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七日間の奇跡
作:水瀬 緋呉


 白一色の部屋を唯一彩る窓の景色。蒼天と山々が織り成す翠のコントラスト。
 窓から垣間見ることの出来るそれらは、鬱屈した心を慰めるには十分過ぎる程美しかった。
 カーテンが優しい風に靡くのを視界の端に認め、男は目を細める。
 外に出ることの叶わぬこの身に、風は緑の息吹を運んでくれる。それを思い存分吸い込む。
 思えば『彼』と出会ったのも、丁度この頃だった。
 僅かに唇を持ち上げ、目を閉じる。
 あれはそう。
 まだ自分が十歳の春だった。
   ‡   ‡
 もう日も暮れるかという頃、僕は重い足取りで公園を歩いていた。
 その公園はもう廃れたかのように草がぼうぼうに生え、見るも無惨な有様だった。そんな不気味な場所を歩いていたのは、単に近道だったからに過ぎない。
 僕はキョロキョロと辺りを見回しながら、歩を進める。
 丁度中央に来た時だろうか? いきなり突風が吹いたのは。
 風に乗って、何かが僕の顔を直撃した。

「うわ?!」

 慌てて顔から引き剥がして見ると、その正体は帽子だった。
 何処から来たのだろうと首を巡らすと、中央にぽつねんと立っている巨木の枝に、一人の少年がねっころがっていた。
 僕は怖ず怖ずと木に近寄り、気持ち良さそうに眠る少年を見上げる。

「あ、あの……!」

「どわっっ」

 いきなり声を掛けられ、少年は驚いて枝から落ちそうになる。
 僕は思わず両手で顔を覆った。いつまで経ってもそれらしい音(もちろん落ちる音だ)がしないことに不審を抱き、僕は指の隙間からそっと枝を窺った。
 そこで僕の見たものは……。
 両腕で枝にしがみつき、ぎりぎり片足を枝に乗っけている少年の姿だった。
 必死で態勢を立て直そうとしていた少年は、視線に気付き僕を睨む。

「見世物じゃねぇぞっ」

 ……恰好と口調があまりに合っていない。
 僕は思わず吹き出した。
 けらけらと遠慮なく笑う僕の頭に、枝から降りた少年はげんこつをお見舞いする。
 ……正直かなり痛かった。

「何するのさ!?」

 僕は頭を押さえ、涙目で抗議する。

「いつまでも笑ってるお前が悪いっ」

 しかし少年が堪えるはずもない。僕の抗議に、少年はフン! と鼻息も荒く言ってのけた。
 ……確かに盛大に笑った僕も悪いかもしれないけどさぁ。殴ることはなくない!?
 ぶすっと膨れる僕を、少年は斜に構えて見つめる。……多分僕より一つか二つくらい上のはずの少年は、何故かそういう仕種がよく似合った。
 漆黒の髪に紅い瞳。……こんな色初めて見た! カラコンでも入れてるのかな?
 しかも僕が見たことないくらい、整った顔立ち。細身の身体はとてもすばしっこそうだ。多分きっとモテるだろうなぁと、少し羨ましくなる。

「……何だよ?」

 じろじろと見ていたせいか、少年は居心地悪そうに身体をよじった。

「いいなぁ……」

 僕はボソッと呟く。

「あ?」

 怪訝そうに見つめられてもなんのその。僕は自分の思考に入り浸り中だ。

「カッコイイなぁ。僕もカッコよくなりたいや」

 妄想膨らませる僕を見て、今度は少年が吹き出した。
 けらけらと豪快に笑われ、僕はむっとする。

「何だよ〜〜」

「お、お前、面白すぎっ」

 少年はそれはもう楽しそうに言ったものだ。

「俺はクロ! お前、明日も来いよ。一緒に遊ぼうぜ」

 まるでお日様みたいな笑顔で少年……クロは手を差し出した。



 その日を境に、僕はこの公園に通うようになった。クロと居ると楽しくて、僕はいつのまにか放課後が楽しみになっていたのだ。
 クロはとても物知りで、雑草……本当は食べられる物もあるんだって。その名前や薬効を教えてくれた。魚釣りにも行った。
 公園で夜遅くまで走り回った。こんなに遊んだのは初めてじゃないかというくらい、充実した日々だった。毎日が楽しくて、クロが大好きだった。

