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第三話

 でこぱちの団子を横取りした狸が緋狐ひこ、と呼んだこの男、頭に巻いた手ぬぐいで目は半分隠れているが、目つきがそれほどよくないのは間違いない――と、自分の事を棚に置き、そんな風に観察する。全体的な雰囲気から、狐と言ったのは半分あてずっぽうだが、獣の匂いがするから純粋にヒトでない事はすぐに分かった。

 そいつは、口元ににやにやと笑みを湛えながら言った。

「お前ら、有名な盗賊なんだってな」

 有名かどうかというところに疑問はあるが。

「お前がそう言うなら俺たちは有名な盗賊なのかもな。そうすると、お前……とあっちの狸は、有名な盗賊狩りなのか?」

 問い返すと、緋狐ひこという化け狐は鼻で笑った。

「はっ、生意気なガキだ」

 いつの間にか俺と緋狐の周囲を野次馬たちが、ぐるりと取り囲んでいた。

 おかげででこぱちときさらの姿が見えない。しかし、でこぱちに関しては心配していないし、きさらもああ見えてしのびの端くれ。逃げる事くらいは簡単にできるだろう。

 その代わり、興味本位で集まってきた観客たちの身の心配まではしてやれない。

 緋狐は大槌をぶおん、と振り回した。

「残念ながら、俺たちは『殺していい』と言われた相手を殺しに来ただけだ。盗賊とかあやかしとか、そういうのは一切関係ねぇ」

 ああ、なかなかどうして、こういうやからに絡まれる事が多いのだろうか。

 昨日は政府の人間、今日はあやかし。

 明日には羅刹にでも絡まれるのではなかろうか。

 ため息をついても逃れる術などない。

「要するに、お前は俺たちを殺しに来たんだな?」

「俺がそう言う前にあのチビをけしかけたのはそっちだろうが」

 ああ、あのめんどくさい最初の口上か。

 やはり聞かなくて正解だった。

 左手の刀を真っ直ぐ相手に突き付ける。

 真っ向から受けてやる、という合図だ。

 それを感じ取ったのか、緋狐も大槌の柄を握りしめた。

 大きな武器を相手に戦う基本は、相手の懐にいかに入り込むかにある。特に小回りの利かない大槌を振り回すこいつには効果的なはずだ。

 重要なのは一撃目。

 いきなり大槌を振りあげるようなことがあれば、無防備な腹を切り裂いてやろうと思っていたのだが、低い体勢で大槌を引いて構えたそいつは、低い姿勢のまま突っ込んできた。

 即座に横薙ぎの攻撃が迫ってくる。

「!」

 思わぬ速度で迫ってきた槌に、考えるより先に左足に力を入れて飛び退った。

 間髪いれずに追撃が待っている。

 茶屋の腰かけを粉砕するほどの攻撃の重さに比べて、速度が段違いだ。

 身の丈以上ある大槌を、細腕で驚くほど軽そうに振り回す。

 くるくるりと、まるで自らの躰の一部のように。

 右側の死角を悟られぬよう、右足を庇いながら左足を軸に避けているが、反撃の手口が掴めない。一度攻撃体勢に入り、そのまま押し切る算段らしい。

「退いてばかりじゃ、勝てねぇぜ?」

 畳みかける攻撃は止まない。

 このままでは体力を削られるばかりだ。

 避けそびれて槌に当たれば頭蓋を割られてその場に転がる事になる。だからと言って、この速度では大槌を振り下ろすより先に懐に飛び込む事もままならないだろう。

 なんて厄介な相手だ。

 何とかしてこの攻撃の渦から抜け出さねば。

 四の五の言っている場合ではない。

 手にした刀を逆手に握り直し、体を捻った反動で顔面に向かって投げつけた。

 真っ直ぐに飛んだ剣の柄は、正確に緋狐の顔面を急襲した。

 がつん、と手ごたえのある音がして、攻撃が止んだ。衝撃で仰け反った緋狐の手から大槌が滑り、どすん、と地面に落ちる。

 辛うじて堪えた口の端につぅ、と血が伝う。

「……のやろぉ」

 足元に落ちた刀を忌々しげに踏み付け、観衆の方へと蹴り飛ばした。町人たちは面倒を避けるように、刀から距離を置いた。

 伝った血を腕で拭いながら、緋狐は大槌をくるりくるりと器用に回し、肩に担ぎあげた。

「ふざけやがって。刀を捨ててこっからどうする気だ」

「どうするかな」

「はっ、ますます生意気なガキだ」

 と、その時、俺たちを取り囲んでいた人垣からわっと歓声が上がった。

「何だ?」

 背後の騒ぎに、緋狐は振り向いた。

 見れば、川に近い一角の人垣がざっと退いていっている。

 そちらに視線を移した時、人垣が割れて、そこから先ほどの狸が勢いよく転がってきた。

 地面に背をこすりつけるようにして滑り、緋狐の足元で止まった。

狸休りきゅう!」

「いてて……」

 背を擦りながら起き上ったのはでこぱちと戦っているはずの狸だ。

 その狸を追うようにして、でこぱちが駆けてきた。

 何故か上着はびしょぬれで、髪からも水が滴っている。

 地面を滑るように転がった狸休りきゅうを助け起こしている緋狐の横を通り過ぎ、ぶるぶると頭を振って水滴を飛ばしながら、こちらへ歩いてきた。ついでに、途中で俺が投げ捨てた刀を拾い上げて。

