第53話 秋の行方
坂棟日暮
◇◆◇
灰羽秋
私は、自分に言い聞かせていた。
強くならなければ、と。
何度も。何度も何度も何度も。
あの日もそうだ。
魔王ティアル・マギザムードと初めて顔を会わせ、泣きながら『トレーニングルーム』で剣を振った日。
情けない話だから、あまり思い出したくはないけれど。
どうすればいいのだろう。
わからない。
それでも私は考える。考えなければならない。
その結論は──
風が、吹き抜ける。
外から内へ向かって吹く自然の風。
赤い髪が揺れる。顔にかかり手でどかした。
今日も私は、ラウンジの二階で座っていた。ここ最近ずっとそうだったように。
一階とは違い、この階より上にあるドアはほぼ『終焉の大陸』に繋がっている。
私の目の前にある、開いたままのドア。その先ももちろん『終焉の大陸』の世界だ。
膝を抱え込むようにして、柔らかいラウンジの絨毯に直接腰を下ろして、外の世界を眺め続ける。
まだ昼前だからだろうか。吹き込む風は、少し冷たかった。
『外を見たい?』
そう秋に頼み込んだのは一週間以上前のこと。
『理由は?』
不思議そうな秋が、理由を尋ねる。
強くなるために私が考えたこと。それは秋のやってきたことを『辿る』ことだった。秋がこの大陸に召還されてから、最初の頃はドアの中から外を眺めていたという話を食事のときの会話で耳にしていた。それを思い出し、私もしてみようと思ったのだ。
『日暮がそれをやっても意味がないと思うけど』
秋の言う事は、正しかった。
秋が外を見ていたのは能力の都合のためにすぎない。だから能力の違う私が同じ事をやったところで、きっと意味はない。でもそれで良かった。
私が秋にお願いごとをしたのは、結局のところそれ以外にする事が思い浮かばなかったからだ。
何でも良い。今とは違う何かをやって、他の何かを思いつくきっかけでもいいから掴みたい。言いようもない焦りから、私は縋るように秋に理由を告げた。
すると秋は少し考え込んでから、私を今いるドアの前へと連れてきた。
本来なら二階より上のドアは、私では開けられないようになっているのだけど、このドアだけは開けられるようにしておくと言ってくれた。私の頼みを、聞いてくれたのだ。
『二つ、忠告しておくよ』
最後にこう、言い残して。
『一つ目はドアの中といってもその安全は"確実"なものではない。魔物が物をとばせばそれはドアの中に入ってくる。だから、自分の身は自分で守ること。一応念のため沿岸部に近いドアにしておいたけど。そして、もう一つ──』
もう一つの忠告は、思い出すという過程を必要とせず覚えていた。
二つの理由で深く胸に刻みこまれている。私の命を守るとても重要な忠告という理由。
そしてもう一つは罪悪感から。
『絶対に外にはでないこと』
口の中に苦みが広がったような錯覚を覚える。
なぜならその忠告は、すでに破ってしまっていたから……。
ふと背後に気配を感じて、思考を止める。
この時間、ドアの外を眺めている私のところへやってくるのは一人だけだ。
またか……。
ちらりと背後を見る。
視線の先にいたのはやっぱり想像通りの人物ですぐに視線を元に戻した。
「またここか。お主も飽きないの」
ティアル・マギザムード。階段を使わずに飛んで直接二階へやってきたようだ。
なぜかこの女は外を見ている私の所に、時々顔をだしてくる。
興味を湧かせる必要がないと、自分で言ったくせに……。
いきなりやってきたかと思うと、騒がしくうんちくをたれるてくるのだ。
関わりたくなかったので最初は無視をしていた。けどこの女は、いちいち興味を引く話題を話してくる。そのくせ私が質問をしないと話の全貌が分からないよう、意図的に話すのだ。本当に鬱陶しい。だから怒鳴るようにイライラしながら会話をしていた。
最近はもうどうでもよくなって普通に話しているけど……。
なんで魔王と普通に話しているんだろうと、ふと我に返って自己嫌悪に陥りそうになる事がある。『悪魔族』は身勝手だとよく聞くけど、心の底から理解する日が来るとは思わなかった。
ティアル・マギザムードは、私のように地べたに座ることはせずに、行儀悪く柵に足を組んで座る。
それでも私は、無視して外を見続けようとした。
だが今日は少し、様子が違った。
「なぜ一人で勝手に外へ出た?」
唐突だった。
いつもみたいにしばらく外を眺めて、その様子から関連づけて話すわけじゃない。
唐突な話題の切り出し。