「よぉ、お帰りっ」

「クロっ。ただいま」

 クロを見つけただけで嬉しくなる。
 感情が丸わかりの弾んだ声に恥ずかしくなったけど、クロはもう慣れたのかにやりと笑うだけにしてくれた。

「今日は何するの?」

 この五日間、クロはいつも僕の知らない遊びを教えてくれた。期待に目を輝かせる僕に、クロは何故か瞬く。

「なぁ、前から聞きたかったんだけど、何で帰るのが遅いわけ?」

 何気なく言われたその内容に、僕は言葉を詰まらせた。その様子に何か感じとったのだろう。クロは険しい表情を浮かべる。

「始めは掃除当番かなにかだと思った。でももう週は明けたのに、何で今日も遅いんだよ? 他の奴らなんてとっくに帰ってるぞ?」

「それは……」

「何だよ?」

 全てを見透かすような瞳に、僕はコクッと喉を鳴らす。

「掃除当番で……」

「じゃあ、先週は?」

 追求の手を一切緩めず聞いてくる。

「その、先週も当番で」

「ほぉ? じゃあ当番は月で替わるわけか?」

 いつになく冷たい口調に、僕はうなだれた。
 クロに嘘をつきたくなかった。
 よしんばつけたとしても、聡い彼のことだ。すぐ見抜くだろう。
 黙り込んでしまった僕を見て、クロは嘆息した。

「……週替わりなんだな?」

「……うん」

 沈黙が重たくて、僕はそろそろと顔を上げた。クロを上目遣いに見ると、彼は視線に気付かないのか、盛大に嘆息をついて頭を掻いていた。

「く、クロ?」

「……単刀直入に聞くが、『何故』お前がやってるんだ?」

 僕の言葉を黙殺し、クロは感情を押し殺した声音で聞く。

「頼まれるから」

 ……嘘ではない。それが一年中というだけだ。
 自慢じゃないが、この頃の僕はいじめにあっていた。
 見るからにとろそうで、勉強も出来ない僕は皆の嫌われ者だったのだ。

「『何故』断らない?」

「……断れないもん」

 これ以上いじめが酷くなるのは嫌だった。
 物を隠されるのも、机に落書きされるのももう慣れた。この上痛い目になんて遭いたくない。

「……へぇ?」

 クロの目が僅かに険を増す。それには気付かず、僕はなおも言葉を重ねる。

「やってれば痛いことされないし、これでいいんだよ」

 僕のある意味事なかれな言い回しが、クロの逆鱗に触れた。

「『これでいい』だと?」

 地を這うような声に、僕はビクッ! と肩を震わせる。

「ふざけるなっ。何がいいんだ?! お前はこのまま一生使いっぱしりでいたいのかっっ」

 怒りも露に怒鳴りつけられ、僕は唇を噛み締める。
 そんなの嫌に決まっている。
 僕の表情からそのことを読み取ったのか、クロは益々声を荒げた。

「嫌なら嫌と何故言わないっっ」

「僕の気持ちもわからないくせに、エラソーなこと言うなっ」

 顔を真っ赤にして叫ぶ僕に、クロは痛烈に舌打ちした。

「ああ、わからないねっ。お前は逃げてるだけじゃねぇか。そんなんじゃ、なにも解決しねぇんだよっっ」

「なにもわからないくせに……っ」

 頭に血が上った僕は、次の瞬間クロに殴り掛かっていた。僕の拳がクロの右頬に炸裂する。重い音が響く。

「っ……! やりやがったなっ」

 口の中を切ったらしい。ペッ! と血を吐き捨て、クロが反撃に移る。
 僕は負けじと拳を繰り出すが、ことごとく躱されてしまう。
 ぼこぼこにされながらも、僕は必死でクロに向かっていった。



