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賽ノ地青嵐抄 【賽ノ地編】 作者:早村友裕
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第二十一話

 冷えてきた夜風に深紅の衣が翻る。
 赤い色が嫌いだった。
 幼き日、鮮やかな猩々緋しょうじょうひと共にこの身に穿った、どうしようもない喪失感と後悔が全身に舞い戻ってくるから。
 それでも緋色の衣を身に纏うのは、失ってきた過去を捨て去らないようにするためだった。
 たとえ過去が自分の中に澱を残す何かだとしても、捨てられなかった。
 だから、緋色を纏っても過去に捕われないだけの強い光を求めた。
 闇夜にも目立つ、明るい向日葵色。
 草庵の前に見つけたその色の背後に緋色の影が迫った。
 自分の上着と同じ色をした髪がゆらりと揺れる。
「でこぱち!」
 叫ぶと同時に、俺は反射的に刀を投げつけていた。
 緋色の影は俺の刀を避けて向日葵色から離れた。
「青ちゃん」
 息を切らして振り向いたでこぱちの両手は真っ赤だった。
 地面には、刃の根元が緋色に染まった刀が落ちている。
 俺が左腕に巻いていた包帯を渡すと、でこぱちは地の滲んだ両手にそれを巻き付け、地面に落ちていた刀を拾い上げた。
 それでもじわりと滲み出ていた血が、傷の深さを思い知らせる。
「青ちゃんも怪我してる」
「かすり傷だ」
 血を腕で拭いながら答えた。
 緋狐の大槌を顔面に食らった分と、喉元をかき切られそうになった分。大した怪我ではない。
 俺も投げつけた刀を拾い、背を合わすようにでこぱちの隣に立った。
 再び刀を構え、並び立った俺たちの目の前に立ちはだかるのは、これまでで一番の難敵。都から遠く離れ、荒れた賽ノ地を立て直した男。いまも町民たちから絶対の信頼を持つ――賽ノ地町奉行、近松景元。
 あまりの実力差に、一度退いた相手だ。
 が、俺は今、退けない状況にまで来ていた。
 町奉行の足元に転がっていたのが、片腕の老人だったから。
「さあ、第二回戦と行こうか、少年たち」
 賽ノ地を統べる男は、そう言って左右で長さの違う刀を、帳の下りてきた空気の中で振るった。
 変則二刀。
 また厄介な相手が来たものだ。
「あいつ、戦いにくいんだ。刀の長さ違うし、間合いを詰めにくい」
 それで、刀を握り直して間合いを調節していたのか。
 で、短く持とうと刃を握ったために掌を盛大に切った、と。
「……もう少し頭使って戦え」
「だっておれ、頭使うの苦手だ」
 ごん、と刀の柄で額を小突いてやると、でこぱちは唇を尖らせた。
 仕方ねぇな。
「じゃあ、俺が代わりに考えてやるよ」
 そう言うと、でこぱちは嬉しそうに笑った。
「だからお前は力を貸せ、でこぱち」
「もちろん!」
 勝てるか知れぬ相手を目の前にしていると言うのに、そんなこと微塵も感じさせぬ笑みで。

 最後の戦いが始まる。
 勝つか負けるかが直接、生きるか死ぬかに関わってくる。
 これまでもそうやって生きてきたというのに、大切なモノを自覚し、覚悟した俺にとっては別の意味を持っていた。
 負けられない。
 そう思ったのは初めてだった。
 戦いが面倒だと思わなかったのも、初めてだった。
「でこぱち」
「なあに、青ちゃん」
 声を潜めた俺に、でこぱちも小さな声で答える。
「お前は、右手の長刀だけを相手にしろ。左手の短い方は、何があっても俺が止める。間合いを気にせずに、右だけ相手にするんだ」
 でこぱちはこくりとうなずいた。
 変則二刀の厄介な点は、両手の間合いの差にある。ならば、俺が常に左手の短い刀を引きつけ、長刀は常にでこぱちが相手にしていれば、気にする必要もない。
 ただし、これは相手が必ず逆手の刀を止めてくれるという絶対的信頼の元にしか成立しない。
「あとは――」
 言おうとしてやめた。
 余計な気を回す必要はない。
 きっと耶八・・はでてこない。出てきたとしても、止める必要はない。
 首を傾げたでこぱちだったが、すぐに町奉行へと向き直った。
 相談が終わるのを待っていた町奉行が、それに気づいた。
「しかし、お前ら二人だけか。きさらちゃんどうした?」
「お前には教えないよ!」
 べーっと舌を出したでこぱちに、町奉行はにぃ、と笑う。
「いいのか? 傍を離れて」
 確信的な口調だった。
「もう一度聞くぞ。きさらちゃんたちは、大丈夫か?」
 念を押すように繰り返した町奉行の言葉ではっとする。
 見渡せば、この場にいるはずの役が一人足りない。
 忍び装束のあやかしの姿が見当たらない。
 息が止まりそうになった。
 気づいたでこぱちが駆けだしそうになるのを辛うじてとめた。
「待て、でこぱち!」
 ここで戦力を分散させるわけにはいかない。
 町奉行を放り出して戻るわけにはいかないのだ。すぐに追いつかれ、きさらと玖音のみならず竹千代まで戦闘に巻き込んでしまうことになる。
「こいつを倒してから助けに行く。集中しろ、でこぱち」
 きさらと玖音を信じるしかない。
「分かったよ、青ちゃん」
 でこぱちは気を削がれながらも足を止めた。
 俺の判断が正しいかは分からない。
 もしかすると、でこぱちに従って今すぐ向かった方がよかったのかもしれない。
 澱の声が騒ぎだしそうになる。
 そんな迷いを断ち切るように、俺は再び刀を構えた。
「お? ようやく腹ぁ括ったか? 少年」
 町奉行の言葉が終わる前に、俺とでこぱちは両側から敵に飛びかかっていた。

