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晦冥の底から 作者:歌瑞
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20/24

20 Reproduction:recur



「呼吸をしろ」

 とん、と背中に衝撃を感じたとたん、自分の肋骨がぐうっと広がって、肺に空気が流れ込んでくるのがわかった。
「…っ、 」
    けほっ

 むせて、咳込む。

 くらくらする、どうなったの───

 吸い込んだ空気は、ずいぶん久しぶりなカンジのにおいがした。
 土と、あおい植物のかおり。
 視界は薄暗い。天上に月がぽつんと浮いている。
 黒い枝葉の影が周囲を包み隠すようにのびていて、見通しの悪い場所だなあと、ぼんやり考えた。
 網目のように張り巡らされた葉っぱの向こう、ずーっと先に、空の半分ちかくを占める巨大なシルエットを見て、ぎくりとする。

 ───根っこ、樹幹、保護局───

 反射的にすぐそばにいるヒト、ギィに手をのばそうとして、失敗した。
 彼に二の腕をしっかり掴まれていて、思ったように動けなかったから。

 わたしはふかふかの苔の上に座らされて、腕を掴むギィに上半身を支えられていた。
 ざあざあと流れ落ちる水音がする。ここはたぶん、水を溢れさせていた樹幹の根っこの上だ。


 逃げ出せたんだ。

 ほっとするのも束の間に、わたしの呼吸が落ち着いたのを見計らってか、ギィのごつごつした太い指がわたしの両の手首を捕らえた。
 それぞれ指の間に挟まれて、ひとまとめにされた両腕がぐいと胸元に押し付けられ、さっと両足を払うように後ろへ伸ばされる。気が付けばうつ伏せの姿勢にされていた。
 真っ黒で大きな身体がわたしの上を覆うように跨ぎ、両足が倍の太さはある膝に囲われて、身動きできない。
 ギィの指が首の後ろをなぞり、髪をさらりと纏め上げる。そのままうなじを露出するかたちで、おっきな手のひらがわたしの頭を一掴みにしてふかふかした苔の上に固定した。
 頭と脚を完全に封じられた状態で、両腕を掴んだままの手に胴体ごと上に押し上げられると、ほんのちょっと身を捩るくらいしか、できなくなった。
「動くな」
 ノイズ混じりの美声が上から落ちてきたけど、そんなこと言われなくても、もう、動けないよ───

 ぎち、

 何かが擦れて軋む音がして。
 首の後ろに圧迫を感じた。

 ───ギィに、咬まれてる。
 そう理解した直後、脳髄まで走る激痛で頭が真っ白になった。
「っ…ぁ、あ───」
 場所が首だけに、ろくに悲鳴もあげられない。
 普通なら触れることすらない皮膚の奥を何かが探って、ざりっと骨を撫でる感触が、振動として伝わってくる。麻酔なしに身体の内側を弄られるなんて体験したことがない。あまりの痛みに気持ち悪くなって、吐き気がした。
 生理的な涙が視界をぼやけさせる。みっともなく泣き叫びそうだった。

「あぁ…っ!」

 呼吸が浅く、短くなって、苦しい。
 ぶるぶると、ひどいふるえがまるで痙攣のように身体を揺らす。ギィの腕にぎゅっと力が込められた。
 その大きな、硬い身体に、わたしの背中が押し付けられる。動かないように、よりしっかりとおさえられている。

 動い、ちゃ、だめだ、動くなって言われた。


 ぎちっ、ぎぃ、

「 ぃ、あ───!」


 ずるっと何かが身体から引き抜かれる音が、聞こえるようだった。
 同時にギィの腕の力が緩んで、解放される。
 わたしはようやく得た自由を、ぜんぶ呼吸に費やした。動かないようにと歯を食いしばって、ついでに息も止めていたらしい。
 絨毯みたいな苔に自分の身体を投げ出し、ただ空気を吸って吐き出す。

 上の方からは、ばり、べき、って硬いものを咀嚼する音がしていた。

 何をされたんだろう。
 寝そべったまま、首筋に手をやって、恐る恐る確かめてみる。
 緊張で指先が冷たくなってて、うまく動かないけど───ちょっと触った感じだと、とくに何も変わってないようだった。
 撫でるようにずらすと、粘つくものに触れると同時に、ぴりっと軽い痛みが走る。

「あまり触れるな」
 ギィにそう言われて、手を離した。月明かりの下、視線を落として確認した指先に、濃い色のものがほんの少し、こびりついている。

 すっごく痛かったわりには、全然血がでてないなあ───不思議、と思ってから、考え直した。
 ちがう、血が出ないようにしてくれたんだ。


 ぎ、
 横を向いたギィの口元がもぞりとうごめいて、ぷっと何かを吐き捨てる。
 小指の爪よりも小さいそれは、かつんこつんと軽い音を立てて斜面を転がり落ちていったみたいだった。

 彼がわたしから抜き取ったものは、たぶんガルムさんが言っていた認識票だ。噛み砕いて壊してしまったのなら、おそらく信号というものはもう出ていない。
 この下にあるのは湖と、その周りに生い茂るたくさんの木々だから、その間に落ちたあれを探すのは難しいだろう。

 自分の『番号』が刻まれたものなんて見たくなかった。誰かの手元にあってもいやだ。
 そのまま草木や水の底に埋もれて、朽ちてなくなってしまえばいい。

 そんなことを考えながら、両目をぱちぱちとまばたいて、うすく残る涙を散らしていると、わたしを跨いだままだったギィに両脇をすくい上げられて身体を起こされた。
「もう一度飛ぶ。耐えられるか」
 気遣ってそうきいてくれる、彼は優しい。