「どうした、でこぱち」

 刀を受け取りながら問うと、不機嫌そうに頬を膨らませた相棒はぼそりと言った。

「……落ちた」

 何処に、とは聞かない。

 見ればわかる。

 緋狐の手を借り、ふらふらと立ち上がった狸休をじろりと睨みつけた。

「あいつ、おれの団子食うしさ、川に落とすしさ……」

「はいはい、分かった分かった」

 でこぱちと視線を合わせ、方向を変えた。

 よろよろと寄り添った二人を挟みこむように。

 でこぱちが大きく刀を振りあげ、反対側から俺は引いた刀を薙ぐように。

「くそっ、狸休! 避けろ!」

「うわわわっ」

 際どくも両側からの攻撃を回避した二人を分断した。

 つい今まで二人がいた地面をきっちり同時に踏みしめて逆方向に散開、俺が緋狐、でこぱちは狸休を追う。

 腰を退きながら大槌を振れるはずもなく、緋狐は逃げる一方だ。

 その隙を逃さず、怒涛の攻撃を仕掛けていく。

 先ほどとは逆だ。

「退いてばかりじゃ、勝てないんじゃなかったのか?」

「ほんとに生意気なガキだなっ……!」

 でこぱちが狸休を追い詰める動きを見ながら、渾身で打ち込んだ太刀を、槌の柄が受け止めた。

 しかし、そこで止めさせない。

 刀のしのぎに足を乗せ、体重をかけて大槌ごと蹴り飛ばしてやった。

 反対側から、でこぱちが同じようにして狸休を追い詰めたところへと。

「あ、緋狐」

「うわっ、狸休」

 とうとう二人を背中あわせに追い詰めた。

 逃げ場はない。

「しまっ……!」

 正面のでこぱちと、同時に刀を振り下ろした。



 折り重なるようにして腹から血を流して倒れた二人を見下ろし、息をつく。

 意識を失ったせいで元の獣の姿に戻りつつある。

 緋狐の尻にはふさふさとした毛艶のいい尾がにょきりと生えて、狸休の耳も丸みを帯び、細長かった指は短く、丸くなっていった。

「……」

 喧嘩を売ってきた相手は、これまで幾度も葬ってきた。

 獣に戻ってしまった二つの前足が、互いを求めるようにして重なってるのを見たからって、同調したとかそんなじゃない。そわそわと背筋を這い上がってくる不安を消したいとか、そんなじゃない。狐と狸、種族の違う二匹の獣に自分たちを映したなんて、そんなじゃない。

