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attack2
 大宮歩はずっと同じ体勢で凝り固まった肩や背中をほぐすかのように、椅子に座ったまま大きく伸び上がって体を仰け反らせた。
 見ればすでに時計は19時をまわっており、オフィスに残ってる人間もまばらだ。
 最近では電気代の節約の為あまり遅くまで仕事をするなとの上からのお達しもあり、残業をする人間はほとんどいない。歩もそろそろ切り上げて家路につこうとデスクの上を片付け始めた。
 書類をまとめていたところで、ふと一枚の紙が目に入った。郁美から手渡された居酒屋のチラシだ。可愛げのない実用一点張りのメモがつけてある。「今度の店はここに決定!」とそのメモには書いてあった。
 システム開発課では三か月に一度の割合で懇親会という名の飲み会を行っている。その懇親会の時期が近づいていた。幹事は二つのチームからそれぞれ一人ずつを出しているのだが、今回幹事を任せられたのは歩と郁美だった。
歩は片付けていた手をいったん止め、椅子の背もたれに体を寄りかからせるとその居酒屋のチラシをじっくりと眺める。酒を飲むのが好きな郁美は、早速自分好みの居酒屋をチョイスしてきたようだ。チラシを見た限りでは値段の割りに雰囲気も良さそうだし、飲み物の種類も多そうで料理も悪くなさそうだ。ここなら文句も出ないだろう。
 ふと、歩の視線が一点で止まった。居酒屋のスタッフ一同が笑顔で載っている。その中の一人、店長らしき男の顔を見て歩は気がついた。爽やかな笑顔のイケメン店長。郁美がこの店を選んだのは絶対にこの店長が好みのタイプだからに違いない。
 歩はこの店だけにはすまいと心に決めた。自分が郁美に男として未だに認識されないのに、余計な邪魔者は勘弁してもらわねば。さっさと会社を出て自分で別の店を探そうと片づけを再開した。

「あれ、真冬まだいたの?」
 パソコンの電源を落とし、カバンを持って立ち上がった歩は、まだ仕事をしている真冬の存在に気がついた。郁美の影響でついつい真冬のことは姓ではなく名で呼んでしまう。この課のほとんどの人間がそうだろう。それだけ郁美の影響力は強い。
「はいぃ、今日が締め切りの書類があったのです」
 歩に声をかけられた真冬はのほほんと手を止めて歩へと顔を向けた。
 真冬は決して仕事が遅いわけではない。それどころか正確な仕事をするとさえ言われているのだが……。
(ああ、また副業のせいか)
 金を貰っているわけではないので、副業とは言えないのはわかってはいるが、仕事の傍ら女性達の相談を真冬が受けているのはこの課の人間なら誰でも知っている。それに対して郁美が青筋を立てて怒っていることも。
「花井は帰ったのか?」
「郁ちゃんなら帰りましたよー。今度の懇親会の会場の下見だとかで」
 会場の下見ということは、先程の居酒屋に行ったということだろうか。
「はぁ?一人で?」
「はい。店長さんに相談してみるとか言ってましたけどー」
(あのやろう、下見という名の店長の味見かよ)
 郁美の素早すぎる行動に歩は怒りが沸いた。こうなったら邪魔してやるのみだ。
「真冬、その仕事まだかかるのか?」
「いいえー。あとはメールで送れば終わりますよー」
 にこにことパソコンの画面を指差した。メールのファイル添付画面が表示されている。
「そうか、だったらとっとと終わらせろ。飯ご馳走してやる」
「おおー!本当ですか?やったー!じゃちょっと待っててくださいねー」
 間延びした言葉とは裏腹にテキパキとメールを作成し送信を終え、手際よくパソコンの電源を落とした。
「はい、終わりましたー」
「よし、じゃ行くぞ」
「はーい。イケメン店長のいる居酒屋ですねー」
「お、おう」
 真冬の恐るべき洞察力に女性達のいう「ウィスパーキューピッド」の存在が垣間見えた歩だった。これは確実に歩の気持ちはバレているのだと冷や汗をかいた。


