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晦冥の底から 作者:歌瑞
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 それから。

 わたしはずうっと眠り続けた。
 たまに意識が浅いところへ浮かび上がってうとうとしている時に、ギィの硬い指があちこち触れていくのを感じていた。

 尖った指先が、肌に触れない距離を保ったまま、汗で張り付く髪を梳いていく。
 毛布から転がり出たわたしの腕をもとに収める手、ゆるんだ毛布を直す感触、こまめに与えられる水。
 止まない悪寒にふるえるわたしを暖かく囲うヒトは、堅固な揺り籠のようだった。

 はやく、動けるようにならなくちゃ。
 そう思いながらじっと吐き気と頭痛をやり過ごす。


 どれくらい眠ったんだろう。

 頭の痛みが徐々に引いて、ぐるぐるするめまいが薄れていって。ふいにぽかっと目が開いた。
 目を開けても真っ暗なのは変わらなかったけれど。


 ……お腹すいた。

 ずっと身体を丸めていたから、少し身動きするだけで関節がぎしぎし痛む。

きゅる、
 小さく抑えた声が落ちてくる。揺り籠がひらく空気の流れを感じた。
 かちりと音をたてて、すこし離れたところでランプの明かりが灯る。スイッチを入れたらしい黒い腕が暗闇に浮かびあがって見えた。
 久しぶりに目にした光は、ちょっと刺激が強い。
 眩しくてぱちぱちまばたきをしながら見上げた先に、わたしを抱えるヒトの輪郭が照らしだされている。
 よく見えたのはギィの顎先から首にかけてで、彼の視線はランプの側の収納ボックスに向けられているようだった。
 かたん、とボックスを開く音がする。

「欲しいものはあるか」
 静かな薄闇にそっと美声が響く。ノイズ混じりの電子音声。
 彼の声はいつも平坦で、起伏とか抑揚とかはないけれど、それを冷たいと感じたことは一度もなかった。今も、そうだ。
 ヘンに甘えた気分になって、わがままだとは思いつつ、むずむずして仕方ない欲求を口にした。

「……お風呂、入りたいです」

 いっぱい汗かいたし、髪が脂っぽくてべたべたする。匂いも気になる。なによりこんな状態のままギィと一緒にいるの、恥ずかしい。
 ギィのほうは汗とか垢とか、新陳代謝で出る汚れなんかにはまったく無縁ですってカンジで、すっきりしてる。たぶん彼の硬い身体はそういうつくりなんだろう。
 というか、わたしに触ったせいでギィが汚れてく気がする……恥ずかしい。
 自分を隠したくなって毛布を引き上げようとしたけど、指にぜんぜん力が入らなくてできなかった。
 居たたまれない。身体を縮めてもじもじするわたしを、ギィは何も言わずに見下ろしてくる。


 …


 できればあんまり見ないで欲しい、恥ずかしいんです。


 ……


 むっつり黙ったギィの、その沈黙の間が困っているようにみえて、わたしは必死に言葉を続けた。何日も喋らなかったせいか舌も回らない。上手く動かないのがもどかしかった。
「水で、いいの。汚れが落とせるなら、どこでも」
 お湯なんて贅沢いわない、冷たくてもかまわないから身体を洗いたい。
 どこか水場があればいいなと、思ったんだけど……だめかなあ。


 …


「食物摂取が先だ」
 ずいと目の前に銀色のパックを差し出された。

 ───そういえば、お腹すいてるんでした。
 ごはんをちゃんと食べないと駄目って、おかーさんみたい。
 口うるさく健康を気遣う懐かしい姿が脳裏に浮かぶ。
 見た目は全然重ならないギャップに思わず笑いつつ、ぎしぎしする腕をどうにか動かして、パックを受け取った。

 しっかりした包装の中身は非常食らしかった。四角い棒状で厚みのあるクッキーみたいなものが四本入っている。みっしり身の詰まった水気のないソレはよく噛まないと飲み込めなくて、攻略するのがすごーく大変だった。行儀が悪いとは思いつつ、起き上がるのが億劫だったわたしは、足を胡座に組んで座るギィの膝の上に寝転がったまま、ちびちびかじってやっつける。
 ギィはまるで今すぐにもわたしが喉を詰まらせると考えてるみたいで、ずーっと水入りのボトルを片手に持ったままこっちを見ているのが、ちょっと面白かった。
 ちゃんと噛んでます。もぐもぐしてるから言えないけど。


 結局は一本食べただけで疲れてしまって、また眠っちゃったから、身体を洗う野望は果たせなかった。
 でも食欲が満たされた後の睡眠は、それまでの辛かった苦痛がずいぶん遠のいていて、気分がいい。

 次に起きた時はもうちょっと食べられて、眠らずにいられるといいなあ───そんな風に考えながらも、意識は眠りの底に沈んでいった。




 それから、それから。

 また目が覚めて、クッキーの残りの三本を食べ終えると、ようやくギィから「行っても良し」の許可がおりた。
 ずっと隠れていた岩盤の隙間の洞窟から外へ連れ出してもらって、運ばれる。

