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困った時の紙頼み

作者: 天海 沙月

この小説は、共同企画小説「紙」参加作品です。

「紙小説」で、他の先生方の作品を読めますので、是非ご覧下さい。

 1


 ――紙って、不思議だな。

 俺が紙を切って飛ばすと、其の紙は自在に変化して、俺の言う事を聞く。

 まだ小さかった頃の俺は、そのことをとても不思議に思っていた。

 そして、後に俺はその紙を『式神』と呼ぶことを知る――。



(しょう)! ボサッとしない!」

 ちっ。(かなで)の声で、折角回想モードに浸っていた俺は、一気に現実に引き戻された。

「書ヲヨコセ。オンミョウドウノ書ヲ……」

 黒板を爪で引っかいた時のような、不快な声。

 時刻はまだ、宵の口。

 けれど、日が暮れて間もないというのに、そこだけ闇が凝り固まったかのように、異様に暗い空間がある。

 其の内に潜むは、現代に巣食う『鬼』。

 そしてその闇の中に、俺たちは今、いたりする。

 今は間合いを計るばかりで、どちらとも動く気配はない。

 動くのは、俺たちが先か、鬼が先か。

 只、ぴりぴりとした空気だけが、その場に漂っている。

 音の乏しい空間の中、ぽたり、と頬から地面に、汗の滴が流れ落ちた。


 ――鬼!