 その店は会社のあるビルから歩いて十分ほどの場所だった。そういえば数ヶ月程前にオープンの花が飾られていた店はここだったかもしれないと歩は思った。
 狭い入り口から中に入ると、中は思ったよりも広い空間で明るい雰囲気の店だった。丁度人が入り始めた時間なのか席の殆どは埋まっているように見えた。
 歩むがキョロキョロと店の中に視線を彷徨わせていると、後ろからついてきた真冬がさっさと歩を追い越して中へと入って行った。
「おーい、郁ちゃーん」
 真冬が向かった先は勿論郁美のいる場所。郁美はカウンター席で飲んでいた。カウンターを挟んだ目の前には、例のイケメン店長の姿が見える。写真で見たときと同じく黒いTシャツを着ている。その店長と打ち解けたように話をしている郁美の素早すぎる行動に舌打ちしたい気持ちにかられた。郁美はそのキツイ物言いとガサツさから社内ではあまり女とは思われてないが、実はかなりの美人だ。目鼻立ちの整った顔立ちに、背中の中ほどまである長くてまっすぐな髪。そんな女性に相談があるなどと言われて断れる男がいるはずはない。
「やだー、真冬も来たの?まさかあたしに逢いたくて?」
 真冬に気づいた郁美は驚きの声を上げている。後半はかなり嬉しげに聞こえる。
「うん、それもあるけど、大宮君が自分も幹事なのに郁ちゃん一人に幹事の仕事をさせるのは申し訳ないって言うから一緒に連れてきたんだー」
 イケメン店長心配してきたと真冬が言わないことに歩はかなりほっとしていた。更にうまい理由を言ってくれたことにも感謝の気持ちがわいた。今日はとことんご馳走してやろう。
 真冬の言葉を受け、視線を巡らせた郁美は歩の姿に気づいた。
「あら、本当だ。大宮もいる。あんたがそんな律儀な人間だなんて驚きだわ」
 真冬の登場以上に驚いているのが見受けられた。歩はその一言にむっと口をへの字に曲げた。
「花井さん、折角ですからこちらの方々とボックス席に移られますか?」
 一人から三人に増えたことに動じた様子もなく、イケメン店長は新たな席を勧めてきた。
「あ、そうね。じゃ折角だからそちらに移らしてもらおうかな。色々相談乗ってくれてありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ。当店を選んで貰えて有難いです。サービスしますので今日も是非ごゆっくりしていってくださいね」
 にこやかな大人の対応で素早く郁美の飲み物と食事を移動していく。まるで隙がない。イケメンで尚且つ客あしらいもうまいということは女性客のリピーターも多いことだろう。
 男としてなんだか負けた気持ちになるのがまた面白くないと歩は思ったのだった。


「じゃ、折角だからカンパーイ」
「カンパーイ」
「はいはい、カンパーイ」
 郁美の乾杯の音頭に歩と真冬もグラスを合わせた。
 歩と郁美はビール。酒があまり得意でない真冬は杏酒のソーダ割りだ。店長は真冬の「アルコール激薄杏酒ソーダ」という注文にもにこやかに対応してくれた。
「おいしー、杏酒ソーダ」
「どれどれ、あたしにも飲ませて」
 わりと硬派な酒ばかり飲む郁美だが、美味しそうに飲む真冬の魔力に逆らえず味見を希望している。激薄と言っていたからには郁美の口に合うはずはないのだが。
「ちょっと、真冬これ杏酒ってよりただのソーダじゃないの」
「うん、このピリピリが気持ちいいねぇ」
「どうせピリピリ飲むならビールにすればいいのに」
「ビール苦いからやーだ」
「えー、一口飲んでみればそうでもないって」
「やだー」
「ビールは味わっちゃ駄目なの、喉越しなの」
「だったら味も美味しいソーダの方がいいー」
「何言ってるのよ、アルコール用のソーダなんて味ないじゃないの」
「いいのー、うすーく杏の味あるもん」
 会社にいる時と同様のいちゃつきっぷりを見ていると、自分のこめかみの辺りの血流がやけに良くなったように感じた。
(こいつら、俺の存在忘れてないか?)
 店に着いたときに真冬に感謝したことを後悔した。こんなことなら誘わなければ良かったとも思い情けなくなった。
 くすりと笑い声が聞こえた。見れば料理を持った店長が傍まで来ていた。
「女性同士の仲が良いのはいいことですね。僕の周りでは喧嘩ばかりする女性のほうが多いので微笑ましいですね」
 そんなことを言いながら料理をテーブルに並べていく。女性が喧嘩ばかりというのはどういうことだろうか。歩の周りではそんなに喧嘩している女性というのは見ることはないのだが。というかむしろ、毎日このバカップルのような二人しか目に入っていない。
(あー、つまり店長目当ての女性客が喧嘩すると)
 遠まわしに自分はモテて大変だと言ってるのだと歩は呆れた。自意識過剰も過ぎやしないかと思ったのだ。そう思ったのは歩だけではないらしく――。
「店長さん、それってモテモテ自慢ですかー?」
「ふふ、そう聞こえましたか?」
「はいー。つまりは逆に言えば店長さんは波風たてずに女性たちを仲良くさせることも出来るってことですねー。いっそ、そっちの方がいいかも?」
 にこにこと真冬は店長にそんなことを言うだけ言うと、意識はすぐに料理に移った。
「おおっ、おいしそー。チーズがとろっとろ。いただきまーす」
 さすが「ウィスパーキューピッド」絶妙な囁きだ。そして囁いた後はあっさり放置。すでに興味は店長にはなさそうだ。郁美の方も真冬の言葉に何かを感じたのか、やはり何事もないように料理に箸を伸ばしている。
 歩もそんな二人を見て、急に空腹感を感じて負けじと料理に箸を伸ばした。目の前では料理を口に入れた真冬と郁美が「おいしー」と言いながら微笑みあっている。そして横では、何故か店長が何かを考えるかのように立っているままだった。視線は真冬に合わせて。
(もしかして、さっきの言葉で機嫌を損ねたか?)
 機嫌を損ねた店長に料金をぼったくられなければいいなと考えながら、また一口ビールを口にする歩であった。

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