 ……結果はやはり惨敗。
 クロはとてつもなく強かった。
 悔し涙を流す僕を、クロは無表情で見下ろす。

「悔しいかよ?」

 僕はこくりと頷いた。

「何で悔しいと思う?」

 僕はクロを睨んだ。
 そんなの負けたからに決まっている。
 ……でも一番の理由は、クロが正しかったから。そのくらい、僕にもわかっていた。
 クロは涙と埃にまみれた僕の顔を見つめる。
 しばらくそうしていたクロは、ふと何を思ったのか破顔した。

「いい顔するじゃないかっ」

「へ?」

 何を言われたのかわからず、僕は目をパチクリさせる。
 僕の頭をわしわしと撫で、クロはあの笑顔を見せた。

「いつもそうしてりゃいいんだよ。俺にこれだけ言うくせに、何で同い年の奴らに向かってけねぇんだよ?」

 右頬を指差し、
「痛かったんだぞ?」と笑う。
 クロは僕のために怒ってくれたのだ。そのことに思い当たり、僕は何だか恥ずかしくなる。有り難くて、嬉しくて、僕はもぞもぞと口を動かした。

「何だって?」

 小さすぎて聞こえなかったのだろう。クロは右耳に手を当て、「プリーズ」と言った。

「……とう」

「はい〜〜?」

 またもや空振りに終わる。

「ありがとう!」

 僕は自棄になって叫んだ。大きな声に、クロは目を白黒させる。
 一時して。

「……どういたしまして」

 ゼーゼーと肩で息をしている僕を見下ろし、クロは穏やかに微笑んだ。



 次の日。僕は終わりの会が終わると同時に教室を飛び出した。
 もう掃除当番なんかしてやらないっ。僕は生まれ変わるんだっっ。
 下駄箱から靴を取り出そうとした僕の肩を、誰かが掴んだ。
 振り向くと、そこには今週の掃除当番の金村君達がいた。
 縦にも横にも大きながき大将風情の金村君を筆頭に、三人の男子生徒達がいる。

「何の用?」

 用なんてわかっている。それでも僕はあえて聞いてみた。

「掃除はどうしたんだよ?」

 威張ることが大好きな金村君は、僕をいじめている奴らの代表だ。少し前までの僕は、こいつの顔色ばかりを窺って生活していた。
 ……今思えば馬鹿らしい限りだけど。

「当番は金村君達だろ。僕がする必要はないじゃないか」

「誰に物聞いてんだっ」

 いつも従順だった僕に初めて反抗され、金村君は目を吊り上げる。

「だから、僕がする必要はないだろう」

「この……っ。よっぽど痛い目を見たいらしいなっっ」

 どこぞのチンピラのような台詞に、僕は思わず笑ってしまった。
 幼稚だと、思った。
 今までこんな奴の顔色を窺っていた自分自身が情けない。

「君なんか怖くないよ」

 そう。あれほど痛いのは嫌だと思っていたのに、何故か怖くなかった。こんな奴らよりも、クロに嫌われるほうがよほど怖かった。
 クロは僕の自慢だ。強くて優しい僕の友達。
 僕も彼に自慢して貰えるような人間になりなかった。

「この野郎っ」

 いきり立つ金村君を、僕はただ見つめていた。



 体育館に連れて行かれた僕は、四人からリンチにあった。力の限り立ち向かったけど、金村君達には勝てなかった。
 それでも僕は一瞬の隙をついて、金村君の腕に噛み付いてやった。血の味がしたから、多分相当痛かったと思う。
 朦朧とする頭で、僕は確かに金村君の悲鳴を聞いた。