 刹那、長い爪を付けた、巨大な腕が突き出る。

 奏は咄嗟に、弓を楯のようにかざして、それを退けた。

「あっ!」

「どうした!?」

弓幹ゆがらに傷が……!あったまきた。潰す!」

 奏の目に、怒りの炎が宿った。あの弓は奏のお気に入りだったからな……。というか、最初からその位の心意気でやれよ。

 体制を立て直すやいなや、奏は矢をつがえる。ぎり、と絃が鳴った。狙いは、もちろん鬼。

「当たれえ!」

 風の音も鮮やかに、矢は真っ直ぐに闇を切り裂く。

 鬼の、地割れの如き咆哮が辺りに轟いた。

「ビンゴ!」

 奏の長い黒髪が宙を舞う。

「今よ! 封じて!」

「おう!」

 俺は力強く返事を返す。……とは言ったものの。

「何やってんの? 早く!」

 やっべ。封印の紙無くしたなんて言えねえ。

「あっ、鬼が……」

 片目の潰れた、隻眼の鬼は、力任せに矢を引き抜くと、俺たちから飛び退った。

 鬼が逃げちまう。

 しかし、そう思った時にはもう遅く、一瞬、爆発的に空気が膨張したかと思うと、闇は晴れ渡り、平穏な世界が再びその場を満たした。

「鬼逃しちゃったじゃない! あんたってバカ? もしかしてバカ? もしかしなくともバカ?」

 うわ、バカって三回も言いやがった。

「大方、紙でも無くしたんでしょ」

 ……。当たっているだけに、反論できない。

「大体、陰陽道って、1873年に禁止されてるんだろ?」

「民間にはあんまり影響出てないのよ。それに、陰陽師がやらなきゃ誰が鬼退治すんのよ」

 ……。当たっているだけに、以下略。

「もう、少しは陰陽師だっていう、自覚を――」

「あっ、あそこにクラスメイトが! どうしたのかなっ。行ってみよう!」

「逃げるな」

 確かに、俺は陰陽師の家系の末だ。しかし、安倍晴明とは、かなりの遠縁だし、安倍家は後に土御門家と称したが、苗字だって鈴木だ。日本で二番目にポピュラーな苗字。

 陰陽師は、陰陽道にもとづき、卜筮ぼくぜい、天文、暦数をつかさどるというが、俺は式神しか使えない。

 そこで、陰陽師の仕事の一つである、『鬼退治』をしているのだが……。

 実際に封印に成功したことはほとんどない。そのせいか、どうも陰陽師だという実感が湧かないのだ。

 俺は、さっさと口実に使ったクラスメイトの方へ向かう。

 近くにいたのは、波柴牡丹はしば・ぼたん。眼鏡に三編みの、典型的な本好き少女で、あまり話したことはない。

 波柴は、歩道の端をうろうろしていて、しきりに道路の方を気にしていた。この道路は、駅が近いことなどから、車通りが多く、<事故多発注意>の看板が立てられている。

 まさか……最悪の考えが頭をよぎった。

 いや、そんな、波柴に限って。

 けれど、俺の希望とは裏腹に、波柴は意を決した様に足を止め、道路に飛び出そうとした。

「待った!」

 俺は、慌てて走り、波柴の腕を引く。

「離して! 本が!」

「……本?」

 俺は眉根を寄せた。

「本を車道に落としたの。早く回収しなきゃ、轢かれちゃう……!」

「わかった、わかったから待ってくれ」

 このまま飛び出すんじゃ、波柴自身が轢かれてしまう。

「手伝ってやるよ。でも、これから見るものは誰にも言うなよ」

「え?」 

 俺は、人型に切った紙をポケットから取り出し、波柴の額に貼り付けた。

 波柴が驚きの声を上げる。紙は一瞬、光を発すると、鳥に変化した。

 『鳥』は、車が少なくなった隙を付いて、車道へ飛び出る。そして、素早く波柴の文庫本をくちばしで咥えると、俺たちの方へと舞い戻ってきた。

「……!」

 奏が無言で俺を睨んだ。人前で安易に式神を使うな、と言いたいんだろう。

「今の……」

「じゃあ、また明日」

 式神の事をばらせば、俺の仲間だと思われて、波柴が鬼に狙われかねない。

 第一、説明が面倒なんだよね。

 俺と奏は、逃げるように――と言っては人聞きが悪いが、その場を離れた。

 

 *


「今のは、一体」

 波柴牡丹は、突然起きた出来事に対する驚きを口に出してみたが、それでもぴんとこない。

 唯一、一連の出来事を説明できるだろう人物である、鈴木尚と見慣れない少女は、この場にいない。

 手元には、無事救出できた本と、元の紙に戻った『鳥』だけが残った。

 試しに、『鳥』を光に透かしてみたり、引っ張ったりしてみたが、再び変化する事はなかった。

 この形と、さっきの現象。この紙は、何かに似てる気がする。

 ――もしかして、式神とか?

 牡丹は首を振って、自分の考えを振り払った。

 まさか。本や漫画の見すぎだろう。

「まあいいや。帰ってから調べるとして……栞にでもしよう」

 牡丹は無造作に文庫本を開くと、適当なページに紙を挟み、パタンと閉じた。


 2


「おはよう、鈴木君」

 朝一番、にっこりと逆に怪しいとすら思える笑みを浮かべ、俺にそう話しかけてきたのは、他の誰でもない、波柴牡丹だった。

「……? おはよう」

 珍しいな。朝の挨拶とはいえ、親密度が一定に達していない人間は見てみぬふりをするのが大半だ。

 だから、波柴におはようと言われたことはほとんどない。

「昨日はどうもありがとう」

「ああ、別にそんなこと」

 なんだ、そういうことか。

 昨日は鬼を逃したことについて、奏に説教をくらっていたから、昨日のことをすっかり忘れていた。

「これ」

 波柴は、おもむろに文庫本を開く。

 そして、人型の紙を取り出した。

「式神、ってやつでしょ?」

「!」

 どうしてそれを?