でも何のことを言っているのかは、すぐにわかった。
三日前に私が勝手に外に出たことだ。秋の忠告を守らず、無謀に走ったこと。
「答えぬのか?」
少しの時間、黙っているとティアル・マギザムードは言葉を付け足した。
いつもと変わらない声色と口調なのに。目つきや、体の向け方、まとう空気が答えないという選択肢を許さない。彼女は腐っても、世界の強者の中にその名を並べる『魔王』だ。
「悲鳴が聞こえたから、助けにいった」
「そういうことではない」
「……」
問いに答えると、間を開けることなく切り返される。
「お主が『どういう行動を取ったのか』は結果を見ればわかる。見れば分かることを、無駄に繰り返して言うでない。わしが分からないのは、『何故その行動を取ったのか』じゃ」
背後を振り返ると、ティアルは顎に手を当ててじっと私を見据えていた。
すべてを見透かすような視線に、飲み込まれるような感覚を覚える。
『何故、人を助ける?』
その質問は、よくされた。
幅音さんも、かなでさんも。他にも色々な人が私に言った。
純粋に尋ねるように。ときには訝しむように。あるいは責め立てるように。
そのすべてに私は、こう答えた。
『警察官の父に困っている人がいたら手を差し伸べるようにと言われてきたから』
と。
今回も、そう言葉にするつもりで口を開いた。
「それに助けに行ったというたが、そうではなかろう」
ティアル・マギザムードの確信を抱いているような言葉が、喉から声を出すのを許さない。
「助けようもない死地に、自らの身を差し出す。これのどこが、人助けなんじゃ。お主の取った行動は、あまりにも稚拙に『人助け』という上っ面を被った、人助けではない何かじゃ。自殺しに行ったと言われたほうが、まだ理解も納得もできる」
思えば三日前の外も、今日みたいに森が広がっていた。
今日よりもずっと穏やかで、静かだった。いっそ不自然さを感じてしまうほどまでに。
そんな森の中の木々と木々の間を縫うようにして、奇跡的にこのドアで座っている私のところまでやってきたものがあった。
それは音だった。微かな音。
長い距離を進むためにエネルギーを使い果たし、その音はもう少しで消え去ろうとしていた。
──アアァァァ…………
それでもその音は確かに私の耳へ届いた。
人の悲鳴。微かでも、瞬時に理解することができた。この森の先で、誰かが困っていると。
届いてしまったのならば。私は、行かなければならない。
念のためそばにおいていた剣を掴んで走った。
出るなと言われていた、外に向かって。何の躊躇いもなく。
声のした方へ走ると、ものの数分で広い海と、打ち上げられた船と、魔物に襲われた人々を視界にいれることができた。
「お前は、あのままならば確実に死んでおる。秋が行かなければの」
「……」
「そして本来なら秋は、あそこへ行くことはなかった」
ティアルの言っていることを理解し、私は尋ねる。
「秋が持ってたあの置き手紙は……」
「わしが書いた」
秋が来るきっかけになった置き手紙。
秋がそれを出したとき、驚き目を見開いたのを覚えている。
なんせ私は、そんなもの書いた記憶がないのだから。
静かにティアル・マギザムードは言った。
「人助けをしようと思ったのは、まあよい。だがそこからが、おかしい。化け物が蔓延るこの大陸に、秋や、この部屋の中にいる他の誰かに伝えることもなく、ただ一人で飛び出した。助けたいなら秋に伝える。そうでないなら、自分の身を案じて外に出ない。本来なら、この二通りしかない。なのにお主は『一人で助けに行く』という別の選択肢を取った。例えばこの行為が自殺じゃなかったとして、一体何の可能性があるのか。逆に問いたい気持ちすらわいてくる」
視界が少しずつ、下がって行くことに私は気づいていなかった。
いつの間にか視界に広がるのは、外の世界ではなく、ラウンジの絨毯だけ。
ティアルの言葉は、深く核心をついていた。
秋がこなければ私は確実に今ここにはいない。それに私と一緒に戦った、魔物に食べられそうになっていた男の冒険者を救ったのも結局は秋だ。振り返ってみれば、私は何もしていないに等しい。
私の行動は、どうしようもなく無意味だ。
だけど私はきっとまた悲鳴が聞こえればかけつける。感覚でわかる。私は、私の愚かしさを止めることができない。
膝をぎゅっと、強く抱える。何かに耐えるように。同時に、背後から溜め息が聞こえた。
「お主は秋とは全くの正反対だと思ったが。確かに、どこか似ているところがある。春の言う通りじゃの」