 飛ばなくちゃいけないはずだ。
 私のいる位置は、ここに来て認識票を抜くまでを、保護局のヒトに知られているだろう。それに、周りに生い茂る草木で見えにくいけれど、樹幹のずっと上のほうや保護局がある根っこのあたりに、飛び回る影がいくつもある。 『滓』が騒ぎ出してるって言ってた。
 はやく移動してしまわないと、いつこちらに来るかわからない。

 気分の悪さはもうずっと続いたままで、まともに意識を保っていられる自信は到底なかったけれど、頷いた。






   ※  ※  ※







 次に気が付いたとき、そこは真っ暗だった。
 あの『機械』の中でのことを思い出してびくりと震えた身体が、同時に自由であるということも思い出させた。
 拘束されているわけじゃない。
 でも、ここ、どこ。

 状況が把握できなくて混乱するわたしを、抱え直す腕があった。身じろいだせいで、不安定になっていたらしい。
 覚えのある動作だった。
「…ギィ」
 ぺたぺたと、触って確かめる。つるつるで、ごつごつの、慣れた感触。
 すごく安心して、こわばった全身からちからが抜けていく。

 ざり、ざり、かすかな足音と揺れを感じる。
 そのうちに彼が屈んで、膝の上にわたしを座らせるのがわかった。

 かちり、
 小さな音のあとにぽっと光が灯って、あたりを照らしだす。
 最初に小さなランプが見えて。それを持つギィの尖った指も見えた。
 …さんかく。
 三角の、空間だと、思った。
 斜めに傾ぐ岩壁がふたつ折り重なった、その隙間。
 足元は乾いていて、角張った砂利で埋められている。
 光の届かないところは真っ黒に染まっていて、何も見えない。だいぶ奥まった洞窟のつきあたり、みたいだ。

「しばらくはここで身を隠す」
 ギィは最初から、ここに隠れるつもりで準備をしていたようだった。
 隅のほうに頑丈そうな収納ケースやしっかりした布地の袋が積んである。その上にランプを置いて、彼はいくつか、パックされた銀色の包み…たぶん食べ物を取り出してくれたけど、今は食べられそうになかった。
 重い頭を動かすのが辛くて、最低限の動きで首を横に振る。
 わたしが食料を受け付けないとわかると、ギィはすぐにランプを消した。唯一の光源が消えて、また真っ暗になる。

 でも、今度は怖くない。
 今わたしを掴むのは、わたしが転がり落ちないように支えてくれている腕だ。
 ギィの、がっしりしておっきな、太い腕。

「状態が回復するまで休養に徹しろ」
 ふわふわしたやわらかい布を被せられた。
 それにくるまれて目を閉じてしまうと、まるでスイッチを切ったみたいに身体が動かなくなる。
 うつらうつらしながら、気分の悪さが過ぎ去ってくれるのを、ただひたすらに願った。






 ───おなか、いたい。

 出血があった。
 周期は、少し遅れたみたいだけれど、だいたい重なる。
 ほかにも心当たりは、あった。
 あの機械の中で何をされたのかはよくわからない。けれど、いつもと違うこの痛みは、それが原因なんじゃないかと思う。
 不安だった。
 自分の身体に、なにがおきているんだろう。
 暗闇の中、寒さと恐怖で震えるわたしを、ギィが長い手足を曲げて囲うように包んでくれる。

 不思議だ、あったかい。

 砂漠ではひんやりしてたのに。

「…ギィは」
 ぼうっとした頭のまま、彼の名前を口にすると、頭上で彼がこちらを見下ろして注視する気配を感じた。
「冷たかったり、温かかったりする…ふしぎ」
「擬装のひとつだ。体表温度を調節している」


 ───おなかいたい。


 身体をまるめて、痛むそこを必死にさする。
 ずっとごしごししていたら、ギィの手のひらが伸びてきて、ひたりとそこに当てられた。
 じわりと染み込むような温もりがあって、ほっとする。
 痛みで強張った全身が、そこからほどけていくようだった。

 もっと。


 もっとその温もりが欲しくて、ギィの手のひらの上に自分の手を重ね、おなかにぎゅうっと押し付ける。
 自分の手が冷たくなっていたことに、それで気が付いた。
 ギィの手はすごく、温かい。

 ゆっくりと、痛みがゆるんで、気持ちもゆるんで、 …そうしたら、涙腺もゆるみだしてしまった。

 いろんなことがありすぎて、苦しくて、いっぱいだった。
 涙と一緒にぼろぼろと、とりとめのない言葉があふれ出る。

「帰り、たい、かえりたいかえりたい、おかーさ、おとうさん、お、ねえ、ちゃ、あぁああ」

 わたしはずっとしゃべり続けた。
 喉がひりひりして、声がかれて出なくなっても、ずっと。
 ギィに言ってもどうしようもない、わがままを。

 彼が黙ってそれを許してくれるのに甘えて、流す涙を拭ってくれるのに任せて、口元に差し出される水をただ飲んだ。


 そのうちに、もともとあやうかった意識が飛び飛びになって、泥に身体が沈むような感覚を纏ったまま、わたしは眠ったらしかった。





 ───ここにいて。そばに、いて。

 おねがい。




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