 いや、そんなことよりも……

「まだ残ってたのか?」

 俺は式神しか使えないが、その式神さえ、完全とは言い難い。

 大抵の場合、五分が限度だ。

 其れを過ぎれば、式神は、媒体である紙ごと消えてしまう。

 けれど、あれから使っていないとはいえ、波柴の持つ式神には、消耗の様子が見られなかった。

 ――『志気』の違いか。

 鈴木流の陰陽道は、本家、土御門流と違っているところが多い。

 その最たるものが、『志気紙』だ。

 志気紙とは、式神に使う紙で、術者の<志気>――物事を行おうとする意気込みを表出し、其れをエネルギー源として動く。

 昨日の場合は、波柴の志気を使った。自分の身を危険に晒してでも、本を守ろうとする思い。その志気が弱いはずがない。

 逆を言うと、俺の志気で作った式神が五分しかもたないというのは、俺のやる気がないってことで。

「鈴木君、この本何なのかわかる?」

 波柴は、鞄から一冊の本を取り出した。

 其れは、触っただけで崩れてしまいそうな、本というより、草子と呼ぶに相応しい、かなりの古書。

 だが、何よりも特徴的なのは、表紙に五芒星――土御門家の家紋である、晴明桔梗と呼ばれる紋が描かれていたことだ。

「これは……」

「陰陽道の書だわ!」

 突如、後ろから叫び声が上がった。

 俺と波柴は驚いて声のした方を見る。

「奏! 学校には出て来んなって言っただろ!」

「まあまあ」

 奏はひらひらと手を振った。まったく、勝手な奴だ。

「あ、昨日の……この学校の生徒なんですか?」

 波柴の質問に、奏は首を振った。

「式神よ」

「え!?」

 俺の式神は、5分しか持たないが、例外がある。

 その一つが、奏だ。

 奏の正体は、安倍晴明が使役したといわれる式神、十二天将の一つ、『貴人』なのだ。

 貴人は天乙貴人とも呼ばれ、最も吉意の強い十二天将の主神。

 けれど、十二天将というくらいなのだから、実際には十二柱いるのだが、まだ一つしか呼び出せていない。

 その上、俺の支配力が弱いから、反抗するわ、逆に説教食らわすわで、大変だ。

 本当は、青龍や朱雀みたいな、有名どころを呼び出したいんだけどな……。

 それよりも、問題はこの陰陽道の書だ。

 昨日の隻眼の鬼が言ってたものに間違いない。

「この本は何処で?」

 俺は、波柴にそう尋ねた。

「え……えーと、昔からうちにあって。晴明桔梗があるから、陰陽道関係じゃないかなーとは、前々から思ってたの。そしたら、昨日の式神でしょ? 式神っていったら陰陽道だから、鈴木君がこの本に関して何か知ってるんじゃないかな、って」

 波柴は、奏が式神だという事実にひどく驚いたようで、少しつっかえながらそう言った。

 見た目は本当に普通の人間そのものなのだから、無理も無い。

「何が書いてあるか知って、どうするんだ?」

「決まってるじゃない、読むのよ」

 はい?

「何が書いてあるかわからずに読むのと、わかって読むのでは大分違うわ。読み手にとっての、その本の価値が大きく変わってくるのよ」

 波柴がだんだん饒舌になってきた。

「その上、この本の古さ! 古書の肌触り、匂い、手書きならではの筆跡……! ああっ、早く読みたい!」

 そうだ、こいつは物凄い本好きだったんだ。

 今や、波柴の目は、きらきらと輝くのを通り越して血走り、息遣いは荒い。

 お母さーん、見て、変な人がいるよ。シッ。見ちゃいけません。

「失礼ね。そんなことないわよ」

「まだ何もいってねえよ」

 さては、本のみに留まらず、俺の思考を読んだな!? 恐るべし、波柴牡丹。

「なんで家にあるかっていうとね、私の御先祖様も本好きで、あんまり面白そうだったから、友達の土御門って人の家から奪って……じゃなくて、友好的に譲り受けたらしいの」

 奪ったのかよ。

「じゃあ、そういうことで、よろしく!」

「え!? おい、ちょっと、待てえええええええ」

 波柴は、俺の必死の叫びを笑顔でかわし、瞬く間にその場からいなくなった。残ったのは、ボロボロの古本のみ。

「おとなしそうに見えて、かなりの手練ね、あの子」

 うんうん、と奏は一人納得したように頷く。

「でも、この本預かって正解ね。このままこの本を持ち続けてたら、遅かれ早かれ、昨日の鬼に見つかって、あの子が襲われた筈よ」

 奏の言葉に、俺はハッとした。

 その通りだ。だが、本を俺たちに渡したとはいえ、波柴の危険は減らない。

 家で眠っていたあの本を、学校まで持ち出してきたのだ。

 通学の間に、古書独特の匂いを町中にばらまいて来たに違いない。

 俺は歯噛みした。鬼の五感は人間のそれとは比べ物にならない。必ず、書の匂いを嗅ぎつける筈だ。

 そして、その古書の匂いには、他ならない、波柴の匂いが混ざっている――。


 その時。

 

 何かが爆発したのかと思わせるような、甲高い音と共に、廊下の窓ガラスが一斉に砕け散った。

 ガラスの破片が滝のように流れ落ち、宙を舞う。

「波柴!」

 一瞬。たった一瞬だけ、長い爪と巨大な腕を持つ存在が見えた。

 その顔に走る、大きな傷。片目の潰れた、隻眼の鬼――。

 昨日、俺が逃した鬼だった。

「……ッ!」

 さっきまでの騒動が嘘のように、廊下はただただ、空虚な空間と化していた。

 其処に残っていたのは、女生徒のものと思しき、片方だけの小さな上靴と、血痕。

 上靴の内側には、『波柴牡丹』と名前が書かれていた。

「くそ……!」

 俺は、窓枠に手を掛ける。ガラスが無いから、わざわざ開ける必要はない。

 そして。

「尚!」

 俺は飛び降りた。

 ポケットから素早く紙を取り出し、地面へ放つ。

 其れはマットへ変化し、落下した俺の体を受け止めた。

 なんでいきなりそんな事をしたのかは、わからない。

 これは、後悔?