 絶対に目を離すな。
 ほんのかすり傷だとしても、でこぱちに刃を当てる事は赦さない。
 代わりにあいつは、俺の背を必ず守る筈だから。
 実際の体格より大きく見える町奉行から、迷いのない刃が俺たちに向かって振り下ろされる。
 先に町奉行の前に飛び出したのはでこぱち。
 頭上からの刃をがっちりと受け止めた。
 その側面から狙ってきた左の刀は俺が代わりに受け止める。
 二人で一人分。
 この男を相手にするにはそれしかない。
 でこぱちと位置を入れ替わり立ち替わり、二本の刀を相手にする。
 振り下ろされる二本の刀。
 息を合わせた俺とでこぱちの刀がそれを受け止め、4本の刀が交差した。
「あまり飛ばすんじゃねぇよ、ガキども。これはただの演武なんだからよ」
「何が演武だ!」
 観衆もないこの場所で、立ちまわる何が演武だというのか。
 ジジィを刀で貫いたこの男に対して、斬りかかるのに十分な理由がありながら、どうしてただの演武と言い切れるのか。
 軽口を叩きながらも俺たち二人をいなす町奉行には、全く倒れる気配がない。
 でこぱちと視線をかわし、一端距離を置いた。
 息が荒い。
 正当な剣術を身につけている相手は、無駄な動きがなく、隙もない。どうにかして隙を見つけない事には、突破口が開けない。
 いったいどうやって隙を作ればいい?
 幾度目かの剣戟、幾度の交戦。
 全く、糸口がつかめない。
 進まない戦況に、でこぱちの目に、怪しげな光が灯った。
「何でおれたちの邪魔、するの?」
 相棒を包み込む雰囲気が一変した。
「どいてよ」
 ふらりと立った耶八が、刀を振りかざす。
 とうとう、きてしまった。
 しかし、もはやアレを止める気は俺にない。
 きっと、すべてを捨てて挑まねば、こいつには勝てない。
 あのジジィを葬った男なのだから。
 心の端がちりりと焼かれる。
 雰囲気の変わったでこぱちに、町奉行は肩をすくめた。
「あんまり肩に力入れるなよ。俺だって合わせる(・・・・)の、面倒なんだからよ」
 合わせる、の言葉通り、殺気を纏った耶八に合わせて町奉行はほんの少し、威圧を増した。
 この男、何のつもりか知らないが、俺たちの実力に合わせて戦っているらしい。
 きっと俺が到着するまででこぱち一人で相手できたのもそのせいだ。
「何だ? 俺が手ぇ抜いてる事が不満か? それとも――絶望したのか?」
 その余裕に疑問より先に苛立ちが募る。
「俺たちは、絶望なんかに構ってる余裕はねぇんだよ」
 大切なモノを守ることを誓ったあの時、俺は多くの事を覚悟した。
 もしこの町奉行が賽ノ地を守ろうとするのなら、俺は俺の大切なモノだけを守ってやる。
 たとえばそれが、とても俺たちには敵わないであろうこの男と信念を違え、敵対する道だったとしても。
 殺気を纏った耶八が先ほどと比べ物にならない速度で右から突っ込んでいった。
 俺が指示した通り、右から。
 先ほど「おれたち(・・・・)の邪魔」、と言ったのはきき違いではないらしい。
 かろうじて、俺の声がまだ届いている。
 これは幸いか、それとも……
 答えを出す前に、俺もまた敵に向かっていった。