 太陽を見るのもすごく久しぶりだ。
 日差しはあったかくて気持ちがいい。でもやっぱり眩しくてぎゅっと目を瞑ると、遠くの鳥の鳴き声やしゃらしゃらと木の葉が風に揺れる音が聞こえてきた。
 吸い込む空気は清々しくて、健やかな生き物の気配に気分がゆっくり高揚していく。

 周囲には人の背丈を超えるぐらいの大きな灰色の岩がごろごろとたくさん転がっていた。その上で苔むした太い木々が根っこを伸ばし、岩にしがみつくように生えている。土が少ないせいなのか、あまり数はない。大きく成長する前にほとんどが倒れてしまって、運良く育ったものが高く枝を茂らせている、というカンジだった。

 ギィはそのおっきな身体に相応しい長ーい脚で跳ぶように岩の上を歩いていくけれど、わたしが自力で行こうとするなら登ったり下りたり迂回したり、というか、途中で隙間にはまって遭難しそう。
 彼はなだらかに積みあがる岩の群れを身軽に超えてどんどん進む。あらかじめ都合のいい場所の目星を付けていたみたいで、水場へはあっという間だった。

 最初にさあさあと水の流れる音が耳に届いた。空気に湿った匂いが混じる。植物の緑と岩の灰色の間に、きらきら光を反射するものが見えた。
 ちいさな川、水だああ!

 思わず身をのりだしたわたしを、ギィが腕からおろしてくれる。
 水は岩が重なる隙間から湧き出して、しばらく木の根っこと岩の上を流れたあとに、また岩と岩の割れ目へ吸い込まれるように落ちていく。
 途中でいいカンジにせき止められてて、浸かるほどではないけれどすすぐくらいは出来そうだ。
「ここからあまり移動するな」
 透明な水に見惚れるわたしにそう言い置くと、ギィはゆっくり踵をかえす。
「あっ、ギィ、ありがとう!」
 わたしの声に一度動きを止めてから、彼は大きな木の向こう側へ姿を消した。足音が遠くへ移動していく。それが聞こえなくなるまで見送って、わたしはさっそく目的を実行することにした。
 野外で服を脱ぐのにはちょっと抵抗があるけれど、たぶん誰かに見られるようなことはないだろう。ギィもわざわざ離れた所で待っててくれてることだし、ささっと済ませなきゃ。

 指先に触れた水の冷たさに、ちょっと怯む。でも諦められるわけもない。汚れたままなのはイヤだ。

 とりあえずは、顔から。


 両手ですくいあげた水はきらきらしていて、すごく奇麗だった。 






     ※  ※  ※






 風がさらりと、わたしの濡れた髪をすくって流れていく。
 今のわたしは久々に動いたから疲れてへとへと、でも汚れを洗い落として気分はだいぶいい。

 すっきりさっぱりのわたしは、またギィに運ばれている。彼は岩の洞窟へは戻らずに、別の方角へ向かっているようだった。

「ギィ、どこへいくの?」
 わたしの質問に、ギィはわずかに首の角度を変えた。どこか遠くをみているようだけれど、言葉の答えは返ってこなかった。
 わたしに教える必要はない、教えてもとくに意味をなさないことなのかもしれない。
 頼りっぱなしの彼に対して、意見も文句もひとかけだってありはしないから、答えがないことを不満には感じなかった。でも頼るだけより自分の足できちんと立って歩くべきだと思うから、今の状況は先のことを考えると途方に暮れそうだ。
 ずっと抱っこ。
 この先も、ずっとギィにおんぶにだっこ?


 わたしがもやもや考えているうちに、周囲の景色はちょっとずつ変わっていった。
 たくさんあった岩がだんだん小さく少なくなって、反比例するように植物の種類が増えていく。
 下草や低木で見通しの悪いなかを、ギィはわたしを抱えて隠れるように進む。
 少し離れたところに木々が開けて通りやすそうな空間があるのに、どうしてあっちへ行かないんだろう。
 不思議に思ってよくよく見たら、その開けた空間の下に二本の線が走っているのを見つけた。伸び放題の雑草に今にも埋もれて見失いそうな、道と呼ぶにはちょっと躊躇う、二本の轍。
 そっか、ヒトが通る可能性があるから避けていたんだ。でも、じゃあ、見つかっちゃうかもしれないのにここへ来たのはどうしてだろう?

 ギィは轍と並走して進み、しばらくすると草陰に屈んでわたしを地面に降ろした。
 よくわからないけどとりあえずちっちゃくなって隠れておくことにする。


 すぐにどるるる、とエンジンの音が響いてきた。
 遠くの木の枝ががさがさ揺れているのは、低い位置にある枝に何かが引っかかるからだろう。だいぶおっきな乗り物がこっちに来ているらしい。
 そのまま様子を見ていたら、トレイラーらしき箱型のシルエットが見えた。伸びっぱなしの下草を踏み分けながら近付いてくる。
 通りにくいはずなのに、どうしてこんなに細くて悪い道をわざわざ選んで進むのか、首を傾げていたら。
 傍で片膝をついていたギィが急に腕を振り上げた。

 ひゅ、
 細長い何かが風を切って、目の前を通り過ぎようとしていた車のフロントガラスにぶつかる。かつんと音をたてて跳ね返されたそれは木の枝で、車のタイヤに踏み折られて見えなくなった。

 なんでわざと見つかるようなことしちゃうの───?!