 俺が昨日、あの鬼を逃がさなければ。札を無くさなければ。

 俺が、陰陽師としての自覚を持って、戦っていれば。

 ――波柴が狙われるようなことは、無かったんだ。

 そう思うと、無性に自分自身をぶん殴りたくなった。

 

 *


 牡丹は、あまりに突然な出来事に、理解が追いつかなかった。

 窓が全部割られたかと思うと、何者かに腕を掴まれ、さらわれた。

 何よりも、自分をさらったモノ達。

 異様なまでに長く、硬く伸びた爪と、二メートルは軽く超えるであろう、大柄な体。

 信じられないスピードで町を疾走する、それらは明らかに、人間ではなかった。

 これは、夢?

 けれど、腕を掴まれた時に、爪で切り裂かれて出来た傷の焼け付くような痛みと、溢れ出す血が、それが夢ではないことを物語っている。

 牡丹は、かろうじて持っていた鞄を抱きしめた。

 ――良かった、本は無事だ。


 3


「尚! 落ち着いて――」

「落ち着いてられるかよ!」

 俺の所為なんだ。俺の責任で――。

 ぱしん、と渇いた音が響く。

 頬を張られたのだと気づくまでに、ずいぶん間があった。

「落ち着きなさいよ。そんな事じゃ鬼に勝てない。あんたに今あるのは、後悔の念。それを満たそうとする、ただの自己満足よ」

 奏の言葉がダイレクトに響く。

「志気紙を発動させるのは、志気。何かを実行しようという心意気よ。後悔の念じゃ式神は使えない」 

 俺の式神は、五分しか持たなかった。

 俺の志気が、足りなかったからだ。何かをやろうとする心意気が、無かったからだ。

「あなたは今、どうしたいの?」

 俺は、今。

 隻眼の鬼、陰陽道の書、波柴牡丹。

 俺は、どうしたい? このままがむしゃらにそれらを追いかけていって、何がしたい?

「――出来る事」

 答えは自然と、口をついて出た。

「出来る事をやりたい。鬼は逃がしたし、波柴は護れなかった。でも、俺にしか出来ないんだよ! 鬼を封じるのも、波柴を助けるのも。俺はまだまだ未熟だ。でも、出来る事はある。鬼も、波柴もいっぺんには無理かもしれないけど、やれることはある。だから、それをしたい」

 一気に全てを言い切った。

 けれど。

「10点」

「え」

「出来る事だけじゃ、駄目だよ。だって、何のために私たち十二天将がいるの? 主を助けるためなんだよ? もっと頼って。一人じゃ出来なくても、二人だったら出来る気がしない?」

 だったら、と奏は指を立てた。

「だったら、出来ない事をやろう」

 一人じゃ高い木に成った林檎は取れないけれど、二人で肩車をすれば取れる。

 昔、爺ちゃんが良く言っていた台詞だった。

 やっと、本当の意味がわかった気がする。

「大丈夫、最高の吉神、貴人サマがついてるんだから!」

 奏は、ばしん、と俺の背中を叩いた。

「――ばーか」

「馬鹿とは何よ、馬鹿とは」

「俺は出来る事しかしない主義なんだよ――……手伝ってくれるか?」

 出来ない事をするというのは、出来ない事を出来るようにするという事。

 俺の力はまだ貧弱だけど――。

 奏は、にっと微笑む。

「それが主の望みなら」

 さあ、肩車で取った林檎はどんな味?


 *


 牡丹は、どさりと、乱暴に地面に降ろされる。触れたコンクリートがやけに冷たかった。

 周りを取り囲むように積まれた、『園芸用土』と書かれた段ボール箱と、やけに響く壁。ここは、建物の中だろうか。

「オンミョウドウノ書ヲ渡セ」

 黒板を爪で引っかいたような声に、牡丹はつい顔を顰める。

 陰陽道の書? 直ぐに、尚に渡した、晴明桔梗が特徴的な古書を思い出した。

「私は持ってないわよ」

 牡丹は手を広げ、鞄をひっくり返して見せた。

 大量の本が顔を見せるが、陰陽道の書はない。

 鬼はしばらく、疑わしそうに牡丹を威嚇していたが、何分か経つと、ここには無い事を理解し、離れて行った。

 逃げるのは無理そうだな。

 牡丹は、本を拾い上げると、再び、丁寧に鞄に詰める。

 そして、一冊の文庫本を開いた。人型に切った紙片――式神が床に落ちる。

「……鈴木君」

 この式神の持ち主である者の名前が、自然と浮かんだ。

 