 幾度も挑み、何度も弾き返された。
 致命傷ではない手傷をかなり負った。左手に握った刀が、自分の血でぬるりと滑り、落としそうになる。隣の耶八ですら、肩で息をしていた。
 それでも町奉行が倒れる気配はない。
 交差した刀が耶八の頭上に迫った。
 耶八の刀が、うまくその二本の合わせ目を突いた。
 そのまま、拮抗。
 俺はその間に背後へと回った。
 刀を振りあげ、無防備な首元を狙って刃を薙いだ。
 目の前に鮮血が散る。
 が、次の瞬間、地面に叩きつけられていたのは俺の方だった。
 とてつもない重量が圧し掛かってきて、息が止まった。
 みしみし、と骨の軋む音がする。
「痛ってぇ……くそ、油断した」
 俺に圧し掛かったまま、言いつつ首に手を当てる町奉行の指の間から、つぅっと血が伝った。
 浅かった。
 視界の隅に向日葵色の上着が翻る。
 でこぱちの刃を避けるために飛びあがる瞬間、凄まじい圧力がかかった。
 ぼきり、と身体のどこかで鈍い音がした。
 痛みが全身を貫く。
 よろよろ、と起き上ってなんとか刀を握り直した。
 どうやら右の鎖骨。左手の刀を持つには問題ない――酷く痛むのと、力が入らないのは別として。
 まだだ。
 まだ止まるわけにはいかない。
 知らぬうち、喉の奥から咆哮が上がった。
 負けられない。
 どれだけ敵が強かったとしても、負けるわけにはいかない。
 ほとんど無意識に地を蹴る。
 刀を振るう。
 刃を受け止め、反撃を繰り出す。
 絶対に負けない、その感情だけが俺を突き動かしていた。
 全身が痛み、いったい何処をどう怪我しているのかもわからない。
 それでも、隣に立つ相棒と、刀を振るい続けた。
 自分の息が荒い。
 耶八の息も荒い。
 敵がほんの少し汗をかいているのが、少しずつ体力を削いでいる結果だと信じたい。
 そうでなくては、こちらが先に力尽きてしまう。
 絶望したか?
 先ほどの町奉行の言葉が蘇る。
 するか、馬鹿野郎。
 再び刀を振りあげた時、不意に戦場に影が飛び込んできた。
 その影を認識し、俺は思わず叫んでいた。
「きさら?! 玖音?!」
 二人は地面に苦無クナイを差し、さらにそこへ糸を引っかけた。
 その先につながれているのは、薄汚れた紙に巻かれた丸い玉。
 仕掛けてすぐ、二人は大きく飛び退いた。
「息止めて!」
 玖音の声に、反射的に呼吸を止める。
 次の瞬間、ぼぅん、と周囲を真っ白な煙が覆い、視界を奪った。
 逃れるために木に飛びあがると、俺の背丈ほどの空間が完全に煙に包まれているのが分かった。
「何だ、これ……?」
「痺れ薬の煙幕よ」
 玖音の声が返ってきた。
「きさらが調合して、あたしが武器にしたの。毒を直接叩きこんだ時ほどの効果はないけど……少しくらいは動きが鈍るはずよ。朋香さんも、これで足止めしてきたの」
 玖音の言葉通り、煙の晴れていく地面には膝をつく町奉行の姿が現れた。
 目視するなり飛び出したのだろう。
 ひと足早く耶八が斬りかかっていく。
 苦しげな表情をしながらも受け止めた町奉行は、額に汗をにじませた。
 片手は無理と判断したのか、左手の刀を捨て、両手で刀を握って応戦する。
 が、不意に耶八の身体がかしぐ。
 残っていた毒を吸ったのか。
 倒れそうになった耶八の身体を後ろに蹴り飛ばし、交代。
 俺は町奉行の剣戟を受け止めた。
 が、先ほどまでの力強さがない。
 手が震え、今にも刀を取り落としそうだ。
 俺は息をせぬよう慎重に間合いをとった。
 先ほどまでとは逆転、息を荒げた町奉行は、そのまま膝をついた。
 額に汗をかき、呼吸は酷く苦しそうだ。
「すげぇな、これ……朋香の毒より効くぜ」
 それはそうだ。朋香がどんな毒を使うのかは知らないが、きさらは医療を学んだ忍びだ。人を傷つける体術より、こういった薬を調合する方がよっぽど向いているはずだ。
 震える声は、麻痺が回っているからだろう。
 からん、と刀を落とした町奉行に、これ以上喋らせる気はない。
 俺は逆刃の刀を一閃した。

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