかいる」
しかも、人影は一つや二つではない。十名ほどの集団が、河原で集まってがやがやと何やら相談しているようだった。
こんなところに屯するのは、盗賊集団か、盗賊狩りか。
避けようと進路を変えたところで、でこぱちがまだじぃっとその人影を見つめているのに気づいた。
「どうした、でこぱち」
「青ちゃん、あれ、ヒトじゃないよ?」
言われて目を凝らすと、確かにヒトとは雰囲気が違う。
ひょこひょこと寄って行ってしまったでこぱちを追って、俺もそちらに足を向けた。
河原に点在する草むらに二人隠れて様子を窺うと、そこにいたのは数名のヒトと、数個体のヒトならざるモノだった。
羅刹だ。
ほとんどヒトと変わらぬ外見だが、そこは戦闘種族と呼ばれる所以、羅刹は女も男も一様に戦士の風貌をしており、戦闘に関してはヒトと比べるまでもなく強い。見下ろした中には羅刹女の姿も見られた。
大きく開いた背には、まるで何かを睨みつける目のような赤い痣が刻まれている。
背に負うあの痣は、羅刹族である証――ヒトとヒトならざるものを分ける、たった一つの刻印。
しかし何故、羅刹族とヒトがこんな場所に集まっているのだろう?
「では、町の北西、賽ノ河原より一里の場所を第一候補に」
そう言ったのは、その場にいるヒトの中では最も地位が高いであろう眼鏡の男だった。
手にした帳面に何かさらさらと書きこみながら、羅刹たちに何やら確認をとっているようだった。
「いいだろう。後は任せる」
羅刹女の一人がそう言って頷いた。
そして、俺たちが隠れている草むらの方をじっと見る。
確実に、気づかれている。
じっとりと汗が背を伝った。
いかに俺たちがこの辺りに敵がいないほど強くなったとはいえ、羅刹族の強さは段違いだ。戦闘種族として生まれ、育った彼らに攻撃を仕掛けられれば、とにかく逃げに徹するしかない。
羅刹女の視線に気づいたのか、眼鏡の男はふいにこちらを見た。
「何か、見つけられましたか?」
「……いや、この辺りを塒にする盗賊か何かだろう」
眼鏡の男は、それを聞いて深々と頭を下げる。
「申し訳ございません。そういった輩は建設前に一掃しますので、お任せください」
「そういう輩が残っていても、私らは一向に構わんのだが? ヒトを狩る口実が出来るだけの話だ」
羅刹女の台詞に、眼鏡の男は一瞬表情を凍らせた。が、すぐに笑顔に戻って諌める。
「迦羅殿、そういったお言葉は……」
「分かっている。我が主がお前らヒトと手を結んだ時から理由なき限り、ヒトに害は与えぬと約束している」
ふふ、と笑った羅刹女はそう言って視線を戻した。
あの眼鏡の男が率いているのは政府の者たちなのだろう。半年前に和平を結んだ羅刹と、こんなところで一体、何を話しているのやら。
いかに辺境の賽ノ地と言えど、これだけの数の羅刹族を一度に見る事は稀だった。
あの男たちがいったい何について話しているのかは知れないが、和平が成立して半年、何か動きがあってもおかしくない時期なのだろう。
「ねーねー、青ちゃん」
隣のでこぱちがつんつん、と着物の裾を引っ張る。
「何だ?」
「もしかしてさ、この辺に羅刹族が増えるのかな?」
「分からん」
本当に分からなかった。
しかし、普段なら喧嘩を売ってくるはずの逸れ者が寄ってこない理由は分かった。羅刹狩りが盗賊を狩り始めたせいで盗賊自体が減っているせいだ。
ようやく一つだけ合点がいった。
しかし、まだこれだけでは済まない気がする。
政府の人間と密談する羅刹たち。
政府直属の組織の盗賊狩り。
これから、酷く面倒な事に巻き込まれる予感がした。
多少寄り道をして、ちょうど陽が落ちる頃には草庵へと戻ってきた。
長い一日だった気がする。
最初頭の上に乗せていた大きな風呂敷包みを、今や重そうに抱えている。代わりに持とうか、と提案したが、帰るまでおれが持つんだ、と断られた。
せめて、と草庵の戸を開けてやれば、荷物を土間に置き去り、履物を放り出して囲炉裏端へと忙しなく駆けこんだ。
「ただいまー! おなかすいたっ」
どたどた、と足音。
数秒遠ざかって、また近づいてきた。
奥の部屋まで全部見て戻ってきたのだろう。そのままひょっこりとこちらに顔を出した。
「きさら、いないよ?」
その下から、同じようにひょっこりと竹千代が顔を出す。
「帰ってないよ」
もう外は暗くなるというのに。
あの狐と狸を山に送って、まだ戻らないのだろうか。
どこだ? 町から近く、獣が多く姿を見せる山となると、東山の辺りか。
……しまった。
「来い、でこぱち」
最悪だ。なぜ気付かなかったんだ。
自分の迂闊さに吐き気がする。
町から東山へと登る道、普段から、賽ノ地付近に根を下ろす盗賊たちもあまり近寄らないあの場所は、賽ノ河原から住処へ帰る羅刹たちの通り道だった。
「えっ? うん!」
でこぱちも、濡れた履物に再び足を突っ込み、ばたばたと駆けてきた。
ひどく面倒な事になりそうな予感、どころじゃない。
俺たちはとっくに巻き込まれていた。
何も言わず俺たちを見送ったジジィの目の奥に潜む感情の揺らめきに気づいていれば、あるいは何か違ったのかもしれないが。