 別に、助けてやる義理もない。

「きさら!」

 人垣に向かって叫ぶと、決着がついたところで解散しようとしていた町人たちの流れに逆らって少女が転がり出てきた。

「きゃっ」

 倒れ込むように転がり出てきた少女は、何とか転ばずに着地。

「ハチ、びしょ濡れじゃない!」

「すぐ乾くもん。でも、団子……」

「お団子なら、もう一回買ってあげるよ」

「ほんとっ?」

 一本だけね、ときさらに小銭を渡されたでこぱちは、小銭をちゃりちゃりとさせながら嬉しそうに駆けていった。

 その後姿を見送って、一息。

 そして足元に転がった二匹の獣をちらりと指して言った。

「きさら、二人共治してやってくれ」

「えっ、いいけど……珍しいね」

 首を傾げたきさらだったが、すぐにしゃがみこんで二匹のケモノの怪我をみはじめた。

「どうしたの、急に治してだなんて」

「……別に」

 意味などない、と思いたい。

 てきぱきと手際よく処置をするきさらから視線を外し、人垣に目をやると、ふいに一人の男と目が合った。

 周囲がこの場から離れていく中、男は一人だけその場に立ち止まってこちらをじっと見つめている。

 何か用かと眉を寄せると、にこにこと笑い返してきやがった。

 上から下まで黒ずくめ、地味な印象ではあるが、その笑顔を見ていると何やら心落ち付かなくさせる不思議な雰囲気の男だ。左目尻に、ぽちりと泣き黒子ぼくろ

 手にした扇子をゆっくりと閉じ、腰帯に差すと、軽く会釈し、くるりとこちらに背を向けた。

 声の届かぬ距離だ。呼び止める理由もない。

 それでも、あいつは俺が気づくのを待っていた。

「何だよ、全く……」

 面倒な事になりそうな予感がする。

 ここのところすっかり癖になっている、ため息を付け足した。

 そこへさらに、面倒の原因が帰ってくる。

「青ちゃーん」

 先ほど川に落ちた所為で、歩く度に履物から水があふれている。

 その両手には、何故か持ち切れぬほどの団子。

 到底、先ほどきさらから渡された小銭では買えぬ量だ。

「待ちやがれ、盗人ぬすっと!」

 でこぱちの後ろには、十手じってを持った岡っ引きがついてくる。

 最悪だ。

 説かずとも頷ける状況に、もうひとつ、ため息。

「あと、頼む」

 きさらにそう言い残し、鮮やかな向日葵色の上着を翻す相棒と合流した。

 一本差し出してきた団子を受け取り、口に放り込む。

「青ちゃん、聞いてよ! おれがさ、団子買いにいったらさ、あいつが腰かけを弁償しろって言うんだよ! 違うよね?! 壊したの、おれたちじゃなくてあいつらだよね!」

 追いかけてくる岡っ引きを指しながら、頬をふくらましたが、相変わらず髪からは水が滴り落ちている。

 食べながら喋りながら逃げながら、忙しい奴だ。

「何で岡っ引きが茶屋の腰掛け代を請求してくるんだよ」

「知らなーいっ」

 で、団子が買えずに怒って全部奪ってきたのか?

 短絡思考もいい加減にしろ。


 逃げ道が橋にさしかかったところで、欄干に誰かが立っているのが見えた。

「ふふふ、ここで待っていれば必ず来ると思っていたぞ!」

 駆ける俺たちを指さし、欄干の上の男はひげ面を笑いに歪ませた。

 つい今しがた獣たちを討散うちちらしてきたことろだというのに、次は厳ついひげ面親父と来たか。ぼさぼさの黒髪を後ろに纏めただけ、とても真っ当な職についているとは思えないこの男が何故、俺たちに刃を向けるのか。

 そんな理由に興味などない。

「極悪非道な盗賊どもめ。成敗してくれるわ!」

 後ろから岡っ引き、橋の上には喧嘩を売ってくる馬鹿。

 ああもう、めんどくせぇ。

 武器は脇差二本だけのようだから、大槌のように、戦い方に困る事はない。

 一瞬で終わらせようと、走る勢いそのまま、欄干へ突っ込んだ。

 当然応戦してくるものと思ったのだが。

 俺が攻撃を仕掛けてきた、と見るや、ひげ面親父はあたふたと慌て始めた。

「うわ、ちょ、待て!」

「何が待て、だ。喧嘩を売ってきたのはそっちだろう」

 容赦なく抜き身の刃を向けると、男は太い眉を下げ、懇願するように両手を合わせた。

「待ってください、いますぐ、ここから降りるから――」

 そして、慌てて欄干から降りようとした次の瞬間。

 男は足を滑らし、欄干から後ろ向きに川へと飛び込んでいった。

 下の方から、ざぶん、という水音。ぎゃあぎゃあと喚く声も聞こえるから、どうやら元気なのだろう。

 何だったんだ、今のは。

「あ、落ちた」

「見るなでこぱち」

 橋の欄干から下を除きそうになっているでこぱちの襟首を掴み、駆けだそうとすると、後ろから追いついてきた岡っ引きが膝に手をついてぜぇぜぇ息を整えながら俺たちに十手を突き付けた。

「まっ、待ちやがれ、この、盗賊、どもっ……!」

 歳は俺たちと同じくらいか。着流しの裾を腰帯の裏に挟みこんだ、典型的な岡っ引き衣装に十手。どこに雇われているかは知らないが、この年なら岡っ引きとして見習いもいいところだろう。

 適当にいなして逃げよう。

「団子と……粉砕しやがった腰掛けのお代、耳をそろえてきっちり払いやがれ!」

「壊したのは俺たちじゃない。第一、何故お前があの茶屋の腰掛け代を請求するんだ?」

「あれは俺の親父の店だ!」

 思わぬ返答に絶句した。

 まさかそう来るとは思わなかった。

 でこぱちも首を傾げて尋ねる。

「じゃあお前、団子屋なの?」

「違う。俺は岡っ引きだ! 景元かげもと様と景雲けいうん様の為に、賽ノ地(さいのち)蔓延はびこる悪を成敗するんでいっ」

「んじゃ、何でお前に団子代を要求されなくちゃいけないんだよ!」

 頬を膨らませるでこぱちに、岡っ引きもでかい声で返答した。

「だーかーら、あれは俺ん家で……」

「んじゃお前、団子屋なんじゃないか」

「ちがーう!」

 目の前で繰り広げられる不毛な会話。

 ああもう、勝手にしてくれ。

 俺たちを捕まえる気のない岡っ引きと、逃げる気のない相棒のやりとりをぼんやりと見ながら。

 そう言えばせっかく買った茶碗や着物は、全部あの茶屋に置いてきてしまったんだった、と思い出す。

 言い争いはまだまだ終わりそうもないし、きさらに叱られる前に取りに戻ろう。

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