 4


 犬の咆哮が木霊する。

「ここか」

 大きな犬は頷くと、小さな紙片へと姿を変えた。

 こいつは、鬼の居所を突き止めるために使った探索用の式神だ。

 波柴は、昨日の式神を、栞代わりに文庫本に挟んでいた。同じ式神で、その式神が発する気を追ったのだ。

 俺は、其の場所を見上げる。傍目には何の変哲も無い、ごく普通の倉庫だった。

 だが、周囲は鬼の瘴気で満ち満ちている。

「くそ、鍵が」

 扉には、内側から鍵が掛かっていた。当たり前と言えば当たり前だけど。

 力任せに蹴飛ばしてみたが、倉庫の巨大な扉はびくともせず、あしの裏が痺れただけだ。

 と、扉の間に、僅かながら細い隙間が空いているのがわかった。

 もちろん、隙間は小さすぎて、目を押し当てて内部を覗くことすら出来ない。

 だが、紙なら。紙なら、通れる。

 困った時の紙頼みだ。

「奏」

「了解」

 俺は、奏の志気紙を、隙間に差し込んだ。

 行け!

 紙はするりと滑り込み、扉の向こうへ落ちる。

 突然の侵入者に、鬼の叫び声が轟いた。

 奏が気をひいている隙に、俺は、二枚の式神を扉に差し込む。

 時間稼ぎをしている間に、扉を開けてくれ。

「貴様……ドウヤッテココニ来タ」

「扉の間を通って」

 奏はしれっと答える。

「! 式神ダナ。ダガ、普通ノ式神トハチガウ……十二天将ノヒトツカ?」

「ふうん、言葉は片言なのに、結構頭いいじゃない。その通り、十二天将が主神、<貴人>よ。教えて。何で陰陽道の書が欲しいの?」

「敵ヲ知ラナイ事ニハ、戦イハ不利。書ヲ手ニ入レレバ、弱点モワカル。ソシテ鬼ノ一族ガ世ヲ制ス」

「やっぱり、頭いいね。うちの主よりかずっと優秀だと思うよ」

 時間稼ぎとはいえ、激しく余計だぞ。

 とりあえず、成功だ。扉が開き、俺は中へと足を踏み入れる。

「貴様!」

「鈴木君!」

 波柴と、鬼の声が重なった。

 鬼は、右腕で素早く波柴を捕まえる。

「取引ダ。書ヲ渡サナケレバ、コイツヲ殺ス」

「ベタな誘拐犯みたいな台詞言ってんじゃねーよ。書は渡さない。波柴は助ける」

 その台詞を皮切りに、空気の密度が爆発的に跳ね上がる。

 隠れていた、二体の鬼が飛び出した。

 先手必勝。奏の矢が、鬼の右腕を射る。

 痛みに、鬼は思わず波柴を離してしまった。

 波柴の悲鳴が上がった。

 俺は、素早く式神を放つ。

 さっき窓から飛び降りた時と同じく、マットに変化した式神が波柴を受け止める。

 同時に、十枚程の式神を、倉庫全体にばらまいた。式神が変化したものは、波柴。

 これで、この場には十人余りの波柴がいることになる。見ただけでは、どれが本物かわからないはずだ。

 木を隠すなら、森の中。波柴を隠すなら、波柴の中、ってな。

 鬼が唸った。

「ナラバ、貴人ダケデモ……!」

 鬼が、奏に手を伸ばす。

「あら、御指名? 確かに、貴人は最高の吉神。あたしがいれば、鬼の世界征服も夢じゃないかもね……でも」

「!?」

 鬼の手は、奏に触れた途端、焼け爛れた。 

「邪心のある人にとってはかえって凶となることもあるのよ」

 邪心の塊である鬼にとってどうなるかは、言うまでもない。

 奏は、鬼から距離をとる。弓は遠距離でこそ本領を発揮する武器だ。

「加えて、この方位。北東は貴人の領地よ?」

 奏は矢をつがえると、続けざまに、三本射た。

 だが、三本の矢は、全て鬼をそれる。

「ハハハハハハ! ドコヲ……」

 鬼に、それ以上嗤う余裕はなかった。

 積んであった段ボール箱が崩れ、中に入っていた大量の園芸用土が、滝のようにこぼれ出したからだ。

 奏の狙いは、最初から積んであった段ボール。

「陰陽五行の内で、貴人が司るもの――土よ」

 奏が手を振り上げると、土は生命を得たように舞い上がる。

「つまり、ここは私の独壇上ってわけ」