 次に目を覚ました場所は、病院のベッドの上だった。
 クロと喧嘩した時とは比べものにならないくらい、僕はボロボロになっていたのだ。
 左腕にはひびが入り、顔は整形が必要なんじゃ?! と思うくらい腫れていた。
 それでも気分は最高だった。僕は初めて自分の意志を貫き通したのだ。
 早くクロにこのことを言いたかったが、今日一日は入院を余儀なくされてしまった。
 その頃、学校では問題が起きていた。今まで黙殺していたいじめが表ざたになったのだから当然だろう。マスコミはここぞとばかりに学校を叩いた。
 僕の両親は「何故言わなかったんだっ」と怒りもしたが、最後には抱きしめてくれた。いじめによる自殺が相次いでいたから、両親はかなり蒼くなっていた。
 それ以来、両親は僕の話を根気よく聞いてくれるようになった。
 それはそれで嬉しかったが、僕の心がそこになかったのも事実だ。
 僕はあくる日、痛む身体を引きづりながら公園に向かった。そこには巨木に寄り掛かるようにして座っているクロの姿があった。

「クロっ」

「お−−。昨日はどうした……って、お前、それどうしたんだっ?」

 傷だらけの僕を見て目を剥く。
 そんなクロに、僕は早速昨日あったことを話した。
 クロは時々相槌を打つだけで、真剣に話を聞いてくれた。
 話を聞き終えたクロは、満足そうに笑った。

「やれば出来るじゃないかっ」

 僕の肩に腕を回し、ガシガシともう一方の手で頭を掻き交ぜる。

「わ!? 何するのさっ」

 僕は口では文句を言いながらも、本当はとても嬉しかった。
 誰よりもクロに認めて欲しかったのだ。
 僕達は顔を見合わせて、声の限りに笑った。



 その日は僕の体調もあり、早々に切り上げることにした。
 いつもはそのままお別れになるのに、今日は違った。
 名前を呼ばれて振り向くと、そこにはクロが面白そうに目を細めて立っていた。

「お前、八日前に猫を助けようとしただろう?」

「猫?」

 キョトンと小首を傾げる僕には構わず、クロは艶やかに笑う。

「あの猫は結局助からなかったが、身を呈して守ろうとしたお前は十分凄いと思うぜっ。見て見ぬフリをする奴らも加害者と同じだ。その心をずっと忘れないでくれよ」

 その言葉に、僕は八日前のことを思い出していた。
 帰宅についた僕は、そこで金村君達が何かを蹴って遊んでいるのを発見したのだ。
 ボロ雑巾にしてはやたらに重い音。
 目を凝らして見ると、それは子猫だった。
 次の瞬間、考える間もなく僕は子猫を抱いていた。
 全身で子猫を庇いながら、歯を食いしばる。
 金村君達が帰ったのは、それから少し経ってからだった。
 金村君達が帰ったのを確認してから、僕は腕の中にいる子猫を見た。すると視線に気付いたのか、子猫はうっすらと目を開けたのだ。
 その瞳は誰かを彷彿させる紅。
 僕は慌ててクロを見た。
 しかしそこに彼の姿はなかった。



 あれから何十年も過ぎ、『僕』は『俺』になり、そして『私』になった。
 彼に恥じない人間になろう。ならなければ! と生きてきた。

「私は、少しは君に誇って貰える人間になれたかな?」

 音にすらなっていない声だ。しかし、それに答える者がいた。窓の縁に片足を抱きしめるようにして座るその少年は。

「クロ……っ」

「よぉ。迎えに来たぜっ」

 彼は記憶そのままの笑顔を浮かべ、軽快に言い放つ。
 目を閉じた頬に、一筋涙が流れた。

「急変ですっ」

 薄れる意識の中、看護師の声とけたたましい機械音が聞こえる。同時に幾つもの足音が耳に届いた。



 病院で心臓停止を報せる機械音が響いたその時、あの公園では一陣の風が吹いた。
 例の巨木がざわざわとざわめく。それはまるで、子供の笑い声にも似ていた。














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