なぜ春さんの名前がいきなり出て来たのだろう。
「すべての始まりは、お主が外へ飛び出していった事と、それを見ていた『使用人』の一人が春にそれを報告した事じゃ。ちょうど一緒におったわしは、春に手紙をかくことを頼まれ、わしが書いた手紙を春が秋に手渡した。お主を直接的に救ったのは、秋だが間接的には春じゃ。あとで感謝の一つでも言っておくんじゃの」
私は頷く。
「だが、ここで一つ疑問がある。何故、そこまで周りくどい方法をとって伝える必要がある? 口頭で言えば、それで済む話であるはずなのに」
その理由は、なんとなくわかる。
秋は──
「秋は私が出て行ったと知っても、助けに来てはくれない」
ティアルは私の言葉を聞き、「そうじゃ」と言って頷いた。
「春に少しだけ秋のことを聞いた。秋の他人に期待をしないという性質。自分のことは自分でやるし、人のことには積極的に手を出したりはせぬ、と。だからお主が外に行ったとしても、それはお主が自分で選んだ選択として尊重し、助けに行くことはしない。ただ静かに、その事実を受け入れるだけじゃ」
確かに、言われてみれば秋は、そんなところがある。
だけど。
「私と秋が似ている?」
不思議に思って、声を出す。私と秋に共通点なんて、どこもない。
何もかもが違いすぎる。秋は強過ぎて、私は弱過ぎる。私たちはどうしようもなく離れた存在だ。
「表面的なところではない。それも、ほとんどが違うといえば全くちがう。ただ深い場所にあるたった一点のみがどこか重なっているように思える」
抽象的すぎて、よくわからない。
「まぁ、お主のことは少し分かった。わしが来たのは、春がお主と秋が似ているところがあると言ったからじゃ。お主を知ることで、間接的に秋のことを知りたかっただけに過ぎぬ。お主にも興味が湧いたが、今のところは秋を優先させる」
秋はもう既に三日、部屋の中に戻って来ていない。
だからだろうか。部屋の中がいつもよりも落ち着かない雰囲気があるような気がする。
ちょうど秋の話題が出たので、私は一度尋ねてみたかったことを聞いてみる。
この三日間、考え続けていたことだ。
「秋はこの大陸を出たくないのかな」
「ふむ?
なぜ、そう思う?」
ティアルの返事から、私の言っていることはあまり的外れではない事を確信する。
「この大陸を出られる方法があるのに、出ようとしないから」
たとえば私と秋は人間の集団に出会った。
決して友好的だとは言えなかった。だけど大陸を出る手段が、あのとき確かにあった。地面に打ち上げられた船。少なくともそれを利用すれば、秋はこの大陸からは出ることができたはずだ。その間に、多少障害もあるだろうけど秋なら淡々と越えていけるはず。たとえば一度は捕まったふりをして、別の大陸にたどり着いたら逃げるなんてことも、秋なら容易いはずだ。
他にも、出る方法を一つ思いついた。
私が思いついた事を、秋が思いついていないはずがない。
なのに秋が、それをする様子は見られない。それが意味するのは、秋がこの大陸を出たくないということだ。
「概ね、間違ってはおらぬであろうの」
──どうして、秋は出たくないのだろう。
そう問いかけようとしたところで口をつぐむ。ティアルもそれがわからないから、ここに来たんだろう。秋を少しでも理解するために、春さんの言葉を聞いて私のところまで来たのだ。
それならきっと、問いかけることに意味は無い。
結局その理由は自分一人で想像するしかなかった。
なんとなく、『期待しない』という所に理由がある気がするんだけれど……。
会話が途絶える。
私はドアの外に広がる終焉の大陸の世界を再び目に入れた。
ここ数日間ずっとそうしてきた。
秋はあまり意味がないと言っていた。でも私はすることができてよかったと思う。
なぜなら、少しだけ終焉の大陸を理解できたからだ。
この大陸は、厳しい。
その厳しさとはたぶん巡っていく事だ。
環境や世代、生や死がとてつもない速さで巡っていく。生き物にとってあまりにも辛い速度で。
そしてそれは、魔物にも平等に降り注ぐものだった。
この大陸にきたばっかのころは漠然と、厳しさという枠組みの中に環境と魔物を、曖昧にひとくくりにしているだけだった。
だが、そうではないのだ。
前に災獣と災獣が戦っている様子を、見れたことがあった。
ティアルが文字通り飛んで来て、一緒に食い入るようにみていた。
ティアルはその光景を美しいと呟きながら見ていた。