 土は、鬼に向かって降りしきる。三体の鬼の巨躯が、みるみる土に埋まっていった。

 最初は威勢が良かった咆哮も、土の中へと消えてゆく。

「尚!」

 俺は、ポケットを探る。

 そして、稲妻に打たれたような衝撃を受けた。

 志気紙が無い!

 さっき波柴の影武者を作ったとき、調子に載って紙を使いすぎたらしい。

 紙が……この際なんでもいい、紙があればなんとかなるのに。

 畜生、またかよ――。

「紙なら持ってる!」

 突然、波柴が叫んだ。

 そして、意を決したように、本のページを破った。

「波柴!?」

 本は、波柴にとって、何よりも大切なものであった筈なのに。

「私に出来ることなんて、このくらいだもん。だから、使って」


『出来ない事をしよう』


 奏の言葉が蘇る。

 本を破る事は、波柴にとって、出来ない事だった筈だ。

 けれど、波柴はそれをやってのけた。

 じゃあ、俺にとっての出来ない事は?

 少し前の俺ならば、鬼を三体も封じ、その上で波柴を助ける事など、絶対に不可能だと答えただろう。

 大体、奏と波柴、女が二人も頑張ったんだ。

 俺がやらなきゃ、男が廃る。

「サンキュー、波柴」

 波柴はにっこりと微笑った。

 波柴から受け取った紙に、ありったけの志気を籠める。

 志気。何かをやろうとする心意気。

 俺は今、やれる!


「オン!」


 声を発した瞬間、ぴんと空気が張りつめ、俺の領域へと変わるのが感じられた。

 溢れ出す言霊は、鬼を縛する鎖へ。

「ぐああああああ」

 仕上げだ。

 志気の詰まった紙を掲げる。

 鬼の体が分解され、元は本のページであった紙片に、紋様が書き込まれていく。

「封」

 紙を素早く動かして指先を切ると、血文字で五芒星を書き込んだ。

 晴明桔梗。急ブレーキのように甲高い、掠れた叫び声も、段々小さくなっていく。

 やがて、全てが紙に封じられ、微かな残響の後に――消えた。

「やっ、た……」

 そう声に出した途端、力が抜けた。

 くらりと、式神を何体も使ったことの疲労から眩暈がし、俺は膝をつく。

「90点」

 奏の声。

「何で90点なんだよ」

「なーんか、忘れてない?」

 別に忘れちゃいないさ。後で言おうと思っただけだ。

「……サンキュ」

「うん、100点」

 俺は大きく息を吐き出す。今日はさすがに、疲れた。

「鈴木君」

 声を出すのもおっくうで、俺は、廊下に落ちていた上靴を渡す。

「ありがとう。なんか、二日連続で助けられちゃったね」

「別に。俺もさっき助けてもらったし」

「思わず惚れたよ」

「はい?」

 大袈裟でなく、目が点になった。

 今、さらりと物凄い事言わなかったか?

「何か、『波柴を助ける』とか、クサイ台詞がまるで小説のヒーローみたい。その上、この靴! なんかシンデレラ気分ーっ!」

 きゃーっ、と波柴は叫んだ。

 クサイ台詞で悪かったな。

 というか、シンデレラ? ガラスの靴でも金のスリッパでもないんですけど。何の変哲もない学校指定の上靴なんですけど。

 ずいぶん金のかからない、エコロジカルなシンデレラですね。

「もう底の浅い恋愛小説には飽きたわ。これからは、読むだけじゃなく、執筆よ! 一緒に書かない? 人生という名の本を……っ」

「は?」

「良かったね、プロポーズっ!」

「良くねェエエエエエ」

 俺はどうすればいいんですか? どうしろというんですか!?

「神様にでも頼んでみれば?」

 奏がけらけらと笑う。

「……紙様に頼むか」

 式紙を使って逃げ出そう。今なら志気は満タンだ、十年ぐらい余裕で持つに違いない。

 早速ポケットを探った俺は、地獄に叩き落される。

 紙無いんだった――。は、ははははは。

 ミッション鬼退治……成功?

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