 木の枝を投げつけられた車は減速、のち停止。
 勢いよく開いた運転席のドアから、人影が跳ねるように飛び出してきた。きょろきょろとあたりを見回すその人は、隣で立ち上がったギィをすぐに見つけて片手を挙げる。

「ダンナ、ミオー!」
 こっちへ駆け寄ってくる、きざきざの乱杭歯が目立つ懐かしいヒト。

「フリップさん!?」

 草陰から顔を出したわたしの声に、フリップさんは急にぴたっと固まって口をへの字に歪めると、顔ごと視線をそらした。喉仏がごっきゅんと上下に動くのがみえて、こっちも固まる。
 じりじり、じりじり。
 互いになんだか微妙な横移動してみたり、ちらちらギィのほうを見てみたり。

 だ、大丈夫かな、だいじょうぶ、かな? また美味しそうって思われてたみたいだけど。

 フリップさんがギィを見るのは、以前と同じように怒られるかもしれないって考えているんだろう。
 わたしは自分がフリップさんに食べられちゃうとは思っていない。こわくないから、平気。でもフリップさんのほうは急に声をかけたりするとやっぱりびっくりするみたいだ。
 危険ならギィが止めてくるだろうと様子を窺ってみたけど、彼は沈黙して動かない。
 固まったままわたしに視線だけを向けてきたフリップさんの瞳にも、危ういところなんて見つからなかった。

 ……うん。きっと大丈夫。

 また会えたのが嬉しくて、口の両端が勝手にあがる。わたしが笑うのを見たフリップさんは、怯えるみたいにびくりと身体を揺らした。
 なにそれなんだか失礼ですよ。仕返ししてやるー!
「フリップさーん!」
 ダッシュで駆け寄るわたしに、彼は驚いた顔で両目を見開いて、あたふたと腕をふる。

「おわ、ちょ、まって、あぶ、わー!」

 聞こえなーいっ。

 跳ね飛びたくなるような嬉しい気持ちのまま、勢いよくタックルした。
 背の高いフリップさんの胴体部分に腕を回してぎゅっとしがみつく。彼の服に頬をくっつけると、乾いた砂の匂いがした。この世界に来るまで縁がなかったはずの砂漠が、なんだか無性に懐かしい。

 わたしにびったり張り付かれたフリップさんは、しょーがないなあっていう溜息まじりの笑いをこぼして、わたしの頭と肩のあたりに手のひらを乗せた。
「だいぶ痩せたなあ……ごめんなミオ。ごめんな」

「どうしてフリップさんが謝るの?」
 びっくりして見上げたら、彼は眉尻をハの字に下げたしょんぼり顔をしてた。
「……ココに来る道すがら、イロイロ情報集めたんだ。きな臭いのはすぐにわかった。もうちょっと調べていれば、ミオを保護局にやろうなんて思わなかったのに。あのおっさんの言う通りだった」
 そんなの、遠く離れた中央保護局の実態がどんなものなのか、砂漠生まれのフリップさんが知らなくてもおかしくない。彼なりにわたしのことを考えてくれただけだ。
「フリップさんが謝ることなんて何もないよ」
 首を振ってめいっぱい否定したけど、彼はやっぱりしょんぼり顔で繰り返す。
「───ごめんな」
 ほっぺたに骨ばった指の背をあてられた。ゆっくりと撫で下ろすその動作には、労わりと憐れみがみえる。

 ……そんなに痩せたかな。

 気にしなくていいのに。ちょっとしたダイエットに成功して、フリップさんがきてくれて、また会えた。嬉しいこといっぱいだと思うんだ。
 フリップさんが運んできた太陽のにおいは気分をからっと明るくしてくれる。
 もう少しそれを感じたくてまたぎゅっとしがみついた───んだけれど、なぜか急に両肩を掴まれて引き剥がされた。
 とん、と背中が硬いものにあたる。わざわざ振り返って確認しなくても、頭上から落ちる影の形と背中の感触でそれがギィだっていうのはわかった。

 ……フリップさんがものすごく強張ったコワイ顔でわたしをぎゅうぎゅうギィに押し付けている。

 なんで?? わたし何かおかしなことしちゃった?

「じゃっ、オレは先にキャラバンに戻ってるからー!」
 片手をちゃっ、と一振りして、逃げるように車のほうへ走っていく。
 押されて背後に寄りかかったままのわたしを、ギィの黒い腕が抱えあげた。

 ……押し付けられたり持ち上げられたり、なんだか物扱いされてる気がする。

 ちょっぴり不満でむうっとなったけど、ギィが歩いてフリップさんの車に辿り着くまでの間にすこんと意識が落ちて眠っちゃったから、彼らは何も間違ってはいなかったんだろう。
 思ったよりわたしの体力は消耗したままらしい。

 はやく、動けるようにならなくちゃ。


 自分の足で、きちんと歩けるように。




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