でも私はあまりにも残酷な世界だと思った。
こんな世界ですら生きることを強いられる。事実、魔物たちはそうして生きている。
この事を考えるたびに、なぜか私は秋と初めて戦ったときに感じたような漠然とした怒りを感じた。
果たして私は何に怒っているのだろう。
わからない。
だけど、考えずにはいられないのだ。
この大陸の魔物は、生きて、生きて、生き抜いて。
やがてどこへ『辿りつく』のだろう。その果てに一体何があるのだろう、と。
私は気づいていた。
長く生きる魔物ほどその瞳から感情や意志が、削ぎ落とされたかのように消えて、無機質なものになっていくことに。
──彼の瞳は、あまりにも無機質にそまっていた。
私がこの大陸にもし召喚されていたら、生きようとすら、思えなかっただろう。
けど秋は進んで、この大陸で生きている。
ふと魔物と秋の姿が重なる。
やはり、思ってしまった。
──その果てに、どこに辿り着くのだろう。
「さて、わしは春のところに秋のことを聞きに行ってくる」
ティアルは翼を広げ、一階へと飛び降りる。返事する暇もなく消えて行った。
秋が帰ってこないのは、私が勝手な行動をした日からだ。
その原因には、もしかしたら私があるかもしれない。
不安になる。このまま秋が帰ってこないとなれば、皆悲しむ。私も、悲しい。
だから私も春さんのところに聞きに行こう。そう決意する。
ドアを忘れずに閉める。そして階段を駆けるように降りて、その場から移動した。
振り返ってみれば私が来てから、色々な人がやってきた。
勇者、魔王、竜王、冒険者。
種族も立場もバラバラだ。
そんな私たちに共通点があるとすれば、秋に出会い、影響され何かが変わったということ。
それは紛れもなく秋の力だ。
『出会い』には、『力』がある。
その力とは、何かを変える力だ。変化の力。
もし秋に変化を望むのなら、『出会い』が必要なのかもしれない。
でももし出会いが必要だったとしたら……。
一体誰が、秋を変えることができるというのだろう?
少なくとも秋は、私が来てから何も変わってはいない。
それはつまり、私たちの力は秋には届いていないということだ。
勇者の力も、魔王の力も、竜王の力も、冒険者の力も届かない。
今この大陸のどこかでそうしているように。秋は秋のまま、生き続ける。
これからも、そうなのだろうか。
それとも──
◇◆◇
揺らめく炎の中を、俺は歩いていた。
一帯の地面をカーペットのように埋め尽くす炎。
一歩。
踏み出すたびに、服で覆われていない部分の素肌がちりちり焼ける。
その度に『スキル』で再生するが、また焼ける。その繰り返し。
ふと空を見上げる。
空から闇が滝のように降り注いでいるかのような、巨大な黒いシルエットが浮かんでいる。空の大部分を支配するような、傲慢過ぎるほど大きな木だ。その木が光を遮り、ここらはとても暗い。体を反対に向ければ本物の『夜空』が見えるけど、星や環のついた青い月が浮かんでいる分、あっちのほうがずっと明るいだろう。
夜よりも容赦のない『闇』だ。この場所で夜を迎えるたびに思う。
炎の環境魔獣が支配する場所じゃなければ、今頃一寸の光も届かない闇に染まっていたことだろう。喜ぶべきか、嘆くべきか。
「グルゥゥ、グルゥ、グルゥッ!」
弾丸のように飛びかかってくる、魔物突進を避ける。
「鑑定」
※
群炎豹・皇 LV 3897
種族 炎豹族
スキル
嗅覚感知 LV63
咬合力強化 LV78
炎耐性 LV40
身体能力強化 LV87
固有能力
従属群歩
炎天化
※
炎を纏った四足歩行の魔物は、体勢を低くして地面で揺らめく炎に紛れるように身を隠す。
レベルはそこそこ高い。わかってたけど。
戦うべきか、逃げるべきか。
突如、不自然な光の玉が目の前に浮かぶ。
魔素溜まりだ。一つだけではなく、いくつも浮かんでいる。
魔物が新しく生まれる。何も珍しいことじゃない。この大陸で一対一で正々堂々戦うなんて現象は、極めて少ない。基本的に、横やりは入って当然だ。
魔素溜まりの形が変わる。
生まれた魔物は、今まさに俺が相手をしていた、炎に紛れて隠れた魔物と全く同じ姿だった。
「グルゥ」
他の魔素溜まりからも、同じ魔物が生まれる。魔素溜まりから生まれる魔物がここまで一緒になることなんて、ありえないことだ。
先ほどみたステータス画面を思い出す。
──【従属群歩】。
なんとなくスキルの効果を把握する。
「なるほどね」
呟きながら、【アイテムボックス】から大剣を取り出した。